出発当日の朝は忙しかった。

まず、アーサーは着慣れないスーツを着るのに苦戦した。

アーサーにはオーダー・メイドのスーツを買う金など無かったので全て既製品である。

帽子は父マイケルの遺品の中折れ帽を被って行くつもりだったのだが、どこに置いていたか忘れていたので探すのに手間取った。

帽子はアーサーの「宝箱」にあった。


「宝箱」はクッキーを手に持った少年が描かれたブリキ缶で、外はボコボコだったが中身の1つである中折れ帽は無事だった。




アーサーは着替えを終えた後、今度はディジーにお留守番を頑張るよう説得に掛かった。

口には出さないものの、彼女がボストン行きに付いて行きたそうにしているのを知っていたからだ。

アーサーは2日酔いで何やら呻いている父親を刺激しないように小声で言った。

「ディジー。残念だけど今回はお留守番を頼む」

「良いよ」


言葉とは裏腹にディジーはしょぼんとしていた。

アーサーは説得を続けた。

「叔父さんは重い病気なんだ。ずっと静かにしてなきゃいけない……叔父さんの家は遊ぶ物が何も無いところで1日居るのは正直キツイ。死ぬ程退屈だった。1日が3日くらいの長さに感じる」

「それは流石に嫌かな。がっくし……」

アーサーはディジーがボストン行きを諦めたと判断したが、ダメ押しに買収もやった。

「元気だせよ。ほら、代わりにお小遣いやるからさ」

アーサーはディジーに15セントくれてやった。

トリシアは大喜びだった。

「わぁ! これでチョコレートのアイス買って良い?」

「バニラでもレモンでも、好きなのを買って良いぞ」


純朴なディジーがボストンでアイスを食べるというプランを思い付く前に、アーサーは家を出た。




アーサーは最初列車の旅を想定していたのだが、トーマス・クレイグがローンで買った中古の無蓋T型フォードを借しても良いと言って来たので厚意に甘える事にした。

しかしトムはついでに弾の入ったコルトまで渡して来た。

アーサーは困惑した。


「俺が行くのはボストンだぞ」

「ボストンにも犯罪者はいるさ。しかもそいつ等は銃を持っている可能性がある」

「そりゃそうだが、ここまでする必要ってあるか?」

「慣れない土地に行くんだ。備えは万全にしておくに越した事は無いと思うぜ。銃さえあれば相手を返り討ちに出来るし、手に持ってるだけでも相手を牽制出来る。魔除けみたいなもんだ。難しく考えずに借りとけよ」

「お前はどうするんだ」

「心配するな。俺は家にもう一丁同じ型のを持ってる」

アーサーは根負けした。


「そこまで言うなら借りて行くよ」

「そうしてくれ」


アーサーはT型フォードの運転席に乗った。

何時の間にか助手席にはブランド物のスーツでめかし込んだトリシアが座っていた。


「驚いた?」

「驚いた。何でここに居るのか説明してくれ」

「だってアーサーに車を貸してあげるようにトムに言ったの私なのよ?」

「お前にもトリシアにも借りがあるからな。借りを返す良い機会だと思ったんだ」

「全く、俺の友達は油断できない奴ばっかりだな」


アーサーは車のエンジンを掛け、そのままニューヨークを発った。



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