第104話:なぜか問い詰められ……
「こんなに楽しかったのは……いつぶりかしらね」
アウトランナーの横に並べたテーブルセットに座りながら、オレは十文字女史とコーヒーを飲んでいた。
外はもう完全に日が落ちて真っ暗。
テーブルの上でLEDカンテラの揺れ動かない光が、その周辺だけを照らしていた。
この世界にも月らしき衛星があるのだが、今日は見えない。
たくさんの星が全天に瞬いているものの、さすがに大地を明るく照らすわけでもない。
少し離れれば真っ暗闇だ。
不気味さは否めないだろう。
「つーか、本当によかったんっすか。宿に泊まらなくて」
オレは女史に宿に泊まることを提案した。
2日連続で車中泊は、女史がつらいと思ったのだ。
「いいのよ。お風呂は街で入れたし。あとはどうせだから、とことんアウトドアを楽しみましょう」
ところが女史はこの通りで、なんと街から少し離れた森の近くで、車中泊をすることを選んだのである。
本当にこの人は、ある意味でミヤよりもアクティブだ。
もろちん、危険性が高いようならオレも反対した。
しかし街の住人に話を聞いて、このあたりに魔物が出ないことは確認済みである。
たまに野獣は出るらしいが、そのぐらいならアウトランナーにアズが施してくれた、敵意、悪意、害意あるものを排除するバリアー(結界?)とかで何とかなるだろう。
範囲は、アウトランナーから周囲約15メートルも効果がある。
「それにさほど寒くもないし、気持ちいいじゃない」
「まあ、冷えこむほどではないっすね……」
確かに気温も大した問題にならなかった。
凍死したりすることもないはずだ。
これが普通のキャンプなら、むしろ過ごしやすいと言えただろう。
しかし、道の駅でもキャンプ場でもない場所で、「ガチ野宿」すると困ることがたくさんあるのだ。
まず水の確保。
飲料水に手洗いなど、いろいろと水は必要になる。
豊かな日本に住んでいると、いつでも安全な水が簡単に手に入るというありがたさに感謝をついつい忘れてしまう。
だが、ガチ野宿をすると、本当に水に関しては困るのだ。
川の水、そして街にある井戸の水でも、そのままではおなかを壊す可能性もある。
そのために沸騰させてから飲むという手間が増える。
というか、手間が増えても水場があるなら御の字と言えるだろう。
異世界転移の場合は、まれに水などない荒野に放り出されることもある。
だから、オレはいつも車に飲料水をペットボトルで5~6本は載せている。
場所を取って邪魔ではあるのだが、これは必須と言っていいだろう。
それに蛇腹でたためるウォーターサーバーも用意している。
幸いにして、今回もそれで水の心配はない。
それから困るのは、トイレだ。
オレだけの車中泊なら、本当にこれはどうにでもなった。
雨の日は辛いけど、それでもまあなんとかなった。
しかし女性の同伴者がいると、これがなかなか大変だ。
そういえば、最初に困ったのはアズと一緒の時だった。
あの時は、安全な広い場所だったので離れることで何とかなったが、車からあまり離れられない状態ではそうはいかない。
そこでオレは、汎用性が高いレジャー用のブルーシートを積んでいた。
それに紐とペグ、そしてペグハンマー。
これで簡単なタープ代わりにしたり、目隠しを作ったりすることができる。
今は川から少し離れたところに車をとめていた。
そして川の近くの木に紐でシートを張って、簡単な屋根と目隠しを用意した。
これを天然の水洗トイレとしたのだ。
きっと今どきの都会派女性ならば「こんなのムリィ~」とか拒絶されたことだろう。
ところが女史は、それを見て「バッチリね!」と上機嫌になったのである。
「つーか、本当に女史は変わってますよね」
オレがしみじみこぼすと、女史は意外そうな顔でこちらを見る。
「そう? 変わってる?」
「うーん。変わってるってか、適応力が高いっつーか……。昔から、アウトドアが好きだったんっすか?」
「いいえ。始めたのは大学生の時ね」
女史はコーヒーカップで両手を温めるように持って、そのまま星空に目を向ける。
「わたしね、褒められるのが好きだったの……」
回想しながらの予想外の言葉に、オレは思わず「はあ」と間の抜けた返事をしてしまう。
オレの頭では会話のつながりが見えない。
「え、えーっと……つーか、褒められるのが好きな人の方が、多いんじゃないですかね」
「そうね。ただ、わたしは褒められて、期待されればされるほど、期待に応えたくなって、ひたすら頑張っちゃったの。父親がね、勉強できる子は偉いって褒めるものだから、必死に勉強したりして……」
「ああ。だから女史は、そんなに頭がいいんっすね」
「そうねぇ。自慢じゃないけど、中学、高校のテストでは首位争いにいつも参加していたわ!」
「さすがっすね。オレとは正反対だ……」
目をつむると、ふとつまらない過去が瞼に映ってしまう。
かっこ悪いかなと思いながらも、オレは衝動のままに口を動かす。
「オレは……デキた兄貴のようになれという、オヤジからの期待に応えられませんでした。期待に潰されちゃいました。狙っていた大学に入れなかった時点で、もうなーんもする気がしなくて、遊びほうけて……会社でも……は知っての通りっす」
乾いた自虐的な笑いを見せると、女史も一緒になって笑う。
「うん。確かにひどかったわね」
「うぐっ……」
返す言葉もない。
「でも、大前くんは異世界で変わったのよね、きっと……」
「……変われましたかね」
「変われたわよ。そして、わたしも異世界で変わったの」
「……へ? 異世界に行ったことがあるんっすか? つーか、変わったって?」
「わたしもね、昔は酷いありさまだったのよ……」
「……ど、どういうことです?」
今度は、女史が自虐的に笑う。
それはオレが今まで見たことない彼女の表情だ。
「最初は家族からの期待だけど、その内にクラスメイトや先生たちからの期待も上乗せされてね。それに応えるために、勉強とか、習い事とか、優等生としてふるまうようにしたの。でも、とにかく自分のことばかり意識がいってた。友達が遊びに誘ってくれても、ずーっと断ってた。……ううん。友達なんていなかったって言うべきかな。……それにね……」
眼鏡の下の彼女の瞳に、大きな陰りが落ちる。
もちろん、周囲は暗いから本当に陰っているかどうかなんてよくわからない。
空気っていうやつだ。
彼女の薄闇に浮かぶ表情が、泣いているように見えたのだ。
「…………」
そこで黙ってしまった彼女をオレはうながすことなどできなかった。
だからオレも黙った。
もちろん、このタイミングでかけるカッコイイ言葉などオレがもっているわけがないからということもある。
すると、そんなとまどうオレに気がついたのか、視線を向けると少しだけ微笑してくれた。
「わたしね、4つ下の妹が
過去形の時点で、もう悪い予感しかしない。
でも、オレはやはり黙って聞くことしかできない。
「実はね、うちの妹ってアイドルやってたのよ。意外でしょ? なんか、地味で質実剛健な道を選んだわたしとは違う、華やかだけど厳しい冒険の道を妹は選んだの。今、思うとわたしのせいだったのかもしれないけど……。妹はわたしに懐いてくれたけど、わたしはけっこう妹を邪険にしちゃってたわ。嫌いじゃなく好きだったけど、それよりも自分のことで頭がいっぱいだった……から……」
少し女史の声が震えた気がした。
それでも、こんな時にかける言葉をオレはもっていない。
なんてだめな奴なんだと、オレは自分を責めてしまう。
ただ、「自分のことで頭がいっぱい」というのだけは理解できる。
自分にもそんな時があったわけだし。
「でもね、妹がある番組の撮影中に爆弾の爆発に巻きこまれて死んでしまったの。テロなのか、愉快犯なのかはわからない。犯人も死んでしまったから。……でも、とにかくもう妹と会えなくなってしまったのは確かだった」
悪い予感なんて当たらないで欲しい時ほど当たる。
オレの苦手な重い話だ。
たぶん昔のオレなら、面倒になってすぐに逃げていた類の内容である。
しかし、今のオレにはわかってしまう。
女史がオレに聞いて欲しいということを。
そしてわかって欲しいのは、きっとその辛さではないと言うことを。
「わたしね、凄く後悔して……でも、もうなんかいろいろと嫌になって、大学でしばらく呆けたようになっていた。大学もやめようか思っていたぐらい。……そしたらね、ある人が山のキャンプに誘ってくれたのよ。半ば強引だったけど、気分を変えないといけないって……」
「もしかして、それが初キャンプだったんすか?」
「そう。それでね、夜のバーベキューとかおしゃべりとかするんだけど……これが、ぜーんぜん楽しくなかったのよ」
「……え? 楽しくなかったっすか?」
「まあ、楽しめる気分じゃなかったわね。場所を変えたぐらいで悲しみと後悔がなくなるわけないでしょ」
「そ、それは……まあ……」
「だからね、みんなが夜に騒ぐ中、わたしはとっとと寝てしまったわけ。おかげで、翌朝はものすごい早朝から目が覚めちゃったわ。寝なれない寝袋のせいもあったんだけど」
「あはは……あるあるですね、寝なれない寝袋で早起きは」
なんかどうでもいいことで相づちをオレは打つ。
なんでオレはこんなにコミュ力が不足しているのだろうと、こんな時は本当にモヤモヤ、イライラとしてしまう。
「……でもね、そのおかげで異世界が見られたの」
「……え?」
不思議なことに、先ほどまで暗い顔をしていた女史の表情が、ぱーっと晴れやかになった。
その笑顔が、薄暗い中なのに輝いて見える。
オレのモヤモヤした気持ちまで、吹き飛ばしてくれる。
「つ、つーか、異世界……って?」
「山の上から見たどこまでも広がる風景。日の出と共に広がっていく光が、少しずつ照らしだす、山々と遠くに見える街並み。うっすらと見えていた物が、赤く色づいて……血潮が流れだして世界が生を得はじめている感じ。それはまるで神様が世界を創っている瞬間を見ているような……まさに御来迎の風景」
「……ああ、なるほど。それが異世界」
「ええ。普段、見ることのなかった風景は、わたしにとってまさに異世界の風景のようだったの。それを見た瞬間、ありがちで恥ずかしいんだけど……世界は広いなって。それに比べたら、わたしにかけられた期待なんて、実はそんなに大きくなかったんじゃないかなって。本当にありがちで……恥ずかしいんだけど」
「そ、そんなことはないっす。すごくわかりますから!」
「そう? ……うん、ありがとう。わたしね、本当にそう思ったの。そしてね、期待されてがんばってもいいけど、それをなにかの言い訳にしちゃいけないと思った。自分の小さな背中にのせられた期待ぐらいで、こんな大きな世界を否定しちゃいけない……って、恥ずかしいこといっているわね、わたし」
照れた笑いを見せる女史に、オレは笑わずに真摯な目で語る。
「オレが……オレが異世界で初めて会った子に習ったことは、オレなりにまとめれば『成果を期待されるとプレッシャーになるけど、成長を期待されるとエネルギーになる』ってことでした。期待に潰されるのは、期待をかける方にも問題があるし、きっと期待を受け取る方も考えなきゃいけないっす」
「それ、前にも言っていたわよね。成果ではなく成長に期待する……そうね。1位になれなくても、賞が取れなくても、昨日より成長していれば期待に応えている。それなら潰れないし、言い訳も必要ない。やっぱり、すごくいいわね、それ。すてきだわ」
「つ、つーか、オ、オレは……成長速度の期待に応えられていないんですけどね、あはは……」
女史から眩しいほどの笑顔を向けられて、オレは動揺しながら思わず目線をそらす。
あんな顔見たら惚れてしまう。
(つーか、あきらめたくせに……未練がましいなぁ、オレ)
きれいで、美しくて、さらにかわいい一面まで見せられては、魅せられても仕方ないとは思う。
しかも、欠点までもっているなんて、逆に完璧すぎる。
まさに理想的な女性である女史に、こんな顔で見つめられ続けたら理性が崩壊する。
「そ、それで……女史はキャンプにはまったわけっすか?」
オレにできるのは、せいぜい話題を変えることぐらいだ。
「そうね。そこからキャンプに1人で行くようになったわ。わたしが知らない世界……異世界を見るのが、わたしのキャンプの目的。リフレッシュでもあるけど、帰ってから妹にそのお土産話を伝えるのも日課だった。今日、見た異世界の風景はこんなに素晴らしかった。あなたもこんな風景が楽しめる、すてきな異世界に転生してくれていたらいいな……って。でも、まさか自分が異世界に来ることになるとは思いもしなかったけどね」
「そりゃあ、そうっすよね」
「異世界……本当の異世界……ああ、すごいわね。こんな体験ができるなんて。これも大前くんのおかげね」
「まあ、事故みたいな感じで来ちゃいましたけどね……」
「うふふ……。でも、せっかく魔法がある異世界に来たのだから、魔法とか使ってみたかったわ。わたしにも使えないのかしら」
「ああ、どうでしょうかねぇ。オレには魔法の才能がまったくなくて無理でしたが、ミヤは少しだけ使えたみたいでしたよ」
「……え? ミヤ?」
「――あっ!」
オレは滑った口を片手で覆う。
いや、別に秘密にしておくことではないのだが、なんとなく言わない方がいいかなと思っていたのだ。
「ミヤって、【
「あ、いや、まあ、つーか、その……」
「……ああ。そうかぁ~。なるほどねぇ……どうりで……ね……」
「あ、あれ? な、なんでそんなに怒って……立ち上がったりして……」
「あら。怒ってなんて、ぜ~んぜんいないわよぉ~。ただねぇ……」
「ちょっ、あ、あの……そんなに迫られると……」
「あら。なんでぇ~逃げようとしているのかしら? わたしは聞きたいだけよ~?」
「えっ……とぉ……な、なにをでしょう?」
「神寺さんとのことです! 包み隠さず話してもらいましょうか!」
「――はいっ!」
オレは女史の執拗な取り調べに逆らわず、正直に包み隠さず聞かれるままに白状した。
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