原人と呼ばれた男

@ubudbali

第1話 真夜中の英会話教室

 その男の出で立ちはこうだった。ぼさぼさに伸びたまま固まったような髪の毛。もじゃもじゃのヒゲに覆われた顔。着ているものは色あせてぼろぼろで、全身から漂ってくるのは、強めの体臭とかすかな磯の香り(?)

 男はうちの玄関に現れて、「Iさんはいる?」と聞いた。(Iというのは私のダンナの名前)てっきり物乞いかと思って身構えたが、ダンナの知り合いなのか?

「どちら様で?」とたずねると、男は「何とかかんとか(聞いたことない地名)から来た者だ」と答えた。あいにく、ダンナは不在だったので、「いない」と私がいうと、「あっそう」と男はさっさと行ってしまった。そこにはかすかな磯の香りの残り香、、、

 今のは何者だったのだろう?

 帰宅したダンナに「さっき、変な人が訪ねてきたよ。物乞いみたいなぼろぼろの格好で、知らない地名を言って、そこから来たって、、、」というと、

「ああ、それはDだよ。ロンボクのギリアイルから帰ってきたんだ」とダンナ。

「でも、その人はギリアイルからとは言わなかったよ。モジョ何たらから来たって言ってた」

「モジョ何たらかんたら(発音がむずかしくて覚えられない地名)っていうのは、ジャワのDの出身地だよ」

「えっ、あれがD??? ほんとに???」

 Dなら以前に何度も会っているので、顔さえ見れば、わからないはずはないのだが、、、私は私の知っているDの顔を思い浮かべながら、首をひねり、「あれがDだったなんて」と反芻した。私の中では、さっきの物乞いのようなナリのDと私の知っているDとが、どうしても結びつかなかった。

 しかし、じっさい、私はその男の顔をよく見たわけではなかった。その男の顔は伸びた髪とヒゲに覆われていて、造作はほとんどわからなかったし、それ以前に、こんな人と関わりになってはいけないという生理的な拒否反応もあった。だから、私は男の顔をよく見もしないで、「お願い。ここから早く立ち去ってちょうだい」と拒絶の空気を発してしまった気がする。もし、それがDに伝わったとしたら(たぶん伝わっている)、申し訳ないことをしたと思う。

 それにしたって、水臭いのはDだ。どうして自分はDだとはっきり名乗ってくれなかったのだろう。私が誰だかかわらない(あんたは誰?)という態度をとったので、言い出しにくかったのか。それとも、自分でも自分の姿が恥ずかしく、すばやく立ち去りたかったのだろうか。

(ギリアイルは、バリ島の東隣にあるロンボク島の西に浮かぶ3つの小島のひとつで、バリからちょっと足を伸ばして、透き通るような海とヤシの木だけの素朴な風景に浸りたいという旅行者のための「秘島」、、、というのは、何年も前のイメージで、近年は急速に観光開発が進み、かつての「秘島」という雰囲気はすっかり影をひそめたようである)


 どうやら、物乞いのようなナリでうちの玄関に現れたのは、ダンナの弟子とも子分ともいえる存在のDだった。出稼ぎにいっていたギリアイルから1年ぶりにバリに戻ってきたらしかった。しかし、どういうわけだか、誰だか見分けがつかないくらい激しく変貌した姿で、、、あの変わりようは、いったいなぜ? Dの身に何があったのだろう? 何やら、ただごとではない事情がありそうだ。

 私はDの身を案じる一方で、その事情とやらを詮索せずにはいられない、強い衝動を覚えた。

 とはいっても、私はDとは、会えば軽く挨拶を交わす程度の間柄だったので、その私が身を乗り出すように、

「ちょっと、あんた、どうしたの? 何があったの?」みたいな感じで、好奇心丸出して騒ぎ立てるのはおかしいと思い、とりあえず、あからさまな好奇心は出し控えたのであるが、、、何かそこに漂う妙な空気が、私の興味を揺さぶり、刺激するのだった。

 たとえば、私が「変な人が訪ねてきたよ」とダンナに伝えたときの、ダンナの反応の仕方には妙なものがあった。Dがぼろぼろの格好でバリに戻っているのを知っているらしいのに、それには驚いた様子を見せず、むしろ、クスッと鼻のあたりで笑うような意味ありげな反応を示したのだ。それに妙といえば、Dの体から漂ってきた磯の香り(海辺に満ちている潮の香り)も、謎だった。

「う~ん」と私はうなって腕組みをし、目を閉じた。

磯の香りといい、変わり果てたDといい、その事情を知っていそうなダンナの思わせぶりな態度といい、いったいDの身に何があったのだろう。

 それらの謎を解き明かしたいという衝動が私の体をとらえて離さなかった。私は、Dの周辺で起きたことを明らかにしつつ、コトの真相へとつながる、いくつかの道をたどることにした。


 そこでまず、Dが何者かというと、20代前半のジャワ島出身の自動車整備工で、私たちの住むバリ島ウブドの自動車修理工場のひとつで修理工として住み込みで働いていた。ダンナの怪しげな交友関係(働いているのかいないのか、わからない人間が多い)の中では、Dは珍しくまじめてよく働くという評判の、純朴を絵にしたような好青年だった。

 で、そのDに思い切った転職を勧める重要な役割を果たしたのが、うちのダンナだった。ギリアイルでバンガローを経営するA氏(ダンナと同じくスマトラ島出身)からスタッフ探しを頼まれたダンナが、修理工ではあったが観光客相手の仕事にも興味を示していたDに声をかけ、ギリアイル行きを勧めたのである。

「こんなチャンス、めったにないぞ、D。観光業界に転職できる絶好の機会じゃないか。ホテルで働いた経験がなくてもぜんぜん問題ないそうだ。仕事は、客室のそうじとか宿泊客のお世話とか、その他いろいろだ(要は雑用)。(で、ここで声のトーンを下げて)そのバンガローにはな、金髪のきれいなネェちゃんたちが来て泊まるんだってよ。でな、そのネェちゃんたちってのが(むふふふ)、イケイケらしいぞ~」というような誘い文句で。

(ここで気になる「ネェちゃんはイケイケ」がどういうことなのか、それは、このあと明らかになるので、ここでの説明は省略する)

 しかし、この誘いを受けたDには、克服しなければいけない大きな課題があった。それは英語だった。外国人観光客相手のバンガローでの仕事となれば、簡単な英会話ができることが求められる。そこで、英語がまったくだめというDのために、急きょ、短期集中の英会話レッスンが行われることになり、その先生を引き受けたのがダンナであり、そのレッスン場所になったのが我が家だった。

 Dが1週間後にはギリアイルに出発しなければいけないというときになって、ダンナが先生でDが生徒という、にわか仕立ての英会話教室が、あたふたと我が家で始まった。

(Dのギリアイル行きが決まってから出発までは1ヶ月以上あったらしいのだが、レッスンが始まったのが、その直前というのが、まあ、インドネシアらしいところだといえた。切羽つまらないと腰が上がらないお国柄というか国民性というか、それでもちゃんとしている人はちゃんとしているので、ただ単に、ダンナとDの性格によるところが大きいのだが、、、年中暑いところなので、どうしてもだらだらしてしまうというのが、その理由だろう。私自身もインドネシア人化がかなり進んでいるので、人のことをいえる立場ではないのだが)

 それにしても、英語で右も左も言えない、まったくの初心者に、バンガローの接客に必要な英会話を、たったの1週間で身につけさせようというのは、かなり思い切った、無謀な試みには違いなかった。

  

 そんなわけで、その時期、毎晩のように、レッスン(というより特訓)を受けるために通ってくる、怖いくらい真剣な姿のDを我が家に迎えることになったのだが、、、でもまあ、このレッスンに関しては、ダンナが思いついて勝手に始めたことでもあったので、私自身はなるべく関わりを避け、ことの進展具合を傍観、傍聴させてもらうことにした。

 そこで、まず私が意外な感じを受けたのは、我が家に現れたときの、Dの顔に刻まれた表情の険しさ、厳しさだった。それまで私が抱いていたDのイメージというのは、ごっついめの大きな顔にほのぼのスマイルを浮かべた、おだやかそうな人柄の青年、、、というもの。なので、ドラマの悪役がすごんで見せるときのような、怖い表情をDの顔に見たときには、ちょっとぎょっとなった。それで、もしかしたら、望んでないのに無理やり英語を勉強させられているのではないか。そのせいで機嫌が悪く、こうした表情に表れて出ているのではないか、とも思ったのだが、、

 よく見ていると、ほのぼのスマイルを浮かべていないときのDは、たいてい怒ったような怖い顔をしていた。じつはDというのは、その顔からほのぼのスマイルを引っこめてしまうと、本人の意志とは関係なく、怒っていなくても怒っているように見えてしまう、ごっつめの強面(こわもて)の持ち主だった。で、それを本人も知っていて、微笑みを絶やさないよう、日頃心がけているふうではあったが、、、真剣さのあまり、ついついこわめの地顔をさらしてしまった、ということらしい。

 いつもおだやかそうな好青年がさらけ出した無防備な地顔。そこに私はDの強い決意(「ぜったいに英会話をものにして、憧れの観光業界へ転職するぞ」)を見た気がした。

 

 そんなDのための、ダンナによる英会話教室が始まるのは、たいてい、私と子どもたちが寝静まった夜遅くだった。夜中にふと目を覚ますと、ダンナが大きな声で何かをしゃべり(英語で)、Dが小さな声で答える(英語のような言語で)、そういうやりとりが、隣の部屋から延々と漏れ聞こえてきた。今、何時なんだろう? 何時までやるんだろう? そう思いながら、再び眠りに落ちたことを覚えている。

 しかし、じっさいにはこの目で「特訓」の様子を見たわけではなかった。が、まったくの英語初心者Dの前で、得意げに英語をしゃべってみせたり、間違いを指摘してみせたりするダンナの姿が、私の目の奥にありありと浮かんで見えるのだった。そして、その前で困惑ぎみに英語の単語を口にするDの姿も目にちらついた。

 そのときのDの心境を思うと、以前、うちの子どもたちが私に語った言葉が思い出される。で、その言葉というのは、、、

「お父さんに勉強のわからないところを聞くと、聞いてないことまでぺらぺらしゃべり出して話が終わらないし、わからないと言うと、ガーッと怒り出すから、ものすごくめんどくさい、、、」

さもありなん。私は、そのときの、Dの置かれた状況に、深い同情を感じずにはいられなかった。


 それでは、うちのダンナは英語の教師だったのか? というと、そうではなかった。ここ数年のダンナの本業は絵描きである。でも、それ以前には5つ星のホテルでも働いた経験があるため、英会話はダンナの得意とすることろだった。なので、Dに初心者向けの英会話を教えることに、それほど難しさはないと考えたのだろう。というか、もう少し正しい言い方をすれば、元来、人にものを教えること好きのダンナが、自ら積極的に先生という役割を引き受けたというのが、本当のところのようだ。

(ダンナにとって、人にものを教えるという行為は、自分の能力、優位を誇示することのできる絶好の機会であり、ものすごく快感の得られる行為なのではないか、と私は考える。そんなダンナには、得意な英語をひけらかすかのように、友人やら家族の目の前で、外人に話しかけるなどして、自分のデキルところを見せたがるという、やっかいな面があった)

 という性格のダンナの心理をさらに読み解いていくと、、、ダンナが積極的にDの英語の先生を引き受けたのは、

「コイツに英語を教えられる人間は、自分以外にいない」という、自らの勝手な思い込みによる自信と自負に突き動かされた、自発的な行為(あるいは好意)によるものらしい、ということがつかめるのだった。

 事実、ダンナはよくこうしたパターンの行動(勝手な思い込みによる、自発的好意の過剰な行使)に出る。そのパターンは、たいていこんな感じだ。たとえば、自分が親しくなりたいと思う相手、手なづけたいと思う相手(Dの場合はこっち)がいたとする。すると、ダンナは一方的に世話を焼き、親切すぎるほどの親切をほどこす。その相手にいい印象を持たれ、感謝され、場合によっては、その見返りを得るのが狙いなのだ。本人はそれをただの好意、無償の親切だと思っているようだが、ハタから見れば、それは自己満足のための親切、下心あっての親切以外の何物でもない。その証拠に、親切にした相手から、何の感謝の姿勢も示されないと、まるで手の平を返したかのように、その相手のことをボロクソに言ったりするからだ。自分のほうから勝手に世話を焼いておきながら、である。

 それと、もうひとつ付け加えると、ダンナが英語の先生を引き受けることができたのは、絵描きという仕事柄、自分が自由に使える時間がたっぷりある、というのが大きな理由だった。夜更けまで熱心に英語を教えたからといっても、自らの睡眠時間をけずってまでして教鞭をふるったわけではなかった。夜遅くに寝て昼ごろ起き出すことのできる生活周期の人間だからこそ、できたことなのだ。

 ところで、なぜ私がこうも、ダンナのすることに対して、意地の悪い見方をするのか? 疑問に思われるかもしれないので、その理由を説明しておこう。それは、つまり、そうやって自己満足にすぎない、一銭にもならないことにエネルギーをそそぐ時間があったら、1円でもいいからお金を稼いでうちの方に入れてくれ、とダンナに言いたいが言えない、、、そういう不満が、私の中に鬱積しているからである。はははは。

(まあ、愚痴はそのくらいにして、、、)

  

 さて、気分を切り替えて話を戻そう。

それで、深夜の英会話教室(特訓)の成果はあったのか? Dは英会話をものにすることができたのか? というと、、、ゼロからスタートしたにしては、悪くない仕上がりだという。これはあくまでダンナから聞いた話なので、多少の誇張はあると思う(ぜったいにある)が、彼はこう言った。

「最初はこんなこと引き受けちゃって、失敗したなと思ったよ。Dは自動車修理工だから手先は器用なんだろうけど、口はすごい不器用でさ。語学のセンスもぜんぜんなくて。でも、まあ素直なだけが取り柄でさ、オレのやり方によく付いてきたと思うよ。英語なんて、一生無理だと思ったやつが、1週間でそこそこしゃべれるようになったんだから、やっぱりオレの教え方がよかったんだろうな。オレって先生向きかも。へへへ。(ちょっと照れ笑いが入る)でさ、Dにものすごく感謝されちゃってさ、お礼に何かしたいっていうから、じゃあそれならって、うちの車の整備を頼んだんだよ。あの車、長いこと整備してなくて、あちこちガタがきていただろう。それがな、エンジンの音が静かになって、アクセルが軽くなって、ものすごく調子がよくなったんだ。ほんと、買いたての頃みたいにすぅーって感じで。もし、あの車、どっかの修理工場に持っていったら、いくらかかると思う? 何十万ルピア(何千円)はかかるんじゃないかな。それが、なんとタダ。はははは。タダで直してもらえたんだ。どうだ、すごいだろ」だと。

 どうやら、これ以上ないというくらい思い通りの展開になって、ダンナは笑いが止まらないといった様子なのだ。これであとは、自分が仕込んだ人間(D)を、無事ギリアイルに送り込みさえすれば、バンガローをやっているA氏にも感謝され、大きな恩を売ることができるのは間違いない、というダンナの思惑がまるで透けて見えるようだった。で、こんなふうに嬉々とした様子のダンナを目の当たりにするときの私はというと、逆にしら~としてしまって、無口になるのだった。

 というのも、ダンナが調子に乗っているときや、浮かれて舞い上がっているとき、ついつい一歩引いて見てしまう、というクセが私にはあったからだ。(これは長年の結婚生活でしみついた、私の自然な反応だった)なので、私はこのとき、ダンナの語ることに対して、決して関心がないわけではなかったのだけれども、、、これを語るときのダンナの浮かれ具合が、目に余るものであったため、どうしてもダンナの話に興味深げに耳を傾けようという気分にはなれなかったのである。私は忙しいふりをしながら、なるべくさらりと言った。

「ああ、そう、車、タダで直してもらえてよかったね」とだけ。

ダンナとしては、もっと私が話に乗ってきたり、ほめ言葉を口にするのを期待していたに違いない。だけど、それを知りつつ、私がそうしなかったのは、長年の不満の鬱積が根底にあったからだったと言い訳しておこう。

  

 それはいいとして、、、Dの話に戻ろう。

 1週間の特訓の末、Dは英語「ちんぷんかんぷん」状態を脱した。レベル的には、「ほんの少しできる」程度ではあったが、本人的にはもうそれで十分だった。ギリアイルへと旅立つ日の朝、ちらっと我が家に立ち寄ったDの面差しは晴れやかで自信に満ち、新しい一歩を踏み出すぞという、強い意気込みを感じさせるものだった。

 ところが、そのDが、1年後に変わり果てた姿で帰還。いったい彼の身に何が起こったのだろう。 ギリアイルに行く前のDは、外見的にも内面的にも、とくべつおなしなところのない、純朴を絵にしたようなインドネシア青年だったのだが、、


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