第038話:婚約話がでたので……

「ちょっとトイレに……」


 人の囲いから抜けるため、オレはそう言って周りに頭をさげた。

 そしてそのまま、彼女に引っぱられるように大部屋を出ていく。

 この建物、木造の平屋建てだが、部屋が10部屋近くあるらしい。

 奥に伸びていたらしく、正面から見たイメージよりも広いようだ。

 形はいくつかのログハウスがくっついたような形をしているが、真ん中には廊下が走っていた。

 その廊下を抜けて、端の方にある別の部屋にたどり着いた。

 薄暗く、誰もいない、オレの部屋より少しだけ広めの部屋。

 10畳ぐらいはあるのかな。

 彼女が小さな声で「光よ、灯せ」とつぶやく。

 背中をツーゥと指先で撫でられるような感覚を味わうと同時に、天井から光が落ちる。

 見れば、天井に六つぐらい、何かの石のような物が埋めこまれていた。

 どうやら、それが光を放っているようだ。

 周りを見ると、愛らしい羊のような動物の装飾が施された木製ベッドが目についた。

 それに、小さなテーブル。

 その上には、ピンクの花が飾られた花瓶が置いてある。

 本棚もあり、隙間なく本で埋められていた。


「もしかして、アズ……イータの部屋?」


――コクリ


 うなずいてから、彼女はテーブルの上に行き、なにかマラカイトグリーンの板状の物を持ってきた。

 ちょうど一二インチぐらいあるタブレットPCの用にも見えるが、かなり分厚くちょっと重そうだ。

 彼女はそれを両手で一生懸命ベッドの方に運んでくる。

 そしてベッドに腰かけると、隣をポンポンと叩いてみせる。

 普通なら、彼女の部屋でベッドの上に隣同士で腰かけるなんていうシチュエーションは、もう完全に「食べてOK」のサインである。


「座っていいの?」


 彼女がうなずくのを確認してから、オレも横に腰かけた。

 すると、彼女はオレにピッタリとくっついて、オレの膝と自分の膝にまたがるように、その板を乗せた。

 やはり、かなりの重さが脚の上にかかるが、辛いと言うほどではない。

 そして彼女は、板にそっと手をのせた。

 すると、板になんと白っぽい文字が浮かびあがってくる。


〈アズのままでもいいですよ?〉


「うおっ! なにこれ、かっこいい!」


〈これは心象板です〉


「ほうほう」


〈形を浮かべると、中に入っている特殊な水が反応して、板の裏側にその形で染みこみます〉


「ほうほう」


〈すると板の濡れた部分が変色して、表面にその形が現れます〉


「つーか、つまりは液晶パネルだな! すげー!」


〈なれれば、このように文字をいくつも出せます。父様が手に入れてくださった、珍しい魔法の道具です〉


「おお。いい父さんだな、アズ……あ、イータとどっちで呼ばれたい?」


〈お好きな方で。ただ、アズと呼ぶのはアウト様だけです〉


「うーん。オレだけの呼び方というのもなかなか魅力的だが、オレだけ別の呼び方というのも違和感があるな……。それはともかく、オレに『様』なんてつけるなよ」


〈しかし、アウト様はわたしを助けてくださった方です。本当に感謝しております。ありがとうございます〉


 そう言って彼女は頭をさげる。


「なに言ってんだよ。つーか、助かったのはこっち。あの怪獣だか魔獣だかしらんけど、トカゲのバケモノを倒してくれたのは、アズじゃんか」


〈でも、アウト様はわたしを命がけで守ってくださろうとしました。森象の時も、震えながらもかまってくれました〉


「あ、あはは……。両方とも助ける必要なかったけどな……」


 森象の時の自分のビビリ具合を思いだして、オレは赤面して肩を落とす。


〈それでも嬉しかったのです。それにわたしの魔法を使った姿を見ても気味悪がらず、あまつさえ『きれい』と言ってくださって〉


「ん? あんなの誰が見ても『気味悪い』より、まず『きれい』がでてくるだろう?」


 プルプルとアズは頭を振る。


〈村人でも姿が変わるのを不気味だと言う人もいますし、ましてや外部の人々はまず不気味だと言ってきます。『すごい』と褒めてくれたのは両親だけで、『きれい』と言ってくださったのはアウト様だけです〉


「そうなんか。つーか、『様』つけるなよ。だいたい、『へたれ』呼ばわりした時、オレのこと呼び捨てにしてたじゃないか!」


〈あれはアウト様が悪いのです。女心を踏みにじるから〉


「女心って、まだアズは子供のくせに生意気だなぁ」


〈失礼です、アウト様。わたしは、もう一一才です。一五才で成人ですから、あと四年もしたら大人です〉


「えっ! まじで!? 異世界の成人はえーな!」


〈ああ、やはり! アウト様は神の国からいらした方だったのですね〉


「神の国?」


〈はい。異世界と言えば、神の国しかありません。あの不思議な車を持っていることも、それならば頷けます〉


「そうなのか……」


〈はい。それなら身元も問題ありませんし、一〇才から正式な婚約ができますので、ご安心ください〉


「そうなのか……え? つーか、なにが安心?」


〈もちろん、婚約の話です〉


「……誰と誰の?」


〈もちろん、アウト様とわたしのです〉


「……え? いつ婚約したの?」


〈したではありませんか。口づけで〉


 顔を真っ赤にして、少し身もだえするアズ。

 非常にその様子はかわいいのだが、今はそれどころではない。


「い、いや。してないでしょ。ぎりぎりがま……つーか、してないし!」


〈何を仰っているんですか。一番最初、わたくしはアウト様の口づけで目が覚めたのですよ〉


「え? …………いやいやいやいや! あれは、水を飲ませただけだから!」


〈たとえそうでも、わたくしたち言葉で魂を紡ぐ【言霊チャーム族】の口づけは、魂を紡ぐ口を重ねることで『魂を結ぶ』という意味があります〉


「……ちょっ! 意味が深すぎる!」


〈もちろん、お互いの意志も尊重されますが、アウト様はわたしのことがお嫌いですか?〉


「そ、そんなことはないけど……」


〈ああ、そう言っていただけると信じておりました。嬉しいです〉


「えっ? ちょっと待って……」


〈もちろん、本当の夫婦としての営みは成人するまで待っていただきます〉


「いや、つーか、そういうことではなくてね……」


〈それでは、父様と母様に報告して参ります〉


「な、なにを!?」


〈もちろん、婚約が成立したことをです。二人とも喜んでくださると思います〉


「よ、喜ぶ前に、父様は怒り狂ってオレをダルマにすると思うよ……」


〈それではアウト様、こちらでしばらくお待ちくださいね〉


 そう言うと、彼女は自分の膝の上から完全にオレの膝の上に移動させた。

 そしてピョンとベッドから跳ね降りるようにして立つ。

 ふりむいた笑顔が、あまりにも嬉しそうで眩しい。

 そのせいで、オレは一瞬、言葉を失ってしまう。

 もし「違う。結婚しない」と言ったら、この笑顔がどうなってしまうのだろうか……。

 そんな戸惑いを見せているウチに、彼女は会釈するとそのままそそくさと部屋を出て行ってしまう。


「……まじか……」


 オレはアズの部屋で独り、事の成り行きに唖然としていた。

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