第2話 ~超過交響曲〈オーバーシンフォニー〉~



――ぱきん、と鈍色にびいろえだが折れる音がする。


「迷った……」


――寒い。


 腕を抱えながら、何度もした問いを繰り返す。

 ここはどこだろう。


 わたしは、一体なんでこんな、こんな森のまっただなかで、さまよっているんだろう。


――記憶喪失? 夢?


 でも、かじかむ指が、いなげている。


 夢なんかじゃない。――現実だ。


 茫然ぼうぜんと、周囲を見渡す。


 鏡のように、しゃらりしゃらり、と光を反射する木々が、まるでアートみたいに並んでいる。 


 木のなかに映る木。無限に続いてゆく森。

――鏡の森。


 かちん、となにかが、心にはまった。


 ふいに、ざわりとした不安が、胸をよぎった。


 そういえば、お兄ちゃんはどうしているかな。

 心配していないかな。混乱してないかな。


 お兄ちゃんが心配だ。

 早く、この森を抜けないと。帰らないと。


 町はどこだろう。


 いや、ここはたぶん、あの展覧会の一部なんだ。

 たまたま、ひとけがないだけで、アートミュージアム的な庭なんだ。


 そう考えようとしても、あまりに現実みに欠けていて。


 いくらなんでも、これだけ歩いて、なにも現れないわけがない。


 ひょっとして、わたしはすでに死んでいて、ここは天国か地獄だったり――。


 ぞっとして、足を速める。


 ――早く、ここから出ないと――!!



「……あっ」

 視界が反転する。


「――い……っつ……」


 ふくらはぎに、えだがささっている。

 じくじくと痛むと思ったら、血が流れ出している。


「……、っっ」


 思わず、泣きたくなった。

 このまま、死んじゃうんじゃないかな。


 血がどんどん流れて、凍えたまま、冷たい死体になるんだ。


――お兄ちゃんには、もう会えないんだ。


「……ふっ……、……」


 泣こうとして、凍りついた。


――今、かさ、と音がなった。


……足音だ。


 葉を、踏みしめる、音。

 音は、だんだん、近づいてくる。


――振り向いた。


……見上げた。


「――あ……?」


 赤いびろうどのローブ。


 みがきあげられた、黒瑪瑙<オニキス>みたいな、長くてまっすぐな、ぬばたまの髪。


 つやがある。腰まである。

 唇は薄い。陶磁器とうじきみたいな肌だ。


 上着のローブのなかの、一見ちぐはぐな、なのに、これしかないと思うほどぴったりな、品のある、墨染すみぞめの日本の着物。


 艶やかで、りんとした真紅の帯。同じ色の襦袢じゅばん……。


 いや、そうじゃない。

――問題は、そこじゃない。


 目が吸い込まれるように、その部分に引き付けられた。


 赤紫と青紫。


 切れ長のかたちをした、

 艶(なま)めかしい、一級品の宝石みたいな、それは……。


((――魔性の、オッドアイだ……!!――))



「おまえ」とそのひとは言う。

 低い声に、大人の男性なのだと遅れて気づく。


 彼は、こちらを凝視して、瞳を細めた。

 続いて、唇が満足そうに弧をえがく。


 こちらに向かって、その手が伸びた。

 長くするどいつめに、びくりとする。


 あと五センチ、三センチ、一セン……。


――ドオオォォオオオン……!!


 その瞬間、雷の音とともに、ものすごい火花が散った。


 身体がしびれる。

 最後にみたのは、“とびちったそのひとの半身”だった――。

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