かのじょとメール


ふわふわ、と、


ただよあわになった気分だった。


ばらばらに千切ちぎれかけていた意識が、

ゆっくりと集まってくるのがわかる。



ぐるぐる、


と混ざり合って、


くっついて、


固まって。



そしてー・・唐突に、目が開いた。



「・・あれ?私、なにを?」


しゃがみ込んでいた体制から立ち上がり、

耳に当てていた両手もはなすと、

辺りを静かに見渡して。


「あ・・。」


机の上の茶色の文字で埋め尽くされた紙と、

水面のように広がる赤黒い液体を見て、

直前の事を思い出した。


「そうか。

・・私、気を失っていたんだ。」


あの瞬間の絶望感まで思い出しそうになって、

頭を振り、慌ててそれをき消す。


あきらめちゃ、ダメだ。

しっかりしないと。」


(落ち着かなくちゃ。)


大きく息を吸い、

深く深呼吸しようとした時、だった。



コンコン。



突然ドアからノック音が響いてきた事で、

吐き出そうとした息をあわてて飲み込み、

両手で口をおおう。


耳の中で、

うるさ鼓動こどうと血流の音が聞こえる中、

ドアの向こうからノックに続いて、

静かに男性の声が流れ込んできた。


「姫、ここに居らっしゃるのでしょう?

開けていただけませんか?


うるわしい貴女の姿を、

一目拝見はいけんしたいのです。」


男性の声はとても理知的で、

穏やかな甘い響きを持っていて。


思わず


(自分以外に、閉じ込められた人かもしれない。)


と思い、返事をしかけてー・・

声を出す寸前で、静止した。



今、彼は、

自分の事を何と呼んだ?



頭の中で答えが出る前に、

ドアの向こうにいる彼から解答が返ってくる。


「姫、白雪姫。美しい方。


貴女あなた様への想いにとらわれた、

このあわれな私の前にどうかそのお姿を。


たとえ、

貴女あなたの美しさにこのまなこただれても、

そのお姿を拝見はいけんする事だけが。


・・私の唯一ゆいいつの望みなのです。」


そう、熱のこもった声でげると、

ドアの前の人物は、ふたたびノックを続けた。


「・・。」


警戒したまま、

息を殺しつつ無言をつらぬいていると。


突然、

り返されていた規則きそく正しいノックがみ、

辺りに静けさが戻った。


(諦めてくれたかな・・?)


そう安堵あんどしかけた瞬間


ドン!


と音を立て、

ドアを壊すいきおいの打撃が開始される。



ドアがきしむほどのノックの中で、

時折ときおりガリガリと爪で引っく音も混ざりだし、

不協和音が部屋の中を満たした。


あまりの落差のある相手の行動に頭は混乱したままだが、

体は防衛ぼうえい本能にしたがって、

窓の方へと後退あとずさりりし始める。



もはや、

ノックが目的なのか、

ドアを破るのが目的なのか、

相手の真意がわからなかった。



破壊音にしか聞こえないノックと、

爪音を立てるドアの外の人物の声は、

異常な行動をり返しているにもかかわらず、

最初に聞こえた理知的で穏やかな声音のまま、

こちらに語り続けている。


「姿をお見せ下さい。


私の前に、

どうかそのお姿を。


ああ、姫。白雪姫。」


声はその後も、


『姫、姫、』


懇願こんがんしたまま、

外で打撃音を立て続けていて。



・・とうとうドアから、

断末魔のようきしむ音が聞こえてきた。



(このままじゃ、ドアが壊される!

その前に窓を破って外に・・!)


震える手で、

側にあった木の椅子いすの背もたれに、

手をかける。


(窓を壊すより早く、

向こうが先に入ってきたら・・これを、投げつけよう。)


冷静にそう判断して、

強く背もたれをつかんだ時、だった。


ピタリ、


と部屋を満たしていた、

全ての破壊音が止む。


椅子いすつかんだままの態勢たいせいで、

警戒心をかずに耳を澄ませていると、

静かな声が呟くように響く。


「ここには、

もうられないのだろうか。


この部屋から絹を引き裂くような、

姫の美しいお声が聞こえたというのに。


・・仕方がない。


戻って、待つとしよう。」


ずる、


そう音がして、

ドアの前から気配が移動し始めるのがわかった。


警戒をいまかないまま、

息を殺して待ち続ける間・・耳には、

移動を続けるずるずるという異音と、

静かに呟く声だけが届く。


「姫、白雪姫。


あぁ、

早くそのお姿を拝見はいけんしたい。


つゆれる薔薇ばらよううるわしく、

新雪しんせつようきよらかな、そのお姿を。


あぁ、みたい、ミタイ。」


ただ、

り返し「見たい」と呟く声は遠ざかり・・


やがて、

パタンと遠くで、ドアが閉じる音が鳴った。


そのまま、

まだしばらくジッとしていたが。


鼓動こどうが落ち着いた事で、

外の雨音が耳に入ってきた・・途端とたん

大きく息を吐き、思わずその場に座り込んでしまう。


「は、はあ、はあ。」


はずむ息を静めながら、

停止していた思考をめぐらせた。


(外にいた男性は、

2階に居たあの存在の仲間なんだ。


・・私の事を『白雪姫』と呼んでたから、

間違いないはず。)


そう深く溜息をついた時、

口から思っていた事がこぼれ落ちる。


「あんなのがいるなんて、

ここは・・普通の、場所じゃない。」


自身の耳がその言葉をひろい上げた瞬間、

気分も、周囲の空気も、

なまりのように重くなった気がした。


(本当に、

ここから出られるのかな。


・・もしかしたら、

ここに来てしまってる時点で、もう。)


自分は、

ここに居たくない。


だって、

自分は行かねばならない。



でないと、

・・が、悲しんでー・・。



ぼんやりと、

頭の片隅かたすみに何かが浮かびかけた瞬間、

場違いなほどの明るい音楽が、

部屋の空気を一掃いっそうするように響き渡る。


完全な不意打ふいうちに体を震わせ、

あわてて辺りを見回した。


音楽はすぐにんだが


(さっきの男性が、

聞きつけて戻って来るかもしれない。)


と警戒し、再び息をひそめて耳を澄ませる。


・・しばらくそうしていたが、

雨音以外の音が聞こえない事を確認し、

ようやめていた息を吐いた。


「よかった。

・・でも、今の音」


言いかけてハッとした表情をすると、

ポケットに入っているスマホを取り出す。


「やっぱり!」


ボタンを押してして明かりをけると、

それは希望の光のようにまぶしかった。


さらにボタンを押して操作そうさすると、

メールのアイコンに「1」と表示されている。


「外と連絡が取れる!」


急いで通話用のアイコンを押そうとして、

画面を見つめる。


と。


「あ、あれ?

変わってない・・。」


表示は最初に確認した時のままで、

相変わらず通話もメールも出来ない事が

表示されている。


・・しかし、

画面のメールアイコンには大きく「1」と、

新しくメールが届いた事が嘘ではない事を、

表示する数字がたたずんでいた。



この状態では通話はもちろんの事、

ネットにもつながる事は絶対に無い。


・・にもかかわらず、

目の前のスマホには、新着メールが一件届いていた。



怪しみながらも少し操作して、

メールの差出人を確認しー・・

疑念ぎねんは、さらに深まる。


「・・差出人、不明・・。」


メールの差出人さしだしにん名は空白で、

知り合いのメールが奇跡的に届いたという

嬉しい誤算ごさんも、消えた。


残されたのは


『見知らぬ誰かが、

自分のアドレスを知っているという気味の悪さ』


と、


つながらないはずの、

不気味な場所に何故なぜか届いた新着メール』


という、

異常な現実だった。



背筋にうすら寒さを感じながら、

このメールを読むべきかどうかを真剣に悩む。


こんな、

非日常ばかりが連続して起こっている中で、

何が正しい選択なのかがわからなくなってきた。



何が正しくて、

何が間違っているのか。



通常なら、

正解と間違いの解答は自分自身の後悔こうかいくらいで、

そう簡単には生命の有無うむにはつながらない。



しかし、

この異常な場所で、

あやまった解答が意味するのは。



頭の中で、メールを


見る


見ない


という選択肢が浮かび、

どちらを選択するのか悩んだ。



ありがたい事に、

考える時間だけはたっぷりとある。



あの存在や、先程さきほどの男性、

向こうの廊下に居る獣が来なければ、

という条件付きだが。



(このメール、絶対に怪しい。


・・でも、

もう変な事は沢山起きてる。


これ以上は多分、

事態じたいが悪い方へとは行かない・・はず。)


扉のかぎも見つからず、

この部屋以外のドアが開かない事も考えた結果。


・・自分にはもう、

このあやしいメールを見るという選択しか、

方法は残されていなかった。


(どうか、

ここから出る手掛かりになりますように。)


いのるように心の中で呟き、

メールを開いて中の文に目を通し


「・・え?」


完全に予想をえた内容に、

間の抜けた声をらしてしまう。



だって、

このメールはあまりにも。



差出人さしだしにん 不明


題名 

あなたの死亡フラグ、折ります。


本文 


閉鎖的へいさてきなな空間、

数々のわなせまりくるエネミー


「どこのホラゲーだ!」


と思いながらも、

今、まさにその現状に戸惑い、

お困りの方。


そんな貴方あなたの死亡フラグ、

折ります。


金銭きんせんなどの料金は、

一切いっさいかかりません。


お困りの方はどうぞ、

ご気軽にご依頼いらい下さい。』


本文にはそう書かれていて、

最後には


『ご依頼いらいの方は、

このメールをそのまま返信してください。


くわしい事は、

その時にお伝えいたします。』


という言葉で結ばれていた。


・・確かに、

自分は何か進展しんてんを求めてメールを見たが、

これは流石さすが都合つごうが良すぎる気がする。


そう思いながらも、

このメールから目が離せない。



これがもし、

本当だとしたら。



(このメールを送信した人が、

助けてくれるって事、だよね。)


緊張のあまり、

意識せずにのどを小さく鳴らしてしまった。


あまりにもタイミングと、

都合が良すぎるメールをあやしむ冷静な自分と、


飛びついて助けを求めたい弱り切った自分が、

心の中でせめぎ合う。


二つの極端きょくたんな主張にかすむ頭の中で、

何処どこかに居る自分が声を上げた。



自分の命を守るため

生きるために最善なさくを。



(そう、あの時に決めたはず。)


何をいまさら、

迷う必要があるというのか。


今、

自分が生きる為に必要な選択は。


そこまで心の中で思い、

震える指で何とかメールを返信した。


「メールの返信に、

ここまで疲れた事、ないなあ。」


そう力無く笑い、


「あ、でもあのときはー。」


と言いかけた時、

再びメールの着信音が響く。


あわてて確認した本文には、

簡潔かんけつ



『ご依頼いらい

有難ありがと御座ございました。


すぐにまいりますので、

正面ホールで少々お待ち下さい。』


とだけ書かれていた。



「正面ホール・・。」


あそこには、

身を隠す場所が無い。


あの存在や、

他に居るかもしれない異形の物に見つかれば、

逃げる事が難しくなってしまう。


「やっぱり、罠なのかな。」


(行くのをやめておいた方がいいのかな。)


と一瞬思ったが、

頭を横に振ってそれを否定した。


「ううん。

罠かどうか考えるのは、後にしよう。


ここから出られる可能性が少しでもあるなら、

私はそれを選ぶ。」


自分に強く言い聞かせ、

ドアに静かに近づく。


そのまま音を立てないようにかぎを開けた後、

辺りに気配がないか慎重しんちょううかがってみたが、

何もいなかった。


(よし。)


部屋から出てドアを閉めようとした手が、

思わず止まる。


「こ、れ・・。」



廊下に面していた表側は、

無数の深い引っき傷に表面の木がえぐられ、

ノックの振動のせいか、

柱とつながっている金具が壊れかけていた。


それに、

何度も同じ所をたたいていたらしく、

中央のやや上側に、くぼんだ跡を中心とした亀裂きれつが、

赤いこぶしかたと共に残されている。


(このドア、

もう少しで壊れるところだったんだ。)


この異様な館に、

初めて感謝の気持ちを感じた瞬間だった。


しかし、次にはもう、

同じく異質となり果てたドアからそっと目をらし、

絨毯じゅうたんの真ん中に残された足跡と引きずった跡をけるようにして、

廊下のはしをホールに向かって歩きだした。



○    ○    ○    ○    ○



(いつでも隠れられるか、

逃げられる様にしないと。


ドアをたたいていた男性は、

悲鳴を聞いてあの部屋に来たみたいだった。


・・さっき、スマホの音が鳴ったから、

また誰かが来るかもしれない。)


なるべく慎重しんちょうにと心の中で唱えながら、

辺りを警戒しつつ、やっとホールまで戻って来れた。



だが、

辺りには人影らしきものは、

一切いっさい見当たらない。



「誰も、居ない。

・・やっぱり、わなだったのかな。」


心の奥にどっしりとした重さをもって、

絶望の二文字が根付くのを感じた。


(やっぱり、

捕まった方が楽なのかなぁ・・。)


思考と感情が泥沼どろぬまひたり、

沈んでいくのを感じつつ、

意識が麻痺まひしてしびれていくのを遠くながめる。


(ああ、もう。)


視界が暗く、朧気おぼろげになる中、

そのまま意識を失う直前・・肩に何かが、

れた感触がした。



(え・・)



ぼんやりとした意識が半分覚醒かくせいし、

今の状況じょうきょうを理解した、次の瞬間。


「--っ!!」


声の無い絶叫を上げて、

肩をつかむ何かを全力で振り払い、

正面玄関の扉に背をピタリとつける。


目はしっかりと閉ざされ、

体は見てわかるほどに震えていた。


先程さきほどまで


「捕まった方が楽」


と考えてさえいたのに。


いざ見つかってみれば、

未練みれんの方が大きいとはー・・

なんて


(現金な人間だ)


と、頭の中の冷静な部分があきれている。



だが、

自分は死にたくない。


まだ、

生きていたいのだ。



「い、やだ。いや、嫌!

死にたく、ないっ!」


震える声で、

はっきりと主張した。


「私を家に帰して!

みんなの所へ戻りたい!!」


泣きながら叫んだ時、

自分の名を呼ぶなつかしく優しい声が

雨音に交じって聞こえた気がしてー・・


思わず、

目を開けてしまう。


「・・え?」


驚きに見開く目から一筋ひとすじ

涙が静かにこぼれるのを見て。


・・目の前の青年は、

心の底から深く溜息をついた。



外では、雨が静かに降っている。

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