18 腹の立つ笑顔

 さて、このシュトローマン商会の建物の内には現在、百人近い人間がいた。正面玄関から突入した特別捜査官クリエンテ一行は、それらと真っ向からぶつかり合う事になったのだが。

 そのシュトローマン商会の廊下で、ヴェルナはゆっくりと口を開いた。

「……前から言いたかったんだけどね、テボル」

 言葉をとぎる。言おうか言うまいか悩むように視線を泳がせていた。

「なんだ、一体」

 ヴェルナに背を預けているテボルは、剣を立てたまま彼女の言葉を待つ。

 やがて、彼女は言葉を紡いだ。

「あんた、パスタを食う時にタバスコを入れすぎなんだよ。あれどうにかならないかね?」

「パスタにタバスコをかけるなって言うのか? 貴様にしては古い考えだ」

「限度があんだろ! あたしゃ他人の食にあれこれ文句を言いたくはないんだが、あんたのだけは我慢ならないんだよ!」

 そんなイライラに呼応するかのように、ヴェルナの傍らの深紅の精霊、『シン・ティラット』は宿主の剣に飛びつく。その姿は集束し、刃に吸い込まれると、刃は紅く輝き始めた。

 ヴェルナは剣を振り抜く。放たれた赤い衝撃波が前方にいた敵兵たちを襲い、彼らはうめき声をあげて大きく吹き飛んだ。

「はっ! 俺の地元じゃパスタにタバスコは常識なんだよ!」

 一人の男がテボルに剣を振り下ろすが、彼は自らの剣で難なく受け止める。テボルの剣に精霊石はついてないが、ヴェルナのよりも一回り大きいそれを軽々と扱い、相手をなぎ飛ばした。

 ヴェルナは迫りくる敵を無視して、テボルの方へ振り返る。

「てめえは、かけ過ぎなんだっつの! パスタ食ってんのかタバスコ食ってんのかわかんないんだよ!」

「何だと貴様!」

 テボルもヴェルナの方へ振り向き、睨みあう。

 そんな隙だらけに見える二人を敵が見逃すはずもなく、無防備な背中へ向けて、敵が矢を放った。

 しかし、それは彼らの背中につく前に、突如現れた緑色の鳥の精霊に阻まれ、折れて地面へ落ちていく。そして、現れた精霊は矢を放った人物へ、襲いかかっていった。

「二人とも、今はそんな話はどうでもいいじゃないですか! 真面目にやってください!」

 窘めるように声を張り上げたエリは、二人の中央に立ちながら杖を地面に立てていた。その周囲に、自らの精霊、ファル・ボラの力を展開していた。一定の範囲に矢や敵の精霊の術が届いた瞬間、そこに鳥が瞬き、飛んできた攻撃をはじき飛ばす。現れる鳥も一羽ではない。同時に攻撃されればその数だけ鳥が姿を現し、一発たりとも遠距離攻撃を当てさせなかった。

 エリの作り出す、鳥の防御円。しかし、弾き返すのは、『宙を飛んでくる』ものに限定されていた。

 故に、人間が入り込むのは意図も容易い。だが、入り込むだけで、彼らを倒せるかと言えば、話は別だ。

 矢が弾き飛ばされるのを見て、すかさず別の屈強な男が巨大な斧を振り上げながら、背を向けたヴェルナに襲いかかってくる。同じ時、テボルの背後から、三人が一斉に迫り、剣を振り上げた。

 テボルとヴェルナの反応は、全く同時。互いに素早く体を前方にステップさせると、ヴェルナはテボルの背後の三人組に、テボルはヴェルナの背後の斧を持つ男へ向けて剣を瞬かせる。

 三人組は、ヴェルナの剣から放たれた衝撃波に吹き飛ばされ、斧の男は、テボルが振り上げて一太刀で意図も容易く斧を刃ごと破壊。蹴りの一撃により壁に衝突と相成った。

 三人はその陣形を組んだまま、シュトローマン商会内部を蹂躙していた。彼らの犠牲となった者たちが死屍累々と彼らが通ってきた道に転がっている。

 一応命令はされており、可能な限り死者は出さないようにはしているが、限度はある。

 命をかけた真剣な場であり、エリとしては相手への誠意としても無駄話をする二人を窘めたのだった。

「……でもまあ、私もテボルさんのタバスコの量はどうかと思います」

「何だと!?」

 振り返ったテボルに対し、今度こそという様に複数で一斉に飛びかかろうとしたが、素早く向き直ったテボルの一睨に、一斉にひるんだ。そのまま、ゆっくりと引き下がっていった。

 逃げていく彼らを見ながら、テボルは眼鏡の位置を直す。

「貴様らには、タバスコの偉大さが理解出来ないようだな」

「あんたの食い方は、むしろ愚弄してると思うけどな」

 とりあえずは敵がいなくなり、ひと段落。

「ですけど、ここまでやらなくてもいいんじゃないですか」

 エリは自分たちの周囲に出来た、倒れた人の山を見ながら、あきれ気味に言う。何人かは起き上がっていたが、テボル達の視線にあるものは逃げだし、あるものは死んだふりをした。

「私たちがリュトエ様から頼まれていたのは、あくまで陽動だったはずですよ」

 悪びれる様子もなくヴェルナは肩をすくめる。

「いいじゃないか。陽動としての仕事はしてるつもりだよ」

「そうかもしれませんが、やっぱりやり過ぎじゃあ……第一、本当にここがブルートヴンダ戦団という組織の本拠地なんですか?」

「本拠地かどうかは知らないが、こっちに攻撃を仕掛けてくるんだ。普通の組織ならまっさきに逃げるなりするよ」

 最初の一撃を与えると、とたんに武器を構えた者たちが、逃げもせずに立ち向かってきたのだ。そのような事態になるのを覚悟している証拠だ。

 残念ながら特別捜査官クリエンテは、そんな覚悟でどうこうなる相手ではなかったが。

「もしかして、私達は強盗だと勘違いされたのでは?」

「こんな派手な恰好している強盗がいるかい」

「おい、お前たち、とっとと奥に行かないか」

 呆れ気味のエリに対して、テボルはやる気満々だ。ここで頑張ってリュトエに認められたいという気持ちからだろう。

 この行為によってリュトエに、認められるかどうかは別問題であったが。




 エリが呆れるような派手な陽動であったが、それは意外な所にも効果をもたらしていた。

「……さっきから人に会わないな」

 建物内を移動しながら、マルシオが呟く。ヴェルナ達が暴れているお陰で、ブルートヴンダ戦団の殆どがその対処に追われていた。ヴェルナ達が暴れているのが、ちょうどティフ達が目指すところとは反対の方向であったのも功を奏していた。

「いいじゃないか、人に会わない方がすんなり行って」

「でも、せっかくの俺の腕を見せるチャンスが失われるじゃねえか」

 根拠のない自信は何処から来るのか。謎の精神力の強さには、ある種の敬意を覚えるレベルまで達しそうだった。

 やがて何度目かの角を曲がって、応接間のある廊下の前までたどり着く。しかし、応接間の前には、当然と言うべきか見張りの人物が立っていた。

 ティフは廊下の角から相手の様子をうかがう。

「ほら、お前の腕を見せる瞬間だぞ」

「おし――」

「待て待て、冗談だから!」

 飛び出しそうになったマルシオの首根っこを掴み、慌てて引きもどす。

 やっぱり尊敬するのは止めておこう。ティフが心に決意したとき、何度目かの建物の振動。それを合図にしたように、見張りはティフ達の反対の方向へ消えていった。

 二人してその光景を角から見送る。

「おい、行くぞ」

 ティフは部屋に入ろうとするが、マルシオが静止する。

「待て。部屋の中にも見張りが残ってるかもしれない。いきなり突入は危険だ」

 珍しく最もな意見を述べているマルシオに、ティフは耳を貸す。

「ここは俺にまかせな」

 ティフは道を譲る。ドアの正面に立ったマルシオは。

「俺、参上!」 

 廊下に響き渡るような大声を上げると、先ほど自分で言った事を無視して扉を思いっきり開き、そのまま部屋に飛び込んでいった。先に入りたかっただけの様だ。

 仕方なしに、ティフも室内に飛び込む。

「お前たち、何しとるのだ?」

 中では、カミラが相変わらず優雅に椅子に座っていた。宮殿の部屋に比べれば質素だが、それでも待遇は相変わらず良さそうだった。

「大丈夫だったか、カミラアアアァァ」

 マルシオは感嘆の言葉を漏らし、両手を広げてカミラに飛びかかる。

 それをカミラは華麗に回避。

 憎々しさのあふれる一瞥をマルシオにくれてから、ティフに目を向けた。

「貧乏人、ここに何を」

「マルシオと同じ目的だよ」

 すると、カミラはまるでウジ虫でもみる様に嫌そうな顔を浮かべる。

 念をこめてティフは言う。

「助けに来ただけだ。他意はない。全くな」

「貴様が私を助けるというのか?」

 馬鹿にするように鼻で笑う。

「お前さ、助けに来てやったんだからもう少し喜んだりしろよ……」

「助けろとは言ってないぞ」

「……ああ、俺が悪かった」

 まともな反応を貰えるような相手ではないのだ。

 だが、ただの馬鹿という訳でもない。いや、ただの馬鹿なのかもしれないが、少なくとも自分の中に明確な軸があった上での態度なのだ。

 姫と望まれているなら、姫であり続けようとする。その理論で行くならば、ブルートヴンダ戦団に捕らえられて死ぬことも、彼女にとっては受け入れられる事なのだ。

 そんな態度を見ていると、何で自分ここにいるんだろう。とか考えたくもなるが。

 死にたくないと言ったのも、またカミラであった。

 死を受け入れている事と、死にたくないというのは、彼女にとっては別問題。

 ティフに取っても別問題である。

 小さく息をつく。

「まっ、いいや。ここまで来ちまったんだし、とりあえず助けられとけや」

 彼女が死を受け入れていようがいまいが、どうでもいいのだ。

 ティフはここまで助けに来た。後は彼女がどうするかだ。

 気持ちを切り替える様に、カミラは自らの柔らかな銀髪を撫で上げると、彼女は優雅に、生意気に微笑んだ。

「いいだろう。助けられてやる」

 少しは可愛くすればいいものの、相変わらず腹の立つ笑顔であった。

 

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