怒りと無と鏡


悲しい。


くやしい。 


なさけない。


マナミの心と頭の中には、

この3つの言葉が居座いすわっていた。


あの、

あわれなうちに消えていった、

異形の存在が


「悲しい」


撃退げきたいする事でしか、

彼らを解放かいほうできなかった事が


くやしい」


目の前の元凶に対して、文句の一つも言えず、

子供のように泣く事しか出来ない事が


なさけない」


本当に心底「情けない」と、

自分自身に失望すら感じてしまう。



こんなにも怒っているのに!


こんなにもいたんでいるのに!



激情に身をまかせるとこの反応しか出来ない自分が、

昔から嫌いだった。


言いたい言葉はのどまらせる嗚咽おえつになり、

あふれるれる怒りは涙となって静かにほおを伝う。


自分が怒っている事さえ伝えられない事がもどかしく、


「また泣いてる」


揶揄からかわれ、

時にはあきれられる事もあった。


この、

悲劇の主人公を気取きどっている泣き虫が、

許せないほど嫌いで、つねに変わりたいと願っている。



その、

情けない心を、思い出してしまった。



(せめて、一言でもいいのにっ!

言い返してやりたいのに!)


そう願っても、

やはり声は嗚咽おえつとなって引きるだけで、

涙は止まらずなさけなく流れ続ける。


ただ、目に怒りを燃やし、

鏡をにらみ付ける事だけで精一杯だった。


鏡への怒りに燃え盛る彼女の前で、

体の力を抜きながら、Sは軽い溜息をつく。


暇潰ひまつぶし、ね。


大方おおかたそんな事だろうとは思っていたが、

こうも予想通りだとしらけるもんだな。」


「あれ?

そこのおねーさんみたいに怒らないの?」


彼の言葉に鏡は一瞬、

意表を突かれた顔をしたが、すぐに元通りの笑顔に戻った。


流石さすがだね、おにーさん。

やっぱり、

普通のとは違う反応してくれるなぁ。


・・ボク、

何だかおにーさんの事気に入ってきたよ!


このまま此処ここに閉じ込めてたら、

どの玩具にんげんよりもずっと楽しめそう」



その時、マナミは確かに足元から、

何かが割れるかすかな音を聞く。



気が付くと、

目の前にいたはずの背中は、

シャンデリアの瓦礫がれきの上にって、

直後、再び辺りにごう音が響いた。


何が起こっているのか事態を把握はあくできないまま、

彼女はなかほうけながらも音に反応して、

階段のおどり場に視線を向ける。



・・そこには、

かざられた巨大な絵画があったのだが、

その中央に血を流した少年の体が、

はりつけられたようにめり込んでいた。



「『白けた』って、言っただろ。」


何も無い声が、

静かに響く。


その、

何の感想もいだかせない声に、

彼女の背に悪寒とも寒気ともとれない強い震えがはしった。


あれだけ嫌っていた女王と話す時でさえ、

彼のその声と言葉には

いら立ち〉や〈嘲笑ちょうしょう〉、

侮蔑ぶべつ〉といった負の感情が、

あふれるほど込められていたのだが。



この声には、

何も無い。


完全な、

〈無〉だった。



「ふ、いうち、なんて、初めてだよ。


・・いてて、ひどい人だなぁ。」


口のはしを流れる血をぬぐい、

鏡は苦笑しながらめり込んだ絵から抜け出すと、

服のほこりを軽くたたく。



「ああ、でも。」



そう呟いた瞬間、

鏡の笑顔から無邪気さが、ごっそりと抜け落ちた。


変化はそれだけにとどまらず、

その身のたけは成人男性を遥かにえ、

全身が黒いもやまとった闇色の鏡のように変わる。



にごった血の色の、

ぎょろりとした目玉を愉快ゆかいそうに弓型に細め、

その姿をまごう事無き化け物に変えた鏡は、

赤い裂け目のような口元をさらに裂いて、

嘲笑わらった。



「すこぅし、痛かったかな。

ちょっと、玩具にしてはやり過ぎたね。


・・後であげるから、ボクと遊ぼっか。」



少年、老人、青年、少女、女性。



全ての年代と性別が混ざった、

不協和音をかなでる耳ざわりな声で、

は楽しそうにSにげる。


「遊ぶつもりは無い。消えろ。」


投げつけられた〈無〉そのものの言葉にさらに笑みを深めた瞬間、

またたきのうちにその姿は彼の目の前にあった。



「そう言わずに、遊ぼう?


・・ちゃんとこわしてあげるから。」



子供を思わせる、

無邪気な仕種しぐさで道化のように首をかしげてみせると、

笑顔のままでこぶしを彼の顔面めがけてり出す。


その巨体から予想もできない素早さでせまこぶしを、

Sは無言で右腕ではらい、

りの間合まあいを取るために、

その場から後退こうたいしようと動いた。


が、

鏡は同じ動きで間合まあいをめ、

そのままさらこぶし乱打らんだにはいる。


彼はそれらも素早すばやけ、

りをり出すために数回間合まあいを取ろうと動くが。


そのたびに影のように鏡が後を追うので、

2人の距離が開く事は無く、

結果としてSは防戦一方ぼうせんいっぽうの形になっていた。


無言で攻撃をけ、

はらい、なす彼を見ながら、

鏡は攻撃の手を休めずその顔に嘲笑ちょうしょうたたえながら言う。


「おにーさんの攻撃方法って、

足しか使ってない事知ってるんだよ。


りは、

こうやって間合まあいに近づかれたら、

りにくいんだよね。


それに、

もしあたっても威力いりょくが弱くなる事も、

ちゃぁんと知ってるんだ。

膝蹴ひざげりは相手の首をつかまないと、

できないしね。」


鏡のこぶしわずかにかすり、

彼のほほに赤い線が走るのを、マナミの目がとらえた。


「このまま体力が無くなれば、

ボクの勝ちかな。」


みずからの勝利を確信したのか、

鏡の笑みがゆったりと深まる。


そのままSにとどめを刺すべく、

乱打らんだの速度を上げ、

それでも油断なく間合まあいをめた。


彼女が彼の劣勢れっせいようやさとり、

表情にあせりを浮かべ、

どうにかしようと辺りを見回す。



その時、

だった。



何かが割れる派手はでな音が辺りに響き渡り、

マナミはその視線を音の発生源・・鏡の方に向ける。


鏡自身も何が起こったのか理解していなかったが、

おのれの体がひとりでにくの字に折れ曲がった事と、

遅れてやってきた衝撃しょうげきで、

自分の身に起こった事をさとった。



鏡の鳩尾みぞおちにSのこぶしが突き刺さり、

そこを中心に大きく皹割ひびわれ、

細かな破片はへんが小さく輝きながら、

瓦礫がれきの上に散る。



「・・え。」


体が求めるままその場に両膝りょうひざを着いた鏡の口からは、

混乱しきった間抜まぬけな感想がれただけだった。


そんな状況を把握はあくしきれていない相手を見ながら、

彼は表情を変えずに淡々たんたんと言葉をはっする。


「足しか使わない事で、

『それ以外に攻撃方法が無い』と勘違かんちがいしたな。


俺がりしか使わないのは、

テメェらみたいなのを触りたくねぇからだ。」


それに。


と呟いて、

Sは右のこぶしで思い切り鏡の顔面をなぐった。


その威力いりょくに巨体が吹き飛び、

激突した衝撃しょうげきでさらに階段の瓦礫がれきが追加される。


そのさまを目にした時、

ようやく彼に表情が戻った。


「俺が本当に得意なのはこっちなんだよ。


ただ、

これを使うとやり過ぎちまう。

ついついぶちのめすのが楽しくなって


・・止まらなくなるんだよな。」


心から楽しそうにげるその表情は、

先程さきほどまでとは違って笑顔で。


しかし、

破壊衝動はかいしょうどうへの純粋な喜びに爛々らんらんと輝く瞳や、

その激情をおさえ込むようを描くいびつな口元で、

それが彼のおさえていた好戦的な狂気の表れである事が、

理解できてしまう。


生き物としての生存に関わる全ての機能の警告にしたがい、

鏡は素早すばやくその場から飛び退いて、

状況の把握はあく自己防衛じこぼうえいに動こうとした。



が、

それはすでに手遅れだったらしい。



逃げた鏡の行く先には、

付きしたがう影を思わせる俊敏しゅんびんな動きで、

ほぼ同時に移動したSが立ちふさがっていた。


「見逃す気は無い。・・諦めろ。」


笑みを含んだ声と無情な拳が、

同時にその身へと降りかかる。



それは、

子供が大きなぬいぐるみで、

無邪気に遊んでいるようだった。



小さな子供が、

ぬいぐるみや人形で遊ぶ時に時折、


叩いたり、


振り回したりする、


そんな気楽さと純粋な楽しさが、

彼からは感じられる。


しかし、

実際の光景は、

それからはかけ離れた物で。


左右のボディブローは相手の内臓を破壊し、

とらえられた顔面はあわれにも砕け、

正面から打たれたどうはその威力いりょく貫通かんつうし、

いくつものひびともない穴が穿うがたれていた。



館のあかりを反射しては散っていく、

欠片かけらあまりにも綺麗きれいで、

非情で。



その場で立ちくしているようにも見える鏡は、

壊れ逝く人形マネキンにも見えて、

哀愁あいしゅうさえも感じてしまう。


状況が把握はあくできないまでも、

そのさまを目をらさずに見ていたマナミのほほに、

静かに涙が伝った。


そして、その口から



「もう、やめてください。」



と、

彼を止める言葉が自然にこぼれてくる。


その呟きはかすかな物だったが、

Sにはちゃんと届いたらしい。


何故なぜですか?」


動きを止めた彼が、

振り返る事無くどこか不満げな声で問いかけてきた。


「その。


・・私をここに閉じ込めた、

理由を聞いていないからです。


それに、

私の記憶も早く、返してもらいたいので。」


そう。


それ以外に他意は無い。


あってはならない。


(そうでないと・・

消えていった存在ひと達に、申し訳ないから。)


あわれむ気持ちを罪悪感で押し殺し、

彼女はSにそううったえる。


「・・まぁ、いいでしょう。

俺の気も済んだので。


確かに、

聞くなら今のうちですね。

も、もう長くは無いでしょうし。」


溜息をついた彼が右足で軽く小突こづくと、

ようやく解放かいほうされた鏡の体は、

糸の切れたあやつり人形のようにその場にくずれ落ちた。


硝子がらすくだける派手はでな音を立てて、

瓦礫がれきもれたその身は、

隙間すきま無く罅割ひびわれ、

所々から黒いもやがゆらゆらと静かに立ちのぼっている。


その目から徐々じょじょに光が失われつつある事からも、

彼の言う通り、鏡の存在が静かに消え去ろうとしている事が

理解できた。


「・・どうして、

私をここに連れてきたの?」


やや緊張したかたい声音でマナミが問うと、

ゆったりとした反応が鏡から帰ってくる。


きたんだ。

ただ壊して、遊ぶ事が。


・・だから、

お芝居でもしようと、思って。」


「お芝居?」


「そう、お芝居。


より、楽しくなるように。

ゲーム性が高くなるように、ね。」


鏡は小さく笑うと、

夢でも語るような口調で穏やかに話し出した。


「誰かの記憶に、

沢山たくさん御伽話おとぎばなしがあってね。

それを見ていて、思いついたんだ。


『『御伽話おとぎばなし』と

惨劇さんげきが起きた館』って話を混ぜれば、

面白くなるんじゃないか』と。


それから、

処分したは作り直して、

妨害ぼうがい用に配置はいちしたんだよ。


只々ただただ

獲物にんげんを追いめて、話をふくらませる、てきとして。


・・でも。」


そこで鏡の表情がかげる。


「話がどうしても、面白くならない。


ボクはもっと、

悲劇的で、

陰惨いんさんで、

凄惨せいさんな、

救いの無い話が、見たかった。


・・それには、

悲劇へとみちびき、

相手の信頼と同情をる事の出来る存在が必要だと、

思ったんだ。


悲劇には、

純真で健気けなげなお姫様が、必要だとね。」


倒れたままの脚本家かがみの目が、

不意に彼女の姿をとらえ、口角を引きったよう

り上げて笑った。


「毒りんごばかりが増えて、

困ってた時だったよ。

おねーさんが此処に来たのは。


少し話して、ボクはこの人が、

探していた存在だと確信したのさ。


純粋で、思いやりがあって、勇敢ゆうかんで、

まさにお姫様に相応ふさわしい、って。


・・だから、記憶を消して、

健気けなげあわれな白雪姫にしたんだ。


迷い込んだ王子えものを、

ひつぎへといざな白雪姫あんないにんに、ね。」


そのいびつな笑顔のまま、

再びかすかに笑いながら穏やかにげる。


「記憶なら、

返してあげるよ。

その上で、思い出すといいさ。


・・ここから出れば、

って事を。」


「え?

それは、どういう」


「さあ?自分で確かめてみればいいよ。」


マナミの言葉を鏡がさえぎった瞬間、

その左胸の辺りからあかく輝く欠片かけらが外に飛び出し、

静かに宙に浮いた。


欠片かけらはそのまま、

戸惑とまどうう彼女の元まで飛んでいくと、

静かにひたいから体の中へと溶け込んでいく。


「えっ、あ、・・・・!」


戸惑とまどいの表情を浮かべていたマナミが、

突然頭をかかえてその場にうずくまった。



空っぽに近かった彼女の記憶の中に、

映画をているように様々な場面が映し出され、

その、モノクロとカラーのフイルムの中に飲まれていく。



今、自分が何処どこに居て、

何をしているのかも理解できなくなりかけたが、

突然、エンディングロールも流れずに、

彼女の鑑賞かんしょう会は終わりをげた。


「・・。」


マナミは頭をかかえるのをやめ、

黙ったままゆっくりと立ち上がる。


静かにSの方へと眼差まなざしを向けた時、

その瞳はどこまでも穏やかだった。


「思い出されたようですね。」


彼の問いかけに、

彼女は少し困ったように微笑びしょうし、

小さくうなづく。


「はい。

・・一つ残らず、全て。」


その様子を見ていた鏡は、

一瞬顔をゆがませたが、

直ぐに元のいびつな笑顔をマナミに向けた。


「思い出しただろ。

ここを出たら、失くしてしまうって。


おねーさんの居場所は、ここだけ。

この館の中でだけ、

おねーさんは自分でいられるんだ。

だから、ここから別の所へなんて、行けっこない。

何処どこにも行けないのさ。


・・ボクと同じ、で。」


何故なぜか、

必死に言い聞かせるようにも聞こえるその言葉を、

彼女は静かに聞いていたが、

相手が話し終えるのを待って、

穏やかながらも決意のこもった、

強い声で語る。


「自分を失ってもいいの。


私はただ、

帰りたいだけ。


父や母、

私を待っていてくれる人達に、

また会いたい。


それがかなうのなら・・

失くす事は、怖い事じゃないわ。」


優しく微笑むマナミの言葉に、

鏡は唖然あぜんとしていたが、

次の瞬間、

その目が殺意とねたみに燃え上がり、

硝子がらすきしむ嫌な音を立てながら、

みずからの手を強くにぎめた。


もうすでに消えゆくだけだったとは思えない激情げきじょうを表し、

鏡は彼女をにらみ付ける。


「なんで、

何で、そんな事が言えるんだよ!


自分じゃないのは怖いだろ!

悲しいだろ!

くやしいだろ!


むかえに来てくれたって、

その人にはわからないんだぞ!


ボクは、

それが怖くて何処どこにも行けなかったのに、

なんで!


ちくしょう!ちくしょう!」


怒りにかられたまま、

何とか鏡は体を動かそうと足掻あがくが、

ひびひどくなるだけでそれは叶わなかった。


癇癪かんしゃくを起こした子供のよう

くやし気にわめく鏡を、

マナミは唖然あぜんとしてみていたが。


・・やがて何か思い立ったのか、

静かに相手に声をかける。


貴方あなたは・・誰かのむかえを、待ってたのね?」


その問いかけに反応したのか、

ただ力を使い果たしたのかはわからないが、

鏡の動きが止まった。


その体はもう、

ひびひどく進行し、

細かな部分が静かにくずれ始めている。


かすかにくだける音を立てながら、

どこかあきらめたような声音で、鏡は静かに語った。


「そうだよ。


・・ボクは、

母さんを待ってたんだ。

母さんが、『ここにいて。』って言ったから。

ずっと、ここで待ってたんだ。


ボクのままで、ずっと。」


体の崩壊ほうかいする音が大きくなり、

とうとう手足がくずれ去って、

胴体どうたいと共に風化してしまう。


何処どこか穏やかな表情で、

ついに顔だけになった鏡は、静かに呟いた。


「・・母さんと、

会えたらいいなぁ。


母さんはボクを捨てて、死なせたから、

きっと地獄にいるんだろうなぁ。


ボクも、ヒトをたくさん死なせたから、

絶対、地獄に落ちるよね。

・・それなら、地獄で合えるなぁ。


やっと・・会えるなぁ・・。」


小さく無邪気な笑い声を立てたのを最後に、

その顔もくずれ去る。


その破片はへんも全て風化し、

後には何も残らなかった。


「・・。」


物悲ものがなしいような、

恐ろしいような。


そんな複雑な気持ちで、

マナミは鏡のいた場所を見つめていたが、


「会える訳ぇだろ。」


と言うSの言葉に驚いて、

あわててとなりを見る。


何時いつの間にかそばに立っていた彼が、

同じように鏡のいた辺りを無表情で見つめながら、

はっきりとげた。


「人殺しの願いが、

かなうと本気で信じてんのか。


同じ、

人を殺したばつを受ける場所にはくが、

お前はさらに別な所に連れて行かれて、

母親に会う事は無い。


・・あの世ってのは、

この世ほど優しくはねぇんだよ。」


「子供でも、ですか?」


彼女が思わず口に出すと、

Sはそちらを向いて、

何時いつもの面倒めんどうくさそうな表情で答える。


だから、ですよ。

人を殺す大罪たいざいを犯しておきながら、

『子供だから許される』って変でしょう。


あっちのルールには、

年齢による例外は無いので。」


スーツのほこりを軽く払うと、

彼はわざとらしい咳払せきばらいをして

姿勢しせいただした。


その様子にマナミが不思議そうに首をかしげていると、

Sは棒読みで話し出す。



「おめでとうございます。

貴女あなたの死亡フラグは、これで全て折れました。」



良かったですね。


と棒読みのままげられた時、

そこで彼女は、

やっとこの長い悪夢が終わりをむかえた事に気がついた。


「ありがとう、ございます。」


喜びをめながら、

マナミは深く彼に向かって頭を下げる。


それにSは


「どうも。」


と小さく会釈えしゃくを返して、

後頭部をきながら言った。


「それじゃ、此処ここから出ましょうか。

かぎは失くしてませんよね?」


「はい。ちゃんと、ここに。」


彼女はかぎをそのまま手渡そうとして、

ふと、何かを考えた後、

もう一度自分の元に引き戻す。


「どうしたんですか?」


いぶかし気に彼がたずねると、

マナミは苦笑しながら言った。


「・・ここには、

自分の意志で来たようなものですから。


だから、

此処ここから出る時も、自分の意志で出たいんです。」


穏やかな瞳と声で頼むと、

彼は扉の前から横に退く。


彼女はそれに静かに礼を言うと、

持っていたかぎを差し込み、ゆっくりと回した。


カチリ。


施錠せじょうはずれた音を立てると、

持っていたかぎは役目を終え、静かに消えてしまう。


「開いた・・。」


かぎを使えば開くものですよ。」


Sに冷静に返され、

彼女は苦笑しながらもドアノブをにぎって回し、

力を込めて目の前の扉を押す。


扉はきしむ音を立てて抵抗ていこうしたが、

やがてあきらめ、大きく外に向かって開いていった。



完全に扉が開ききると、

外から明るい光が差し込み、優しい雨音が聞こえてくる。



館の薄暗さにれてしまった目が、

外の柔らかな光に痛みをうったえてきたが、

それでもマナミは、目を閉じる事をしたくは無かった。


何時いつまでそうやって変な顔してるんですか?

外に出た方が早くれると思いますよ。」


扉が開いた途端とたんさっさと外に出ていた彼が、

少し先で振り返りながら、こちらに声を掛けてくる。


「はーい!」


それに楽しそうに返事を返した彼女は、

目を細めたまま自分の意志で、

明るい日差しの中に飛び出した。



「ごめんね。遅くなって。」



彼女の小さくびる声に、

雨が嬉しそうに音を返す。

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