16 ティフとティム

 遠くの景色を見つめながら、ヴェルナはゆっくりとパイプの煙を噴き出した。すっかり見晴らしがよくなり、ついでに風通しもよくなった特別捜査官クリエンテの社交部屋で、彼女は立ちすくんでいた。どれくらい見晴らしがよくなったかと言えば、旧市街はもちろん、新市街に市壁。壁外市街や向こうに広がる山々も一望できるほどだ。

 窓側の壁は綺麗に消滅。廊下側の壁は何とか保っていたが、ひび割れだらけ。周囲には破片が散らばり、棚にあった品物は地面に散乱していた。

 夜風が身にしみる。

 ヴェルナの背後では、エリが唯一の無事であった椅子に腰かけながら、うなだれていた。彼女の手には陶器の破片。カップの取っ手部分だ。

「私のティーセット……」

 茫然自失。ちょっと涙目のエリを見ながら、ヴェルナはパイプセットを回収しておいてよかったと心底安堵。

 すっきりしたこの場と違い、問題は増えるばかりだ。

 ここを根城にしていたカミラは消え、一度は現れたと思ったティフも再び消え。

 さらに、こうなった理由はどうも、例の首飾りのせいだという。

 あの首飾りをヤツィが持っていこうとした時、安全かどうかヴェルナに尋ねて来たのだ。だから安全だと答えた。実際、牢屋で黒血の力が発動したとき、現れたのはゴミクソみたいに小さく、ひ弱なトカゲの精霊だった。

 所がこの結果はどうだ。部屋を吹き飛ばし二人は忽然と姿を消した。

 さらに、宮殿の上空を竜の形を模った、黒紫の精霊が旋回していたとう目撃情報もある。

 おそらく、この惨状を生み出しのも、その精霊であろう。

 こんな力があるのなら、なぜ精霊は牢屋で使わなかったのか。あのティフと言う男は、何も知らないふりをして、実はその精霊の使い方を知っており、精霊にわざとか弱いトカゲもどきを演じさせたのか。

 思考を張り巡らせていたが、やがて、煙を噴き出し。

 とりあえず自分に非がない方向で話を通そうと決意した。

 そこに、扉が開かれる。入ってきた眼鏡の同僚も、この光景に絶句していた。

 ゆっくりと扉を閉じてから、一歩ずつ前に進んでいく。

 その歩は早くなり、ヴェルナの横を通り抜け、無くなった壁の前で立ち止まる。そのまま突き落とせば事故として始末出来そうだなあ。なんて事をヴェルナが考えていると、テボルが振り向いた。

「なんだ、この状況は?」

「見たまんまだろ」

 ヴェルナは肩をすくめる。テボルは改めて周囲を見渡した。

「あの女はどうした」

「居るように見えるかい?」

「見えないから聞いてるんだ!」

 怒鳴りつけてきたテボルを、ヴェルナは笑って受け流す。

「分かってるんじゃないか、どっかに消えちまった」

「なんでどっかに消えた!?」

「知らないよ」

 ヴェルナの背後では、相変わらずエリがめそめそしていた。

 落ち着かない様子でテボルは室内を歩きまわる。

「クソ、俺の手柄が」

「あんたの手柄だって?」

 テボルは足を止め、頭の血管をピクピクさせながらヴェルナを睨みつける。

「そうだ、俺の手柄だ! 俺の手柄がどっかに逃げただと? どういう事だ!」

「あたしに八つ当たりするのはよしてくんない? 大人げないよ」

「五月蠅い!」

「私のティーセット~……」

 涼しげな態度のヴェルナにイラついたのか、彼女に向ってテボルが踏み出した時、足もとでパキッ、と陶器の割れる音が。テボルが足を上げると、そこには開かれた本の陰に隠れていたカップが砕けていた。

「あ~~~!?!?」

 絶句したエリは立ち上がると、テボルを突き飛ばしその破片を手にする。

 間違いなくエリのティーセットの一つだ。無事だったものがあったようだが、それもテボルの足によって無残にも砕かれてしまった。

 流石のテボルもうろたえる。

「あっ、その。お前がそんな所に置いて――」

 言い訳も、涙目の(ほぼ泣いてる)同僚に睨みつけられて消音。口をパクパクさせてから。

「その……すまん」

「酷い男だねえ」

「何だと貴様ああぁ!」

 茶化したヴェルナをテボルは怒鳴りつけようとしたが、足もとでメソメソしているエリを見て、それを堪えた。

 気まずくなったのか、テボルは少し離れた所まで移動。足をせわしくゆすっていたが、欝憤をぶつける様に、足もとにあった椅子の破片を蹴飛ばす。

 勢いよく飛んでいった破片は、ドアに直進。

 不幸にも、蹴るのと同時に開き始めていたドア。

 ゴンッ。と鈍い音とを立てて、破片はドアを開いた人物の顔面に直撃と相成った。

 振り返ってテボルは絶句。

 ヴェルナも絶句。エリも涙目ながらに絶句。

 破片は広いデコからゆっくりと落ちると、赤い痣を築き上げていた。こぶになりそうである。破片をぶつけられた人物は動じることもなく、立ち続けていた。

「こんな状況でも楽しそうだな、君たちは」

 にっこりと口元に笑みを浮かべていたリュトエだが、目が全く笑っていない。

 エリは涙目のまま硬直。ヴェルナは視線をそらしながら煙草を吹かし、テボルは馬鹿みたいに口を大きく開けた。

「すっすっすっす、すいませんリュトエ様あぁあぁぁぁぁぁ!」

 怒涛の勢いで謝りだしたテボルを無視し、リュトエは底冷えするような笑みを浮かべている。視線が向けられている人物は、あくまでパイプを吹かして視線を合せなかった。

「とんでもない事態になったな」

「そのようですな」

「君の眼にはあの竜がトカゲに見えたのかね?」

「広義に捕らえれば、竜もトカゲと変わりはないでしょう」

「ふむ、面白い見解だ。今度、知り合いにもその旨を伝えておくよ」

「……竜の知り合いがいるので?」

「いないとは言っていないよ」

 ヴェルナはリュトエを一瞥する。彼は相変わらず口元は笑みを浮かべながら、瓦礫の山となった室内を見渡していた。

「これが君のいう安全な事態か?」

「まさか、予想外の事態ですよ」

 ヴェルナは煙を吹かす。

「あたしも馬鹿ではありませんからね。やっていい冗談と、悪い冗談の分別はつきます」

「これはやっていい冗談かね?」

「まさか」

 リュトエは睨みつけてくる。ヴェルナは視線を逸らしたまま。

 テボルとエリは交互にリュトエとヴェルナを見た後、視線を合わせ首を傾げる。

 リュトエが、息をついた。

「まあ、いいだろう。私は寛大だ。お前たちに名誉回復のチャンスをくれてやる」

 そう、不敵に頬を釣り上げたリュトエを見て、みな一様に、嫌な予感を覚えるのだった。




「――い、おい」

 遠くから聞こえてきた声に、ティフの意識はゆっくりと蘇る。

 薄暗い室内。冷たい地面に頬がついており、頭が痛い。

 寝てる途中でベッドから落ちちゃったのか、なんて呑気な事を考えていた。が。

「ん?」

 手が動かない。動かないどころか、何か痛い。

 決して、変な寝方をして手がしびれてしまったなどではない。

 両肘の部分と両手を縄で、食い込むほど固く結ばれているのだ。

 手だけでない、足も縛られ身動きがとれなかった。

 そこでやっと、ティフは意識を失う直前の事を思い出す。

 竜の精霊に吹き飛ばされた後、通りに落ちたティフとカミラ。そこにバキュームちゃんが来たと思ったら、後ろから何者かに殴られたのだ。

 首が動く範囲で、ティフは周りを見渡す。室内に光源はなく、扉の隙間から漏れる僅かな光だけが頼りだった。よく見えないが、どうやら何所かの倉庫のようだ。

「ティフ!」

 声の方にティフは向いてみると、地面に転がっている人影が。

 マルシオだ。

 彼も手足を縛られているようで、その姿勢から動こうとはしなかった。

「マルシオか」

「おーよかった。生きてたか」

「なんとかな。てか、いったい全体どうなってんだよ」

「俺だってわかんねえよ。急に誰かに襲われてさ」

 その寸前の事を思い出し、ティフは嫌な予感がする。

「なあ、お前が宮殿の外で会ったのって、もしかしてクルトか?」

「おお、よく分かったな」

 その言葉で、ティフは自分を襲った犯人と、その目的について大方の予想がついた。

「それより、カミラの姿がないんだ。もしかして、カミラに狙いをつけてこんなことしたんじゃないのかな。そしたらカミラは今頃……」

 一体どんな想像をマルシオがしたか知らないが、ティフの予想が間違いでないのなら、彼が思うような悪い事態にはなっていないはずだ。

「安心しろ、俺達よりあいつの方が優遇はいいから」

「そんな確信どうして持てるんだ」

「俺たちを襲ったのはクルト達だ。あいつらは目的はブルートヴンダの復興なんだよ」

 マルシオの店で説明したとき、彼は家の奥で兵士のコスプレ衣装を探していた為に聞いていなかった。

 そんな彼の為に、改めてティフは説明。

 クルトがブルートヴンダ戦団などという馬鹿げたものに入っていること。そして恐らく、ここはブルートヴンダ戦団の本拠地であることを。

 クルトが宮殿付近にいたのも、バキュームちゃんの存在が説明してくれる。

 バキュームちゃんはティフはカミラを離れていても見つけ、近くにやってくる。

 その特性を利用して、カミラの位置を探そうとして宮殿の近くにいたのだろう。

 そこで偶然、竜の精霊による爆発が起きたのだ。

 これはチャンスとばかり、カミラを捕まえ、ついでに邪魔になりそうなティフとマルシオを拉致し、閉じ込めた。

 話を聞き終えたマルシオは、驚きの声を上げた。

「なんだよ、その燃える展開……!!」

 凄く眼が輝いていた。

「ここでカミラを俺達の力で助け出せば、パーフェクトじゃないか!」

「なにがパーフェクトなのかは聞かないけど、まずここから抜け出す方法があるのか」

 やる気をたぎらせるのは結構。だが現状、ティフ達は縄に縛られ自由も聞かず芋虫状態で何所かの倉庫に放り込まれているのだ。

 まずこれをどうにかしなければいけないのだが。

「気合いでなんとかなるさ!」

 そんなもんだろうと思っていた。

「じゃあ気合いでなんとかしてみろよ」

「まかせな!」

 自信たっぷりに答えると、マルシオは気合いをみなぎらせる。

 深く長く息を吸い込み。

「……ふっ!! ふーふふふふぅぅー? ふらああああああぁぁぁぁ! ららららあらあああぁぁぁぁ……ぁぁぁぁぁあああああ

……ぁぁ」

 ぐったりと地面にうずめていたマルシオは顔を上げると、何かをやり遂げたように小さく息をつき、さわやかな笑みを浮かべた。

「ちょっと、俺には早かったかな?」

 ティフは殴ってやろうにも手足の自由が利かないため、それも叶わなかった。

 ギギ、と軋む鉄の音とともに扉が開かれ、外から火の光が強く入り込んでくる。ティフは眼を細めながら、その方向に目を向けた。

 大きな影となっているその人物は、ゆっくりと室内に進んでくる。

「まさか、君があの女と一緒にいるとはな」

 その声に、ティフは耳を疑う。聞き覚えのある、何所か自信のありげな傲慢なかすれ声。

「アーデルベルトさん?」

 アーデルベルト・キャルラーメス。シュトローマン商会の長だ。

「なんであんたがここに?」

「君には謝らなければいけないな。私と取り違えられたせいで、ひどい目にあったようだ」

「は? それってどういう事ですか」

 アーデルベルトは短く笑う。

「アーデルベルト・キャルラーメスとは仮の名前。私の本名はティム・アノンクロウなのだよ」

 目が点だった。

 つまり、アーデルベルトこそ、本来テボルが捕まえようとした人物、ブルートヴンダ国王の側近と言う事だ。

 自分が間違えられた人物が、自分の近くにいようとは誰が想像しよう。

 同時に、先ほどから気になっていたことをティフは尋ねる。

「まさか、この建物って、シュトローマン商会の倉庫か」

 見覚えがあるような気がしていたのだ。そんなはずはないと思っていたが、アーデルベルトが出てきたならば話は別だ。

 そして彼はティフの予想通りと言うべきか、ゆっくりと頷いた。

「そうだ、ここはシュトローマン商会の倉庫だ」

「あんたがここにいるって事は、シュトローマン商会もそのブルートヴンダ戦団に関わっているのか」

「関わっているだって?」彼は短く笑う。「逆だよ。シュトローマン商会の創設に、ブルートヴンダ戦団が関わっているのだ」

 ティフは頭が一瞬真っ白になる。が、全て理解する。

 つまりは、こういう事だ。

 シュトローマン商会は、あくまでブルートヴンダ復興軍の隠れ蓑として作られた商会だったのだ。

 ティフを仲間に入れたがっていたのも、バキュームちゃんの世話だけでなく、名前から同じ出身だと分かっていたからだろう(ティフに故郷の記憶などないが)。

「商会の形をとっていれば各地の仲間との連絡も取りやすいしな。ゆくゆくはヒルゲッツェで活動する我々の仲間と共に、一斉発起を企んでいるのさ。そして我が国の復興を狙うのだよ」

「その為にカミラを使うのか?」

「カミラ? とは誰だ」

「あれだよ、あんたたちの姫様の」

 もはや何度目かの説明に飽き飽きしつつ言うと、アーデルベルトは目をひくつかせた。

「ああ、クレステンツ様のことか。昔から変わっておらんという話だがね」

 それから、不気味に頬を釣り上げる。

「だが、彼女を使うもっといい方法があると思わんかね。たとえば、見つかった姫が、フォルテの長たるリュトエ・シエ・イフーマに残虐にも殺害されるなどとは?」

「は?」

 ティフは耳を疑った。

「おっさん、本気で言ってんのかよ」

「さあ、リュトエならやりかねん事だとは思わんか。彼は親族であるのに、戦中ブルートヴンダに手を貸さなかったからな。憎んでいる者も多い。発破を駆けるのには最高だ。今まで手を貸さなかった、かつてのブルートヴンダの者たちもこれを機に協力してくれるかもしれんしな。ここには蓄えた爆薬もある。それを使って爆破するのは面白いではないか」

 ティフはアーデベルトの正気を疑う。よくもまあ、そこまでえぐい事を思いつくものだ。

 だが、そこでティフはちょっと首を捻る。

「なら何でカミラを誘拐したんだ? 殺すだけならその場でやっちゃえばよかったじゃないか」

 先ほどなど、絶好のチャンスだったはずだ。こんな場所に連れてくるより、宮殿の近くで殺した方が、リュトエに罪をなすりつけるのは簡単ではないか。それなのに、何故ここに連れてきたのか。

 それを尋ねると、アーデルベルトはあからさまに眼を泳がした。

「んー、それはだねー。私にもしかるべき考えがあってだねー。つまりー……」

 何かを必死に考えている様子のアーデルベルトに、マルシオが叫ぶ。

「残虐に殺して、人の眼を引きつけたかったのか?」

「そう、それだ!」

 勢いよくマルシオを指さすと、ぎこちない笑みをティフに向けて浮かべた。

「君の友人の方が、私の意図をしっかりと理解出来ているようだな」

 どう考えても、マルシオが言った事に乗っかっただけにしか見えない。なんとも怪しいと思うティフに対して、マルシオは満更でもない様子。

「まったくだぜ、ひどい事を考える小悪党だ」

「小悪党だと?」

 不満げに眉をひそめると、力強く首を振る。

「私は小悪党などではない! 貴様らの様な何も出来ないちっぽけなガキとは違うのだ!」

 突然の叫び声に、ティフはうろたえる。しかし、マルシオは負けていなかった。

「言いやがれ! お前の悪事は俺達が絶対に止めてやる」

 相変わらず勝手に頭数に入れられている事にティフは軽くうんざりしながら、子供みたいににらみ合っているマルシオとアーデルベルトを交互に見つめていた。

 やがて、アーデルベルトが鼻を鳴らす。

「ふん、まあよい。どうせ貴様らではどうしようも出来んのだからな」

「そう言っていられるのも今のうちだ!」

 去りゆくアーデルベルトの背中に叫び続けているマルシオだが、扉が閉められ、暗闇と静寂が戻ってくる。

「で」

 力強い瞳でアーデルベルトの去った扉を見ていたマルシオに、ティフは尋ねる。

「何か脱出する手は?」

「気合いさ!」

 暗闇でも光る白い歯を見せつけてきているマルシオを、ティフは気合いで体をしならせてドついたのだった。

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