第092話:仕事を依頼された。
「十文字じょ……十文字さん」
二人の時は「女史」と呼ぶのが普通になったため、ついつい癖で「十文字女史」と呼んでしまいそうになる。
が、社内ではそう呼ぶなと言われている。
「大前君……ラブラブなのね」
なぜか一文字一文字に、やたら力がこもったお言葉。
目尻に皺が寄っているような気もする。
それを言ったらたぶん、火に油を注ぐよね。
なんかヤバいと、野生の勘的な何かがオレに告げる。
「ちゃ、ちゃいますでんがな!」
なぜか訛るオレ。
オレは今、異常なほどに動揺している。
「ミ……神寺さんとは、つきあってるわけではなく……」
「ミヤはぁ、大前さんの愛人ですぅ!」
「――ちょっ! なに言ってくれてるの、こんちくしょう!」
周りが、一気にざわつく。
漫画だったら、「ざわっ!!」と大きな書き文字が入っているであろうシーンだ。
そりゃそうだろう。
社内人気ナンバー3の女性を愛人扱いとか……何様だよ、オレは。
めちゃくちゃ混乱しながらも、オレは十文字女史に向かいつつ、周りにも聞こえるように大きめの声で言い訳を始める。
「つーか、ち、違いますからね! 十文字さん! ミヤはですね――」
「――ミヤ? 呼び捨て!?」
いきなり墓穴を掘った。
女史の視線でオレの心臓が止まる。
物理的になにか刺さっているとしか思えないほど、胸が痛い。
この人は、絶対に視線で人を殺せる人だ。
でも、なんでオレが殺されかけているのだろうか。
確かに、女史とは一緒に飯を食いにいって、いろいろと趣味の話をしたりもしたけど、そこまで仲を深めたわけじゃない。
そもそもボンクラ社員の代表のオレに、キャリアウーマン代表の彼女が惚れるなんて考えられない。
でも、だったらなんなの……この殺気は……。
「あ、いや、ちゃいまんねんで。神寺さんは友達でして、その、ほら、山崎と弁当の味を争っていて……」
「……え? まさか山崎君も大前君狙いなの?」
「――なんでですかぁ!!」
横から勢いよく山崎が突っこんだ。
「いえ、だって……。神寺さんと競って、大前君に弁当作って胃袋をつかもうと……」
「違います!! ただの試食ですって!!」
なんか話がよくわからない方に流れてきたぞ。
とりあえず、こういう時は様子見だ。
「大前って、ほとんど取り柄がないんですけど、味覚だけはなんか凄いんです」
(正しくても、こんちくしょう!)
オレは心で山崎にクレームを入れた。
ダメな人間ほど、ダメと言われると、ダメになるんだぞ。
まあ、ダメな時は何を言われてもダメになるけどな。
などと、意味不明なことをオレの頭は述べており――って、待て!
落ち着け、オレ。
今、思考放棄したら取り返しがつかないぞ。
「こいつですね、なんか一度食べた味はなかなか忘れないし、けっこう利き酒とか、美味い物嗅ぎつけたりとか得意なんです。だから、料理初心者の私と神寺さんの弁当を判定してもらってたんですよ」
「……ああ。そう言えば、大前君。確かにこの前、ワインを当ててたわよね」
「――!!」
オレは十文字女史の一言に慌てた。
ワイン当ては、二人で呑みに行った時の話だ。
オレは視線でツッコミしようとするが、横からミヤがオレをうかがっていることに気がつく。
なんてことだ。見張られているぞ。
ミヤは絶対に、気がついている。
なにしろ、ミヤには嘘が通じない。
先に動いたら……負けだ。
「ワイン? なんのとこです?」
山崎が怪訝そうに尋ねると、女史も気がついたのだろう。
慌てて「ううん、なんでもないの」とごまかした。
ごまかしたけれど……ああ、ミヤさんの顔が怖いです。
「と、ところでなんかご用ですか?」
「あ、ああ。そうなのよー」
オレと女史の不自然な会話。
まあ、ミヤ以外は「なんか変だな」ぐらいにしか思わないだろう。
天変地異でもなければ、このオレが女史と二人きりでご飯を食べに行ったなど思いもしないはずだ。
……つーか、ごめんなさい、ミヤさん。
あとでちゃんと説明しますから、足を何度も蹴らないでください……。
「悪いんだけど、大前君にお願いがあって」
「……オレっすか?」
「今日、車で出社しているわよね?」
「うっす。してますが……」
オレはほぼ毎日、車通勤である。
少なくとも会社の充電設備がただで使える間は、車通勤だ。
「それならね。悪いんだけど今日の午後、喜多専務の足をやってもらえないかしら。ガソリン代はだすから」
「……え?」
そう言えば、本部長から専務に昇進した【喜多 隆平】氏は、女史が少し前から担当している上司だ。
なんでも女史も恩義がある人で、担当になれて嬉しいと言っていたっけ。
ちなみにオレにとっても、いろいろと世話になっている人ではある。
「つーか、専務なら社用車使えますよね?」
「それが、すべて埋まっていて」
社長・副社長クラスなら専用車があるが、専務や統括本部長クラスは共有の社用車を使うことになっている。
だが、それにしても滅多にうまることなどないと聞いているが、よほど運が悪かったのだろうか。
「ハイヤーを借りようかとも思ったのだけど、ちょっと半日いろいろと動き回りたいのよ。一応、先にあなたの上司の野々村部長に許可はもらっているのだけど」
「はあ。オレは別にかまわないっすけど」
もともとオレはボンクラ社員だったため、担当らしい担当が未だにない。
というか、なんか最近、妙に便利屋のように使われている。
使えないボンクラが、意外に便利な雑用係に進化したのだ。
でも、さすがに自分の車を使ってアッシーというのは、初めてのことだ。
「ありがとう。助かるわ。本当は決まり上、ちょっと問題あるけど……ごめんなさいね」
いろいろ迷惑をかけた喜多専務の為というのもあるが、他ならぬ憧れの十文字女史のお願いをオレが断る理由がない、むしろ進んでやらせていただく。
もう喜んでいきます……って、痛い。
つーか、本当に頼むから蹴らないでください、ミヤ様……。
ニヤニヤしてすいませんでした。
「あの、十文字さん……」
山崎にしては珍しく、すこしおどおどした……というか、妙に遠慮気味に女史へ話しかけた。
さすがの山崎も女史とは話しにくいのかと思ったが、そんな玉じゃない。
実際、今までも普通に話していたはずだ。
それなのに、妙に周りの目を気にしているように見える。
「社用車が借りられなかったのって、もしかして……」
「……あ、うん。まあ、その……たぶん、ね」
これまた、女史の方も珍しく歯切れが悪い。
なに? この二人だけで通じ合っている感じは。
さっきまで、秘め事はオレと女史の間にだけあったのに。
(つーか、山崎を応援していたくせに、オレも勝手だけどさ。……でも、嫉妬する!)
こういうのは、なんという感情論だと思うのだ。
モヤモヤする気持ちは、理屈ではとめられないものだろう。
だが、ここで尋ねるのは、いかにも嫉妬しているみたいで悔しいというかなんというか。
「どうかしたんですか?」
と葛藤していたら、横からミヤが尋ねてくれた。
ナイス、ミヤ。ファインプレイだ。
「……あのな」
山崎が一拍ほど考えてから、ミヤとオレを手招きする。
なんだかよくわからないが、耳を貸せと言うことなのだろう。
山崎が、丸テーブルの真ん中に体を乗りだした。
オレは一瞬だけ、ミヤと目を合わせてから、一緒にやはり身を乗りだす。
三人の顔が近づくと、山崎の小声が聞こえる。
「喜多専務になってから、山梨専務から敵対されているのは知っているだろう」
「知らん」
オレが素直に答えると、山崎が短くため息を返す。
「敵対されてるの。喜多専務、社長に気に入られているんだ。けど、山梨専務は副社長派でね。いろいろあるんだよ」
「面倒くせーな」
「大前らしい意見だが、同意。ま、でも、それが会社だ。……とにかくさ、その山梨専務の妨害工作がなかなかせこいらしくてな。喜多専務の仕事の邪魔もしたらしく、けっこう大手さんとの契約で問題が出たりしてさ」
そこで、ミヤが何かに気がついたように「あっ」と声をあげる。
「もしかしてぇ、社用車を喜多専務が使えないようにしたのも?」
「たぶん、そーじゃないかなって話だ。前にも似たようなことあったらしいぞ」
なるほど山崎、なかなかの情報通だな。
つーか、あれか。
オレがそういうことに興味がなさすぎるだけかもしれない。
オレとしては昇進とかもうとっくに諦めの悟りを開いている。
とりあえず、指輪を買えるぐらい稼げればいい。
というか、下手に偉くなって仕事増やしたりしたくない。
「まあ、そのことは証拠もないし、ここだけの話ね」
十文字女史もテーブルに片手をついて、コソッと告げた。
なんかその困ったような顔がまたそそる……ああ。もう、本当にやめてくれ、ミヤ!
「……やっぱり、大前君はミヤさんと仲がいいのね」
「……え?」
どうやら女史に、足下で蹴られたところ、気がつかれていたようだ。
ミヤのせいで、また元の空気が戻ってきてしまったじゃないか。
ここはなんとか、ごまかさなければならない。
「あ、えーっと。で、車は何時に玄関に回せばいいです?」
「……14時10分でいいかしら」
ちょっと氷点下になりそうな口調。
これはやばい。
強引にでも和ませなければ。
「りょ、了解です。では、オレは車で専務がくるまで待ってるっす!」
「――ぷっ!」
吹きだすのと同時に、高速回れ右をする十文字女史。
両肩が、小刻みに揺れている。
その瞬間的な動きに、山崎もミヤもなにがあったのかわからずに訝る。
情報通の山崎も、まさかクールでデキル女の代表のような十文字女史が、オヤジギャグに死ぬほど弱いとは思いもしないだろう。
「十文字さん、どうかしましたか?」
山崎の問いに、後ろ向きのままで女史は待てと手ぶりを見せる。
「……な、なんでも……ないわ……」
女史、なんか息が絶え絶えだ。
そんなにバカウケしたのか。
本当に女史は、不意を突くとツボによくはいる。
「と、とにかく……お、大前君……頼んだわよ……」
「うっす。了解です。しかし、せっかくのドライブなのに曇りってのが残念だなぁ」
オレの不謹慎な言葉に笑いが引いたのか、さっと振りむいた女史の視線が刺さる。
「……ちょっと大前君。遊びじゃないのよ。今日は大事なクライアントの所に――」
「曇天の中の運転……か」
「――ブハッ!」
また刹那で回れ右。
今度は我慢しきれなかったのか、そのまま走って食堂から逃げていった。
「……あれ、もしかして、笑ってたの?」
「いやぁ、まさか……」
ミヤの問いに、山崎がそんなわけないと否定する。
が、その通りである。ミヤ正解。
だけど、それは内緒にしておこう。
「つーか、そんなわけないっしょ。オレがあまりくだらないこと言ったから、呆れたんじゃないの?」
「そ、そうよねぇ……」
「だよなぁ……」
ミヤの嘘を見破る能力も、その気がなければ働かないらしい。
ミヤ自身、「あの十文字さんがオヤジギャグ好きのわけがない」と信じているのだろう。
「……ところでさ」
山崎が、またオレの方に顔を寄せてきた。
その顔色が、少し悪い。
というか、ちょっと表情が怖い。
まさか、オレと女史が何度か食事を一緒にしていることがバレたのか……と思ったが、山崎は予想外のことを口にする。
「大前、ちょっと車の様子を見に行った方がいいかも……」
オレは意味がわからず、首を捻った。
「いやさ。さっき横でこっちに聞き耳を立てていた奴、山梨専務の腰巾着の一人なんだよ。もしかしたら、お前の車に悪戯とかしねぇかな……って」
「それはさすがに考えすぎじゃなぇか?」
「いや、そうでもないらしいぞ……」
山崎の顔はあくまで真面目だ。
どうやら質の悪い冗談ではないらしい。
だが――。
「まあ、アウトさん……大前さんのアウトランナーなら問題ないですねぇー」
オレの代わりに、ミヤが言ってくれた。
そう。問題ないのだ。
「なんだよ。警報装置でもついているのか?」
「まあ、な」
オレは曖昧に答えた。
それは警報装置などという、あまいものではないのだ。
うちのアウトランナーには、アズにもらった魔法の御守りがついている。
――後日。
山崎が教えてくれた。
その昼休みの後に、オレたちの話を聞いていた山梨専務の腰巾着が、なぜか駐車場倒れていたそうである。
アズにもらったお守りは、しっかりと効果を発揮してくれているようだった。
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