14 パン屋の娘

 そうしてヤツィに案内され、ティフは別の部屋の前までやってきた。

 先ほどと同じように、ヤツィはドアを指し示しながら道を譲る。

 ティフはドアノブに手を掛けようとするが、その前に確認をした。

「また、別の人、とかないよな?」

「今度は大丈夫ですから、安心してください」

 ニッコリと笑うヤツィ。全く安心はできなかったが、どちらにせよ開けてみなければわかりはしない。ティフは意を決して扉を開いた。

 先ほどの執務室よりも綺麗に装飾された室内。

 棚にはたくさんの本や高級そうな磁器の食器などがずらりと並ぶ。だが、なによりも眼を引くのは、部屋の中央。

 豪勢な椅子に、見覚えのある少女が見覚えのない恰好をして座っていた。

 純白の美しいレースに縁取られたドレス。胸元は開いており、彼女の豊満で雪のような白い胸の谷間を見せつけていた。髪は綺麗にすかれ、そのドレスに負けぬほど美しく輝いている。少し気だるげな瞳に長い睫毛。退屈そうな表情ですら、荘厳で麗しい。

 彼女の緑色の瞳の焦点が、ティフで交差する。

 向こうもやってきたティフに、僅かに驚いていたようだ。

「どうした貧乏人、馬鹿みたいな顔をして。本当の馬鹿で間抜けになったのか?」

 口を開けばいつもどおりの調子のカミラだった。

 ティフはちょっとだけ安堵。

「うるせえぞ馬鹿。それよりお前、何その恰好? 結婚式でも上げるのか」

「私が誰と結婚するのだ」 

「あー……リュトエとか?」

「誰がするかあのロリコンと」

「ロリコンなの?」

「ああ、ロリコンだ」

 リュトエがカミラなどに手をだすという愚かな判断をしていない事に安堵しつつ、いらない情報をゲットしたティフはその事はひとまず脇に置いておくことにした。

「しかしお前、えらく優雅だな」

 彼女の脇に置かれたテーブルの上にはティーセットとクッキーの盛られた皿が乗っており、隣には栞の挟まれた本があった。当然だが、ティフの入っていた牢屋とはエライ差だ。

「貴様だってなんなのだその恰好は? フォルテに就職でもしたのか?」

「俺を馬鹿にしてるのか? 誰が働くかよ」

「働く気がないならばやはり馬鹿ではないか」

「うるせえ」

 ともかく、元気そうで何よりであった。

「せっかくここまで来たのだ、貴様も紅茶を飲むか?」

「紅茶? マジで? いいの?」

「貴様で淹れろよ」

「分かってるっつの」

 ティフは棚に置いてあった磁器のカップを使い(カミラが好きに使っていいと言ったのだ)、ポットから紅茶を注ぐ。すっかり冷めていた。

 それから、空いていたソファーに腰掛ける。

「菓子も食っていいの?」

「もちろんだ」

 遠慮なく頂くことに。他にいるのもカミラだけとあって、つい手が進んでしまう。そんな様子を見ながら、カミラは優雅に紅茶を一すすり。

「で、なぜ貴様はここに来たのだ?」

「えっと、なんというか、色々あったんだよ」

 ティフはお菓子を食べるのを一端ストップ。本当に色々あり過ぎて、何で自分がここにいるのかすら、いまいち分かっていないほどだ。

「ともかくさ、俺が黒血とかって言う力を持ってるらしくてさ」

「何、黒血……」

 やはりブルートヴンダの(元)王族、その名を聞くと眉間に皺を寄せた。

「……とは何だ?」

「オイッ! 仮にもお前の国の建国にかかわってる力だろ。知らないのかよ?!」

「あれか。思いだしたぞ。血を塗りたくって踊る奴だ」

「踊らねえ。血で文様を描いて精霊を使役する方の」

「ああ、そっちか」

 ティフとしては血を塗りたくって踊る奴の事も気になるが、ひと先ず話を進める。

「その力を目当てにリュトエが俺を仲間にしたがってるんだけど……って、聞いてるか?」

 考えこむように眼を細めていたカミラは、真剣な面持ちをティフに向ける。

「貴様、血を出せ」

「嫌だよ」

 即座に否定。カミラは不満げに眉毛をひそめた。

「なぜ嫌がる。血がなければ貴様の力は使えんではないか」

「痛いのは拒否する」

「我慢しろ」 

「お前は人ごとだと思って」

「ふん、人ごとだからな」

 ギリギリと歯ぎしりをするティフを、カミラは手振りをつけて優雅に鼻で笑う。

「第一、力を見なければ貴様が黒血かどうかも分からんではないか。貴様が嘘をついているかもしれんだろ」

「嘘をつく理由がないだろ」

「あるではないか無職め。無職が嘘をつくときは九割は職の為と言うからな」

「ええい、そんな小賢しい真似をしてまで職など欲しくないわい」

「本物ならば、その力を見せてみろ」

 唸るティフだが、そこである重要な事を思い出す。

「ていうか、血だけあっても精霊は呼び出せないだろ」

 それだったら手を切るたびに術が発動してしまう。使うためには黒血と契約している精霊石はもちろん、文様が必要だ。

「お前、自分の国の奴だし、精霊石を受け継いでたりするのか?」

「そんなもの持っている訳なかろう」

 自慢にならない事を自信たっぷりに言い切った。ティフはがっくりと肩を落とす。

「じゃあ駄目じゃないか……」

「ならば、どうやって貴様は黒血の力を示したのだ」

「なんか首飾りを使ったんだよ。契約? してる精霊の奴」

「では、それを借りればいいのではないか」

 カミラは廊下にいたヤツィに頼むと、彼女は、

「少々お待ちください」

 と一声。ついでに、ヤツィは部屋の中を覗き込んで、

「次、逃げたら許しませんからね?」

 ありがたいお言葉をティフに授けたのだった。ひとまず、首飾りが来るまでお預け。

「で、貴様はなぜ私に会いに来たのだ?」

 ドアの前で向き直ったカミラが訪ねて来る。彼女は腰に手を当てながら首を傾げていた。面倒に思いながらもティフは口を開いた。

「さっき説明しただろ。俺が黒血で、リュトエはその力を欲しがってる」

「説明になっとらんぞ」

「……」

 確かに。

 ティフの先ほどの説明は、こうなったあらすじで、ここに来た理由ではなかった。しかし、理由を口にするのをティフは躊躇する。

「いや、ほら。お前の事が心配だったからか」

「なにを気色悪い事を言っておるのだ。脳みそにウジでも沸いたか」

「酷いな!」

「貴様が私に会いに来るという行為が気味悪いのだ」

「心配してたってのも嘘じゃないんだが」

「その言い方では、別の理由があるのではないか」

 ほら話せとでも言う様にカミラは腕を組むと、ティフの言葉を待つ。そんな彼女からティフは思わず視線を逸らした。

「……条件だよ。俺がリュトエの仲間になったら、お前の安全は確保されるって」

「はあぁぁあ?」

 何を訳の分からんことでも言っておるのだとでも言うような様子。

 イラっと来たティフは、立ち上がりカミラと向かい合った。

「お前、いまの状況が分かってるのかよ」

「貴様と冷めた茶を飲んでる」

「そんなちっちゃい規模じゃなくて! もっとでっかく。お前の今の立ち位置だよ」

「私は私だぞ」

「そうだよ、お前はお前だよ。亡国のお姫さんで、今はリュトエに囚われてる」

「フム、だから何だ?」

「今は安全かもしんないけど、この先は分からないだっつの。他の国に連れてかれて殺されるかもしれないって言ってるんだ!」

 言い終わって、流石のティフも後悔。こんなのんびりとしているのだ。当然、彼女は自分の置かれている立場を知らないだろう。そんな彼女に、「お前、死ぬ直前だぞ」と宣言したようなものだ。しかし、自分の命が危ないという事を分かれば、彼女も態度を変えるはず。

 そうティフは思ったのだが。

「ああ。何だ、そんな事か」

 予想に反し、彼女はあっさりとそれを受け入れた。まるで最初からそんなこと、分かっているとでも言う様に。戸惑うティフを尻目に、カミラは視線を宙に泳がせた。

「で、貴様などがリュトエの仲間になれば、私は死なないで済むかもしれないと言う事か」

「大まかには」

「しかし貴様はリュトエの仲間になりたくはない」

「て言うか、働きたくないというか。だけどさあ」

 なんだかんだ知り合いの命がかかっているのだ。先ほどは本能的に否定してしまったが、そのまま無視と言う訳にもいかなかった。

 話を大まかに聞いたカミラは、はっきりと言った。

「ならば断ればいいではないか」

「……は?」

 思わず口を開いたまま目を丸くしたティフに、カミラは汚物でも見るような顔をする。

「なにを間抜けな顔をしている。貧乏が酷くなるぞ」

「断れば良いってお前……その、死ぬかもしれないんだぞ。それとも助かる方法があるとか」

 希望的観測をのべたか、カミラはあっさりと否定。

「そんなものある訳なかろう」

「じゃあ、何だよ、死にたいってのか」

 そう言っているようにしかティフには聞こえなかった。カミラは助かるすべを、自分から否定しているのだ。

 しかし、またもカミラは不満げに眉間に皺を寄せた。

「死にたくないに決まっておるだろう」

「あぁ?」

 ティフには意味不明だった。死にたくないと言っているくせに、確実に助かる方法を取らなくてもよいと言っている。

 カミラは、迷いのない瞳をティフに向ける。透き通るようなアメジスト色をしていた。

「死にたくはないが、私はブルートヴンダ王家に生まれた人間だ。王家の人間として死を求められているならば、私には死ぬ義務がある」

 それは、彼女にとって当たり前のことを、当たり前のまま口にしたようだった。

 その姿はとても堂々としていて、気品にあふれ、まっすぐだ。

 ティフは、必死に喉から音を吐き出した。

「……いや、さっぱりわかんねえし」

「なんだ。ここまで言ってもお前は理解出来んのか?」

 とても憐れむように言われたが、そんな彼女の態度にも、苛立ちより戸惑いが勝った。

「意味分かんねえよ。お前の国はもう滅びたんだろ。国が滅びたんならお前はもう姫様じゃねえじゃねえか。パン屋の娘も家が焼けたらパン屋の娘じゃなくなるだろ」

「なんでパン屋の話が出てくる?」

「例え話だよ!」

「貴様の例えは分かりづらいぞ」

「お前の理解力がねえんだよ……じゃなくて!」

「貴様は何か勘違いしているな。国と言うのは場所ではなく心にあるものなのだ。例え領土を失い国が滅ぼされようとも、人々がその国があると求め続けるならば国は存在し続ける。そして王国の中心は国王だ。国が滅びようとも死に絶えようとも、国民が、例えたった一人であろうとも、私と言う存在が王族である事を求められる限り、私は王族であり続け、王族がいる限り国は滅びんのだ」

 ティフはさっぱりだった。

 なんだか偉そうなことを言っている位にしか感じられない。

 そんな、もう無い国のことなんてティフはどうでもいいのだ。

 それにティフはこんな変な女が姫様である事を望んではいない。

 こんな姫様、こちらかご勘弁願いたいほどだ。

 だが世の中には死ぬほど頭のおかしい人間がいて、こんなバカ女であろうとも姫である事を望む人間がいて。望む人間がいる限り、彼女は姫様であらんとする。

 やはりティフはさっぱりだ。

 バキュームちゃんの脳みその中よりもさっぱり不明だ。

 そしてそんなティフの心理を見透かすように(多分見透かしてない)カミラは言う。

「しかし、それは貴様には関係のない事だ。関係のない事で貴様を巻き込むのは忍びないからな。リュトエの提案は断ればよい」

 彼女の淀みのない瞳から、ティフは眼をそむける。

「訳分かんねえよ、畜生。こっちは働きたくないから断ってるんだぞ」

「私としては貴様の方が謎だがな。なぜそこまで働きたくないのだ」

 カミラは眉をひそめながら腕を組む。ティフだって昔からそんな事を考えていた訳ではない。一応、人並みに生活して働いていた事もあった。

 働くことに、何かを見出していたこともあった。

 しかし。

「だってよ、働いて金を稼いだって、意味ねえじゃねえか。一生懸命働いて、金使う暇もなく働いてさ。そのまま死んじまったら、金も糞もないんだぞ」




 それは戦後の話。

 ティフを保護してくれていた孤児院は、戦火に焼かれる事はなかったが、国境の境に近い事もあり、戦争によって家族を失った幼い子供たちが隣国から大量にやってきた。

 とてもでないが受け入れられる人数ではないが、無碍にする訳にもいかなかった。

 結果、許容量の限界を超えた孤児院は、一定の年齢に達している者たちを孤児院から出ていくように促した。

 ティフもギリギリでその年齢に達しており、孤児院を後にする事になった。

 孤児院の紹介で出会ったのが、ある商人だった。とある商会の元で働いていた中年の男は、戦後の混乱をむしろチャンスだと捉え、身を粉にして働いていた。

 彼は、事あるごとにティフに言い聞かせていた。

『今はつらいかもしれないが、今のうちに努力して働けば、いつかきっといい事がある。そのいい事が起きるまで、頑張って働くんだ』

 ティフも、辛い状況の中でも、生き生きとしている彼を見習い、必死に働いた。

「だけど、そんな日にさ」

 彼は死んだ。

 大食い大会だった。

 堂々と舞台に上っていった彼の姿を忘れらない。隣の老人に負けそうになっていたが、その老人が喉を詰まらせ苦しんでいるのを見てほくそ笑み、やれチャンスだと気合いを入れてパスタをかき込んだら、自分も喉に詰まらせてしまい死んだのだ(隣の老人も亡くなっていた)。



 

「あんだけ頑張って働いたのに、結局死んだら何にもならないんだよ」

 その後、彼が独立のために溜めていた財産は彼の属していた商会がなんやかんや言って持っていってしまい、ティフは路頭に迷う事になった。彷徨いながらティフは考えた。

 一生懸命働いても、死んでしまっては意味がない。

 ならば、一生懸命働いたって、意味がないのではないか。

 それなら、いっそティフは働かない。

 働かないで生きていく道を探そうと、ティフは考えたのだ。

 だからティフは、意地でも働きたくはないのだ。

 話を終わって、しばしの沈黙。

 カミラが口を開いた。

「いや、訳が分からんぞ。ぐだぐだ言っていないで働け」

 つまらなそうに言い放ったカミラに、ティフはがっくりと肩を落としたのだった。

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