寝室から誰かの声がした。


「……よく来た。アーサー」


アーサーにはそれがブライアン叔父の声だとすぐに分かった。


「お久しぶりですブライアン叔父さん。アーサーです。中に入っても構いませんか?」

「良いだろう。入れ」


アーサーはドアを開けようとした。

だが、経年劣化のせいなのかドアは酷く歪んでいて、中々開かなかった。

「クソ! 固いな!」

アーサーは一度ドアノブから手を離し、再度ドアを開けようと試みた。

「今度は勢い良く回してみたら?」

「そうしてみよう」

今度は上手く行った。


扉は勢い良く開き、壁に衝突した。

寝室にはカーテン付きの巨大なベッドが据えられていた。


「改めてようこそ。アーサー。それにガール・フレンドもいるようだな」

「初めまして。パトリシア・マクミランです」

「良い名前だ。パトリシアはラテン語で「貴族」を意味する、パトリキウスから来た名前だ」

「知らなかった。君は知ってた?」

「私も今知った」

「ちなみに私のブライアンという名前にもケルト語で「高貴な」という意味がある」

「叔父さんは本当に何でも知ってますね」

「ああ。大抵の事は知ってるつもりだ。さて、トリヴィアの時間は終わりにして、そろそろ本題に入ろう。勿論本題と言うのは遺産の話だ」

「分かりました。でも、こういう話の時は弁護士とか公証人とかが立ち会うんじゃないんですか?」

「心配には及ばん。ホワイトが全てやってくれる」

「出来るんですか?」


アーサーは後ろに控えていた執事に質問した。


「勿論です、アーサー様。私、こう見えて色々な業種を経験しておりまして、ブライアン様に執事として雇われる前はアーカムで公証人をしておりました」


彼の言うアーカムとはマサチューセッツ州の地方都市の1つである。

あまりパッとしないところで、東部ではせいぜいミスカトニック大学がある町程度に認識されている。

ホワイトの公証人から執事になったという経歴は不自然だったが、アーカムからボストンへ移住したという話は地理的に近いので然程不自然ではないように感じられた。

だからアーサーはホワイトの言葉を一応信じる事にした。


「オーケー。話を続けて下さい」

「うむ。では、君の取り分を教えよう。私は今現在、不動産、株券、銀行預金その他諸々合わせて約97万ドルの資産を持っている」

「それ、全部が俺のポケットに入るんですか?」


アーサーは遺産の額を聞いた途端、目が回り、まともに立っていられなくなった。

続けてブライアン叔父によって資産の詳細が語られたが、全く頭に入らなかった。

アーサーの頭の中は97万という数字でいっぱいだった。




「相続税で少し額が目減りするだろうが、残った分は全て君のものだ。知っての通り、私には妻も子供もいないし、親兄弟ももう全員死んでいる……大丈夫かね?」

「正直、気が動転してまともに立ってられません」

「ホワイト、アーサーを椅子に座らせてやれ。それからマクミラン嬢にもだ」


執事は部屋の隅からチューダー朝式の背の高い椅子を2脚持って来た。

この椅子も屋敷にある他の物と同じで朽ちかけていた。

トリシアは「まぁ、勿体無い」という感慨を抱いたが、アーサーは特に何の感慨も抱かず椅子に腰掛けた。

とにかく彼の頭の中は真っ白になっていた。


だから「遺産の相続には条件がある」と言われても上手く反応出来なかった。

「アーサー」

「何?」

「今の話ちゃんと聞いてた?」

「いや、聞こえてなかった」

「では、もう1度言おう。遺産の相続には条件がある。それを今日、この場でやって貰う」

「今日ですか?」

「不服かね?」

「いいえ」

「よろしい。では続けるが、私の屋敷の裏庭にはオークの木が生えている。アイルランドの強力なドルイド僧が住んでいたとされる森から持って来た貴重なもので、ヤドリギの金枝が生えている。まずはそれを手折って来て欲しい」


アーサーとパトリシアはベッドの後ろに回り込み、窓から屋敷の裏庭を覗いた。

ブライアン叔父の言った通り、裏庭にはオークの木が生えていた。

その木は屋敷にある他の物と違ってやたらと力強く立っていた。


着席してからパトリシアが冗談めかして言った。


「これって何だかネミの司祭みたい」


「ネミの司祭?」

アーサーは首を捻った。

「オカルトに詳しい友達から聞いたんだけど、古代ローマのネミの森っていう場所では司祭が代替わりする時には前任者を後任者がネミの森に生える金枝を使って殺さなきゃいけなかったって話があるのよ」

「何でそんな事をする必要があるのか理解出来ないな」

「ええっと何だったかちょっと度忘れしちゃってるみたい。ちょっと待ってて思い出すから」

「それは、司祭が神を宿す器だからだよ」


ブライアン叔父が後ろから口を挟んだ。


カーテン越しに黒い大きな影が蠢く。


「司祭の体が老いれば司祭に宿る神の力も弱まって来る。それを避けるために活力に溢れた新しい司祭に神を移し変えるのだ……」


「ああ。そんな風に言ってました。ごめんなさい。話を横道に逸らしちゃったみたいで」


「いや、マクミラン嬢、気にすることはない……今からアーサーがやるべきことは正にそれなのだ……」


「え?」


「アーサー、君にやって貰いたい事は金枝で私の心臓を刺す事だ」


金に目が眩んで半ば催眠術に掛かっていた様になっていたアーサーだったが、その言葉を聞いた途端一気に正気に戻った。

彼は言った。


「それは出来ません。お断りします」

「何故だね?」

「何故って、それは要するに叔父さんを殺せって話じゃないですか」


確かに彼は遺産を欲しがってはいた。

だが殺人の罪を犯してまで手に入れたいとは微塵も思っていなかった。


「大丈夫だ。後始末もホワイトがやってくれる」

「トリシア、もう帰ろう」

「ええ。そうした方が良さそうね……」


アーサーはトリシアの手を引いて部屋を出ようとした。


「私の神からお告げがあったんだ。君には是が非でも儀式を遂行して貰う。ホワイト」


ブライアン叔父が執事の名を呼んだ。

執事が扉の前に立ち塞がった。


「そこを退いてくれ。俺達は帰る。遺産の事は無かった事にしてくれても良い」

「君の家には金が必要だ。今以上にケヴィンの酒量が増えれば君の家は立ち行かなくなる。このまま行くと1年以内に君の母親は工場じゃなくて路地裏で商売しなくちゃいけなくなるぞ。君の方は、このまま行くと仕事先がなくなるな。気の毒な話だ」

「先の事は分からない」

「君も知っている筈だ、私には未来が見えるという事を。そう、金枝の力でね」


言葉では埒が開かなかった。


「頼むから、俺達を帰らせてくれ」


アーサーはトーマス・クレイグが貸してくれた銃の存在を思い出し、カーテン越しに見える人影に向けて素早く突きつけた。


アーサーはトムの思いつきに感謝した。


だがブライアン叔父は全く動じなかった。


「私に銃を向けるのは構わんが、その前に忠告しておいてやろう。銃は人間相手には有効だが、それ以上の存在には何の役にも立たん。例えば私は金枝以外では殺せない」


「ハッタリだ」


「それを言うなら君こそハッタリではないかね? 元々殺人が嫌でこの部屋から抜け出そうと思っていた筈だ」


「……」


アーサーは思い切って銃の引き金を引いた。


コルトの銃弾は天井に穴を穿った。


「ちょっと、本気なの、アーサー?!」トリシアが震え声で言った。


「殺さなければ良い話だ。手とか、足とかを狙えば死にはしない」


これもハッタリだったが、ハッタリをかまさなければ相手に飲まれそうだった。


「さぁ、行かせてくれ」


アーサーは執事の方を向き直った。


だが次の瞬間、アーサーは何かに右足を取られて転倒した。

アーサーが足を見ると、緑色の鱗の生えたゴムホースの様な触手が絡みついていた。


触手はベッドから伸びていた。


「何なんだ!? これは何だ!?」

「私の手、いや中指だよ」


ベッドからブライアン叔父が顔を出した。

彼の顔にも鱗が生えていた。


「あんたは化け物だ」

「いや、神の依代だ。私は偉大なる神の、名状し難いものの依代だったのだ。ハハハハハハハハハハ……!!」


アーサーは逃げるために立ち上がり、足から触手を振りほどこうとした。


その時、彼は右足に違和感を覚えた。


ズボンの触手に捕まれていた部分がボロボロになって崩れた。


そして崩れた部分から見えた彼の足はミイラの様に、乾き、骨と皮だけになっていた。


「あっ」


アーサーは本能的に理解した、ジョンソンストリートが廃墟に変わった原因は、ブライアン叔父にあるのだ、と。


だが理解したところで最早打つ手は無かった。


20本の鱗のある触手が、アーサーとトリシアを取り囲んでいた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る