どこかのだれか


遠くで何かが、

なげいてる。


それは、

まない雨のようで。


ぼんやりとした頭のまま、

その音に黙って耳を澄ませていた。


雨は途切とぎれず・・そのまま、

静かにこの身に降り注ぐ。


自覚の無い涙がほほを伝った感触で、

どこかのヒューズがつながったらしい。



突然、

頭と体が感覚を取り戻した。



「・・。」


力無くまぶたを押し上げ、

ぼやけた意識と視界のままで、

自然に目に映る物を見る。



見えたのは、

たっぷりとほこりかぶった豪華ごうかつくりの木の柱、

それを縁取ふちどすすけた美しい刺繍ししゅうのカーテン。



・・少しして、

見ている物がベッドの天蓋てんがいだと

やっと気が付いた。



どうやら自分は、

古い天蓋てんがい付きのベッドの上で

眠っていたらしい。



ゆっくりとした動作で重い体を起こすと、

びついたスプリングが不気味な音を立ててきしむ。


「ここは・・?」


思わず発した声はしゃがれていて、

何故なぜか久々に話したように感じた。


自分自身の違和感いわかんに顔をしかめ、

静かにのどさすりながら、

さらに部屋の他の部分も観察してみる。



見回してわかった点は、

3つ。



ここは広い洋室で、

ベッドの他に本だなつくえ

それにドレッサーが置いてあるという事。


この部屋に配置された家具は全て、

とても美しい細工がほどこされていて、

貴族の持ち物のように立派である事。


・・それに、

ベッドと同じくどれもがほこりで白くにごり、

蜘蛛くもの巣がかざりのように張られている事、

だった。


「何、ここ・・。」


大きな窓も一応あるにはあるが、

木製の雨戸とかぎでしっかりと閉じられていて、

外の空気や光は一切いっさい入ってこない。


部屋の電気もいていないので、


『この場所はひつぎの中だ』


と言われても、

納得なっとくできてしまうほどに薄暗く、

ひど黴臭かびくさかった。


現在、

外から入ってくる情報は雨の音だけだが、

それが静かに部屋の中に忍び込んでいる事で、

辺りが優しい空気で満たされている気がする。


(ああ、起きる前に聞こえていたのは、

本当に雨だったんだ。)


頭の片隅かたすみでそう考えながら、

両足をゆっくりとした動作で動かし、

そのまま慎重しんちょうに床につけると、

寝ていたベッドから降りた。


足元の絨毯じゅうたんも上質な物らしいが、

やはりすすけて変色し、

薄汚うすよごれてしまっている。


そのまま部屋の中央まで歩き、

ぐるりと再び見渡しても、

他に注視ちゅうしするような変わった所は、

何も無い。



無い、のだが。



・・ごく自然な動作で、

引き寄せられるように本だなの前へ歩みると、

そのまま本の背に書かれている題名だいめいを、

目と指先で追ってしまった。


「・・?」


自分は、

一体何をしているのかと正気に戻った時。


「・・あれ?」


ふと、

視線の先にあった一冊の本が気になり、

思わずその背表紙せびょうしを指ででる。


「これだけ、題名だいめいが無い・・。」


汚れた茶色いその本を、

ぎっしりまった本の間から慎重しんちょうに抜き取り、

手に取って丁寧ていねいに開いてみた。


内容は


「-ーの、友達?」


タイトルは多少かすれてはいたが、

取りえず適当てきとうに開き、

目についた所を読んでみる事にする。


「○月✖日ゆーちゃん。

□月△日いっくん。

△月○日くーちゃん・・。」


友達になったらしい日と、

その友達になった子のあだ名が

茶色い字でたくさん書かれていて、

少し温かい気持ちになった。



この〔リスト〕の持ち主には友達がたくさんいて、

それぞれの子と友達になった記念に、

その日付とあだ名を書いていたのだろう。



一番最後には、

自分の名前と似たあだ名が赤い字で書かれていて、

思わず小さく笑みがこぼれた。



もしかしたら、

親友なのかもしれない。



これを失くしては持ち主が困るだろうと、

元の場所に本を戻そうとした時、

だった。


本のどこかのページの間から、

折りたたまれた紙が静かに舞い落ち、

足元にひらりと着地する。


「あ、いけない。」


落ちた紙をひろい、

元通りに本にはさみ直そうとして。


「・・?」


紙に印刷されている文字が目に入り、

それが気になって手を止めてしまった。


「何か、書いてある?」


やぶれないよう慎重しんちょうに紙を広げると、

ほんの少し日焼けしたその紙には


『----ーーー死亡者。』


と書かれている。


「え・・?」


そこには、

幾人いくにんかの名前と、住所らしき地名と番地。



・・そして、

死亡したと思われる日付が書かれていた。



紙のいたみが激しく、

所々がかすれているため

苗字と住所は読めない。


だが、

日付と名前の部分だけ、

なんとか内容を確認する事ができた。


「○月✖日ユウコさん。

□月△日イツキさん。

△月○日クミさん。

・・!」


あわててページを開き、

書かれていたあだ名と日付を、

紙に載っている名前と死亡した日付と

らし合わせてみる。



すると。



「全部、同じ・・。


○月✖日ゆーちゃんは、ユウコさん。

□月△日いっくんは、イツキさん。


この、友達って・・!!」


震える指でリストと紙を見比みくらべていると、

さら先程さきほどは気付かなかった違和感いわかんを、

本から感じとった。



どの文字も、

筆跡ひっせきが同じではないのだ。



女性らしい細い文字だったり、

男性らしい太字だったり。


丸文字もあれば、

几帳面きちょうめんに角ばった文字もある。


寒気が体を走り、

本を手放てばなそうとした時、だった。



今度は、

自分の周りをねっとりとした、

みょうにおいがただよっている事に

気が付く。


「このにおいは、どこから・・?」


少々行儀ぎょうぎが悪いかもしれないが、

気になったそのにおいを、

なるべくひかえめに鼻を鳴らしてぎつつ、

発生源を探ってみた。


すると、

それは自分の手元・・この不気味な本から、

ただよってきているようだった。


「・・もしかして、この、本?」


手元の本のページをめくるほど、

そのにおいは空気に混ざり、

体中にそのまままとわりついてくる。


その事を気にしつつも、

そのままページをめくり続け。


「ここ、だ。」


最後のページに辿り着くと、

そのにおいは一層いっそう濃く、強くなった。



そう。


自分の名と似た、

赤い文字のあだ名が書かれていた、

あのページ。



頭の片隅かたすみで、

自身の軽率けいそつな行動を止める声が

聞こえる気がする。


・・だが、

それよりも無防備むぼうび好奇心こうきしんの方がまさってしまい、

冷静な本能の警告けいこくを無視し、

そのままにおいの正体を調べ続けた。


「・・?」


よく調べてみた結果。


それは本自体や紙からではなく、

文字のインクからただよってきている事を発見する。


その正体をさらに探るために、

文字本体を人差し指で辿たどるようになぞってみた。


すると、

まだインクがかわききっていなかったのか、

ぬめりをともなった鮮やかな赤が、

指にべたりとこびり付く。


「このにおい、は・・。」


頭で解答がみちびき出される前に、

書かれていた文字からつぅっと、

赤いインクが涙のように流れてきた。



嫌悪感けんおかんと、恐怖を感じるこの臭いは。



頭に答えが浮かんで理解した瞬間と、

本を投げ捨てたのは、ほぼ同時だった。


「・・。」



指が、震える。



全身が気が遠くなるほど寒いのに、

頭だけは別な物のように熱くて。


その、

気味の悪い温度差に眩暈めまいがした。



部屋の中に響く静かな雨の音。



そこに、

自分の早い鼓動こどうと呼吸音が頭の中で混ざり、

大音量の不快ふかい交響曲こうきょうきょくが聞こえる。



今、

頭と本能をめぐる言葉は、

ただ一つだった。


「こ、ここから早く、逃げないと・・!」


震える声で目的を確認するように呟き、

落ち着くためにぐっ、とスカートを強くにぎる。


そこで、指が固い物にれた事で、

自身に残されていた一つの光を思い出した。


「・・スマホ!」


いまだ震える指で、

スカートのポケットから薄いスマホを取り出し、

急いで開く。


画面の明かりはまるで希望のように、

ぼんやりと自身の顔と辺りを照らし出した。



その事に、

ホッとしたのは一瞬だけで。



・・その小さなあかりは、

現実に嘲笑あざわらいながら吹き消されてしまった。


「・・圏、外・・。」


そのまま呆然あぜんとしていると、

この部屋の闇と異様いようにおいをふくんだ空気が、

この身を孤独こどくと絶望でめ上げていく様に感じて。


(・・負けちゃダメだ!)


気合を入れるために、

小さく手で自身の両頬りょうほほたたく。


気合を入れぎた所為せいか、

負の感情から来た物かはわからないが。


そのまま両目に涙をめつつ、

ポケットに慎重しんちょうにスマホをしまい、

静かにこの部屋のドアへと向かった。


「・・入って来れたんだから、

同じ所から出ればいいんだ。

大丈夫、早く行こう。それに」


(この部屋には、もう居たくない。)


口には出さずに心だけで呟いて、

そっとドアから顔を出し、辺りを確認する。



そこには長い廊下が続き、

無数の窓が規則きそく正しく並んでいたのだが。



・・どの窓も、

部屋と同じく全てめられ、

丈夫な木製の雨戸でふさがっていた。


それに、

見るだけでむせそうなくらい、

灰色のほこりが窓のふちや床、

所々に掛かっている蜘蛛くもの巣までも、

にごった色にめ上げている。


「・・。」


部屋と同じ異様いようさと

黴臭かびくさい空気に変わりはないが、

それでも



(あの、不快ふかいな臭いが無いだけだ。)



と自身に言い聞かせ、

廊下へ出ると静かにドアを閉めた。


パタンと閉じる軽い音が廊下に響いた時、

なんとなく



(自分は、日常に戻る事は無いのだろう。)



と、悪夢の中で目覚めた現実を、

自身の冷静な頭が嘲笑あざわら

ささやきを聞く。



・・雨の音が、強くなった、気がした。

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