第098話:鬼平江戸処で楽しみ……
目の前に拡がる風景は、本当に不思議な感じだった。
横長に立ち並ぶ、古き栗の皮のような色をした木造建築。
それは煤けた感じがでて、過ぎ去った年月を演出している。
重々しい瓦の屋根の前には、筆で力強く書かれた高札があがっている。
地には火消し用の桶が積まれ、火の見櫓の上には半鐘が下がっていた。
そこだけまるで、江戸の町を切り抜いたような風景が存在していた。
しかし、そのすぐ手前はコンクリートの道があり、多くの車が走り、洋服を着た人々が行き交っている。
そのミスマッチが、この空間を独特な雰囲気に仕上げていた。
「これが鬼平江戸処……面白いわ」
十文字女史は、語彙力を失ったように「楽しい」「面白い」を繰りかえしながら、手にしたカメラで写真を撮りまくっている。
資料用……とのことだが、なぜか記念撮影のように女史の写真を撮らされたり、別の人に頼んで2人並んだ写真まで撮ってもらったりしていた。
とにかくご機嫌である。
羽生パーキングエリア(上り)と、あの故・池波正太郎氏の小説「鬼平犯科帳」がコラボしたという異色のパーキングエリアだ。
近くの栗橋に昔は関所があったらしく、江戸の入り口と言われていたそうで、それを元にこのアイデアが出たらしい。
なぜ「鬼平犯科帳」だったのかというのは、ホームページを見ると江戸人情というワードから鬼平犯科帳を思いついたようだが、正直なところその感覚はよくわからん。
なによりも、「鬼平犯科帳」を読んでいないのだから仕方ない。
とにかく、狭い空間ながらも作り込まれており、フードコート建物内部も江戸の雰囲気が活かされている。
館内に並ぶ店舗には、屋内ながらも軒先があり、提灯、鴨居があり、天井には空を模した飾りがあった。
料理も鬼平犯科帳テーマのものから、まったく関係なさそうな物までいろいろと選べるようになっている。
規模を考えれば、かなり多い店舗数だと言えるだろう。
「朝昼兼用だけど、さっそく食べましょう! あ、奥にフードコートの席があるわね! わぁ~。ここもなんか雰囲気ある! 見てみて! 2階がないのに、それっぽい階段まであるわ!」
会社での「女史」という言葉が似合う女性の姿は、そこにまったくうかがえなかった。
きつそうな三角のメガネの下で、それに似合わない笑顔が絶えない。
十文字女史のテンションに押されてしまい、オレがはしゃぐタイミングがなくなってしまったほどである。
「ねえ? 大前君は何を食べる?」
でも、これだけ楽しそうにしてくれると、連れてきた方としてはご褒美だ。
だから、オレもそれに水を差すつもりはない。
「つーか、ここに来たら【五鉄】は食べておきたいですね!」
とオレもハイテンションで返した……が、なぜか少しふくれた顔。
「……
「あっ……。食べておかないとな!」
オレの言い直しに満足そうにうなずく女史。
くそっ……なんか、すげーかわいいんですけど……。
でもね、そんなに簡単にきりかえられるものじゃない。
今まで尊敬していた相手と、いきなりタメ口と言われても難しい。
「ところで、五鉄って?」
「なんでも鬼平犯科帳に出てきた軍鶏鍋の店らしいっすね。親子丼で有名な【玉ひで】が元になったネタじゃないかということで、【玉ひで】がプロデュースしています……してんだって」
オレはまたタメ口をきけず、慌てて言い直した。
そして、機嫌を損ねていないか顔色をうかがう。
「ふーん。なるほど」
幸い気にした様子はなく、入る時にもらったパンフレットを開いて見ている。
どうやら直そうという努力を買ってくれたようだ。
本当はもう努力させないで欲しいのだが。
「では、大前君! 軍鶏鍋はおさえないといけないわね」
「もちろんっす……だ」
「ぷっ……」
女史が吹きだして笑った。
ヒドイ。
オレだってなんとか直そうとしているんだぞ。
まあ、確かに今のは「どこの訛りだ」みたいになっているが。
「ごめんなさい。無理しなくていいわ。癖なんてなかなか抜けないものね」
「そうっすよ! 自然に話させてください!」
「オーケー。それでいいわ。……では、軍鶏鍋に行きましょう」
「つーか、一本うどんも忘れちゃいけませんぜ!」
「一本うどん?」
「そう! 一本うどん!」
オレは女史に席取りをさせると、注文しに行く。
まだ午前10時ぐらいのおかげか、さほど混んでいなくて助かった。
しばらく経ってから呼びだされ、できた料理を運んでくると、女史の顔に驚きがあふれる。
銀縁眼鏡の下の双眸が、こぼれるのではないかと言うほど見開かれたかと思うと、デジカメをさっと構えて撮影開始する。
「なにこれ! 面白い!」
興奮すると、女史は語彙を喪失するらしい。
オレから見れば、目の前の料理よりも、彼女の方が面白い。
普段の才女ぶりとのギャップ萌えというやつだ。
「これが軍鶏鍋ね……」
「――です!」
買ってきたのは、まず十文字女史のための「五鉄しゃも鍋定食」。
鉄鍋に入った特製割り下に、国産軍鶏肉のぶつ切りと、ネギや白滝が入ったメニューである。
生卵もついていて、その取り合わせだけでもうまそうだ。
ただ、こちらは見た目的には、それほどのインパクトがない。
「そしてこっちが……」
「そう。一本うどん!」
この見た目のインパクトはすごい。
まず、大きなお椀に入っているうどんは、その名の通り一本だけである。
しかし、太い。
とにかく太い。
平べったい形をしているが、その太さは成人男性の親指ほどの厚みがある。
それがクルクルと一回転半ほどの渦を巻いている。
スープというより、濃厚な甘塩っぱいタレが入っており、うどん自体にもよく味が染みこませてある。
そして真ん中に温泉卵、さらに長ネギがたっぷりとのっている。
一本うどん自体は、鬼平江戸処以外の場所でもいろいろと種類がある。
普通にうどん汁で食べる物もあるし、つけ麺型もある。
しかし、ここの味付けはかなり独特だ。
温玉をわり、ぶっというどんに絡ませて食べる。
もちっとした歯ごたえは、うどんなのにうどんではないように感じる。
まるで、だんごを食べているかのようだ。
しかし不思議と舌の上では、うどんを感じさせる。
甘塩っぱいタレと、卵黄のまろやかさがベストマッチ。
ご飯のおかずになりそうな味わいである。
「つーか、うまい……ああ、こりゃうまい!」
「ちょっ、ちょっと、大前君! わ、私にも味見させなさい!」
「えー。でも、箸つけちゃいましたし」
「そんなこと気にする年でもないでしょ! いいから、早く!」
女史が鼻息を荒くして手を伸ばしてくる。
気のせいだろうか……。
目がつり上がっているのに、ちょっと涙目になっている気がする。
ちょっと意地悪しすぎたかなと思いながら、お椀を渡す。
するとすぐさま、オレが噛んだのとは反対側をツルッと口に含み、真っ赤な唇をハムハムと動かす。
「……ああ、これ……モッチモチ……」
「でしょ? なんかうどんって感じしませんよね」
「ええ。……でも、うどんだわ」
「そうそう! そんな感じ」
2人で笑い合う。
「あっ。大前君、写真撮って!」
麺を持ちあげて口に含む女史。
妙に色っぽい、そのあまり上品とは言えない姿をパチリと撮る。
いや、もう、でも女史なら下品に見えないのが不思議。
なにをやっても許しちゃう気になる。
「これ、卵の黄身がまた旨味を増すわね。ネギもアクセントになっていい感じ。そしてなにより、この太い一本にロマンを感じるわ!」
ものすごくまじめな顔で、うどんのロマンを語りだす女史。
シュールだけど許す!
「それに結構長いし。これなら両端から恋人同士で食べたりするのができそ……」
そこまで言って、女史はオレからうどんに目を落とす。
女史の口をつけた反対側には、オレの噛み跡。
一気に顔が真っ赤になる。
「……ちっ、違うのよ! べ、別にそういうわけじゃ!」
「わ、わかってますよ!」
つられてオレまで赤くなる。
うぶな中学生でもないだろうに、なにをお互いに照れているのやら。
「つーか、めっちゃ楽しそうですよね、女史。これ、仕事だって事、スッカリ忘れてませんか?」
「――あっ!」
赤い顔が、さらに燃えるように赤くなる。
うわぁ。完全に忘れていたよ、この人。
「…………」
顔を伏せたまま無言の女史が妙にカワイイ。
もうしばらくこのまま見ていたい……が、このままでは軍鶏鍋も冷めてしまう。
「まあまあ、女史。こういうのは客になった気分で確かめないとわからないこともあるじゃないですか」
「うっ……。御免なさい、私あまり友達と遊びにいくとかしない人なの……。そのね……なんかついた途端、すっかり観光客気分で……」
確かに、ついた途端にテンションが急に上がっていった。
でもマジな話、それはそれでいいいじゃないかと思う。
「オレたちが客を楽しませることを考えるなら、まずは自分たちがたっぷりと楽しめた方がいいじゃないっすか! やっぱり、ここはパーッと楽しんじゃおうぜ! つーか、車中泊旅行は気軽に楽しめるのが一番だしな! だから、オレたちも……ね?」
「そ、そうね……うん……わかった」
そう答えた女史が、なぜか顔だけではなく、全身まで真っ赤になったように見えたのだが……うん、気のせいだろう。
オレたちは、他にもいくつかお土産を買ってその場を楽しみ、次の場所に移動することにしたのだった。
ああ、ちなみに軍鶏鍋もめっちゃうまかった。
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※参考
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●鬼平江戸処(羽生PA-上り)
http://www.driveplaza.com/special/onihei/
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