棺の中の白雪姫


・・どれくらいの間、

そうしていたかは解らなかった。



外の雨音が耳に入ってきた事で、

足音と布を引きる音が消え去り、

辺りに静寂せいじゃくおとずれている事に、

ようやく気が付く。


「は、あ。はあ、はあ。」


やっと普通に呼吸ができた時に、

ぼんやりと


(これが、生きてるって事なんだ。)


と、純粋に生きている事への実感がいた。



あらい呼吸をととのえる事を意識しながら、

ドアの外に何の気配もない事を確認し、

細くドアを開ける。



隙間すきまから目をらして辺りを見渡しても、

そこには誰もいなかった。



床を見ると、

不気味な人形からしたたり落ちた黒い液体だけが、

あの存在のさびしさと異常さを表すように、

廊下のすすけた絨毯じゅうたんの上に、

残されている。


音を立てないようにドアを閉め、

廊下に残された黒いみをそっと飛びえた後・・

ホールに降りる階段に向かい、

一直線にけ出した。


(嫌だ!こんな所、居たくない!

早く出たい!早く、早くっ!)


ほほを伝う涙もそのままに、

階段を一気にけ下りると、

正面に大きな扉がそびえ立っているのが見えた。


「あったっ!!」


あわてすぎて足がもつれて転びそうになるが、

何とかバランスをとると、

ドアノブに体当たり同然に飛びついて

開こうとした。



が。



「開かない!!どうして?!」


何度ドアノブを回そうが、

どれだけ強い力で引こうが、

扉が開く気配は一向にない。


「どうして、どうして・・!」


不安とあせる気持ちからイライラがつのり、

大声を上げそうになってー・・ハッとすると動きを止め、

辺りを冷静にうかがった。



扉に背を預けた体制をとり、

目と耳を最大限に使ってホールを見渡す。



・・警戒したものの、

雨音以外には何の音も気配も無いのを確認して、

心から安堵あんどした。


「よかった。

・・あまり音を立てたら、見つかっちゃう。」


鮮明せんめいになった思考しこうで、

扉とドアノブを観察し、今度はゆっくりと回す。


すると、

ガチャッと音がする事に気付いた。


「・・かぎがかかってる。」


・・あまり気乗りはしないが、

この扉を開くためかぎを探すしかないらしい。


無理矢理こわそうにも、

扉は随分ずいぶんと分厚く立派で。


見ただけでも、

その方法が簡単かんたんにはいかない事だけは

わかった。


その上、破壊音を立てれば、

先程さきほどの存在が聞きつけてやってくるに違いない。


あの存在につかまれば、

自分は二度と外に出ることはできないだろう。



いや。

外に出る出ないではなく、命すらもー・・



その先の考えを振り払うように、

その場から歩き出す。


「取りえず、1階から探そう。

あの存在は、2階にいるだろうから。」


(冷静に。)


と自分に言い聞かせながらホールを見渡し、

左右に伸びる廊下を見つけた。


「近い所から順番に、しよう。


かぎが見つからなくても、

1階なら窓をこわして逃げられるから。」


しかし、

それは最終手段にとっておくことにする。


(大きな音を立てて、

あの存在を呼び寄せる事だけは、

絶対にしてはいけない。)


強く心の中でちかうと、

階段のかげに隠れてそっと左右の廊下の先をうかがった。



薄闇の中に真っ直ぐ伸びる廊下は、

左右ともまったく同じ造りで。


違いといえば、

飾られている絵や置かれている壷や花瓶などの、

調度品ちょうどひんぐらいである。


それ以外は色褪いろあせてすすけた絨毯じゅうたんや、

積もったほこりと古い蜘蛛くもの巣が張っている様子までもが、

同じだった。


「あ、あれ?」


ジッと絨毯じゅうたんを見ていると、

ただ一つの違いを右の廊下の床に発見する。



すすけた絨毯じゅうたんに引かれた、

大きな何かを引きずったような茶色の跡。


更にその上には、

スタンプで押したような、

どす黒い獣の足跡が規則きそく正しく並んでいた。



そして、

それらはそのまま右の廊下の奥へと続いている。


それを見た瞬間、

背中に一瞬寒気が走り、

本能がそちらへ行くのを強く拒絶きょぜつした。


(右の廊下は、安全かどうかわからない。)


そう判断し、

用心しながら左の廊下へと進む事にする。



○    ○    ○    ○    ○



そのまま左の廊下に入ると、

すぐ側のドアを開けようとしてみた。


だが、

正面の扉と同じようにかぎがかかっているらしく、

ガチャッと音が出るだけで、開く気配が無い。


その向かい、その隣り・・と、

開くかどうかためしているうちに、

一番奥のドアに辿たどり着いていた。


「ここ以外は開かなかった。

・・ここが開かなかったら、右の廊下に行くしかない。」


だがそれは、

あまりにも危険だ。


あの足跡はあの場所以外、

ここに辿たどり着くまで、

2階でも見てはいない。



と、いう事は。



右の廊下のどこかの部屋に、

ひそんでいることを表していた。


それに、

あれは確実に何かの獣の足跡だ。


どんな獣であれ、

人間の自分よりは確実に足は速いだろう。


それに、

あの存在が飼っていようが、違うだろうが、

こんな場所にいる以上・・ただの動物だとは、

到底とうてい思えなかった。


「・・。」


緊張感にのどを鳴らし、

ドアノブをつかむと静かにひねる。


すると、

カチャッと軽い音がして、

ゆっくりとドアが開いた。


「開いた・・。」


小さく呟くと、

中をそっと隙間すきまからのぞく。



中はやはり薄暗く、

ほこりだらけだったが、生き物の気配は無いようだった。



ホッと息を吐いて中に入ると、

音がしないようにドアをそっと閉め、

小さく音を立ててかぎをかける。


(これでもし、

右の廊下にいる獣が来ても、入ってこれない。


・・それに、時間をかせいでる間に窓をこわして、

逃げる事もできる。)


おそらく上手くいくだろうと心の中で呟くと、

部屋の中を見渡してみた。



小さな机と小さなクローゼット、

簡素かんそな木のベッドが一つ置かれている。


この部屋に置かれているものからさっするに、

メイドなどの使用人の部屋なのだろうと考えた。



一番最初に目に入ったのは、

机の上の一枚の紙だったが。


と同じ茶色い文字をしていた上に、

同じ臭いが机からしていたので、

後で調べる事にする。



・・あの臭いがする物には、

極力きょくりょく触れたくないからだ。



机以外に物が隠せそうなクローゼットに近づき、

用心しながら扉を開ける。


中には数着の服が掛けられていたが、

全て何かで切り裂かれ・・ズタズタになっていた。


「うっ・・。」


やはりあまり触りたくはないが、

一応全てのポケットを見てみる。


が、何も無い。


その下にある長い引き出しを開けても、

何も無かった。


念の為にベッドの下も、枕の下も、シーツの下も見るが、

やはり何も無い。


「どうしよう。

・・やっぱり見るしかない、よね。」


重い溜息を吐きつつ机に近づくと、

なるべく紙の方を見ないようにして、

まずは左右にある引き出しのうち、左の方を開けた。


が、中はクローゼットと同じく空で、

隅々すみずみまで見ても何も無い。


「こっちも無い。」


落胆らくたんしつつ、

残された右の引き出しを開く。


と、


「紙?」


茶色や赤のインクではなく、

黒のインクで文字が印刷された紙が一枚、

入っているだけだった。


念のためにおいをぐが、

真新しい紙とインクの匂いしかしない。


そのまま安心して、

手に取ろうとしー・・



ピタリ、



と、

その手を止める。


「どうして・・?」


思わず、声が出た。


全ての物がほこりかぶり、

蜘蛛くもの巣までにもそれがおよんでいる中で。



なぜ、この紙一枚だけが。



(新しいんだろう。)


心の中でも呟き、

一応何が書かれているのかを読むために、

恐る恐る手に取る。


手触てざわりはただの紙そのもので、

裏には何も書かれていなかった。


少しだけ警戒心をきながら紙を表にし、

そこに書かれている文字に目を通す。


・・そこには、

機械で印刷された綺麗きれいな文字が並んでいて、

一編いっぺんの詩をんでいた。


「詩?題名は・・

ひつぎの中の白雪姫』?」



『 ひつぎの中の白雪姫


無垢むくな白雪姫は、

眠り続ける。


ひつぎの中で、

穏やかに。


眠る白雪姫を見守るのは、

今まで出会った登場人物。


一人は、女王。


女王はなげく。

泣きながら、鏡に話し続ける。


罪のつぐないをしたいとなげく。

      

一人は、狩人。


狩人は守る、冷静に。


姫の眠りが、

獣にらされないように。

      

一人は、毒りんご。


毒りんごは怒る、激しく。


さくちた、

姫の無知むちさに怒り続ける。

      

一人は小人。


小人は笑う、楽し気に。


姫がいつまでも、

穏やかに眠れるように。

      

姫は眠る。


見守られながら、

朽ちる事無く眠り続ける。


硝子ガラスひつぎに守られて、

深い森の中ただ静かに。

      

目覚めを望む、

王子は来ない。


王子は来ない永遠に。


永遠に。』



ぞくり、と、強い悪寒おかんが体を襲い、

手に持つ紙が小さく音を立てるほど体が震えている。


沼の底からいだしてくるような、

静かで不気味な狂気を詩から感じて、

叫び出したくなった。


涙が瞳に溜まってきたらしく、

視界が湖面こめんようにゆらゆらとれる。


その中で耳に



ぴちゃん、



と、水音が響くのが聞こえた。


音のした方を見てみると、

正体は机の上に溜まっていた黒っぽい液体で。


それが静かにあふれてしたたり落ち、

机の下の絨毯じゅうたんに染み込んでいく。


何気なく机の上に溜まった液体を見ていた目が、

その上に浮かぶ紙を確認しー・・見開かれた、

次の瞬間


「い、やああああっ!!」


後の事も考えず、

その場で悲鳴を上げていた。


その場にしゃがみ込み、

目を強く閉ざし、耳も塞ぐが・・


頭の中には何度も詩が繰り返され、

まぶたの裏には、

机に置かれていた紙の文字が無数に浮かぶ。



紙に浮かんでいた文字は、

茶色のインクで書かれていたはずなのに、

いつの間にか闇に浮かび上がるほど、

鮮やかな真紅の文字に変わっていた。



そして、そこに書かれていたのは、

無数に繰り返す同じ言葉だった。



『白雪姫、王子は来ない。


おうじはこない。


こない。


コナい。


コ ナ イ。 』



(もう、いやだ。)


赤の文字と詩だけが浮かぶ闇の中、

ぼんやりと、そう思う。


先程さきほどまで胸にあった希望のあかりは消え、

もう何か考えているのも、

思う事も嫌になった。



それは、まるで、あの時、のような。



「いやだ、嫌だ、嫌だっ!」


頭を激しく振り、

今の現実を否定する。


もういっそ、あの存在か、

右の廊下の何処どこかに居る獣に捕まった方が、

何も考えなくていい分、楽かもしれない。


頭の中で一度考え始めると、

まるで何かのやまいよう


頭も、


心も、


魂さえも、


それ一色にまっていく。


「誰でもっ、いいから!

・・誰か、誰か助けて!!」


最後に一際ひときわ大きく絶叫した。


(本当に、

この夢を終わらせてくれるのなら。


・・命も、いらなイ。)


そう、願って。



雨は、んでしまった、ようだ。

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