第101話:お喋りを楽しんでいたら……

「なにこれ……面白いわ!」


 ジャージ姿の十文字女史が、まるで子供のように目を輝かせて俺の車の屋根の上ルーフトップを見ていた。

 道の駅ろまんちっく村の駐車場で唯一、24時間稼働している第一駐車場も、すでにガラガラになっている。

 今、残っている車は、ほとんどオレたちと同じ車中泊目的だろう。

 もちろん、人通りもほとどない。

 外灯で照らされる夜の闇。

 その中でオレは、ルーフトップに載せてあった秘密兵器を展開ししていたのだ。


「これ……テントなの?」


「そうっす。ルーフテントってやつですね」


 アウトランナーの上につけていた平べったい、屋根より一回り広い面積がある黒のルーフボックス。

 これについている前後のロックを外すと、蓋がガス圧で上がっていった。

 そしてできあがったのは、側面が布で囲まれた直方体の空間。

 横には入り口があり、中には入れるようになっている。

 オレは、その中に入れてあった伸縮式梯子をとりだして横にかけた。

 これでルーフの上にできた部屋に登ることができるわけだ。


 荷物が多い時に、狭い車内で寝るのが大変な時がある。

 また、車内に寝ると異世界転移シフトチェンジしてしまうこともある。

 そんな時に別に寝床があればなぁ……と探していたら、こんなアイテムがあったのである。

 お値段は高かった。

 まじ、高かった。

 ボーナスが予定通りでなかったら、親に金を借りないとまずいかもしれない。

 でも、車中泊のレベルをワンランク上げてしまうような、憧れのスペシャルアイテムなのだ。


「すごいけど、本当に登っても平気なの?」


「ルーフバーも増やしてあるので、まあ大人2人ぐらいなら余裕ですよ」


「なら、ちょっと登ってみてもいい?」


「あ、ちょっと待ってください。上の荷物片づけたりしますから」


 オレが登って荷物を片づける。

 ルーフテントと言っているが、正確に言えばルーフベッドである。

 床には低反発マットが敷かれており、そのまますぐ眠れるようになっている。

 少しだけ狭いが、大人2人が眠れるぐらいのサイズがある。

 外から見るより、意外に中は広く感じるのだ。

 オレは荷物を端に寄せて、敷いてあった掛け布団をたたんでスペースを作る。

 そしてLED証明を取りつけた。


「もういい? へぇ〜……こうなっているのね」


 いつもと違うストレートの髪をゴムでまとめただけの女史の顔が、もうルーフテントの横にあった。

 前にキャンプで見た時と同じ、すっぴんの顔にまるで「ワクワク」と書き文字が書いてあるようだ。

 よほどが我慢ができなかったのだろう。

 というか、こんなに子供っぽいところがあったことに驚いてしまう。

 いつもと違う丸い眼鏡をかけているせいもあり、その表情は本当に柔らかく見えていた。


「つーか、オレ、降りますから……」


「え? 2人乗れるでしょう?」


「乗れますけど」


「ならいいじゃない。はい、これ!」


 そう言って渡されたのは、あらかじめ買っておいたおつまみの入った袋。

 オレは思うわず、目をパチクリとしてしまう。


「あとビールももって上がるからね」


「え? ここで飲むんですか?」


「あ。ベッドにこぼしたら困るからやめた方がいい?」


「いや、まあ、気をつければ大丈夫だと思いますが。敷物敷いてもいいですし。フレームに固定できるテーブルもありますし……」


「なら、車の中で呑むより楽しそうじゃない? それに夜になると少し冷えてきたから、早くしないと湯冷めしちゃう」


 確かにそうだ。

 オレたちは、もうすでに夕飯も終わらせて温泉もいただいてきていた。

 あとは、湯上がりの一杯を楽しむだけである。

 その為におつまみと、地ビールを買いためておいたのだ。


 ただ、狭い空間、しかもベッドの上で女史と2人きりになるなんて、今から動悸息切れ眩暈で、すでに救心してほしいぐらいだ。

 だがダメだ。平常心だ。

 こういう時こそ、心を落ち着けなくてはならない。

 オレは今まで異世界で多くの冒険を乗り越えてきたじゃないか。

 恐ろしい魔物に襲われながらも生きのびてきたじゃないか。

 それに比べたら、女性の1人ぐらい……。


「おじゃましま〜す。うわぁ〜。なんかこれ、楽しいね。秘密基地みたい!」


 もうギブアップです。

 あのいつも凛とした女史がかわいくって、死にます。

 ああくそ、もう! 嬉しすぎて、興奮しすぎて吐血しそうだ。


 入り口の所の布を降ろしてチャックで締めれば、外からは見えない秘密の空間。

 もちろん大きな声で話せばもれるし、暴れれば音は聞こえる。

 それでも中にいるオレにとっては、2人っきりの世界である。


「ねえねえ。私、今日はここで寝ていいの?」


「あ、いや、ここは戸締りできないので危ないっす」


「そんなのキャンプと一緒でしょ?」


「キャンプ場はまだしも、ここは駐車場から防犯にはもっと気をつけないと。女史には申し訳ないけど、車の中で鍵をかけて寝てください。つーか、車の中の方が、分厚いマットもあるし、密封性も高く暖かいから、寝心地はいいはずっす」


 キャンプ場なら、防犯に気を使わなくてよい……というわけではない。

 しかし、駐車場はキャンプ場以上に不特定多数が入りやすいのだ。

 女性が1人で眠るのに戸締りできないのは危険すぎる。

 それにもう1つ理由はある。

 俺が車の中で寝たら、異世界転移シフトチェンジしてしまうかもしれない。

 とはいえ、これは説明出来やしないから、黙っておく。


「なるほどね。それなら――」


 ビールの栓を抜きながら、女史の双眸がスーッと細くなる。


「――ここで一緒に寝る?」


「――ちょっ!」


 息が止まるかと思った。

 マジ心肺停止するかと思った。

 我が社随一の美女と、足がぶつかりそうなぐらい近い距離で、2人用のテントぐらいの空間で、誰も見ていない状態で、向かい合って座っている。

 それだけでも大変なことなのに、この人はなにを言いだすんだ。

 絶対、この人、アサシンだ。

 俺を殺しに来たに違いない。

 または誘っている?

 誘っているのか?

 いや、待て、落ち着け。

 あの女史がオレのことを?

 でも、彼女の最近のオレに対する態度には、あきらかな好意を感じる。


「ふふふ。大前君、変わったわね……」


 ビールを紙コップに注ぎながら、女史が微笑した。

 その様子は、明らかにオレの動揺を楽しんでいる。


「か、変わったってなんっすか? つーか、女史。趣味悪いっすよ。オレも男ですからね。思わず……ってことがありますよ」


「だから、そういうところがよ」


「……え?」


「すっかり紳士じゃない」


「……もしかして、オレ、試されました?」


「というより、信じているからかしらね、今は。……私が大前君を初めて見たのは、半年ぐらい前だったかなぁ。確か仕事中に女性社員を他の男性社員と口説いていたところだったと思う」


「うげっ……」


「なんかさ、横から見ていてもいかにも軽薄そうで、大嫌いなタイプだったわ。前にも言ったかもしれないけど、噂でもすごいこと聞いたわね。仕事もできないくせに、生意気で、協調性がなくて……」


「うぐぐっ……」


 先ほどとは別の意味で息が詰まる。

 言われるたびに過去の俺の姿がよみがえる。

 いわば黒歴史のリフレインってやつか。

 辛い、辛すぎるぞ……。

 当時の身の程知らずの俺を殴り倒してーぞ。


「そしてとうとう、大ポカやらかして会社から消えたって聞いて。もちろん、私はそんなあなたに興味もなかったけど、本当に酷い奴だなと思ったし、まあこれで終わりだろうから……と思っていたのよ」


「ううっ……いや、もう、その節は本当に……ああ……」


 まだビールを一口も飲んでいないというのに、すでに顔が熱い。

 本当に少し前の話なのだ。

 その少し前の自分が、まさかこんなに今の俺を苦しめるとは思いもしなかった。


「でもね、大前君はあのピンチをなんか乗りきっちゃった。そして、そこからあなたの噂が変わっていった……」


「……え?」


「生まれ変わったか、別人のように仕事をこなすようになったって。まあ、それでも私は『ふーん。よほど失敗がこたえたのね』としか思っていなかったんだけど」


 ビールをカポカポと呑みながら楽しそうに話す女史に、オレはひたすら乾いた笑いしか返せずにいる。

 ダメだ、俺も呑もう。


「でも、キャンプの時に見ていて気がついたの。仕事だけじゃない。貴方はきっと変わったんだって」


「ま、まあ……確かに昔の自分を思いだすと恥ずかしくはなりますが……。つーか、そんなに変わったんですかねぇ」


「大前君、覚えてる? キャンプの時に炭に火をつけられなかった山崎君に助け舟を出したでしょう?」


「あ、ああ……。気がつかれていたとは……」


「当たり前でしょう。そこまで鈍くないわ。……それに魚がさばけなくて困っている神寺さんのことも助けてあげていたし。」


「それもバレてたのか。つーか、あれは空気が悪くなったらよくないかなと……」


「かつて協調性無視だった貴方が、生意気で仕事しなかった貴方が、わざわざ自分を下に見せて、進んで仕事してまで空気が悪くならないようにした。十分に変わったじゃない」


「そうですかねぇ……」


「そうよ。私、昔の大前君なら、怖くて2人きりでこんな状態になったりしなかったわ。絶対に、襲われていたと思うもの。でも、今の貴方だから、こうして楽しい時間を過ごせていると思うわ」


「あ、あはは……」


 笑ってごまかすが……うん。襲っていた。

 つーか、昔のオレなら間違いなく、今ごろ女史に覆いかぶさっていたね。

 もちろん今だって、その衝動がないわけじゃない。

 ただ、そういう風にしたくない自分がいるだけなんだ。

 気がついてしまったから。

 気がつかされてしまったから。


「ねえ、大前君。いったい、どんな心境の変化があったの? 仕事の失敗だけでここまで変わったわけじゃないのでしょう?」


 切れ長の双眸が、俺の瞳を縫いとめる。

 狭いルーフテントの中に、ビールの匂いと、女史の誘惑する香りが入り混じり、オレの頭を麻痺させようとする。

 でも、不思議だ。

 こんな状態でも、無理やり女史を襲おうとは思わない。

 それは……それはたぶん……。


「オレ、バカにしていたんだと思うんです」


 そう言ってから、ビールをまた口にする。

 こんな恥ずかしい話、呑みながらじゃないと話せない。


「えーっと……ほら、何でしたっけ? リストベスト?」


「……ああ、リスペクト?」


「ああ、それっす。周りの人間に対して、一切していなかったんっすよ」


「うん」


 女史は静かにうなずくだけで、オレの言葉を待ってくれる。

 だから恥ずかしいながらも、オレは続きを口にする。


「でもね、それは周りに対してだけではなく、ある意味で自分に対しても言えることで。つーか、自分をバカにしていたというか、自信がなかったというか。でも、それを自分で認めたくないから他人のせいにしていた……ってやつですかね」


「要するに、自分に才能がないことを認めるのが嫌だから、自分が評価されないのは周りの見る目がないからだ……みたいな?」


「人に言われると、めっちゃ情けなくて恥ずかしいですが、まあその通りです」


 オレはひとつ乾いた笑いをもらしてから、勢いをつけるためにまたビールを煽った。

 そして言葉をつづける。


「オレね、なんか期待に弱くて。期待には結果で答えなきゃ……って思うと辛くて……」


「そうね。人は結果でものを見やすいものね」


「でしょ? だから、もう結果が出せない自分が嫌だったし、結果が出ないのを周りのせいにしたりして……つーか、簡単に言うと逃げに走っていたってことっすね」


「でも、大前君は逃げるのをやめた」


「やめたってか、逃げる時は逃げます。ただ、簡単には逃げないようにしたぐらいっすよ」


「どうして?」


「それは……バカみたいに、仕事に真正面から立ち向かった奴を見たから……かな。そしてね、そんな奴がオレに言ってくれたんっすよ。オレの結果ではなく、成長に期待する・・・・・・・……って」


「……必ずしも最終結果を求めない。大前君が成長して変わっていくこと自体が、成果であるということかしら」


 さすが女史である。

 オレの下手な説明を簡単にまとめてくれる。


「そうっすね。それと同時に『そんな風に成長できる自分を自分で期待しろ』と。『自分に期待できないやつは、周りも期待してくれないぞ』って言われたんですわ。自分なんてダメな奴としか評価しなかったり、そのダメなことを認めなかったり、そういうのがいけない。ダメなことを認めつつも、成長できると期待しろってことっすかね。自分を信じられなくても、自分に期待するぐらいならできるだろうって」


「自分の成長を期待する……いい言葉ね」


「そーっすよね! オレもそう思いました。で、そう考えるようになったらね、周りのせいにしなくなった。そうしたらぁ、今まで嫉妬やら逆恨みやらの曇った目で見ていたのが、よく見えるようになったみたいな。オレに期待をくれたそいつが頑張っているように、山崎も神寺さんも専務も、もちろん十文字女史も頑張っている。そういうことがわかってきた……と」


「うん」


「つーか、嫌われるの承知でぶっちゃけますが、昔は女ってやれればいいみたいなところがあったんっすよ」


「ああ、確かに。そんな感じだったわね」


「でも、違うんだよね、ホントは。男でも女でも、つーか人間は誰しもそれぞれで頑張っていて、それに対しては敬意をもって接するべきなんだ。敬意とは相手を認めること。で、認められるから期待できるわけで……あれ? オレ、何が言いたいんだっけ?」


 なんかいい感じに酔いも回ってきたのか、自分で言いながらも考えが回らなくなってきている。

 少しふわふわしてきていい気分だ。

 こんなに飲んだのは久々だ。


「つーか、オレはなんもわかってなかった! うん、わからんちん! 頑張っているのはぁ、オレだけじゃねー。つーか、他人と同じ結果が出せなくても、自分だけの成果が出せればいいわけでだな! だから……だから……えーっと、ほら、周りに嫉妬しても嫉妬に囚われることなくて……。だからぁ……自分が一歩進んだことを喜べ……つーか……あれ?」


 ヤバい。

 なんかよくわからなくなってきた。

 ちょっと昼間から呑んでいたのもあり、かなりアルコールが回っているんじゃないだろうか。


「ねえ、大前君。そのことを君に教えてくれた……君に期待していると言ったのは誰なの?」


「誰? 誰……ああ、えーっと……ねこ耳にうさぎの尻尾が生えた女の子っす」


「……はい?」


「つーかぁ~クッソなまいきな奴なんだよ、そいつ~……。でも、いい奴なん……だ……オレは、お礼を……」


 ああ、ダメだ。

 超眠い。

 なんだかもう意識が……。





「よくわからないけど、ライバル……ってことかな?」





 なんか声が聞こえた気がしたけど、それは重みをもって意識中に沈んでいった。

 そして翌朝、その言葉を思いだすこともなかった。

 そもそも目が覚めた後、それどころではなかった。


 オレは、異世界転移シフトチェンジしてしまっていたのである。

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