第042話:キャラではなく……

 アウトランナーPHEVは、時速80キロ以上でエンジンが回り出す。

 もしくは、急加速したときにも、エンジンがモーターをアシストするように回り出す。

 今がまさにそれだ。

 メーターがグインッとエコエリアから飛びだし、力強く大地を蹴って急加速しだしていた。

 草むらをものともせず、速度はグイグイとあがっていく。

 時速100キロ以上。

 逃げている人影の方に駆けている。

 向こうもこちらに気がついたのか、こちらの方に方向を少し変えて逃げてくる。

 茶色いフード付きの外套をかぶっていて、容姿どころか性別もわからないが、かなり足が速いことだけはわかった。

 それでももちろん、アウトランナーの方が早い。

 オレはその人を少し追い抜いて、車を急ブレーキで止めた。

 急いで、助手席のドアを開けようとする。

 が、逃げてきた人物は、なんと自分でドアを開けてすばやく乗りこんでくる。


「――だして!」


 その女性の声に、オレは少しパニックになりながらも、とにかくアクセルを踏んづけた。

 車を走らせる。

 マッドブラックの肌をした巨大なカバが、すごい勢いで追いついてくる。

 慌てて時速六〇キロぐらいまで引っぱるが、それでもまだ追いつかれそうだ。

 サイのように中央にある角がこちらに向けられている。

 あんな物で突かれたら、ひとたまりもない。


「大丈夫。そのまま真っ直ぐ!」


 オレに指示を飛ばした彼女は、自分のウェストバッグに手を突っ込む。

 取り出したのは、小さな液体の入った瓶。

 さらに、脚の横につけていた棒状の道具を手にする。

 それを一瞬で、小型のボウガンにする。

 もう片方の脚から取り出したのは矢。

 その鏃に瓶を取りつけてボウガンにセットする。


「速度を少し落として、アウト!」


「了解!」


 有無を言わさぬ口調に、パニックも忘れて返事をする。

 オレは少しアクセルを緩める。

 すると、彼女はパワーウィンドウを開けて、そこからひょいと背後を向きながら箱乗りした。

 そしてボウガンを構え、すばやく放つ。

 ルームミラーで見えた、一瞬。

 それは、カバの額に矢があたり、何かが弾けるシーン。

 とたん、カバのような生き物が、大きな呻き声を上げる。

 アウトランナーと同じぐらいの全長が、前のめりに前転する。

 さらに呻き声。

 そして起き上がると、そのまま退散して行く。


「……もう大丈夫」


 箱乗り状態から席に戻った彼女の言葉に、オレはアクセルからブレーキに踏みかえた。

 回生ブレーキがかかりながら、アウトランナーはゆっくりと止まる。

 同時に、頭のパニックも少しとまる。

 オレは知っている。

 この声の持主を。


「さすがアウト、いいところに来るから助かる」


「……お前、キャ――」


「――アウト!」


 唐突に、彼女が椅子の上に膝立ちするようにし、オレに向かって抱きついてくる。

 かと思ったら、いきなり顔をつかまれ、オレの唇が奪われてしまう。

 しかも、ディープな感じで舌まで入ってくる。


「――!?」


 再び、パニック。

 ぬめっとした舌が、オレの舌に絡みついた後、上あごをなめるようにして離れる。


「……うん。別れたのが三日前。こんなに早く戻ってくるとは思わなかった。助かった、アウト」


 彼女はゆっくりと顔を離し、そう言いながら深くかぶっていたフードをとった。

 そこに現れたのは、褐色の肌と琥珀色の短めの髪とネコ耳。

 それは、知っている顔……じゃない?


(あれ? 似ているけど……)


 目の前にいたのは、少し頬を赤く染めたキャラそっくりの顔。

 ピンクの唇や、そこに見える八重歯、長い睫などはまるっきりキャラである。

 あまり表情がでない様子もそっくりだ。

 しかし、丸みを帯びた輪郭は少しだけ鋭くなり、子供っぽさが抜けていた。

 どう見ても二十歳代の女性に見える。

 それに、オレと彼女はディープなキスするような仲ではなかった。

 なのに、彼女はオレを「アウト」と呼ぶし、車のドアを開けてパワーウィンドウまで操作した。

 どう考えても、彼女はオレと車を知っている。

 でも、違う。

 大混乱だ。


(ネコ耳もあるし……あ、尻尾は……)


 オレは、ほとんど無意識に彼女のお尻に手を伸ばした。

 すると、そこにはモフモフとしたウサギの尻尾があった。


「うんっ……」


 彼女から色っぽい声がもれて、初めて気がつく。

 パニクっていて、それが痴漢行為だという意識がなかった。


「うわああっ! すいません!」


「……うむ。アウトはすぐ発情する。でも、助けてもらって嬉しいし。また……するか?」


「また? ……ちょっ、待って、服に手をかけないでいいから!」


 キャラに似た顔の女性が、見たこともないような潤んだ瞳でオレを見ている。

 混乱しすぎて、頭が破裂しそうだ。


「……つーか、キャラだよ……な? でも、どう見ても年取っていて……」


「ん? キャラって……年? アウト、なにを……」


 オレの問いに怪訝な顔をして、彼女はじっと見つめてくる。

 そしてしばらくすると、パンッと手を叩いて見せた。


「あっ! そうか、そうか。なるほど!」


「……へっ?」


 彼女は、ウンウンと一人で何度も首を縦に振った。

 オレはまったくわからないが、彼女は何かわかったらしい。


「な、なんなんだよ。お前、いったい……」


「わたしは、【ミュー】。よろしく、アウト」


「え? ミュー? なんでオレの名前を……」


「ん? んん……それは……そうだ! ミューはキャラの姉なのだ」


「嘘つけ! 今、『そうだ』と思いっきり思いついて言ってただろう!」


 オレの大混乱は、まだ続く。

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