第4話

あとのまつり 3


「お前がまだ小さかった頃に葛野さんの所でパーティがあってね、それにお前も連れて行ったんだ。お前は最初、詰まらない詰まらないと不貞腐れていたけど、聖也君を見つけてからそれはもう楽しそうに遊んでいてね。


2人でパーティを抜け出して屋敷の中を色々探検しに行ったんだろう?帰る時刻になってもお前は聖也君から離れなくて、挙げ句の果てに『この子と結婚出来ないなら死ぬ』と愚図ったじゃないか。忘れたのかい?」


「な…、なんですか、それ…」


僕が本気で覚えていないと分かったのだろう、お父様は少し悲しそうな顔をした。


「そうか…忘れてたのか…。じゃあ、聖也君の作った卵焼きも覚えてないのかあ…」

「た、卵焼き…?」

「屋敷の中を探検したときにキッチンにも行ったらしくてね、そのときに『自分は甘い卵焼きが大嫌いだから、甘くない卵焼きを作れるように絶対練習してね!』と言って、甘い卵焼きしか作れなかった聖也君を大層困らせたようだよ」


クスクスと楽しそうに話すお父様の声が、段々と遠のいていくように感じた。


ーー『あ、あの、愛斗君の好きな弁当のおかずって、なに?』『ん?うーん…甘い卵焼きかなあ?』『甘い卵焼き…』


じゃああの時、あいつは僕の嘘に気付いてたってこと…?嘘つかれたって分かってたのに、黙ってたの…?


ハッとした。そうだ、あいつの手作り弁当。あれには、どんな味の卵焼きが入ってた?


「あ、あの、お父様、少し携帯電話を使用してもよろしいですか?」

「ん?勿論いいよ」


慌ててみつたかに連絡を取る。急に「葛野の弁当に入ってた卵焼き、甘かったよね?」なんてメールして、不審に思われるに違いない。でもこれは、どうしても確かめなくてはならない事だ。


返信が来るまでの間ずっとそわそわと落ち着かず、無意識に貧乏揺りをしてしまう。数分後にやっとみつたかから返信が来て、急いでメールを開ける。


『急になに?ふつーに、甘くないやつだったけど』


「そ、んな…」


ーー『全部美味しかったけど、やっぱり一番は卵焼きかなあ!とっても甘くて、すぐに全部食べちゃったよー』『…あ…!う、うん!ありがとう…!』


あれも、あいつは、気づいてたんだ。僕が本当は弁当食べてないって、ちゃんと、知ってたんだ。


どれだけ、どれだけ僕の事が好きなら、そんな風に嘘を吐かれても笑っていられるの?なんで、こんな僕のことを好きでいられるの。


そんなにも好きなら、どうして自分から婚約を破棄したりしたの?お父様は破棄するつもりはなかったんだから、そのままにしておけば結婚出来たのに。ねえ、どうして。


僕が携帯を握りしめて震えていると、お父様が眉を八の字に下げて微笑んだ。苦笑とは少し違う、優しさの滲んだ笑みだった。


「聖也君、婚約破棄を申し出た時、こう言っていたよ。

もう自分は愛斗君に必要とされていないからと、自分じゃ幸せに出来ないからと。約束を破ってすみませんと、泣いていた」

「ぼ、くが、葛野を嫌ってたことにも、気づいて、たんですね…」

「きっとね。あの子は聡い子だから、すぐに気付いただろうね」


それを聞いて、僕は何故だかとても泣きそうになった。


初めて葛野の事を、愛しいと思えた。



******



翌日、あいつも帰省している筈だと、お父様に住所を教えてもらい葛野家を訪ねた。

確かに僕はこの屋敷に来たことがある。ぼんやりとだが、覚えていた。


葛野に会ったら、今までの事を問い詰めて、他の男に譲るとはどういう事だと詰ってやるのだ。

そしたらきっと、いつもみたいに気持ち悪く顔を真っ赤にして、泣いて喜ぶに違いないんだから。


思い浮かべて、顔がにやけた。


豪華な呼び鈴を鳴らすと、使用人らしき女性が出てきた。


「あの、聖也君に会いに来たんですけど」

「すみません、聖也お坊ちゃんは今回は帰省しておりません」

「…そう、ですか…」


どうしてあいつ、帰省してないわけ?もしかして、婚約破棄しちゃったから帰りたくても帰れないとか…。

こうしてはいられないとすぐに家に帰り、明日には学園に戻れるよう急いで支度をした。




寮の廊下を息を切らしながら走る僕を、数少ない居残り組の生徒が何事かと見送る。

エレベーターが来るまでの時間さえ待ち遠しくて、初めて階段を使った。


やっと葛野の部屋に辿り着き、インターフォンを連打する。なかなか出てこない葛野に痺れを切らしかけた時、ガチャリと鍵が外される音がした。


「っくずの…!」

「はいはい、誰?」

「ーーーは……?」


ドアを開けて出て来たのは、葛野ではなかった。でも知らない人ではなく、むしろお互い、よく知っている…、


「…え?愛斗?」

「な、にしてんの?みつたか…!」


なんで、なんでお前が葛野の部屋にいるんだ。そのみつたかの風呂上がりみたいな髪の濡れ具合もシャンプーのいい匂いも、僕を混乱させるには十分な材料だった。


「…ああ、やっと自分のアホさに気付いたわけね…。んで、速攻で戻ってきたわけだ。もう一回くずのくんを手に入れるために。」

「みつたか、お前、ここでなにしてんの?葛野は?葛野はどこ!!」


みつたかを押しのけて強引に部屋に入ろうとしたが、凄い力で肩を押されて、廊下に追い出されてしまう。


「っお前、どういうつもり!?」

「くずのくん、今疲れて寝てんだからそっとしといてやってよ」

「疲れたって何、いいから葛野に会わせろってば!」


「駄目だって。もう、おれのもんだから。」


「…は…?」


腕を組んだままドアにもたれ掛かっているみつたかを、呆然と見上げる。



「もうくずのくんは、俺のものだよ。だから、愛斗には返さない。」



バタンと音を立てて閉まったドアをぼうっと見つめながら、少し前のみつたかの言葉を思い出していた。


好きな人って、葛野のことだったの…。


じゃああいつは、僕が会長とイチャついてる時間、ずっと葛野といたんだ…。


葛野と別れて何ヶ月経ったっけ?…3ヶ月くらいだったかな…。時間にすると、何分になるんだろう?

3ヶ月なんて膨大な月日があれば、人の心なんて簡単に変わってしまうだろう。



あの日、葛野の手を離した事を、今になって初めて後悔した。




end

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