第124話:みんなとともに……

「ちょっ、ちょっと現人! あんたこんな幼い子にまで手をだしていたの!?」


 さっきまでの陰鬱なテンションはどこにいったやら。

 希未の醜い物を睨めつけるような、一部のコアな性癖の人ならたまらなくなるような、突き刺すような視線がオレを貫く。

 ちなみにオレにそんな性癖はないので、興奮などせずビビリまくるだけだ。


「あんた、節操ないとは思っていたけど、こんな子供にまで……」


「い、いや、オレは別に……」


 希未が、オレの襟首をつかんでヒネリ上げて、その顔を近づけてきた。

 昔の希未は、こんな強さはなかった。

 強くなったのか、昔は怒るのを我慢していたのか。

 とにかく、これはちょっと怖い。


「つ、つーか、希未、おまえ見てたよな!? オレからは――」


「何だ、アウト? もう浮気か?」


 キャラ――ではなく、ミューがとんでもないことを言いながら、オレの腕にしがみついてくる。

 距離感がおかしい。

 急接近しすぎだろう。

 いや、まあ、きっと、今まで何度か遇っている間に、いろいろとあったのだとは思うけど。

 オレにとっての彼女は、「当たってるぞ」「当ててんの」なんて、ラブコメ定番のやりとりができる距離感ではないのだ。


「違う! ってか浮気って、ミューとつきあっていないだろうが!」


「ん? キスしたんだから、もう恋人同士だ」


「異世界のキスの意味が重い!」


 アズのときもそうだったが、もしかしたら異世界人はわりとピュアなのかもしれない。


「ちょっと、あなたも離れなさい!」


 希未がオレからミューを……というより、ミューからオレを引き離す。

 これはあれだな。

 明らかにオレに嫉妬……ではなく、ミューのことを心配しているのだろう。


「あなたもね、気軽にキスなんてしちゃだめ! こいつ最近だけで、他に2人の女にもキスしまくってんのよ!」


「しまくってねーよ! 人聞き悪いこと言うな! フレンチキスぐらいで……」


「フレンチキスぐらいって……あの時、外でそんなことしてたの!? 確かにあんた、ねちっこいの好きだったけど……この変態!」


「へ、変態ってなんだよ! オレはかるいフレンチキスを――」


「ああ。違うのよ、神人さん。フレンチキスってのは、舌を絡ます濃厚なやつを言うの」


「えっ!? そうなの!? だって昔の漫画で……」


「それ、まちがい! あんた、そんなことも知らなかったの!?」


「まあまあ。ノゾミ殿と言ったか。わりと神人……というより、日本人でもまちがえる人は多いらしいぞ。というか、今どきの日本人が、あまり使わない言葉らしいが」


「ま、まあね。たまに現人ってオッサンくさい言葉を……って、なんであんた達がそんなに詳しいのよ!」


 オレもかるく流していたが、希未の突っこみではたと気がつく。

 クシィがフレンチキスの本当の意味を説明し、ファイがその日本事情まで説明してくれた。

 これはさすがに、オレの超高性能な翻訳機能でも説明がつかない。

 実際、ちらっとみたミューの顔は、意味がわからないようにきょとんとしている。

 つまり、翻訳機能を使った会話が成り立ったわけではないのだろう。


「やっぱり、ここ異世界じゃないんだ! 翻訳されているなんて言って、そんな都合がいい話があるわけないと思った! みんなして、あたしを騙しているんだ!? さっきのもなんか3Dのなんか、ARのなんか、そんなのなんじゃ!?」


 希未がそう思うのも仕方がないかもしれない。

 オレでさえ、そんな気がしてきている。


――おい、クシィ。そろそろ移動しないか?


 その上、この非常識な頭の中に響く声だ。

 何度もこの異世界に来ているが、こんな音のない声など聞いたことがない。


――そうね。ここでいつまでも無駄話をしていてもね。


 だが、ファイとクシィは、確実に会話している。

 2人の目が、それを語っていることを物語っている。


「ちょっとあんたたち、無駄話ってどういう意味!? だいたい、なんなの、この頭の中に聞こえる声は!? ここってあれなの!? アニメとかにあるVRMMOとかの中のわけ!?」


「ちょっ、ちょっと待て! 希未にも聞こえていたのか!? 2人の声が……」


「えっ? あ、うん。ってことは、現人も聞こえていたの?」


「ああ」


 やはりオレの幻聴なんかではなかったようだ。

 しかし、まさか希未にまで聞こえているとは思わなかった。

 もしや、オレがテレパスとして隠されていた能力に目覚めたのかとか思ったが、そんなカッコイイ話ではなかったらしい。

 まあ、そもそもだ。

 この異世界は、ラノベで言えば「剣と魔法のファンタジー」的ジャンルだろう。

 「超能力もの」みたいなジャンルではないじゃないか。

 しかし、ならばこの頭に響く声はなんなんだろう。


「なあ、これって……」


 オレは少し問いつめるような声で、ファイとクシィの方を見た。

 すると、2人がものすごく目を見開いてこちらを見ている。

 まさに、顔面に「びっくり!」と書いてあるかのような表情をしている。


「や、やはり神人はみな……テレパシーを使えるのか?」


「テレパシーなんて使えねーよ! つーか、やっぱり『剣と魔法のファンタジー』じゃなくて、『超能力ファンタジー』の世界だったのか!?」


「ん? いや。ラノベやマンガ的に言えば、『剣と魔法のファンタジー』であっていると思うぞ」


「ああ、そうなんだ……って、だからなんで会話が成り立つんだよ!」


「そうだ! ラノベなんて言葉、異世界人が知っているはずないじゃない! やっぱりアニメに出てくるVRMMOとかの世界なんだ!」


 希未の強い口調の追求に、オレまで強くうなずいてしまう。

 今まで翻訳だと思っていたが、違うのかもしれない。

 オレの能力なんて本当はなくて、誰かに騙されていただけなんじゃないかと思えてくる。


 それに対してファイは、困惑した顔のままで口を開く。


「VRMMOか……確かにご主人様が皮肉で言っていたが」


「そうじゃないと日本語を話している説明がつかない!」


「日本語ではないのだ。確かに我らが話している言葉に、日本語や英語、その他の神人世界の言葉の単語が混ざっているが、基本的には【黒の血脈同盟】の公用語である【オバ・ザ・クセン語】を話している。本来、【聖典神国セイクリッダム連合】内ならば、【聖典書語セイクリツジ】で話すべきだが、ミューがあまり得意ではないため、【オバ・ザ・クセン語】を使っているわけだ」


「日本語や英語が混ざっている……?」


「ああ、そうだ。その言葉が、どのようにあなたに聞こえてるのか知らないが。そして……ミュー、少し古代語で話すのを許してくれ」


 ファイの言葉に、いつの間にかまたオレの腕にしがみついていたミューがニコッと笑ってうなずく。


『そして神人殿。これが日本語であろう?』


「――!?」


 日本語だ。

 紛うことなき日本語だ。

 しかし、この不思議な感覚は、どう喩えればいいのだろう。


 なかなかいいのが思いつかないのだが、あえて喩えれば、今までミュージックプレイヤーで聞いていた音楽が、非常に生の音に近くていい音だと思っていたとする。

 それが普通だと思っていた。

 当たり前だと思っていた。

 しかし、超高音質のミュージックプレイヤーで同じ音楽を聴いてみたら、まったく解像度が違っていたことに気がついた。

 今まで当たり前だと聴いていた音楽は解像度が足らなくて、超高音質を聞いたあとだと、まるで幕が一枚掛かっていたような気さえしてくる。


 それと似たような感覚とでも言えばいいのか。

 ああ。うまく喩えることができない。

 けど、明らかに違うのだ。


『日本語……日本語だ……』


 それは希未にもわかったようだ。

 しかし、希未の方は混乱しているのか、口許を手で覆って呟くように『どういうこと?』と何度も何度も繰りかえし始める。


『落ちついて女の神人さん。ほら、深呼吸して』


『落ちついてって……あれ? あたしも日本語、喋っている……って、そんなの当たり前で……』


 完全にパニックになっている。

 気持ちはわかる。

 なにしろ、希未が口にしている言葉も、紛うことなき日本語になっていたのだ。


 まあ、確かに不思議な現象だ。

 でも、俺にしてみたら今さらだろう。

 異世界に来ていること自体、不思議体験極まりけりって感じだ。

 しかも、不思議な力というなら、魔法の方がよっぽど不思議じゃないか。

 だというのに、このぐらいのことで、あまり深く悩んだり、強いショックを受けてたりしてられるか。

 そもそも、考えてわからないことは、さらっと流す主義だ。


『つーか、もしかして2人は、降神者エボケーターとかいう人?』


 それよりもオレは思いだしたことを聞いてみる。

 なんかオレたちの世界から魂だけやって来たみたいな存在がいるということを思いだす。

 いわゆる転生者というヤツだ。

 それなら、日本から転生してきているヤツがいてもおかしくない。


『あら。神人さんは降神者エボケーターを知っているのね』


『前に知り合いから少しだけ……』


『そう。でも違うわ。あたしもファイも、純然たるこの世界の人間よ。そして、この世界に生まれた人間で日本語が話せるのは、あたしを含めて4人だけね』


『……4人だけ?』


『そう。あたしたちのご主人様の力のおかげでね』


『ご、ご主人様って、俺と同じ神人なんだよね?』


『そうね。そして救世主』


『……ごめん。そろそろ無理だ。情報量が多すぎて追いつかない』


 いくらオレが思考放棄が得意であっても、これだけいっぺんに色々とあると捌ききれない。

 大風呂敷を広げすぎて収拾がつかないラノベやマンガの末期でも見ているようだ。

 いくらなんでも要素が多すぎて、考えることが多岐にわたりすぎる。

 収拾がつかない。


「悪いけど、ここからはまた【オバ・ザ・クセン語】に戻すわね。ところでミュー。怪我はないようだけど、あなたが預かってきた【魔封宝珠マナオン】は無事?」


「にゃぴょん! もちろん。神人様からの仕事だからな。無事にポーチに入っている」


 そう言うとミューは、俺から離れて前にでて、腰に撒いていたポーチの蓋を開けた。

 中には布が敷きつめられ、さらに小さな四角い箱が入っている。

 それを取りだすと、今度は箱の蓋を開ける。

 中には、カラフルに色を変えながらも、紫色に光る小さな玉が入っていた。

 大きさは、ピンポン球ぐらいだろうか。

 だが、その存在感はすさまじい。

 魔力とかそういうのがよくわからないオレでさえも、なんかすごいものなんだと直感的にわかってしまう。


「うん、大丈夫そうね。ありがとう、ミュー」


 横から、ファイも覗きこむ。


「この色……これはやはり、西の塔の魔障壁の発生に使われていたものっぽいな」


「ええ。予想通りね。まったくうちのご主人様はやってくれるわ」


「しかし、そうなると街に戻ることはやはりできないぞ」


「そうね。【魔封宝珠マナオン】をはめ込んでから儀式で数日はかかる。……ミュー、あとはあたしたちが街まで運ぶから、あなたは先に神人さん達と街へ戻って――」


 そうクシィが提案した途端だった。

 ミューは、すばやく紫の玉が入っていた箱を閉じると、そのままポーチの中にしまってしまう。


「……ミュー?」


「ミューは、神人様に仕事を頼まれた。仕事は【第二聖典神国ツアス・セイクリッダム】の首都護衛隊の正騎士ラロル長に、この荷物を渡すこと」


「だから、それはあたしたちが――」


「これはミューの仕事。仕事は絶対に最後までやりきるのがミューの掟」


 そう胸を張って、ミューは告げた。

 オレはその背中に、目を奪われる。

 あの日と同じだ。

 足を痛めても歩き続けていた、誇り高き意志の強さ。

 約束を守るという当たり前のことをオレに教えてくれた後ろ姿。

 未だにあの時の自分の情けない姿を思いだすと、赤面して死にたくなる。

 それと同時に、この背中に強い憧れを感じているのだ。


「でも、ミュー。これは――」


「――クシィ、無駄だ」


 ファイがクシィの肩に、手をかけながらかるく笑って見せる。


「ミューは、聖典騎士ロルなみに意志が強い。まあ、そんなミューだからこそ、ご主人様も信じて仕事を任せたのだろうがな」


「……まったく。しかたないわね。じゃあ、神人さんだけで街に退避して――」


「――いや。邪魔じゃなければ、オレも残る」


 オレはほぼ反射的にそう告げていた。

 不思議とこの時、オレには迷いも恐れもなかった。

 横で希未が「何言ってんの!」とオレを責めるが、こればかりは許して欲しい。


「神人さん。ミューにも聞いているけど、あなた剣術も魔術も使えないんでしょ?」


「まったく! でもさっき、ヴァドラの炎の玉をアウトランナーを使って消していたよな。オレは役に立たないかもしれないけど、アウトランナーなら力になれるんじゃないか?」


「アウトランナー……ああ、この車の事ね。でも……」


「気にいったぞ、神人殿!」


 ファイがオレの背中をバンと叩く。

 細腕に見えるのに、ものすごく力強くて少し背中が痛くなる。

 顰めた顔でふり向くと、ファイは屈託のない笑顔を向けてきた。

 眩しい。眩しすぎる。

 ここにいる女の子達はみなカワイイが、ファイの笑顔はかわいさと美しさがとんでもないバランスで整っている。

 語彙力がなくて表現できないが、とにかく目を奪われる魅力があるのだ。


「ミューのため、そして人民のために力を貸してくれるというのだな。さすが救世主」


「きゅ、救世主?」


「そうね。確かに。それに――」


 クシィ腕を組みながら、年齢にそぐわない妖艶な笑顔を見せる。

 彼女の笑顔は、かわいいが欠片もない。

 美しく……そして美しい。


「――アウトランナーだけではなく、あなたの力、何かの役に立つかもしれない。なにしろ神人さん、あなたはすべての世界線において1人しか存在しない、唯一の異能力者。【異世界召喚士】なのだから」


「そ、それは……」


 それは、オレを異世界に行けるようにした、あの謎の坊主が口にした言葉だった。

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