19 火事場泥棒
三人で廊下に出ると、先ほど兵士が姿を消した方から叫び声が聞こえてきた。
嫌な予感がする。急いでここから逃げなければ。ティフは自分が来た方向に足を進ませるが。
「お前達は先に行け」
振り返ると、廊下をふさぐようにマルシオがティフ達に背を向けていた。
「ここは俺が足止めしてやる!」
「いやいや、無茶だろ普通に」
自分の行動に浸るのは結構だが、流石にタイミングが悪い。
「馬鹿言ってるんじゃ――」
「わかってる、止めなくていいんだカミラ」
止めたのはティフである。
「ただ一つ、お前に言いたいこ――」
「よし。ならば任せた。ほら、早く行くぞ貧乏人」
言いかけのマルシオを置いて、さっさとカミラは走り去って行った。
マルシオは呆然とカミラの背中を見送っていたが、ティフに向くと。
「……と言う訳で、行っていいよ」
ちょっと寂しそうだった。
「あー、ドンマイ?」
「いいから早く行けって。あいつ一人じゃ危険だからな」
お前一人でも危険だよ。そう思ったが、どちらがより危険かと言えば、やはりカミラであり、ここで問答している間に彼女に何かあれば元も子もないのだ。
マルシオの無事とこの先の幸を祈りつつ、ティフは急いでカミラを追う事にした。
ティフ達を見送ってから、マルシオは改めて手の中の麺棒を握りしめる。
彼だって緊張しない訳ではない。だがそれは武者震いというものだ。それは自分がこれから行うであろう戦いに(根拠もなく)勝つ気満々だからであった。
気になる事があるとすれば、先ほどから結構な時間を待っているのに、ひとっこ一人やって来ないことである。
やっぱり、カミラ達の後を追おうかなあ。などとマルシオが考えだしたとき。
一つの影が廊下の角を曲がってやってきた。マルシオは嬉々として麺棒を構える。
その男はマルシオを見ると。
「ひいいい助けてくれええ!」
と、マルシオに駆けて来た。
その行動に呆然としたマルシオ。だが、彼の元に来る前に、男の後を追って風のように現れた何かが男の後頭部に直撃、前のめりに倒れていく。
男にぶつかったのは、猫の形をした深紅に輝く精霊であった。精霊は、倒した男の頭の上に乗り、ポリポリと後ろ足で頭を掻いていた。
後に続いて、三人の人影が。
「「あ」」
声が重なったのはマルシオとエリ。
やってきたのは、フォルテの
マルシオがエリたちと会った事はつゆ知らず、ティフとカミラはともかく脱出をする為、可能な限り人に見つからないように建物の中を進んでいった。
しかしまあ、エリ、ヴェルナ、テボルの三人衆が内部にいる人々を殆ど蹴散らしており、残ってい者もほぼ闘争心を失っていた。
周囲の様子を伺いながらの為、二人の歩みはゆっくりとしていたが、今まで危険な場面と遭遇する事もなく進むことが出来ていた。その途中で、ティフは訪ねる。
「そういえばお前、アーデルベルトには会ったのか?」
「誰だ、そいつ?」
「あれだよ、確か、ティム・アノンクロウだっけ?」
「ああ、あ奴のことか。良く覚えているぞ、父上のお気に入りだった」
彼の事はカミラも知っているようだ。
「あ奴がどうかしたのか?」
「そいつが、俺たちを捕らえたこの組織のボスなんだよ」
するとカミラは足を止め、不思議そうに眉間に皺を寄せた。
「何を寝ぼけた事を言っているのだ、そんな訳がなかろう?」
「そんな訳があったんだよ」
「そんな訳がある訳がないと言っておるだろ、たわけ。あ奴は死んだのだぞ」
「……はい?」
今度はティフが眉間に皺を寄せた。じゃあ、ティフが会ったアーデルベルトは亡霊か何かなのか。ティフの態度が不服なようで、カミラは半目で睨みつけてくる。
「嘘ではない、父上も悲しんでおった。私が王都を離れる事になったのも、あ奴の死がきっかけだったのだぞ。間違えるはずがなかろう」
ティフは首を傾げる。
彼の死のせいでカミラが国を出ることになったのならば、いくらカミラとはいえ、覚え間違いではないだろう。どっかの小説の騎士よろしく蘇生術が施された、ということもありえないだろう。
じゃあ、奴は誰なのか。
不意にある考えが、ティフの脳裏に過った。
そんな時だ。
今まで簡単に事が運んでいた油断のせいか、背後の扉がゆっくりと開かれる事に、二人は直ぐには気がつかなかった。
カミラの視線を追ってティフが振り返った時には、扉は大きく開け放たれていた。
そこから現れたのはなんと、アーデルベルトだ。
ティフは驚く。が、当然、アーデルベルトもティフを見て驚いていた。
「き、貴様。何故ここに! それに、まさか貴方は」
カミラに目を向けて驚愕しているアーデルベルトに対し、当のカミラは誰だと言う様に眉をひそめていた。
その反応で、ティフはある確信をする。
「あんた、本当はティム・アノンクロウじゃないんだろ」
「……何だと?」
「あんたも俺と同じで、間違えられたんじゃないのか。間違えられて引き戻れなくなって、ずるずる今の地位についたんじゃないか」
ティム・アノンクロウというのはかつて国の創世神話に関わる人物の名前で、ありきたりなものだと言っていた。ならば、同じような名前の人物が他にもいてもおかしくない。
偶然間違えられて、そのまま持ち上げられたのでは。
ありえない話ではない。なんせティフだってつい昨日間違えられていたのだから。顔を確認する手段など、似顔絵か直接見た事がある人間が判断する以外、手はないのだ。
名前が同じで、そのティムとも年齢が近ければ、勘違いされる可能性があるのでは。
所が。
「なにを言うか、私こそかの国王の側近の一人、ティム・アノンクロウだぞ!」
「あれ?」
アーデルベルトの怒り方は、少なくとも嘘を見破られた後ろめたさなどは見えなかった。
そんな時、
「その言い回し、思い出したぞ」
閃くように言うと、カミラはアーデルベルトを指差した。
「貴様、使えない方のティムだな。倉庫番の」
どゆこと? とティフが首を傾げた時。
「ンだとこのクソ餓鬼があああぁぁ!?! 貴様ら家族はいつもそうだった!!」
アーデルベルト、突如発狂す。
「昔から『ああそっちのティムじゃなくて優秀な方がだから(笑)』とか馬鹿にしおって!」
「事実ではないか」
「黙るのだああぁぁぁぁあー!!」
どうもティフには話が呑み込めない。頭に? が並ぶ。
「ちょっとまって。つまりどういう事なんだこれ」
「家臣に二人いたのだ。ティム・アノンクロウという奴が。片方は有能な奴だったが、片方は見た目ばっかでてんでだめ男だった。だから倉庫番に回されたのだ」
在り来たりな名前であるのだから、腹心に二人居てもおかしくはない。
つまり、アーデルベルトはその使えない方の家臣だったといことだ。
そのまま怒り狂いそうな雰囲気であったが、意外にもアーデベルトはすぐ冷静になる。
「フッフッフ。だが、向こうのティム・アノンクロウは死んだ。今は私が唯一のティム・アノンクロウだ。つまりは私が一番優秀なティム・アノンクロウなのだよ」
意味不明な理論を振りかざしてきた。片方のティム・アノンクロウが死んだとしても、このティム・アノンクロウが優秀になる訳ではないだろう。
「それに、このシュトローマン商会に資金を提供したのはこの私だ。例えあの男がいなくても、今の私には価値がある」
「資金提供だって? ここの資金は確か、穀物を売ったからじゃ」
戦後の食糧難の時に、多量の穀物を輸入して国内やヘルゲッツェに売り、それで財を築いたと聞いていた。
「ああそうさ。その穀物は、私がシュトローマンに与えたものだ。分かるか? 私がいなければここまで大きくはならなかったのさ」
「与えた? って一体何処から」
「蓄えていたものを頂いただけさ」
「蓄え……は?」
ティフは何か、嫌な話の筋が見えてきた。そもそも、戦後のヘルゲッツェで起きた食糧難の理由の一つに、ブルートヴンダの食糧庫の大火事があった。
食糧庫の火事がなければ、そこまで深刻な食糧難にならなかったといわれている。
だが、もしもその時、穀物が燃えていなかったとしたら?
そしてその時、食糧庫を管理していた人物は?
「もしかして、その穀物って、国の食糧庫の奴を盗んだのか?」
「ああ、そうだ? 倉庫管理が私の仕事だ。特別手当を貰ったまでさ」
盗人猛々しいとはまさにこのこと。自分が盗み取った物を、盗んだ相手に売っていたのだ。盗んだ事を誤魔化すために、倉庫に火まで放ったのだ。
仮にも戦争の末期に自分の国の大事なものを、私利私欲で大量に盗み取るとは。ティフですら引くレベルのセコさであった。
「うわー、すげえ。最低だな」
「賢いと言ってくれないか? なのに、国王はこの私の英知を認めようとしなかった!」
エラそうに言っているが、戦争末期にみんな必死になっているなか、やる事が国からの強奪とは、それは……。
「何が英知なのだ馬鹿が。そんな事ばかりチマチマ考える矮小さが嫌われている原因だったろ?」
カミラが言ってしまった。常に傍にいたであろう人物の言葉はアーデルベルトに大ダメージを与えていることは、傍から見ても十分に分かった。
「そんなことも気が付いてなかったか。まあ馬鹿だから無理か」
鼻で笑ったカミラのとどめの一撃。アーデベルトの我慢ゲージをあっという間に振り切った。
「貴様ああああぁぁぁああああああああ!!」
叫びながら一度部屋に戻ったアーデルベルト。
訳が分からんと言う様子のカミラ。ティフは彼女と眼を合わせ苦笑した。
ティフは悟った。なぜカミラを宮殿の外で見つけた時、すぐに殺さなかったのか。
それも当然だ。カミラを殺そうというのは、アーデルベルトの独断なのだ。
そりゃあ、カミラを殺そうとするだろう。カミラとの会話を聞かれたら、今までの威信がボロボロになるのは目に見えていた。自らの地位と権威を保つには、カミラが邪魔なのだ。
叫び声を上げながら、再びアーデルベルトは廊下に姿を現す。
ギョッとした。
その手には、大変立派な円月刀が握られていた。
再び眼を会わせるカミラとティフ。
二人の気持ちは一つ。
脱兎の如く走り出した。
そんな後ろから、大変物騒な言葉を叫びながら、アーデルベルトが追い掛けてきた。
「切り刻んでやるううぅっぅううぅぅぅうううううう!!!」
「ええい、どうにかせんか!」
「あんなもんどうにか出来る根性あるなら働いてるわ!」
怒鳴り合いながら、全力で廊下を進んでいく。
何度かの角を曲がりながら、迷路のように入り組んだ建物中を進んでいく。
次の角を曲がれば、出口はもう直ぐ。
しかし、曲がった先に現れたのは行き止まりだった。
ティフは背筋が凍る。道を間違えてしまったのだ。
何度も来たことがあるとはいえ、室内の通路を完全に覚えてはいなかった。後からやってきたカミラも、この事態に気がつく。
「おい貴様、行き止まりではないか!」
「わかってるよ。クソ!」
「そうだ、首飾りはないのか」
円月刀を振り回して来るおっさんの迫力のせいで、カミラに言われまでティフも首飾りの事をすっかり忘れていた。懐から首飾りを取り出す。
あの竜の精霊さえ現れてくれれば、宮殿から脱出した時のようにこの場を切り抜けられるはずだ。
しかし、出てくるのがトカゲだったならば?
だが首飾りに頼る他、選択の余地はない。
首飾りに頼るとしても、重大な問題があった。
血である。ティフの血が無ければ精霊を呼び出すことは出来ないのだ。
カミラが急かす。
「早く血を出さんか!」
「んな簡単に血が出てたまるかよ!」
「その傷は?」
ティフの手首を指さす。先ほどヤツィに切られた場所だ。確かに、ここから血を出せば精霊を呼びだすことができる。もしかしてここまで考えてワザと大袈裟な傷をつけたのか。希望に満ちた思いで血で濡れたハンカチをほどき。
「……もう止まりかけてるな」
本当、嫌になるくらい治りが早い。
「ならどうするのだ?」
「……知らねえよ」
切るものは手元に無いので、そもそも血が出せない間抜け状態だった。
「貴様らああああぁぁぁぁあああああぁぁぁ。やあぁぁあっと追い詰めたぞぉぉォ……」
アーデルベルトが追い付く。歳と運動不足からか、息も絶え絶えだったが、てめえら絶対切り刻んでやるという確かな決意が、汗だくの顔には浮かんでいた。
カミラは素早くティフの後ろに回り込む。
「切られろ、貴様!」
「嫌じゃボケ!」
「切られれば一石二鳥ではないか! 私は助かってお前は血が出る」
「黙れクソ女! お前が助かっても俺が死ぬわ!!」
「ぬおらああぁぁぁあっ!」
と、アーデルベルトは勢いよく振りかざしてくる。想像以上の素早い動きに驚きながら、ティフは寸前で斜め前に回避。
何とか避けたが。
「しま――」
ティフの背中にしがみついていたカミラが、アーデルベルトの前に投げ出される形となってしまった。アーデルベルトは間髪入れずに二の太刀をカミラに振りあげる。
こん畜生と思いながら、ティフは反動をつけてカミラに飛びかかる。勢いをつけ過ぎてカミラごと、壁際まで吹き飛んでしまった。
「ウゲッ!」
酷いうめき声をカミラは上げたが、アーデルベルトの一撃はカミラには触れなかった。
「っー!!」
しかし、庇ったティフのわき腹が、ぱっくりと割れていた。
ドバドバと溢れだした血にカミラも直ぐに気がつく。
「おい、切られ過ぎだぞ!」
「うっせえこのバカ女!」
誰のせいでこんな目に合っていると思っているのだ。
「あと押すな。そこ傷口だから!」
今はカミラにティフが覆いかぶさっている形となっており、それをカミラが退けようとして体を押してくるのだ。
「ならば退かぬかこの馬鹿が!」
ティフの目前にあるカミラは、珍しく動揺しているようだ。体がもろに重なりあって色んなところが当たっているのだが、切られた痛みでそんな事に構ってられない。
「ふっふっふ、よく逃げる」
そんな二人の様子を見ながら、アーデルベルトは頬を釣り上げていたが、すぐには襲ってこようとはしなかった。ティフ達に手段はない。そう思っているのだ。
しかし、その油断が命取り。
アーデルベルトのお陰で、血は十分にある。
こうなれば伸るか反るか。
ティフは何とか体を起こすと、アーデルベルトに背を向けたまま立ち上がった。
相手からは見えない所で、手に持った首飾りに血をかける。
首飾りが血に染まった瞬間、紫の輝きが溢れだした。
「?! これは」
驚いていたアーデルベルトに向け、振り返ったティフは首飾りを突きだした。
「その首飾り、まさか王家の!?」
僅かにひるんだアーデルベルトだが、思いなおしたように太刀をふるおうとする。
しかし、その前に。
ポンッ
馬鹿にしょっぱい音とともに、トカゲ型の精霊がベチャリと地面に着地した。
完璧なまでにハズレであった。
何となく嫌な予感がしていたが、まさかこんな大事な所でハズレを引くとは。
運に完全に見放されていた。
もー、どーにでもなーれ。
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