15 風を吹かす竜
そこで、扉のノック。ヤツィが現れた。
「はい、こちらをどうぞ」
手に持っていた首飾りを、カミラに渡してくる。そのまま居座るかと思いきや、気をきかせたのか(気を利かせる理由は全くないのだが)彼女は先ほどのように廊下に戻っていった。
カミラは、その首飾りを見ていたが、
「貧乏人、血」
「そんな簡単に血は出ねえ」
「貴様が出さなければどうしようもないだろ。その包帯の所はどうなのだ?」
言われれば、ヤティとヴェルナに切られた両腕の傷があるのだ。
特に深く傷つけられていたヤティの方の包帯を解くと。
「……もう止まってるわ」
思えば、昔からティフは傷が治るのが早かったのだ。こいつはお得な体質だなどと思っていたが、こう言う時にそれが裏目に出るとは。
「傷口をほじくればまた出るだろう」
「絶対に痛いしグロいよ!」
「ならどうするのだ」
「ええっと……どっか別の場所を切るとか?」
少なくとも、傷口をほじくるよりは新しい傷をつけた方がまだマシに思えた。
「じゃあそうしろ」
「そうしろって……やっぱやめねえ? 痛いの嫌だし」
「ならあのヤツィと言う奴に頼むか。奴なら痛みもなく切ってくれそうではないか?」
「わかった、自分でやります」
彼女に任せるより、自分でやる方がまだマシであった。
何か切るものはないかとカミラに尋ねると、彼女は棚にあるナイフを示した(その前に万年筆を示したが、それは遠慮しておいた)。
そのナイフをティフは手に取ると、一呼吸。
もう一呼吸。
ついでにもう一呼吸。
「ええい、早くせんか」
じれったそうなカミラの声で、嫌々ながらティフは決心。
指先をゆっくりとなぞった。
僅かな痛み。ティフは顔を歪めた。その指を差し出すと、カミラは持っていた首飾りをその下に置く。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……垂れないぞ、おい」
切る場所が悪かったようだ。ジンワリと血は滲んでいたが、水滴一粒分程度。とてもでないが、首飾りに刻まれて文様の溝に行き渡る量ではない。
「もっとざっくりいかなければダメだろ」
「えー、もうよくない?」
「このままでは貴様が意味もなく指先を切っただけで終わるぞ」
「痛いんだぞこちとら」
「ならあの女を呼んで――」
「わかったよ。やればいいんだろやれば!」
自棄になりながら、ティフは親指の付け根部分にナイフを当てて、今度こそ一呼吸だけ。
スッと引き抜いた。
パックリ
ドバアアアアアア
「「ぎゃああああ!?」」
想像以上に切れ味がよかった。すっぱりと切れた傷跡からはなみなみと血が溢れだす。
「貴様、加減と言うものを知らんのか!?」
「うるせえバーカバーカ! 元はと言えばお前が力を見たいとか言ってたからこんな事になったんだぞ!」
その大量の血を見て、流石のカミラも顔を引きつらせていた。だがティフにとってはそれどころではなくパニクっている。痛いし大量に血は出るし、てんわやんわで涙目だ。
「あっ! 血がお前の服に!」
「なあ!? 貴様、これは小姐さまの服なのだぞ!」
「ってことはリュトエの奥さんの服なのか? やっぱお前あのおっさんに狙われてるぞ!」
「ええい、キショイことを言うな!? 鳥肌が立ったではないか!」
などと騒がしくやっているときに、やっと気がつく。カミラの手に持った首飾りが血に染ま
り、光を放ち始めていた。
「なんか光ってるが、精霊が現れるのか?」
「みたいだな」
「ならば貴様、本当に黒血なのだな」
「やっとわかったかこのバカ女」
涙目のティフに、カミラは感心したように頷いていたが、不意に呟く。
「で、どんな精霊が現れるのだ?」
「今さらだな……」
そう言う確認は、やる前に聞いておくべきだと思う。
「安心しろよ。大した精霊じゃないさ。こんな小さなトカゲが――」
人差し指と親指で出てくるのより小さなサイズを示している所で、光がいよいよ強くなる。
だが、ティフの気のせいか。先ほどよりも色が深くなっているように見えた。『黒紫』に近くなっているように感じられた。
光は突然収束。
情けない音と共に、あのちっぽけなトカゲが現れる。
かと思ったら。
強烈な衝撃が、首飾りを中心に巻き起こった。
ティフも顔を守るように腕で覆いながら、大きく後ろに倒れこむ。
その衝撃の余波がゆっくりと和らぎ、腕を顔から離すと。
目の前に現れた物体に、目を瞬かせた。
確かにそれは、トカゲであった。
が、その鋭い眼光。屈強な胴体。床をしっかりと踏みしめる巨大な四つの足に鋭利な爪。
大きさは先ほどと比べ物にならない。
余り広いとは言えない室内で、狭苦しそうに突っ伏している。
何よりも、背中に生える巨大な羽。
その姿から想像で出来るのは、一つだけ。
ティフの横で同様に尻もちをついていたカミラが、呟く。
「これは、竜か?」
目の前にいるのは、まさしくそれであった。
竜。霊獣の中でも高貴な存在であり(きっと同じ霊獣であるバキュームちゃんとは比べ物にならないほどだろう)、人々とは関わりを持つことは少ない幻の霊獣。
目の前に現れた精霊は、その姿を形作っていた。黒紫に輝くその精霊は、どこか虚ろで、冷酷と思わせる瞳で辺りを見回している。
「おい貴様。お前はこれをトカゲだと思ったのか? だとしたらどれだけ無知なのだ」
「いやいや待て待て。俺だってこれがトカゲとは思わないって」
「確かに所詮はデカイトカゲだが」
「酷いこと言ってないか、お前?」
そんな会話を交わしているティフ達に、精霊は眼を向ける。
ティフとカミラは思わず硬直。
「ええい、不埒者。貴様が無礼な事を言うからこやつの機嫌を損ねたではないか!」
「無礼な事を言ったのはお前だろ?!」
精霊が短く鳴く。二人とも姿勢を正した。
「まあ互いに非があったかも知れんな、貧乏人」
「そうだなクソ女」
だがここで、ティフはある事に気がつく。
「いや、でも確かに竜の姿をしてるけどさ、結局はこいつって、俺が呼び出した精霊じゃね?」
「何が言いたいのだ、貴様」
「だから、俺の言う事を聞くんじゃないのかな?」
「それを早く言わんかこの馬鹿者」
一転、堂々とした態度でカミラは立ち上がった。
「ついでに言うけど、俺の言う事は聞くけどお前は別だからな」
「つまりどういう事だ?」
「俺がお前を襲えって言えば、お前を襲うかもしれないんだぞ」
「何を言っておるのだこの馬鹿が、貴様にそんな度胸などなかろう」
などと言いながら、カミラは吹き飛んだ椅子の陰に隠れていた。しかしまあ、悔しいかな彼女の言うとおり、ティフにそんな度胸はないし、そもそも助けに来たのに襲う理由は全くない。
相変わらず椅子の陰に隠れたまま、カミラは言う。
「貴様の言う事を聞くと言うならば、ここから出せと言えば出してくれるのか?」
「さあ、それはどうだろなあ」
自分の言う事を聞くなどと言ってみたものの、本当にそうなのかは分からないのだ。
所が、
突然、腹に響くような唸り声を、精霊は上げる。
「!?」
そして、その声に呼応するかのように、室内に強烈な風が吹き荒れ始めた。
「!?!?!?!?」
竜の精霊を中心に、四方に竜巻のような勢いで吐き出される風は、ティフ達の脇を抜け、部屋の中を暴れ回る。棚にあるものを吹き飛ばし、掻き回り、砕き、部屋そのものを軋ませる。
「な、な?!」
突然のことにティフには理解は追いつかない。ただひたすらにその風から体を守る為に体を丸めるしかなかった。風は窓を砕き、勢いをましていく。
みしみと唸る音はより強くなる。そして、けたたましい破壊音。
窓側の壁の一部が砕けたのだ。破片が宙に舞い、広がったひび割れから、次々と壁が剥がれ飛んでいく。
壁を八割近く破壊した所で、その行為に満足したように風はゆっくりと納まり。
そして、停止する。
壁の破片が床に崩れる音。ティフは、ゆっくりと眼を開けようとして。
ボンッ!
爆発音。
一瞬、何が起こっているかティフは分からなかった。
飛んでいた。
正確に言えば、飛ばされていた。
室内の破片と共に、円弧を描いて吹き飛んでいた。
飛ばされているのはティフだけではない。カミラも間抜けな顔をして飛ばされていた。じたばたと暴れている彼女の手を掴むと、彼女の驚いた眼がティフに向けられる。
同時に、宙で停止。
彼女が何か言おうと口を開いた瞬間。
次は落下。
「「ギャアアアァァアア!?!?」」
言葉の代わりにアホみたいな大声を上げながら、地面へと真っ逆さまに落ちて行った。
「戦争が終わるんだってー」「ごめーん。ちょっと人が多くて、出てってくれない?」「働いてたらいい事もあるさ」「男には、パスタに挑まなきゃならない時がある」
それが走馬灯だとティフが気づいた時には、地面はもはや目前と迫っていた。
ぐっちゃりと潰れる想像が頭に過った瞬間。
ボフッ!
と、地面からわきあがるような風がティフ達の体をキャッチ。地面から三十センチぐらいの所で三十一センチぐらいに上がってから、再び落下。
「痛!」
尻もちをついた。
着陸したのは宮殿の裏手だった。パラパラと破片が降り注ぐなか、ティフは茫然と周囲を見回していたが、カミラと目が合う。
「な、なんだこれは?」
引きつり気味の声に、ティフは強張った表情で首を振るだけだった。
そこで、宙に浮いている竜の精霊に気がついた。それは羽根を羽ばたかせる事もなく、優雅に空を舞っていた。
「あれがやったのか?!」
「か、かなあ?」
自信がないが、それ以外に原因が見当たらなかった。
竜の精霊は何度かティフ達の頭上を旋回していたが、やがてゆっくりと光の粒へと変わり、空に溶けていった。
その景色を茫然と見届けていたティフだが、その時、路地を曲がってこちらに掛けてくる一つの影に気がつく。
マルシオだ。
「おーい」
「マルシオ、お前無事だったのか!」
と、声をかけたティフを無視して、マルシオはカミラに近づいてしゃがみ込む。そう言えばマルシオが心配してたってカミラに言いそびれたなー。なんてティフは思いつつ、いつも通りのマルシオに呆れていた。
「大丈夫か、カミラ!?」
演技掛った口調に対し、素敵な舌打ちでカミラは対応した。
「鬱陶しい奴がきおった」
そんな彼女の態度を無視して、マルシオは改めてカミラの全身を見渡す。
「しかし、その恰好、にあっ――」
てる。と続けようとした言葉が止まる。その目はカミラの手元。
ティフが彼女の手をつかんでいる所だった。
「な、な、なにしてくれちゃってるんだよ!」
それで、ティフはカミラの手を掴んでいた事を思い出し、手を離す。
「ああ、悪い」
「いや、気にせんでよい」
「なんだよ、お前ら!?」
マルシオは納得いっていないようだが、ティフとカミラにとっては直前に起きた出来事とがあまりにも衝撃的で、手を繋いだとかクソみたいにどうでもよい事だった。
「それより、お前なんでここに」
「お前の事が心配でこのあたりをうろうろしてたんだよ」
邪険に扱われたと感じたのか、悲しそうなマルシオだったが、何かを思い出した様に気を取り直す。
「そうだ、そこであいつと会ったぞ」
マルシオ以外に、誰が自分を待っているのか。マルシオが指さした方向から影が出てくる。
現れたのはバキュームちゃんだ。
「なんだ、バキュームちゃんか」
安堵しているティフの横で、マルシオは首をかしげた。
「あれ、お前なんでひとりなんだ、だってさっき――」
言いかけたマルシオは、鈍い音と同時に、ゆっくりと体が倒れて行く。
眼を丸くしていたティフの後頭部にも、衝撃が襲いかかった。
あっという間に遠のく意識。
「すまない、ティフ」
気を失い寸前、友の声がティフの耳に届いた。
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