10 ブルートヴンダ戦団
王宮。それは街の中心であり、象徴でもある存在。
そんな場所に入る事になるとは、ティフは予想もしていなかった。
てゆーか昨日から予想してない事ばかりだ。
一応昨日から王宮に居るには居たが、牢屋ではそんな実感がわかない。
広い廊下を見て、ティフは改めて自分がここにいる事に妙な気分を抱いてしまう。
しかし、なんというか。
「どうかしました?」
「あ、いや。思ったよりも地味な感じなんだな、王宮って」
確かに一般的な建物と比べれば遙かに立派だ。しかし、あまり着飾っている様子もなく、豪華な館というより、教会をイメージさせる厳かさだ。
「ここは王宮の中と言っても、フォルテの本部ですから」
「あーそっか」
「ウチの国、王宮の中に、軍とかも入ってますからね」
ヤツィは立ち止まると、「あー、おほん」ともったいぶった調子で間をとってから、窓を差す。
「えー、この建物の向かいに見えます建物が、軍部の第一本部でございます。勘違いしている人もいますが、我々フォルテとは別組織にございまーす。続いてー、斜め前に見えますのが宮殿で、色々公的な事を行う建物となっておりまーす。王との謁見などが行われますねー。大変豪華でーす」
それから、反対の壁の方を指す。
「こちら側には王族や一部の者がお住みになる宮廷がございまーす。現在は
「えっと」
「挙手制です」
「あ、はい」
一人しかいないのに挙手制なのがさっぱり不明だが、大人しく手を上げておく。
「はい、ティフさん。どういたしました?」
「俺に手錠とかつけなくていいの?」
普通、囚人を外に出歩かせる時は何らかの拘束着をつけるものだ。ところがそんなものはなく、まさしく大手を振って王宮内を闊歩し、挙手だって出来る。
「まさか逃げたりとか企んでるんですか」
「いや、そんな事はないけど」
「仮に逃げようとしましても、私は逃がしませんから」
突き立てた人差し指をぐるぐる回しながら、ヤツィはにっこりほほ笑む。その腕輪に輝く緑の精霊石を見て、ティフは頬を引きつらせた。もし逃げ出したら、そのまま天国まで一直線出来そうだ。
何人かの兵隊とすれ違いながら、階段を下りていき、やがてある扉の中へ入る。微かに薬のような匂いがする室内には、二つの綺麗なベッド。他にはたくさんの本に、何か分からない剥製のような物だったり、小さな引出しのたくさんついた木棚が置いてある。
ここが医務室のようだが、肝心の医者の姿は見当たらなかった。
「あれ、お医者さんいないみたいですね」
彼女は困ったように首を傾げている。
「ちょっと待っててください、探してきますので」
「はあ」
そう言い残して、ヤツィはティフを置いて部屋を後にした。
特にやる事はなく、茫然と周囲を見渡しつつ、椅子があったのでそこに腰かけた。
(……もしかして、逃げられるんじゃね?)
なんて事をティフが考えた瞬間、背後で部屋の扉が開かれた。
「なんてね! 逃げませんよ?!」
言い訳をしながら立ち上がり振り返ったティフだが、そこにいたのはヤツィではなく、別の兵隊だ。確か、先ほどすれ違った兵隊の一人だ。
「えっと……あの?」
「貴様、ティフ・アノングロスだな」
「あ、はい」
「なぜここにいる?」
「なぜと言われても」
説明のしようがない。向こうは悩んでいるようだったが、やがて。
「私と一緒に来い」
「ですけど、傷の手当」
ティフは手を上げ、すっかりまっかっかな包帯を指さした。
「そんなの後回しにして、早く来い」
そんなのとは失礼な。笑えないレベルの傷ではないかと文句を言おうと思ったが、相手は険しい顔で近づいてきたので止めておいた。男はティフの腕をつかみを引っ張っていく。強引な扱いにティフは抵抗しようとも考えたが、自らが囚われの身である事を思い出し、抵抗したらどのような目に合うか。結局、なすがまま引っ張られて廊下に出る。
兵隊は乱暴にティフの手を離すと、
「私の後についてこい」
そう言って廊下を歩きだした。
従わぬわけにもいかず、不安に思いつつ、ティフはその兵隊について行くのだった。
ティフが連れてこられたのは、フォルテ本部の半分地下となっている部屋であった。物置として使われているようで、薄く埃がたまり、訓練用や古くなった武具などが置かれていた。
人の気配のない所に連れてこられたのだから、嫌な予感しかしない。逃げる算段を考えたいものだが、いつの間にか後ろに回っていた兵隊に退路を断たれ、引き抜いた剣でティフは背中を小突かれる。
「奥へ進め」
勘弁してくれ。
自分の日々の行いが悪いからこんな目に会ってしまうのかなどと考えつつ、ティフは泣きそうになりながら、ひんやりする室内を奥に進んでいく。
少し歩くと、ランタンの光が物陰から漏れてきていた。
恐る恐る、ティフは覗き込むと。
木箱の上には、予想外の人物が座っていた。
「え、クルト?」
そう、クルト・ダルブジェイだ。向こうもティフの姿を見て驚いていたが、すぐに気を取り直したように笑みを作ると、立ち上がった。
「ティフ、なんでここに?」
「お前こそ、こんな所で何やってるんだよ?!」
「声を落とせ、バレたら厄介だ」
ティフは思わず後ろを振り返り、先ほどの兵隊を見る。彼も何かを気にするように外に目を向けていた。言われたとおり声の音量を下げる。
「バレたら厄介って、どういう事だよ? お前こんな所で何をやってるんだ。仕事は?」
「俺は姫様を探しにここに来たんだ」
「姫様って、カミラの事か」
「違う、クレステンツ・ジエット・アズコミーク様の事だよ」
「だからカミラの事だろ」
「彼女の事は知らないよ。僕は」
「だから、カミラがその姫様だったんだよ」
クルトは眼を瞬かせていたが。何か腑に落ちたように頭に手を当てた。
「確かに、あの銀髪……まさか、彼女がクレステンツ様だったんて。気がつかないとは、一生の不覚……!」
「何が不覚なのかはさっぱりなんだが……」
「カミラが姫様って事は、だからお前はここに……もしかして、ずっと前からクレステンツ様の事を知ってたのか? だから一緒に?」
「いや、知らなかったけど……ていうか、カミラの居場所を知ってどうするんだ」
「救出するんだ、クレステンツ様を」
その言葉に、ティフは耳を疑う。
「え、ごめん。さっぱり意味分からないんだが。なんであいつをお前が救出するんだ」
ティフにすれば違和感だらけだった。クルトがここに居るのもそうだし、クルトがカミラの事をクレステンツと――こちらの方が正しい呼び方であるが――呼ぶのもそうだし、そのカミラをクルトが救おうとする事もだ。
それこそ全部冗談なのかと思いたいが、クルトの表情はいたって真面目。
真剣な面持ちで、クルトは口を開いた。
「実を言うとな、俺はブルートヴンダ戦団の一員なんだ」
「ブルートヴ……は?」
重々しく言ってくれたクルトには申し訳ないが、ティフはそんな組織の名前などこれまで聞いた事もなく、頭に? が横一列に四つくらい並んでいた。
素朴な疑問。
「ブルートヴンダって滅びてんじゃん」
現在はヒルングに併合され、ヒルゲッツェという国になっていることは、誰もがご存じの所。
「だから、もう一度よみがえらせる為に俺達は活動してるんだ」
「なんでお前がそんな所に入ってるんだ? お前生まれも育ちもここだろ」
クルトは子供のころからこのランフォーリャで暮らしていたと、ティフは以前聞いていた。
「俺の母方はブルートヴンダの出身だったんだ。母の祖国を取り戻したいと思うのは人として当たり前だろ?」
言われてもティフは自分の母の顔など全く知らず、同意の要素は皆無だった。
そんなティフに、クルトは言う。
「ティフだって、ブルートヴンダの生まれなんだろ?」
「は? いや、知らねえよ」
少なくとも物心ついた時からティフはアルクオーレ王国の片田舎の孤児院に預けられていた。彼もそのことは知っているはずで、決めつけた態度のクルトにティフは首を傾げる。
しかしクルトにも確固たる理由があった。
「お前の名前は、ブルートヴンダの建国神話の登場人物から取られているのにか?」
「何それ。初耳なんだけど」
「初代国王の
クルトは常識の様に言うが、んな滅びた国の神話なんぞティフはいちいち知りはしない。
「じゃあ、俺はその
「まさか。名前を貰っただけだろ。ブルートヴンダ出身の人間なら、ありがちな名前さ」
笑ったクルトだが、仮にその
とはいえ、そんなことを話せば、面倒になりそうなので黙っておく。
「だが、お前がブルートヴンダの一員であるのは間違いない。いつかはこの事を手伝って欲しかったんだけど、こんな形でお前に知らせることになるなんてな」
「いやあ、手伝うかどうか分かんないよ」
仮にブルートヴンダが祖国だとしても、それも遠い昔。一度も行った記憶のない国に愛着など持ってはいなかった。
「今はその話は置いておこう。ティフ、聞きたいのは姫さまの居場所だ。カミラがクレステンツ様だったって事は、一緒に連れてこられたのはお前なんだろ? 姫様がどこにいるんだ」
「え、知らんけど」
期待を込められていながら大変申し訳ないが、意識が戻った時には既に牢屋の中、それから一度もカミラとは出会っていなかった。
何を言ってるか分からない様子で瞬きを繰り返しているクルトに、もう一度言う。
「ごめん、知らん」
「なんだよ、知らないのかよ!?」
「うん」
「ああ、クソッ」
とたんに、クルトは落ち着かない様子で狭い空間を行ったり来たりし始める。なんだかティフも申し訳なくなる。
「悪かったって」
「いや、いいんだ。お前だって大変な目に合ってるみたいだしな」
視線が注がれていたのは包帯ぐるぐるのティフの手元だ。
「ああ、いやこれは」
「本当に無事で良かった」
誰かに心配されるのがこんなに心に沁みるとは。ちょっと泣きそうだ。
クルトは立ち止まると、
「少し待っててくれ」
と言って見張りをしている兵隊――クルトの仲間だろう――の元へ行った。少し会話をしたのち、再びティフの所へ戻ってくる。
「おし、行こう」
「行くって何処に」
「いいから、ほら」
言われるがまま、ティフはランタンを手にしたクルトについていく。真っ暗な室内、ごちゃごちゃした物の合間を縫って進んでいくと、たどり着いたのは行き止まりだ。
クルトはランタンを一度、床に置いてしゃがみ込む。石畳は緩んで僅かな隙間が出来ていた。その隙間から手を添え、床を外していく。石畳を退かした所から、地面へ通じる長方形の扉が姿を現した。そこを開くと、下に伸びる穴がぽっかりと口を開けていた。
驚いているティフを尻目に、クルトはランタン片手に備え付けられた梯子を使って中に降りて行った。ティフもその後に続く。梯子を終え、足が床につく。ランタンの光に浮かび上がっていたのは、淀んだ空気の細長い空洞だった。煉瓦で舗装されていたが、所々破損している。
「なんだよ、ここ」
「古代の地下通路さ」
「地下通路……って、は? 下水道とかじゃないくて?」
「ティフ、この街が『インデアーレ』の跡地に建てられた事は知ってるよな」
「まあ」
インデアーレは、かつて千年近く前に存在したとされる古代都市であった。侵略と大火によって滅びたとされ、その数百年後、ここにランフォーリャが建てられたと言う。
滅んだ帝国の技術はかなりのもので、現在でも遜色ないものも多い。ランフォーリャを作る際、その都市の遺物を利用したのは有名な話だ。たとえば、旧市街に敷かれている六角形の石畳などは、殆どがインデアーレに敷かれていたものをそのまま使っていた。
もう一つ、再利用している代表的なものが、地下の水道だった。
「だが、インデアーレが地下に作ったのは水道だけじゃないんだ。水道と繋がりながら、街の地下をこの地下通路が縦横無尽に張り巡らされている。国も完全には把握しきれてない。今じゃ、どうしてそんなモノを作ったか分からない。ただ、俺達はその遺産を利用させて貰っているのさ」
歩きながらクルトが説明する。じんわり湿り気のある、ドブの臭いのする空洞を長い間進んでいたが、不意にクルトが立ち止まった。
クルトが壁ぎわを照らす。そこにも梯子が掛かっており、真上には別の穴が見えた。
「お前はここから上に出ろ。俺は別の場所から行く」
「出ろって、いやちょっと」
「これ以上巻き込みたくはない。大人しくこの街を出るんだ、分かったな」
ティフの返事も待たずに、クルトは地下迷宮をさらに進んでいった。
何か言い返そうにも、ティフはもう、そんな元気など残っていない。クタクタだ。クルトが角を曲がり、ランタンの光も見えなくなった所で、手さぐりに梯子を登り始める。
降りた時の半分くらいの長さの梯子を登り、重い蓋を持ち上げると、外の光があふれ出す。
同時に、強烈な臭いが襲いかかってきた。
だが、嗅ぎ慣れた臭いでもあった。
穴から上半身を乗り出す。そこは別の下水道の横道であった。
光と水の音(と酷い臭い)の方へティフは進んでいくと、見覚えのある水路。
そこは、バキュームちゃんの餌場である、生鮮食品売り場近くの川だった。
よりによってこんな場所かよと思いつつ、川に落ちないように気をつけながら土手を登り、道路に足を踏み出す。
思わず周囲を見まわしたが、老人が杖をつきながら歩いている以外、人はいなかった。
深い安堵と、困惑が零れずにはいられなかった。
「逃げられちゃったよ」
その場の流れで、まんまと宮殿から逃亡してしまった。
途方に暮れる。が、ボーっとしている暇はない。
自分がこれからしなければいけない事を、ティフは考え。
とりあえず家に帰る事にした。
もうクタクタだ。クッタクタだ。難しい事は考える元気などなかった。元はと言えば勘違いの逮捕からこんな目に合っているのだ。ブルートヴンダがどうなろうが、この国で何が起きようがティフは知ったこっちゃなかった。
クルトには逃げろと言われていたが、その前に一晩ぐっすり家で寝たって文句はないだろうとティフは勝手に決めつけ、再び兵士の襲撃にあったらもう知らんと半ば自棄になりながら我が家に歩を進めていく。
やがて、見覚えのある建物が目に見えた。一日しか経ってないのに、懐かしさがこみ上げてくる。ティフは浮ついた足取りで門をくぐり抜けた。
わき目もふらず、一目散に中庭を抜け階段を上り、自室にの扉に手をかけ。
「?」
開かなかった。
別に盗まれるものなどないし、普段から鍵はかけていない。何か引っかかってると考え、思いっきり扉を引くがやっぱり開かない。
なんで疲れてるのにこんな目に鍵が開かないのか。
しまいには腹が立ってきて扉を蹴飛ばしていると、
「ちょっと、何してくれてるんですかこん畜生!」
側面から抗議の叫び声。見ると廊下の向こうに見知らぬ女性が、あからさまに眉を吊り上げ、ティフを睨みつけていた。
「何してるって、自分の家に入ろうとしてるだけだろ」
「はあ? なにってくれてるんですか。こかぁあたしの新居ですよ」
「はあ? あんたこそ何言ってるんだよ、ここは俺んちだぞ」
「何あんた、酔っ払って部屋間違えてんじゃねえの」
「んなわけ――」
「あら」
口論している所に現れたのは、ソバカス顔の長屋の大家だった。まるで通りすがりの亡霊でも見るような眼でティフを見つめてきた。
「ティフさん、無事だったんですか」
「無事も無事も無事だよ。これは一体どういう事なの」
大家が簡単に纏めてくれた話は、こうだ。
「いやあ、昨日兵隊の人たちがここに押しかけてきてさ、あんたのこと探してるって言うじゃない。あんたがいそうな場所を教えたけど、そしたら昨日の夜は帰ってこなったでしょ。あたしゃてっきり逃げ出したのか、こうなっちゃったのかなって思ったのよ」
首に手を当て、舌を口端から飛びだたせる。首つりのジェスチャー。
「そこに丁度、家を探してるこの人が来たのよ。この人も色々苦労してるみたいでね。困ってる子を待たせるのも申し訳ないじゃない。彼女ペットいないし」
一番の理由は最後の一言のようだ。
だからバキュームちゃんはペットじゃないと散々言っていたが、奴が毎日のようにティフの家を強襲していたことは確かで、大家が嫌がっていた事も確か。
部屋の中に置いてあった鍵も彼女に渡し、荷物も運びいれた後。色々文句も言いたかったが、そんな元気などティフにはもう残っておらず。
哀れ、こうしてティフ・アノングロスは、家を失ったのだった。
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