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第005話:遠くに逃げようとしたら……

 部長に叱られ、本部長に失望され、山崎に「謝れ」と言われた後の話だ。


 キレたオレは、悪魔の囁きに乗ることにした。

 仕事の資料が詰まった自分のノートパソコンを勝手に持ちだし、まだ午後になったばかりだというのに、会社をこっそりと飛びだしてしまったのだ。

 そして、通勤に使っていた愛車に飛び乗った。


 愛車――アウトランナーに乗りこむと、エンジンをかける……のではなく、電源スイッチを入れる。

 すると、インジケーターが灯りだす。

 動きだす、オレの城。

 不思議と心が落ちついてくる。


 この車を買ったのは、もう3ヶ月前。

 きっかけは、何気なく手に取った車雑誌の特集記事だった。

 その記事に掲載されていた一枚の写真に、オレは心を鷲掴みにされたのだ。


 朝焼けに照らされる海。

 その景観を背景に駐車している、黒いアウトランナー。

 開いた後部テールドアの荷室ラゲッジルームに腰かけた、黒いロングヘアー美女。

 彼女にコーヒーカップを手渡している、やはり黒い服の男。

 その横のキャンプテーブル上には、黒い挽きたてコーヒーがコーヒーメーカーに蓄えられている。

 コーヒーメーカーの電源ケーブルは、周囲の黒の中で一段と映える白。

 その白は、美女の横を通ってアウトランナーの中に……。

 穏やかな微笑を見せる美女。

 満足そうな顔を見せる美男。

 黒と朝焼けの赤のコントラストが、まるで絵画のように2人とアウトランナーを彩っていた。


 気になる女性を連れだして、こんなシーンを再現してみたい。

 衝動的にそう感じたオレは、その日のうちに販売店に行って、そのまま車の購入契約をしてしまった。

 高い買い物だったが、働き始めてからこれと言って趣味もなく、貯金ばかりしていたのが役に立った。

 その資金を頭金にローンを組んだ。

 ローンの支払いは正直きつい。

 だけど、これであのカッコイイシーンを再現できるならと、ワクワク感でいっぱいだったのだ。


 ところが、いざ納車されてみると重大なことに気がついた。

 これを再現するには、そもそも一晩つきあってくれるような女性が必要なのだ。

 オレには、そんな女性はいやしない……というか、いればそもそも、こんな事に憧れやしないのだろう。


 結局、購入してから3か月した今、アウトランナーはただの通勤車となった。

 別に電車で今まで通り通っても良かったのだけど、せっかく購入した車なんだから使いたいではないか。

 それに幸いにも、ただで使える会社の駐車場はあるし、そこには電気自動車の充電設備まで完備してあったので、ガソリン代が非常に安く済んだのだ。


 それに、おかげでちょっとした趣味(?)ができた。

 俺は真っ直ぐ家に帰らないで、会社で充電された電気で走れる程度のドライブをするようになった。

 主に人気ひとけのないところに行って、わざわざ車に積んだコーヒーメーカーでコーヒーを入れて飲むのだ。


 もちろん、独りで……。


 一番大事な要素である「美女同乗」はなかったけど、これはこれでなんとなく楽しかった。

 特に会社で嫌なことがあった時は、家にまっすぐ帰りたくなかったのだ。

 金曜日の夜などは、「明日は帰らなくていい」という解放感から、適当な駐車場に車を駐めて、そのまま朝まで車で寝ているようになった。

 後で知ったが、そういうのは【P(駐車場)泊】とか、【車中泊】とか言うらしい。

 ただ、オレの場合は、きっとそんな楽しそうな言い方は似合わない。

 オレのそれは、単なる【逃避】だということを。


 オレにとって、車は逃げ場所になっていた。

 うるさい両親も、できのいい兄貴も、むかつく上司もいない。

 いつでも、どこへでも、逃げられるオレだけの城。


 だから、オレはその日も、会社からアウトランナーで逃げだした。

 しかも、今回はしばらく戻らないつもりだ。

 すべてを捨てた開放感で晴れ晴れとした気分だった。

 その気分のまま、どこかで高速に乗って、適当に遠くまで行こうと思っていた。

 車で自由に、誰も知らない場所に行きたい……そう思っていた。


「……あれ? なんで?」


 ところが、オレがたどりついた場所は、街の外れにあった寺だった。

 おかしい。カーナビで飯を食うためのSAサービスエリアを指定しておいたはずなのに、なぜか道がここで行き詰まっていたのだ。


 古びたでかい木製の表札を見ると、寺の名前は【九鬼寺くがみでら】。

 小さな山の上まで階段がまっすぐのびている、けっこう大きな寺だ。

 これだけ大きければ、地元でもそれなりに有名な寺になっていておかしくない。

 しかし、不思議なことにオレは、この寺の存在を今まで知らなかった。

 いや。こんな山があることさえ、知らなかったんだ。

 この街には、生まれてからずっと住んでいるというのに……。


「こんにちは。旅人殿」


 オレが車を降りて呆然とその寺へ続く階段を見ていると、唐突に声がかけられた。

 周囲には、誰もいなかったはずだ。

 しかし、横を見ると数メートル先に袈裟をかけた住職らしき者が、まるで最初からそこにいたように静かに立っていた。

 双眉も双眼もきれいに弓形の老僧の表情は、まるで笑顔の仮面をかぶっているかのようだ。

 しかし、その笑顔に妙な迫力がある。

 背筋はピンと伸びているが、それほど背が高いわけでもない老人。

 それなのに威圧感があり、オレは体が動かなくなるような感覚に襲われた。


「おやおや。何か悩みがあるようですね。拙僧に話してみませんか?」


 不思議な感覚だった。

 まったくの初対面で、警戒してもおかしくない相手。

 なのにオレの口は抵抗感もなく、促されるまま仕事の不満をもらしはじめたのだ。

 もちろん、そのまま自分の恥部を赤の他人に晒すバカではない。

 オレはオレの都合の良いように、オレが思うように物語った。


「つーかさ、周りがオレのペースについていけない、ということじゃないかと思うんだ」


 思いつくまま話したので流れを覚えていないが、オレはそんな結論めいたことを最後に言っていた。

 住職はそんな俺の話を笑顔でうなずきながら、「なるほど」と聞いてくれていた。


「それは仕方ないのですよ。【マイペース】は、あなたの性質……いや、特性アビリティなのですから」


特性アビリティって、ゲームキャラかってーの。……でも、そうだな。アニメやゲームみたいに、オレの特性アビリティを生かせる異世界にでも行けたらいいんだけどよー」


「ああ。異世界ですか。あなたなら行けますよ。絞れば・・・ね」


 住職の意味不明の言葉に、オレは返事を悩んで口を動かせなくなってしまう。


 ……違う。


 そこから意識がもうろうとし始め、口が動かせなくなり始めたのだ。

 ただ、住職の声だけが、心の中に沁みるように広がっていく。


 ――あなたは非常に珍しい、【時空間遷移適合者シフター】なのですよ。

 そうですねぇ。

 ファンタジーゲーム風に言えば、【異界召喚士】と言ったところでしょうか。

 あなたは、自分の時空間に、別の時空間を遷移させ、自分を適合させる能力があります。

 その後、【世界の意志】は、歪みを修正しようと、あなたごと遷移を戻し、時空間ごとつじつま合わせのように同期してしまう。

 結果、あなたは異界の住人となる。

 それは未来に現れる万能と呼ばれる異能力者でさえ、持てない力。


 ……ああ。よくわからないですかね。


 説明は余計でしたな。

 とにかく、あなたの力は今、分散している。

 だから、今のままでは力は発動することがないでしょう。

 そこで私が、条件を絞ってあげましょう。

 条件付けすることで、力は集中しやすくなるのですよ。

 それに、その【狐使い】たちが術を施した車があれば、問題なくいけるでしょう。


 ……さあ。

 これであなたは、時空の「外」を走ることができるようになりました。

 ただし、その代償として、近い将来、一度だけ手を貸してもらいますけどね――


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