20 ティフとカミラ
だが、いつまでたっても、アーデルベルトの一撃はティフには降りてこない。
気がつけば、アーデルベルトは剣を下ろし、不敵な笑みを浮かべていた。
「まさか君は、黒血だったとはな」
「ははは……」
引きつった笑いをティフは返す。どうやらこの首飾りの事を、(使えない側近だった)アーデルベルトも知っていたようだ。
「ラクディーア・フェルバトレスロスカティアクアルモルタ・フェルベニーレが君に懐いた理由も、黒血だったからか」
「ラクディ……バキュームちゃんが俺に懐いた理由だって?」
こんな時に、何であのヒヨコモドキな霊獣の名前が出てくるのか。ティフにはまるで意味不明だった。
「なんで俺が黒血なら、バキュームちゃんが俺に懐くんだ」
「君もブルートヴンダの創世神話は聞いたことがあるだろ。あの神話に出てくる空を霊獣とは、ラクディーア・フェルバトレスロスカティアクアルモルタ・フェルベニーレの事なのだよ」
「……嘘だろ?」
「正確に言えば同じ種類の霊獣ということだけだがな」
衝撃的事実であった。神話に出てくるのだから、ティフは竜などを思い浮かべていた。それをバキュームちゃんに置き換えると、一気にシュールな神話になってしまった。
だから、バキュームちゃんなどという謎生物を、シュトローマン商会は守護精霊に使っていたのか。
「君が黒血ならば、切り刻むのはやめてやろう。その力を私の元で振るわないかね」
「そしたら俺とカミラを助けてくれるのか?」
「いや、助けるのは君だけだ。悪いがクレステンツには死んでもらう」
ちょっとしたティフの希望も、簡単に打ち砕かれる。先程の様子からすれば、彼の砂上の楼閣など、カミラがあっという間に蹴散らしてしまうに違いない。
彼は、それを何よりも恐れているのだ。
リュトエからも似たような要求されたなあ、とティフは思ったが、一つだけ明確に違う事がある。アーデルベルトは、ティフがどう答えようがカミラだけは殺す気だ。
こんな事になるならば、あの時にリュトエの提案を受け入れておけばよかった。最後の手段は失敗。もうティフに手はない。
だが、希望がない訳ではなかった。ヤツィだ。彼女の言う用事とやらが終われば、助けに来てくれるのではないか。一抹の望みに、ティフはかける。
「……少し、カミラと話していいか?」
「少しだけだ、すぐに決めてもらう」
なぜか焦っているアーデルベルトを不思議に思いながら(ティフはヴェルナ達が暴れ回っていることを未だ知らなかった)、ティフは振り返る。カミラが壁に手を突きながら立ち上がっていた。向き合う二人。カミラにしては珍しい困り顔だ。
「大丈夫か」
「な訳があるかこのバカ女。人を盾にしやがって」
「すまなかった」
口ではそう言っていたが、相変わらず悪いと思っていないような態度だ。
だが、それが崩れる。
少し弱った顔でティフの傷に目を向けると、傷口に触れないように優しく手を寄り添わせる。
「しかし、その後に自ら切られるとは、殊勝な事をするものだな」
「黙れバカ女。助けがいのない奴だな」
「助けろとは言っておらんぞ」
「それは……まあそうだな」
確かにその通り。助けたのはティフの勝手だ。体が反射的に動いてしまったのだから仕方がない。盾にされたのは腹が立つが、そのまま見捨てる気にはならなかったのだ。
「だが、礼を言う。助かった、恩に着るぞ……ティフ」
ティフは眼を丸くする。そんなティフの態度が気に食わなかったのか、腕を組むと、拗ねるように口を尖らせる。
「何だ貴様、礼だけでは足りんかもしれんが、今は仕方がないだろ」
「じゃなくて、お前も礼を言ったりするんだ」
「貴様、失礼な事を言っておらんか?」
と言われても、ティフは驚いてしまったのだから仕方がない。
だってあのカミラなのだ。彼女が素直に礼を述べるとは思ってもいなかった。
カミラは訝しげにティフを見ていたが、視線を足もとに向ける。
「そのしょっぱい奴はなんなのだ」
ティフの足元では、トカゲの精霊が、無駄に俊敏な動きでチロチロと這いずり回っていた。
「トカゲ、かな?」
「なぜ宮殿の時と効果が違うのだ」
「こっちが聞きてえよ」
「こ奴は何ができるのだ?」
「なにも出来ねえんじゃね?」
前に出てきた時は、ヴェルナの精霊に軽くあしらわれただけだ。今も足元をちょこまかしているだけである。カミラが足の先でトカゲのしっぽを踏むと、プシュンという音とともにトカゲは霧散してしまった。
余りのあっけなさに、カミラは茫然、ティフも唖然であった。
なぜ、竜ではなくトカゲが出てきてしまったのか。
単なる確率の問題なのか。それとも。
あの時と今、一体何が違うのか。
ヤツィは、ブルートヴンダの初代国王が、黒血使いだったと言っていた。
本当にそうだったのか?
創世神話では、初代国王はどうやって術を発動させたか。
その神話に出てきた空を飛ぶ大いなるもの、もといバキュームちゃん。
バキュームちゃんが懐いたのは、ティフだけでなく、カミラもだ。
カミラは黒血ではない。それなのに、なぜ懐いていたのか。
彼女が、王族の血を引いているからだ。
「ああ、そう言う事?」
一人ゴチたティフに、カミラは気味悪そうに眼を細める。
「どうしたのだ、貴様。血を出し過ぎて頭がふっとんだか?」
こんな時でも相変わらずな彼女を、ティフはまっすぐ見つめる。
珍しく、カミラはうろたえた。
「カミラ」
「……ティフ?」
ティフはなにも言わず、カミラの手を掴む。彼女は驚いているようだったが、その手を振りほどこうとはしなかった。
そしてティフは、カミラの手の中に、血にまみれた首飾りを握らせた。
同時に、再び強烈な光を放ち出す。
その色は、先ほどよりも深い、黒紫の輝き。
明らかに先ほどと違う様子に、アーデルベルトもうろたえる。
「な、なんだ一体?!」
光が集束すると同時、弾けるように嵐が巻き起こった。
建物を揺らし、体を痺れさせるような強烈な衝撃が、廊下を振動させる。ティフは吹き飛ばされないように、カミラの体を抱えながら、壁で体を支えて踏ん張った。
そして、風が止む。
静寂の中、先ほどは存在しなかったものが、この場を支配していた。
目の前の廊下を、狭苦しそうに佇む巨体。
竜の精霊であった。その色は、暗闇の様に深い黒紫。
「これは……いったい……?!」
竜の精霊の向こうから、唖然とするアーデベルトの声が聞こえてきた。
驚いているのは、カミラも一緒だ。抱きかかえられていたカミラは、ティフの間近で目を瞬かせていた。
「なぜさっきはこ奴が出なかったのだ」
「それは――」
「まあよい、早く何とかせんか。先ほどのように全てを吹き飛ばすでもよい」
「ちょ、おま」
慌てたティフを遮るように、その精霊は咆哮する。
同時、竜の精霊を中心に、巨大な風の吐き出されはじめた。
竜巻のような勢いをもったそれは、ティフ達の周囲を暴れ回り、掻き回り、砕け散る。
再び、ティフはカミラを抱きかかえた。
「これはいったい!」
アーデルベルトも風に飛ばされないようにするので精いっぱい。必死に体を丸め堪えようとしていた。
先に限界が来たのは建物だ。みしみしと音を立てたかと思うと、子供に蹴飛ばされたおもちゃのように、壁が軽々と吹き飛んだ。
そして、外の景色が露わになり、ティフ達は満点の星空の下に晒されると同時。風が止む。
「……貴様らあああぁぁ!」
アーデルベルトの咆哮。そして、
ボフッ! と、最後の爆発。
驚くほど簡単に、ティフ達は吹き飛ばされた。その衝撃で、カミラはティフの手から滑り抜ける。
「ぬがぁ!?」
などと馬鹿な叫び声をカミラはティフの目の前で上げていた。
ティフしても、うまく体が動かない。
軽々と吹きとんでいく感覚にティフは歯を食いしばっていたが、ゆっくりとそれは止む。
停滞。それもつかの間。そのままティフ達は落下していった。
地面が目前まで迫ったときに、前と同じように地面から風が吹き出て、ティフとカミラはまたも緩やかに地面へ尻もちをついた。
周囲を見回しながら、カミラは茫然としている。
「……これは、一体どういう事なのだ?!」
「黒血は、あくまで『宿主』なんだよ」
「はあ? 意味が分からん」
精霊が現世で力を全力で振るうには、宿主となる物体が必要だ。
宿主がなければ、姿を体現することすら出来ない。
そして黒血は、自らの血族を宿主として、精霊と契約する事が出来た。
だが、『宿主』はあくまで『宿主』。
精霊が力を発揮するには、精霊石と契約する『精霊師』が必要なのだ。
黒血を宿主とする精霊と、契約を結んだ者。
それこそ、ブルートヴンダの王族の血族であった。
だから、バキュームちゃんはティフとカミラを巡り合わせたのだ。
二人が揃ってこそ、黒血の力は正しく発揮するものだった。
すべてはティフの仮説である。
だが、あながち間違いではないだろう。
事実、先ほどからあの竜の精霊は、カミラの命令に呼応し、術を発動していた。
その説明に、カミラは首を傾げていたが。
「つまり、貴様は私の下僕、という事でいいのか?」
ティフはがっくりと肩を落とす。
どこをどう解釈したらそうなるのか不明だったが、黒血が代々ブルートヴンダに仕えていたというのならば、ありがち間違いでもないのだった。
そんなティフ達を笑う様に、黒紫竜の精霊は夜空を悠々と旋回していた。
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