13 お小遣い

 ティフ、マルシオ、エリの三人は並んで冷たい石の床に正座していた。

 その前を、ヤツィが笑みを浮かべながら困ったように眉を曲げている。

 一行は、入口近くの物置として使われていた部屋に移動していた。

「さてはて、どうしましょうか」

 などと呑気に言っているヤツィに対し、三人は気が気でなかった。

 ティフはガタガタと震えながら、視線を床に向けた状態で口を開く。

「あ、あの。す、すいませんでした……」

 ヤツィはしょんぼりと肩を落とす。

「全くですよ、本当に。あの後、リュトエ様に怒られるし」

「あのう、自分も色々ありまして、逃げれるなんてそんな。その、ですから。お命だけは……」

「大丈夫ですよ。私にも落ち度はありましたし、そんな事はしません。まさか本当に貴方が逃げるとは、予想外でしたので」

 冗談でも言うような調子のヤツィに、ティフは思わず安堵する。

「それに、殺るんならとっととヤっちゃってますから」

 ティフは即座に背筋を伸ばす。あっけらかんと怖い事を言わないでほしかった。

「それよりも、問題は」

 頬に手を当てながらヤツィが顔を向けたのは、ティフの隣にいたエリだった。視線を向けられると、エリは体を小さくする。

特別捜査官クリエンテたる貴方が、彼らを手引きするとは。頂けませんねえ」

「ご、ごめんなさい」

「ごめんで済むなら私たちはいりません。これは重大な背信行為ですよ」

「はい……」

 エリは今にも泣き出しそうだ。元はといえばこちらのわがままに巻き込んでしまった形。ティフとしても庇いたかったが、逃亡犯である故に下手に逆らえなかった。

 そこで口を開いたのがマルシオだ。

「彼女を責めないでやってくれ!」

 ここぞとばかりに気持ちの入った声で訴える。こんなにもマルシオが頼もしく見えた事はティフは今までなかった。

「俺達が彼女をそそのかしたんだ、だか――」

「ごめんなさいー、そんな事分かってるんで黙ってて貰えますか?」

「はい」

 ヤツィの笑顔にかかれば、その頼もしさも一瞬だけだった。

 ここでマルシオを攻める事は出来ない。しょせん今のティフ達は檻に閉じ込められた犬、いやニワトリだ。対するヤツィは一個大隊に相当する。圧倒的優位をむこうに握られており、抵抗など出来るはずがなかった。

 いたぶるような悩み顔の後に、ヤツィはエリの顔を覗き込む。

 すっかり涙目なエリ。ヤツィは小さく息をついた。

「まあ、いいでしょう。リュトエ様には報告しません」

「……本当、ですか?」

「本当です」

「ありがとう……ございますうぅぅぅ」

 よっぽど緊張していたのか、エリは堪えていた涙があふれ出してきた。

「はいはい、泣かない泣かない」

 ヤツィは手を差し伸べ、エリを立ち上がらせると、ポンポンと頭を撫でる。

「貸しですからねー」

 さて、と気を取り直したヤツィは、座ったままの二人に目を向ける。

「エリさんはともかく、お二人はどうしましょ。このまま解放と言う訳にもいきませんし」

 その場の流れで二人とも逃がしてくれる、なんて甘い希望をあっさりと打ち砕いてきたヤツィに対し、さてどうしようかとティフが悩んでいると、マルシオが言う。

「俺は引き下がらない、カミラに合わせてくれ!」

 男だな~、などとこの状況で意思を通そうとするマルシオに、ティフは内心喝采を送る。

「どうしても、カミラさんに会いたいですか」

「ああ!」

「会ってどうするんですか?」

「それは……」

 とたん、マルシオの表情がだらしなく弛んだ。

「そりゃあ……あれだよ。そ、その。こういうときはあれだろ。戦士が、姫様を助けに行くんだから。そりゃあ、その後は、キキキキ、キ、キス。とか。ねえ~」

 少しでもマルシオを男と思った事を、ティフは軽く後悔。

「おい、マルシオ。妄想漏れまくりだぞ」

「そ、そんなことない。妄想なんかじゃねえ。可能性はゼロじゃないだろ」

 そりゃあそうだ。ある日、ティフだって頭上から大量の金貨が降りそそいで金持ちになれるかもしれない。それと同じくらいには可能性があるだろう。

 マルシオはひとまず置いといて、と言う様にヤツィはティフに尋ねる。

「ティフさんはどうなんですか」

「俺は……」

 ティフは考え。首を捻る。

「どーだろ」

「会いたくないんですか?」

「会いたくない訳じゃないけどさ」

 会う気がないなら、わざわざこんな所までやってこない。だからと言ってどうしても会いたいかと言われればそうでもなかった。

「その反応は予想外でしたね。もしかしたら会わせる事が出来るかもしれないのに」

「無理に会いたい訳じゃないんだけど」

「せっかくですし会ってみませんか。どうせ私、貴方を逃がす気はないですし」

「……ですよねー」

「私、仮にもリュトエ様の側仕えリスコマーラですから。立場上、貴方を見逃すって事はできませんので」

 立場とか関係なしに普通、逃亡犯を逃がすのは許される訳ないのだ。

「どうしますか、どちらにせよ牢屋に戻らなきゃいけませんけど、その前にクレステンツさんの顔を見ておきますか?」

 そこまで言われてしまえば、ティフの答えは簡単だ。

 どうせ牢屋に戻るのだ。

 ならば、見れるものは見ておいた方がいいではないか。

 



 ティフはヤツィに連れられて、王宮内のフォルテの本部を進んでいく。会うのが許されたのはティフだけであった。マルシオは心底悔しそうな顔をしてから、

「無事か、どうかだけ確認しろよ。変な事すんなよ。絶対にするなよ。あと俺が心配してったって言っとけよ。言っとけよ。言っとけったらな」

 と念を押してきた。マルシオはそのまま解放されると言う事だ。

 カミラに会わせてやるから、代わりに捕まってくれないかなあ。とか、ちょっとだけ考えているうちに、先を行くヤツィが立ち止まる。

 それからティフに振り返ると、いざなう様に傍のドアを指し示した。

「どうぞ」

 この中にカミラがいるのだ。いつも通りふてぶてしくしている彼女が想像出来たティフは、軽い気持ちでドアを開き。

 硬直。

 中にいたのは、カミラではなかった。

「ようこそ、ティフ・アノングロス」

 奥の執務机の前に立ちながら、両手を後ろで組み、冷徹な笑みを浮かべていた男。

 この街の人間なら誰もが知っている。

 国王の弟であり、セグ・ア・フォルテの長でもある男。

 リュトエ・シエ・イフーマだ。

 そんな大物がいるなどとティフは思っておらず、一瞬の思考停止。

 部屋を間違えちゃったかなこれ。などと現実逃避をしていたが。

 振り返ると、ヤツィがドアを閉め、廊下の向こうへ消える所だった。

 つまり、部屋の中にはティフとリュトエの二人だけ。

 恐る恐る、ティフはリュトエに向き直った。

 彼はあくまで穏やかな動きでソファーをしめす。

「坐りたまえ」

 どうやら、部屋を間違えた訳ではないようだ。相手は国王の実弟であり、フォルテの長。そんな人間の命令に抵抗できるわけもなく、ティフは示されたソファーに座る。その向かいにリュトエも腰かけた。リュトエはリラックスした様子で背もたれに深く身を落としながら、胸の前で両手を組んでいる。

 一方のティフは、まるで鉄の棒でも背中に突き刺されたかのように背筋を伸ばし、ぎこちなく両手を膝に乗せていた。緊張しているティフを見て、リュトエは頬を釣り上げる。

「そう気を張らず、楽にしてくれ」

 無茶な相談である。

「えっと……あの、カミラは?」

「クレステンツなら他の部屋にいる。安心し給え、今は無事だよ」

 リュトエは組み直した自分の手元に目を落とす。 

「昨日から騒がしい日々の連続だ。財務関係の者が事故で死んだと思ったら、ある男と間違えられた青年が捕まり、その青年と一緒にクレステンツも出てきた。そしたら今日になってその青年が逃げ、かと思ったらクレステンツに会いにその日に戻ってきたという」

「えっと、あの……その……」

 嫌な汗が全身から噴き出す。リュトエの視線がティフに注がれ、片頬を釣りあげる。

「なに、君はヤツィの隙をついただけだ。その判断力と行動力の高さを私は認めているよ」

 その場の勢いで逃げちゃいましたー。なんて言えず、ティフは乾いた笑いを返した。

「しかし、逃げだしたその日に舞い戻ってくるとは、流石の私も予想外だった」

 そりゃそうだ。ティフ本人だって予想外だったのだから、他人からすれば当然であろう。

「話によるとクレステンツに会いに来たそうだが。君はクレステンツが大事なのか?」

「え、それは……」

 反射的に否定の言葉が出そうになったが、相手は仮にもカミラの義理の兄。否定の言葉は喉元で何とか押しとどめ、曖昧に濁すだけに終わった。

 リュトエはそれを肯定として受け取ったようだ。短く唸る。

「だが君も知ってのとおり、現状、クレステンツの立場は危うい、それは分かるだろ」

「えっと、はあ」

「今は無事だが、極刑となる可能性は私も否定できないのだよ」

「はっ?」

 ティフは眉をひそめた。先ほどエリから聞いたのと話が違う。

「ちょっと……義理の妹なんですよね。それなのに、極刑だなんて」

「買いかぶらないでくれ。私にも、どうしようもない事もあるのだよ。ブルートヴンダを怨んでいる国は未だ多い。それに、ヒルゲッツェにとっては無視できないだろう」

「それは、やっぱり元の国のお姫様だから?」

「ああ、君にだって分かるだろ? クレステンツはヒルゲッツェにとって極めて危険な存在だ」

 ティフの表情から、リュトエも言いたい事が伝わったと考えたようだ。彼は続ける。

「我がアルクオーレは、決して他の国に引けを取らないと自負している。だが、ヒルゲッツェだけでなく、ヒルゲッツェと友好関係のある国々が引き渡すように圧力をかけてくれば、国王である兄上とて、従わざるおえん。国王の命令ならば、私も従う他なかろう」

 政治の難しい事などティフにはさっぱりだが、カミラはエリが言うほど安全でない事は理解出来た。安堵していた心が、またも不安に曇る。

「ただし、やりようによって周辺国の意見を聞き入れないでいることも可能だ」

「……どうやって」

「簡単だ。我々の国が周辺国の意見を撥ね退けられるほど強くなればいい。私は彼女と親族で、かくまう義務を持っている。ただ、その義務を行使するだけの力が足りてるとはいえないのだ」

「何が、言いたいんですか」

 リュトエは腕を組み直す。

「単刀直入に言おう。私は君の力が欲しい。黒血の力がな。そうすればこの国はもっと強くなれ、クレステンツを守れる」

 突飛な提案に、ティフは眼を丸くした。

「そんな。俺一人、居ようがいまいが大差ないっすよ」

 とてもでないが、自分一人で国が強くなるとはティフには思えなかった。

「私はそうは思わない。一部では黒血が失われていなければ、ブルートヴンダは戦争に勝てたともいわれる力だ。それに、その服も似合っているぞ」

 指摘されて、ティフは自分の姿を思い出す。未だにフォルテの服を着たままだ。

 リュトエは、体を前に乗り出し、その鋭い視線は、確かに獲物を捕らえたいた。

 そして、問う。

「ティフ・アノングロス。私の部下になってはくれまいか」

「え、嫌です」

「ふん……ん?」

 頷きかけていたリュトエが、首を傾げる。

「聞き間違えかね、君は私の提案を断ったように聞こえたが」

「はい、嫌です」

 もう一度言い直す。

 沈黙。

 リュトエが口をゆっくりと開く。

「君は先ほどの話を聞いていなかったのかね。クレステンツを守り切る力はない。だが、君が手を貸してくれるなら私も最善を尽くすと言っているのだ」

「でも、まだカミラが極刑になるのは確定したわけじゃないですよね」

 第一、カミラがクレステンツであるとバレたのは昨日。今日の朝には街中に知られているとはいえ、大陸中に噂が行くまで、まだかなりの時間がかかるはずだ。

「本当にヤバくなったら考えますけど、まだそこまでの事態じゃないし、いいかなあって」

「ふむ」

 リュトエは、背もたれに体を預けると、指をこめかめに添えるようにして頭を支えながら、短く唸る。

「だが、君としてもその力に興味はないのかね。かつて途絶えたとされる伝説の力だ。その力がいか程のものか、自らの目で確かめたいと思わないかね」

「思わないです」

「……ふむ、思わないのかね」

「思わないです」

 別に今まで、そんな力など無くても何とかなって来たのだし、これからも無くて大丈夫だと思う。何よりも重大な理由がティフにはあった。

「だって、この力使うたびに手を切らなきゃいけないんですよ。痛いじゃないですか」

 もう少し楽な使い方なら、ティフの答えも違ったかもしれない。だが、術を使うたびに血を出すなどたまったものではない。痛いのは嫌だ。

「ならば、君とヤツィを組ませよう。彼女なら君に痛みを与えずに切る事など容易な事だ」

「尚更嫌ですよ。さっきもそれでざっくりいったんですから。彼女と一緒にやってたらいつか絶対腕を切断しますって」

 ティフは包帯を見せるように両手を上げる。黒血の力は精霊に嫌われている。腕を切断されるだけならまだマシだ。首をすっぱりいかれてもおかしくはないのだ。

 痛いのは嫌だが、そんなくだらない事で死ぬのはもっと嫌だ。

 と言うか、痛みがある無し関係なしにティフは切られたくなんかない。

 沈黙。

 リュトエは考え込むように、指で顔の皮を上下に伸ばす。

「それなら、金はどうだね。最低でも、今の君が貰っている給料の十倍を出そう。最低でもだ。君の給料は今どれくらいだ?」

「いえ、給料は貰ってないです」

「ただ働きか。それはゆゆしき事態だな」

「いえ、働いてないだけです」

「何だね、仕事が見つからないのかね。この街で君は」

「いえ、働きたくないだけです」

「……ふむ?」

 リュトエは硬直。ティフが何を言っているか理解出来ていないようだった。

「働きたく、ないと」

「はい、出来るなら」

「なら君は一体どうやって生活しているんだ。話では一人暮らしをしていると聞いていたが、盗みでも働いてるのか?」

 どう、と聞かれれば説明しなければならず、しかし緊張からか、ティフは適切な言葉が出てこずに、ともかく思いついた単語を並べた。

「えっと、お手伝いをして。お小遣いをもらっています」

 まるでお子様である。後悔してもすでに遅し、吐き出された言葉を受け止めたリュトエは、じっとティフを見つめてくる。

「ふむ、君はなかなかユニークだ」

「……どうも」

 恥ずかしさからティフは視線を逸らす。リュトエは吟味するように見つめてきたが。

「まあ、すぐに決めるのも難しいだろう」

 そう言って立ち上がると、リュトエはゆったりと窓ぎわまで移動し、振り返る。

「順序は逆になってしまったが、君が会いたがっていた人物に会わせてやろう」

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