間章 ~エヴェリーナは死んだ~
――わたしの話をしようと思う。
わたしのママは心臓が弱かった。
わたしを産んですぐに死んだ。
パパも、わたしがちいさいときに死んでしまった。
それは、きっと、ママが死んだせいだ。
パパは、だんだん食が細くなって、病院で静かに死んだ。と、聞いた。
永遠音は、わたしは、知らない。なにひとつ、知らない。
「エヴェリーナ・スワン」というわたしの本名は、日本に移ってから、なくなった。
それが日本で暮らすわたしの、新しい名前になった。
お兄ちゃんは、ちいさいころからパパに、本名ではなく、日本の名前で呼ばれていた。
〝唯音〟。僕の愛する、唯一の音色、と。
それも、こっそりと、ママのいないときに。
ママは〝ブリジット〟という女の子の名前で呼んでいたのに。
わたしは、どうだったんだろう。よく覚えていない。
――どちらにせよ、エヴェリーナは死んだ。
もう、よく笑いよく泣く、ただの女の子はここにはいない。
ここにいるのは、永遠に人形のままの、かわいそうなお姫様だ。
きれいだね。でも、しゃべらないね。変だね。おかしな子だね。
……そう言われて当然のがらくただ。
だって、そうだ。パパとママは、わたしのせいで死んだ。
お兄ちゃんは、わたしをみるたびに、暗い顔でうつむいた。
わたしは、表情を凍らせていき、ついにはしゃべることもしなくなった。
そのうちわたしは、親戚のおじさんおばさんゆかりの、バレエ団で生活するようになった。
バレエにうちこむことだけが、わたしのすべてになった。
幸運にも、わたしには、才能があった。
小学生にして、バレエ界の一番星〈エトワール〉と、 呼ばれるようになった。
わたしにはもう、バレエしかなかったし、 バレエの神様も、わたしをあわれんだのかもしれない。
――だから、わたしは、もう人間じゃない。
“そうか”と、
『――それが、お前の人生か』
うん、とわたしは言った。
『なぜ、しゃべれるようになった』
「――お姉ちゃんに出会ったから」
中学生であるお兄ちゃんの学校に、転校してきたのは、
まるで他人のお姉ちゃんは、それなのに、わたしに優しかった。
“笑顔は、愛は、最強なんだよ!”
そう言って、わたしの手を取った。
歩き出したわたしは、この心が、まだ生きていることを知った。
長い冬に凍っていたそれは、みるみるうちにとけだして、わたしは目を覚ました。
そしてついに、冷たくて悲しくて、絶望で満ちた世界の、ほんとうの姿を知った。
――そして、わたしは、「人形のお姫様」から、はじめて「人間」になった。
『そうか。それでは、エマというのは誰だ』
「エマお姉ちゃん……?」
ちり、と頭が痛くなって、わたしはまばたきをした。
「ねえ――。それより、あなたは誰?」
目の前にいたのは、赤々と裂けた口を開いた白いもやだった。
ぞっとして後ずさる。
今まで、なにも気付かなかった。
このひとの姿は、何でもない。
すべてを飲み込むような、不気味な霧に包まれていて、誰なのかわからない。
(( 好きな名前で呼べ、小娘よ――…… ))
霧が、一層濃くなって、わたしは目をつむる。
深い海のような声が、再び響いてくる。
「事情はわかった。ならばもう、順を追って説明する必要もあるまい。エヴェリーナ、お前はもとの時に戻れ」
「なっ……!」
なにそれ。どういうこと。ここは、どこなの。
光が、瞳を焼いた。
わたしは、いったい、いつから――。
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