Sと毒りんご


重い緊張感をたもったまま、

2人は廊下を少し歩く。


食堂に続くドアの前に立った今も、

一方は気まずそうで、もう一方は苛々いらいらした空気を

き散らしたままだった。


ドアノブをつかんだSが、

まだ冷たさの残る声音で言う。


「食堂や調理室は異形が存在しやすく、

わなが仕掛けられている事も多い場所ですから、

より注意して下さい。


何か見つけても、

絶対に触らないで下さいね。」


「はい。」


「行きますよ。」


彼女がしっかりと返事をしたのを確認し、

彼はドアを開けて中に入った。



○    ○    ○    ○    ○



食堂の中は、

今まで入った中で一番広い場所らしい。



中央には、

すそに美しい刺繍ししゅうの入った

テーブルクロスの掛けられた、

長いダイニングテーブル。


並べてある椅子いすも豪華な造りで、

部屋のあちこちに置いてある調度ちょうど品も

素晴らしい物ばかりだった。


ただ残念な事に、

他の部屋と同様にほこり蜘蛛くもの巣で

汚れてしまっているので、マイナスでしかない。



・・それ以前に、

住人全てが異形の時点で確実に論外なのだが。



(どんなに立派な館でも、

住人全員が異形の場所なんて絶対嫌だ。)


此処ここから、早く出よう。


マナミが強く決意した時と、

Sの体がピクリと反応したのは、ほぼ同時で。


「何してるのよ白雪姫!」


と食堂内に女性の甲高かんだかい怒鳴り声が響いたのも、

また同時だった。


「えっ?!」


突然の怒鳴り声に彼女は体を震わせ、

急いで辺りを見渡す。


相手の姿が確認できない間にも、

そのひび割れた怒鳴り声は言葉を続けた。


何時いつまでうろうろしているのよっ!


これ以上、

私達の手をわずらわせないで

頂戴ちょうだい!」


「そ、そんな事、言われても!」


思わず姿の見えない相手に向かって

言い返してしまう。


だが、

相手はその返答が気に食わなかったらしく、

怒鳴り声が金切かなきり声へと変化し始めた。


「アタシの言葉に返事なんかしないで!

さっさとここから出て行って!


許さない!許さないんだから!


みんな、ミンナユルサナイッ!!」


次々と食堂の中に


「ユルサナイ」


すさまじい金切り声があふれかえり、

マナミは声の大きさと異常さに耳をふさぎながらも、

負けじと大声を張り上げる。


「ちょっと待って下さい!

私、貴女に何かしたんですか?!


何かしたのなら、教えて下さい!」


「忘れるなんて!ワスレルナンテ!!


姫が、

ヒメがいるからアタシハッ!


全部、

ゼンブヒメのセイなんだッ!!」


何かをたたきつけるような音がして、

ダイニングテーブルがれた。


目の前に現れたモノは、

金切かなきり声を上げて大声で叫ぶ。


「アンタのせいよっ!


ミンナがこうなったのも!

アタシ達がこうなったのも!


許さない!ユルサナイ!!」


そう、

紫色の唇から歯軋はぎしりの音を鳴らして、

堂々とダイニングテーブルの上に立つ姿は、

白い肌をした


「り、リンゴ?」


だった。


普通より少し大振りだが、

真っ白で艶々としていて、

その中心には紫色の女性の唇が付いている。


あまりにも意外な声の主のその姿に、

彼女はぽかんと口を開けた。


「アンタのせいよっ!

ユルサナインだからっ!」


相手は金切かなきりり声を上げ続けながら、

左右にガタゴトとれる。


どう反応すればいいのか困っていると、

さらにガタゴトと大きく左右に動き出した。


「早くこっちに来なさいよっ!


これ以上、

アタシをわずらわせるんじゃないわ」


空気が流れたと感じた瞬間、

壁際かべぎわから


「よ」


というリンゴの続きの声と、

べしゃっと何かがぶつかった音がして、

彼女は何となく壁の方に視線をやる。



そこには、

何か正体のわからない、

大きな紫色のみが広がっていただけだった。



「あ、れ?リンゴは?」


消えたリンゴの姿を探して

辺りを見回す彼女のとなりで軽い着地音がし、

なぜか妙に笑顔なSが立っている。


「さあ、調理室へ行きましょうか。」


「え?でも今、変なリンゴが」


「何も無いですよ。

俺は何も見ませんでした。」


そうでしょう?


迫力のある笑顔の彼に念を押され、

彼女は切られた言葉をそのまま飲み込んだ。


「調理室には、何かあるといいですね。」


妙に優しく彼女に笑いかけ、

彼は調理室のドアへと向かう。


認めませんよ。


と、彼が低い声で呟いた気がしたが、

彼女は何も言わず不穏な空気をまと

その背中を追いかけた。


○    ○    ○    ○    ○


「ここが調理室です。

刃物が多いので気を付けて下さい。」


では、行きます。


一声かけて、彼はドアを開ける。


ドアを開けてすぐ目に飛び込んできたのは、

ある種異様な光景だった。


「何してるのよ白雪姫!」


そう、

多重音がマナミの耳に入ってきたが、

彼女は固まったままで目を見開く。


そこには、


調理台、


流しの中、


配膳台の上にまでぎっしりと、


消えたはずのリンゴが乗っていて、

紫色の唇を一斉にこちらに向けていた。


「え?」


彼女のほほが、

思わず引きる。


引きった表情を浮かべる彼女と、

無言の彼を置き去りにしたまま、

リンゴ達は口を開いた。


「アンタのせいよ白雪姫!」


「アタシ達がこうなのも!」


「ミンナがこうなのも!」


「アンタのせいよ!」


そうだ!そうよ!


と段々騒がしくなる中で、

彼女はあわてて声を出す。


「その!

・・なんで、私のせいなんですか?」


との彼女の問いにリンゴ達が


「それはねっ!!」


と声をそろえた時、だった。


ヒュッと風が吹いたと思ったと同時に、

辺りからぐちゃ、びちゃ、べちゃと音がしてー、


・・気が付いた時には、

リンゴ達の姿は忽然こつぜん

消えていたのである。


「あ、れ?」


辺りを見回しても、

調理室中の壁に何時いつの間にかできた紫色のみが、

水玉模様もようのアート状に広がっているだけだった。


「あ、あの、リンゴ、は何処どこへ?」


なぜか調理室の中央で立っているSの背中に、

彼女は話しかけて疑問をぶつける。


「はい?」


振り返った彼の表情は、

先程さきほどよりもずっと笑顔で。


何となく不穏ふおんな空気を感じた彼女は、

静かに少し距離を取った。


「量産してたんですね、あんなモノ。


せめて、

毒でも出せばマシだったんですけど。


どうして存在してたんでしょうね。」


一息で言い切り、

氷点下の視線で完全に見下しながら、


「役立たず。」


と、壁のみに向かって呟く。



・・その行動で、

まなみは不本意ながらも、

リンゴ達の末路まつろを知ってしまったのである。



先程さきほどよりも盛大に頬を引きらせ、

ドン引く彼女の存在を無視し、

彼は唯一無事だった棚から一本の小瓶こびんを取り出した。


「この、

『赤の薬』が必要なんです。


さあ、出ましょうか。」


次は2階です。


そう言うと、

彼は食堂に通じるドアへと戻る。


彼女は壁のみを横目に見た後、

そのまま彼の背を追った。


(ちょっと、可哀想かわいそうだとは思うけど。)


手を合わせるのは、

止めておく事にする。


もし、

自分にいてきてしまったら困るからだ。


(あの子は、喜びそうだけど。)


ふと、学校でいつも話す

オカルト好きな友人の顔が浮かぶ。


そこで彼女は、

自分が友人の記憶を取り戻したのだと気づき、

嬉しくなった。


(早く、あの子にも会いたいな。)


2人でよく遊びに行ったり、

好きなアイドルや俳優の話をしたり。


(そう、あの日も。)


一番最後に会った日の事を考えようとした時、

ぷつりと全てが途切とぎれた。


(・・まあ、いいか。)


また、必ず記憶が戻るだろう。


そう前向きに考えながら、

彼女は彼の後を追う。



○    ○    ○    ○    ○



「次は2階の右側へ行きます。

ですが、執事しつじの部屋と書斎しょさいは飛ばしますよ。」


「あ、はい。


かぎと、

日記の続きがあるだけなんですね。」


「はい。


執事しつじの部屋には主人の部屋のかぎが、

書斎しょさいには日記と図書室のかぎがあります。」


多少機嫌の戻ったSが歩きながら言うと、

彼女は考えながら話し出した。


「えっと。


・・それじゃ2階で調べるのは、

図書室、主人の部屋、夫人の部屋と」


「左側の応接おうせつ室とギャラリー。


それと、ギャラリーの隠し扉から下りて、

地下室も調べます。」


時間が惜しいので、

手際てぎわよく行きましょう。


会話をそうめくくると、

Sは黙ったまま歩き出し、マナミもその背を追う。


黙ったまま2人がホールまで戻ってくると、

2階への階段を軽い足音を立てて上がりだした。


が、


「痛っ。」


先を歩いていたSがふと足を止め、

顔だけ振り返ってシャンデリアの方を見つめたので、

マナミはその背中にぶつかってしまう。


「どうしたんですか?

・・もしかして、他の敵が?」


彼女も警戒しながらシャンデリアを振り返るが、

特に変わった様子は見受けられなかった。


「いえ。


・・何度見ても、

悪趣味なシャンデリアだと思っただけです。」


それだけ言うと、彼は視線を前へ戻し、

何事もなかったように再び無言で歩き出す。


彼女の方は足を止めてまだ見つめていたが、

やはり変わった様子は無く、

天井に映るシャンデリア自身の影が


ゆらり、


れるだけだった。


(やっぱり、何も無いな。)


うん。


と、満足そうに頷くと、

彼女も無言でその後を追って、

再び2階の廊下へと足を進める。



ゆら、ゆら、と黙って影をらす、

シャンデリアを残したまま。

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