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第097話:仕事ということで……

 とうとうオレは社畜になってしまったのだ。

 いきなりなにを言っているのかと思われるかも知れないが、だってそうだろう?

 今日は休みの土曜日なのに、仕事にでかけているんだ。

 ああ。なんて恐ろしいことだろうか。

 あのサボり魔だった過去のオレが知ったら、卒倒するはずだ。

 もしくは気が狂ったのかと、奇異な目で見られるに違いない。


 だがしかし!


 オレは、この仕事をまったく嫌がっていない。

 それどころか、あえて言おう。

 オレは今、ワクワクルンルンウキウキソワソワである。


 理由は簡単だ。

 角度を変えて見れば、この仕事は十文字女史とのデートと言えるからである。

 ディナーに何度かご一緒したことはあったが、土曜日の朝から社内ナンバーワン人気の女史と一日中おでかけ……これがデートじゃなくてなんだというのか。


(つーか、仕事なんだけどね……)


 それでもだ。

 今、オレのアウトランナーの助手席には、女史が黒いタイツに包まれた長い脚をきれいにそろえて鎮座されているわけですよ。

 膝上ぐらいまでの少しふわりとしたスカートが覆い隠す太股は、いつものタイトなスカートとは違う柔らかな雰囲気を伝えてくるわけですよ。

 さらに普段より少し胸元が開いたラフなシャツも、大きくVの字ラインを描く鎖骨を見せて、色香がとんでもないわけですよ。

 キャンプ時の実用性重視の服装とも違い、少しオシャレな普段着姿。

 それはいつもの近寄りがたい壮麗さではなく、距離感を縮めてくれるような砕けた存在感。

 そんな女史と狭い車内で何時間も過ごすなら、仕事でもデートでもなんでもいい。

 オレは嬉しくて、ついつい信号で止まるたびにチラチラと横に目を向けてしまう。


「……ちょっと、大前君? 私のカッコ、なにか変なのかしら?」


 もちろんオレのそんな不審行動が、相手に気がつかれるのは当たり前と言えば当たり前だ。


「と、とんでもないっす!」


 オレは慌てて首をふった。


「つーか、普段のきれいさと違ってなんか……こう、かわいらしい感じもあって、すごくにあってます!」


「大前君……意外に口が上手いのね」


 クールな口調で言われて、オレは少し顔を赤らめてしまう。

 確かに、これでは口説いているようではないか。


「まあ、でも良かったわ。普段、あまりこういう服を着ないから……」


「…………」


 少し幼さを含ませた微笑。

 それに撃たれて固まっていると、女史に「青よ」と告げられた。

 オレは慌てて前を向き、信号が変わっていたことを確認してアクセルを踏む。


 しかし、普段着なのに「普段、あまりこういう服を着ない」とはどういうことだろうか。

 まさか、オレのために普段は着ない服を着てくれた……なんてことはないだろう。

 底辺社員のオレに対して、そういう感情はないはずだ。

 何度も勘違いしかけたが、冷静に考えれば「友達」はギリギリあるとしても、「恋人」はまずないはずである。

 だいたい、彼女とて今日はデートのつもりがないはずだ。

 それは、持ち物で明らかである。


「で、これから行くところなんだけど、サービスエリアなのよね?」


 彼女は足下に置いていた大きめのトートバッグから、バインダーを手に取った。

 そのトートバッグには、仕事の資料が盛りだくさん。

 今時、デジタルの方が便利だろうと思うのだが、紙の資料の方が一覧性が優れていてわかりやすいところもあるのだという。

 特にアイデアをまとめる時には、全体を眺めるために向いているそうだ。

 おかげでその量は、肩にかけたら肩の関節が外れそうなほどである。

 すなわち、がっつり仕事モード。

 見るからに、デートの手荷物であるわけがない。


「えーっと、鬼平江戸処だったわね」


「うっす。でも、正確にはサービスエリアではなく、パーキングエリアです。羽生パーキングエリア」


 車は、すでに首都高に入ったところだ。

 これから東北自動車道に乗って、北へ上っていく……いや、下っていくことになる。


「つーか、問題は上り・・ってことなんですよね」


「え? 反対車線ということ?」


「ええ。だから本当は帰りに寄った方がいいんですけど」


「……コンセプト的には気になるので、先に見ておきたいのだけど」


「まあ、大丈夫ですよ。手前で降りて下道で行けば、外から入れますので」


「え? パーキングエリアなのに外から入れるの?」


「大丈夫っす。観光施設も兼ねているので、高速道路からしか入れないとかだと、客が来ないじゃないですか。だから、ここだけじゃなく、道の駅と兼用のパーキングエリアとかでも、外から徒歩なら入れるようになっているところは多いんっすよ。もちろん、車は外側の駐車場にしか入れませんけどね」


「じゃあ逆に、パーキングエリアに車を止めて、そこから徒歩で外にでて近くを観光ということもできるのね?」


「可能っすね。オレもやったことありますよ」


 オレの説明にうなずきながらも、女史はバインダーを開いて中に挟んであった資料になにやら書き込んでいる。

 車の中で気持ち悪くならないか心配だが、彼女の走り書きが次々と書き込まれていく。


「なるほどね。……本当に今回の仕事、あなたがいて助かったわ。急に頼んで御免なさいね」


 そう。今日、女史と出かけることは、昨日の夜に決まったことだった。

 あの後、オレは女史と喜多専務から仕事の依頼を正式にされた。

 ただ、オレも女史も別に専門分野というわけではない。

 だから、オレはこの手の専門である観光施設開発室にでもまわすべきじゃないかと提案した。

 しかし、あえなく却下。

 あそこは副社長の息が強くかかっているらしいのだ。

 喜多専務の力がおよぶ中でも、やれそうな部門はあったのだが、そこは今、人材不足で仕事がぎりぎりらしい。

 というわけで、とりあえず下調べや情報収集だけでも、オレと女史でやることになったというわけである。

 しかも、この仕事の情報は、ライバル会社にもすでに伝わってしまっている。

 そうなればスピード勝負だ。

 おかげで、木角本社ビルから代理運転屋に頼んで車を家まで届けてもらい、翌日の今日からすぐに行動開始となったわけである。


「これが上手く行けば、副社長一派の妨害のせいでできた仕事の穴埋めの汚名も返上できるかもしれない。あなたがいてくれなかったら、本当にもう喜多専務も終わりだったと思うわ」


「いやぁ~……あはは。仕事でこんなに褒められたの初めてっすよ! あははは……」


 別に自虐的なつもりではないが、本当におかしくなって笑ってしまう。

 まじめにやっていた最近でも、せいぜい「雑用係として便利」というぐらいの褒め言葉しかもらったことがなかった。

 家庭でも優秀な兄と比べられ、父からお褒めの言葉など一度たりとてもらったことがない。

 そのオレが仕事のことで、あの会社でナンバー2の席を争う喜多専務の危機を救い、才色兼備の女史から感謝されるなど、冗談としか思えない。

 だいたい、オレは酒を呑んで、つまみを食って感想を言っただけだというのに。


「でも、本当にすごいわね。大前君の味覚は確かに鋭いなとは思っていたけど、味の記憶もあんなに正確だなんて」


「そーっすかねぇ。普通、みんな覚えているもんじゃないんですか? おいしかったら印象に残るし、また食べに行きたいと覚えておくじゃないっすか」


「普通の人は、そこまで正確じゃないわよ。『おいしかった』ぐらいにしか覚えていない人がほとんどよ。しかも、ビールの種類まで詳しかったなんて」


 なんか妙にもちあげられてしまい、オレもついつい気分が良くなってしまう。


「まあ、大したことないっすよ! つーか、単に食いしん坊なのかもしれないっす」


 なんとも楽しい気分だ。

 流れる景色を横目に、オレは前を向いたまま話しを続ける。


「つーか、ビールもそんなに量が飲めるわけでもないので、どれがどんな味なのか先に調べておくようになったんっすよ。なるべくうまい物にありつくための努力っすね!」


 オレの言葉に笑う気配が女史から伝わる。


「仕事でもそれだけ事前準備していれば、山崎君にも負けないぐらいになれたのではないかしらね」


「うぐっ……」


 痛いところを突かれた。

 まあ、確かにそうなんだけど、オレは興味がないことにそこまで頑張れないのだ。


「でも、おかげで今回は助かったわけだけど。……そうそう。今度、ビールもいろいろと教えてね」


「ワインだけじゃなく、ビールも好きッスか?」


「好きよ。お酒は全般的に好き。だから、ぜひこれからも呑み友達としてよろしくね」


「呑み……友達……」


 オレは女史の言葉に、ちょっととまどってしまう。

 期待してはいたが、本当に友達と思ってもらえるとは光栄だ。

 光栄すぎて尻込みしそうだ。


「あら? 友達と思っていたのは、私だけだったのかしら?」


 そのオレのとまどいをどうとらえたのか、女史の声が悪戯っぽく揺れた。


「そそそ、そんなことないっす! オレもそう思っていました!」


「なら、友達として……敬語とかもやめて欲しいんだけど?」


「え? でも、先輩で年上で……」


「と・も・だ・ち……でしょ?」


「りょ、了解っす」


「その『なになにっす』ってのもなし。普通に話してよ。お酒の話とか、アウトドアの話とかできて、本当に嬉しいんだから」


 そして最後は、少し甘えるような声。

 オレは赤面しながら「はい」と答える。

 なんか女史の前では、オレもいいように操られる若造にすぎない。

 そう実感させられるのであった。

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