ことのはじまり



マナミは少し緊張したおも持ちで、

ホールの階段を下りていた。


一歩一歩めるように歩いていると、

久しぶりに見る正面玄関のドアが近づいて来る。


その事に


(本当に終わったんだなぁ。)


感慨かんがい深く感じていると、

となりを歩くSが話しかけてきた。


「どうしたんですか?

思い出にひたっているような顔をして。」


けて見えますよ。


と嫌な追撃ついげきが入り、彼女の米神こめかみに青筋が立つ。


しかし、


『最後ぐらいは笑顔でお礼を。』


と決心していたため

何とか引きりながらも笑顔を向ける事が出来た。


「そ、その、

Sさんにも随分ずいぶんお世話になったんで。


お礼を言わないとなぁ、

って考えていた所なんです。」


「はぁ、それはどうも。


・・ですが、

外に出るまで油断をしないで下さい。


最後の最後で失敗の陳腐ちんぷなデッドエンドは、

単純で面白くないんで。」


俺が。


そう、きっぱりと言ってのける彼に、

彼女の顔は盛大に引きる。


(こ、この人は・・!)


マナミは怒りでこぶしを震わせながらも、

それを爆発させる事無く何とか階段を下りきり、

そのまま重厚じゅうこうな扉の前に辿たどり着いた。


そのそびえ立つ丈夫なを前に、

彼女は何となくここに来た時の事を思い返してみる。


(最初にこの扉を見た時は、

外に出られると思って嬉しかったな。


でも、

開かなくて取り乱しちゃったけど。


・・それで、次にここに来た時に、

Sさんに会ったんだっけ。)


そこで、

となりでスーツのポケットの中をさぐる、

彼の方を見た。


(この人に会ってからは、

まだ安心して探索できてた気がする。


・・疑って、悪い事しちゃったかな。)


彼女の中にかすかに罪悪感が生まれたが、

Sの自分への言動を思い出し


(謝る必要なし)


と痛む良心をせる。


そんなマナミの若干じゃっかん恨みがましい視線を無視するように、

ポケットからかぎを取り出した彼は、

それを彼女へと投げ渡した。


「私が開けるんですか?」


落としそうになりながらも、

あわてて受け取った彼女が不思議そうにたずねるが、

Sは


「失くしたら困りますので。」


とだけ、言葉を返してくる。


「ポケットに入れていれば、

落とさないですよ?


・・あ、

今すぐ扉を開けてしまえばいいですね。」


早速さっそくマナミが扉にかぎを差し込もうとしたが、

彼は手の平を此方こちらに向ける動作だけで、

その行動を止めてしまった。


「どうしたんですか?」


「もう少し待って下さい。


・・まだ、

やり残した事がありまして。」


そうげるSの雰囲気ふんいきは、

先程さきほど階段を下りている時とは打って変わり、

かすかに殺気立っている。


(どうしたんだろう?

何かを警戒してるみたいだけど・・。


でも、

敵は全員倒したはず。えっと)


彼の様子を見ながら、

マナミは心の中で出会った敵の数を数えてみた。


(小人に、狩人に、毒りんごに、女王。

詩に書かれていた登場人物は、これだけだった、よね。


・・それとも、

書かれていない他の存在がいるの?)


その恐ろしい予想に彼女が身を震わせた時



「もう帰っちゃうの?」



と、

辺りに場違いな、幼く明るい声が響き渡る。


「!!」


マナミは警戒から無意識の内に体を強張こわばらせるが、

その側にいる彼は気負きおった様子も無く、

何処どこかを視線でとらえたまま、彼女をその背にかばった。


(Sさん、何処どこを見て・・シャンデリア?)


Sの視線の先をとらえるため

彼女もシャンデリアを見上げようとする。



が、

それは直ぐに必要のない行動になった。



「ひっ!」


見上げようとしたシャンデリアのくさりが、

静寂せいじゃくを引き裂く耳ざわりな音と共にすごい勢いで下がり、

それにられていた本体も、同じ速度で落下し始める。


頭の整理が追いつかないまま、

それが床にごう音を立てて衝突しょうとつするであろう瞬間を

唖然あぜんと見守っていたら。


「う、わっ!」


床に衝突しょうとつする寸前で、

シャンデリアの落下はピタリと停止した。


その身にいくらか残った衝撃しょうげきでゆらゆらとうごめいていたが、

やがてそれもおさまり、床から1メートルほど浮いた

不自然な位置で沈黙する。


衝撃しょうげきそなえて思わず息をめていた彼女は、

忘れかけていた呼吸を再開しようとして、



「あはは!びっくりしてる!」



楽しそうに響いた第三者の声に、

再び息をめた。


マナミが視線で探すより先に、

声の主はシャンデリアの後ろから顔をのぞかせ、

此方こちらに向けて悪意を全く感じさせない

無邪気な笑顔を向けてくる。


そのまま子ウサギが巣穴から出るような仕草で、

そのとなりに飛び出してきた。


やや明るい茶色の髪と、

好奇心に満ちたまぁるい目の可愛かわいらしい少年は、

真新しい白いシャツと白いズボンに、

同じく白い靴下と靴という全身真っ白の姿をしている。


此方こちらに笑顔を向けながら手を振ったり、

靴の爪先で床をたたいたり。


2人を興味深く目を輝かせて見る姿から、

元気なウサギの様な印象を受け、

彼女は不謹慎ふきんしんながら微笑ましく感じてしまった。


すると、それを相手も感じ取ったのか、

笑顔のまま話しかけてくる。


「こんばんわー!


・・ねぇ、

さっきの驚いた?驚いた?」


「う、うん。すごく驚いちゃった。」


「そっかぁ!

・・ボクね、驚かすの大好きなんだ!」


頬を紅潮こうちょうさせながら嬉しそうにはにかむ少年に、

マナミも思わず笑顔を浮かべ、

その話し相手になるつもりで返事を返した。


場違いなほど柔らかい空気が辺りを満たし、

彼女は安全な場所だと錯覚さっかくしそうになる。



・・しかし。



今の現実を教えてくれたのは、

目の前の無邪気な少年だった。


「すごいでしょ!

この仕掛け、ボクの自慢じまんなんだ!


これで沢山たくさんの人間をつぶして、

ここに閉じ込めたからね!」


「・・え。」


「えっとね、ボクがこの下にいて、

をその上に落とすでしょ?

そしたら、

だいたいの人間はかばおうとするんだよ。


でも、

ボクはやられ無いからそいつだけ、


ぐしゃ、


ってね。」


あはは!


と声を出して心底楽しそうに笑う少年が、

今まで出会ったどの異形よりも異質な存在に見えてきて、

彼女の体は震えはじめる。


・・しかし目の前のは、

お構いなしに話を続けた。


「あるお兄さんはね。

ボクをかばって大怪我けがしてるのに、

泣き真似したら


『大丈夫だから、な。』


とか格好かっこうつけて、

笑顔で死んだよ。


もう可笑おかしくて、

笑うの我慢がまんするのが大変だったんだ!


恋人同士ならどんな風に動くのかと思って、

別な仕掛けで事もあったっけ。


その時はここでただの子供のマネをして、

2人が扉から外に出た時に、

オモチャ達にボクを襲うをさせてみたんだ。


そしたらわざわざ戻ってきて、

ボクとお互いをかばいながら2人とも死んだよ。


ほんと、馬鹿だよね!


『生まれ変わっても一緒に。』


なんて言ってたから、

2人の体を混ぜてあげたんだ。


そうすれば、

いつでも一緒にいられるからね!」


ボクって親切でしょ?


と、自慢じまんげに語る少年の話の内容は、

残酷ざんこく冷酷れいこくな物で。


・・ただ、その表情や口調に悪意は見えず、

本当に、ただオモチャで遊んだ事を無邪気に

語っているようにしか感じられなかった。


だからこそ余計よけいに、

その残虐ざんぎゃく性を恐ろしく感じてしまう。


先程さきほどまであった柔らかな空気は完全に霧散むさんし、

何処どこまでも冷たくどろりとした異常性が、

腐臭ふしゅうまでともない、辺りを支配していくようだった。


その底なしの沼に、

マナミはただ震えながら飲み込まれそうになる。



・・ただ、同行人である彼は、

それを良しとしていないようだ。



うるせぇな。」


両腕を組んだままのSの口から放たれた言葉は、

今までの中で一番不機嫌で、底なしの沼さえも

一瞬で凍らせるほど冷たいものだった。


この場の空気を氷海に変え、

それでも気がおさまらない様子の彼は、

凶悪なほどのいらつきを隠そうともせず、

少年をするどい視線で射抜いぬく。


「必要もねぇイカレた話しやがって。


そのくだらねぇ頭粉々にしてやるから、

早くかかって来な。」


「えー!


・・ひどいなぁ。

もっとおねーさんと、

楽しくおしゃべりしたいのにー。」


普通の子供なら確実に泣き出す、

Sの氷柱つららの様な言葉も、

少年はほおふくらませただけで済ませてしまった。


そのまま不貞腐ふてくされれた態度で、

側のシャンデリアに触れ、

それをいじりりながらブツブツと文句を言い出す。


「もう!

これだから短気な人って嫌いなんだ!

すぐに怒鳴どなるし、人の話を聞かないし。


・・あーあ、気分悪くなっちゃったから、

このまま閉じ込めて放っとこうかなー?」


そのままこちらに背を向けて、

少年は前に足を一歩み出した。


その発言の内容に、

思わず彼女は引きめようと口を開きかける。



・・だが、

その前に少年がこちらを肩越しに見つめてきた。



「なんて、ね。」


殺意の欲望に目を輝かせ、

非情な笑顔を浮かべた少年が呟く。


すると、

柔らかな手で触れていたシャンデリアがうなり声を上げ、

2人に向かって振り子の様に飛んできた。


「・・!!」


マナミは少年の言動に畏縮いしゅくし、

氷像のように固まってしまう。


そののどからは悲鳴すら出ず、

命を奪うために襲い来る凶器を、

なすすべも無く見つめ続ける事しかできなかった。


ある一定の距離まで来ると、

突然シャンデリアの動きが遅く見え、

本体の美しい細工にはどす黒い赤がこびり付き、

いびつにび色に輝いている所までもが、

見えてしまう。


(こんなこと・・何処どこか、で・・。)


不意に、その薄ぼんやりとした感覚に、

彼女はなつかしさを感じた。



そう、

この感覚は、あの時、目の・・に。



違う事にマナミの思考がらわれている間にも、

眼前に迫り来る物言わぬ殺人鬼は、

哀れな獲物ひつじほふらんと舌なめずりをする。



・・しかし、

獲物えものの内の1人は、

確実にそのまま喰われてやるような自己犠牲の精神を

持ち合わせてはいない。



それまで身動ぎ一つ無く黙って立っていたSが、

ボールをる気楽な動作で、

居合いあい抜きの刀のようするどりを、

シャンデリアに向けて放った。


彼のりを真正面から受けた哀れな獲物てつくずは、

この理不尽りふじんな存在を襲わせた少年へとその標的を変え、

行きよりもさらに素早く飛び掛かって行く。


そして、

肩越しに見ていた姿勢で立っていた少年を、

非情な狂気が飲み込んだ。


それでも殺しきれなかった衝撃しょうげきで、

シャンデリアをつなぎ止めていたくさりが台ごとはずれ、

本体に続いて蛇のようにそのあぎとで襲い掛かり、

巻き込んだ少年の体ごと階段に激突し、

ごう音を立てて停止する。



・・大量のほこりが舞い、

階段からこの館に相応ふさわしいガラクタと成り果てた木材が、

床にぶつかる音が断続的に聞こえる中で、

ようやく彼女は正気を取り戻した。



「あ、男の子、が。」


殺されかけたにもかかわらず、

やはり幼い少年が身代わりになる形で押しつぶされる事は、

人間としての心が痛む。


せめて、

手遅れでもあの下から出してやれないかとマナミは考え、

その望みを瞳に浮かべて一歩み出した。


が、その悲劇を起こした張本人が、

彼女の腕をつかんで引き留める。


「何をしようとしてるんですか?」


「・・手遅れでしょうけど、

あの下から出してあげようと思って。」


「必要ありません。

あれ位で死ぬようなら、

とっくに此処ここを出られてますよ。


あのまま動かないのは、

同情を引いて油断させようとしているだけです。


・・俺には、

全く通用しませんけどね。」


「やっぱりだめかぁ。」


彼が心底馬鹿にして鼻で笑うと、

そのぐ後に続いて笑いをふくんだ残念そうな声が

聞こえてきた。


驚いた彼女が声の聞こえた方を見ると、

押しつぶされたはずの少年が、

怪我けが一つ無い姿で瓦礫がれきの山の頂上から、

楽しそうに此方こちらを見下ろしていた。


「シャンデリアでつぶすのは無理だから、

ぶつけてみたんだけどなぁ。

それも返されちゃったから、

おねーさんだけでもだまして連れてこうと思ったのに。


・・やるなぁ、おにーさん!

此処ここまで無傷で来るだけあって、

さすが外道だね!


普通の人間なら、

おねーさんみたいに心配するはずだからね!」


全く悪気わるぎの無い笑顔で彼を称賛しょうさんするが、

その内容はただの罵倒ばとうでしかない。


だが、

Sは微塵みじんたりとも気にする事無く、

少年に向かって不敵に笑ってみせる。


下衆げすに言われたくねぇな。


・・流石さすが、『鏡』。

くだらねぇ遊びに頭を使いやがる。」


「鏡・・?」


思わずこぼしたマナミの不思議そうな呟きに、

彼は少年から目を離さず反応を返した。


「あの悪趣味な詩を見た時に、

ぐに気が付きましたよ。


この馬鹿げた白雪姫ごっこをたくらんだのは、

『鏡』を名乗る黒幕だろうと。


・・物語は、

女王にたずねられた事に鏡が『白雪姫』と答えた事で、

彼女の災難さいなんは始まります。


もし、

鏡が嘘でも『女王』と答えていれば、

姫が殺されることは無かった。


・・そう考えれば、

全ての災いの元凶は『鏡』という事になりますからね。」


「へぇ!

そこまで当てるなんてすごいねぇ!


おにーさんみたいな人に出会えるなんて、

やっぱりこの暇潰ひまつぶし楽しいなぁ!」


「ひまつぶし・・?!」


鏡の無邪気で残酷ざんこくな言葉に、

彼女の頭に血が上る。



その内容を耳にした瞬間、

真っ先に思い出したのは狩人の事だった。



彼と彼女は、

間違いなくかなしい被害者だったのだろう。


小人も、

きっと毒りんごも。


ただ、

この少年の皮をかぶった悪意の暇潰ひまつぶしという、

くだらない理由で此処ここに閉じ込められ。


自分と同じようおとずれた絶望と何度も戦いながらも、

ただ、外に出る事を望んでいただけの。



生きる事一途いちずに望む、

普通ただの人間


だった。

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