7 クレステンツ

「何がどうなってんだよ」

 そう呟きたくもなるだろう。

 目が覚めたら、ティフは檻の中でした。

 薄暗く息苦しさすら覚える中、鉄格子の嵌められた狭い窓からは夜空が伺え、廊下につけられたランタンの明かりだけが周囲を照らしていた。ティフは錆ついた柵を両手で掴みながら、何とか檻の外を見ようとしてた。

 ひんやりとした石造りの長い廊下、他にも牢屋があるようだが、生憎どれもカラであり、ティフの声は一人虚しく響いている。

 ティフのいる牢屋は正方形で、ベッドとトイレだけが置かれていた。

 何よりも虚しいのは、ここの方がティフの自室よりも広い事だ。

 手足に錠をつけられている訳でもない。ただ、頭に残る鈍痛がティフの気分を害させた。頭には包帯が巻かれている。ティフはいつの間にか頭に怪我を負い、いつの間にか治療されたらしい。

 治療してくれた事はありがたいが、それならば医務室のベッドで目覚めたかった。自分がなぜ牢屋に入れられているのか、ティフはさっぱり見当がつかない。

 働かない事が罪になるならば、ティフはこの国を去る他ない。

 鉄格子に捕まりながら、深くため息。

 その時、奥で鉄の扉が開かれる音が聞こえた。

 規則正しい足音が、ティフに向かってくる。

 ランタンを手にやってきたのは、小柄な少女だ。

 淡い火の光に照らされていたが、太陽の下で見れば白に緑のラインの入った服装。

 ティフが昼間に出会った少女、エリだ。

 向こうはティフの姿を見て驚いた様子だったが、それから、昼間とは違う、険しい表情でティフを凝視してくる。

「まさか、貴方が?」

「なあ、こいつは一体どういう事なんだ。何がなんやら」

「とぼけないでください」

 声は鋭さを増す。その奥には警戒する響きが含まれていた。

「全てはわかっているのです、ティム・アノンクロウ」

 ティフは間抜けに口を開け、眼を瞬かせた。考えるように視線を彷徨わせる。

「あー、聞き間違いだと思うんだが、誰だそれ?」

「貴方でしょ、ティム・アノンクロウ」

「ティフだ。俺はティフ・アノングロス。昼間に紹介したろ」

「それは……あれ?」

 彼女は口元に手を添え、首を傾げた。しかしすぐに我に返ったように首を振る。

「偽名を使っていたんでしょ。騙されません」

「騙すも何も事実なんだが。第一、そのティムって奴はどこのどいつなんだよ」

「あくまでとぼける気ですね。貴方はかの王国ブルートヴンダ。その王の腹心の一人ティム・アノンクロウではありませんか」

 言い切ったエリだが、ティフの記憶にはブルートヴンダに仕えていた事など当然ない。

「ブルートヴンダが滅びたのは七年前だろ。そんときゃ俺はガキだぞ。ガキの時からブルートウンダに仕えてたのか?」

「それは……今の姿は、精霊の力で若作りしているのでは?」

「そんな術持ってる奴がこんなビンボー生活するかよ」

「追手に捕まらないようにするために」

「ならそんな本名に似た偽名、誰がつけるか」

「ああ、確かに……」

 エリは視線を足もとに落とし、しばし熟慮。それから困惑した表情をティフに向けた。

「それでは、貴方はティム・アノンクロウでは……ないと?」

「違う」

「ブルートヴンダとも関係は」

「ない」

「ではなぜ、彼女と一緒にいたのですか?」

「それは……」

 そこで、ティフは首をかしげた。

「彼女? って誰」

「誰って彼女ですよ。昼間も一緒にいたじゃないですか」

「もしかして、カミラの事か」

 この場でなぜあの女が出てくるのか、ティフにはさっぱり理解不能であった。

「まさか、彼女が何者か、貴方も知らなかったんですか」

「飯屋のボケ店員」

「違いますよ」

 エリの口から出てきた名前に、ティフは思わず耳を疑った。

「彼女はブルートヴンダ王国の第五王女、クレステンツ・ジエット・アズコミークです」




 ブルートヴンダ国王の第五王女、クレステンツ・ジエット・アズコミーク。

 九人いる国王の子供の末子であり、幼いながらに周囲の目を引く美貌を持っていたが、その幼さ故に殆ど表舞台に立つ事のなかった存在。

 実のところ、彼女が生きているのでないかと言う噂はまことしやかに囁かれていた。

 その彼女は今、まさしく皇女にふさわしい出で立ちに整えられていた。レースで装飾された上等な白いドレスを身にまとい、開かれた豊満な胸元には宝石が輝いている。

 彼女がいるのは、フォルテの応接間。

 リュトエの趣向から室内は控えめな装飾だが、それでも気品を感じさせる。だが、そんな部屋でも今のカミラ、もといクレステンツの輝きを飾るには不十分であった。

 ソファーに座る姿勢は正しく、上品に両手を膝の上に置いている。その姿は、見ているものに堅苦しさを感じさせないほど自然で、優雅なもの。

 そんなクレステンツの向かい合って座っていたのは、リュトエだ。リュトエは両手の指を合わせながらクレステンツから目を離せずにいた。

 リュトエも何度か、幼き日のクレステンツを見ていた。子供でありながらもその美しさは際立っており、人々の注目を否が応でも集めるタイプだ。

 リュトエのかつての妻はクレステンツの異母姉妹だった。妻も美しかったが、それでもクレステンツには足もとにも及ばなかった。

 今日、数年ぶりに彼女を見たとき、息をのんだ事をリュトエは否定できなかった。みすぼらしい恰好をしていながら、幼いころの人形のような姿から、熟成しながらも瑞々しさを残す女性へと見事な変貌を遂げていた。

 用意をさせた着替えをさせると、さらに見違えた。

 彼女は、誰がどう見ても王女であった。

 つまらなそうに部屋を見渡していたクレステンツと、リュトエの視線が交わる。

「さっきから何をじろじろ見ている。変態か貴様は」

 口の悪さも昔と同じだった。気を取り直して、リュトエは口を開く。

「大人になったな、クレステンツ」

「貴様は老けたな。髪型は変えた方がいいぞ、禿げが目立つ」

「その口のきき方は昔のままだな」

「それよりこの服装はなんだ。貴様の趣味か」

「妻の趣味だよ」

「なんだ、小姐さまのものか。小姐さまは昔から派手好きだな」

 呆れるように言いながら、クレステンツは自分の服を見渡す。確かに、リュトエの妻には少々派手であったが、クレステンツは見事に着こなしていた。

「その小姐さまはどうしてるんだ?」

 その質問にリュトエは、一瞬ためらいながらも重い口を開く。

「彼女なら、もういない」

「それぐらい知っておる。小姐さまは男と一緒に貴様の元から逃げたのだろ」

「……知ってるなら何で聞いたんだ?」

「その後の話だ。何処で暮らしているとかは知らんのか」

「生憎」と、リュトエは首を振った。

 すると、つまらなそうに口を尖らした。

「なんだ、貴様も知らんのか」

 その口ぶりからして、クレステンツも姉とは会っていないようだ。

 リュトエは気を取り直して訪ねる。

「そんなことより君こそ、この七年間はどうしていたんだ」

「色んな場所を逃げ回っていたに決まっておろう」

「この街に居たのは何時から?」

「三年前からだ」

「そんな前からか……」

 リュトエは小さく口を開けてソファーに身を沈める。

 ここ数年は人口は一気に増加し、この街も混沌としていた。その上クレステンツも身分を偽っており、眼が行き届かなくても仕方がなかった。

 それに、クレステンツが生きていると言うのは、あくまで噂に過ぎなかったのだ。彼女が生きてるとは、リュトエも信じてはいなかった。

「まさか、七年間も一人で逃げ回っていたのか」

「ふん、私一人で生きていける訳なかろう」

 手を振りながら堂々とした態度で、クレステンツは情けない事を言いきった。

「爺やが一緒にいたのだ」

「アヒムの事か」

 クレステンツは首肯する。アヒム・ヌーサムはクレステンツ直属の執事であった。その前は、国王の側仕えリスコマーラであった。老いてもなおその腕は見事で、リュトエも何度か手合わせをしたことがあったが、打ちつけられる剣の重さはとても老人のものとは思えず、驚いたものだ。彼の経験と知恵があれば逃げ切る事も不可能でないだろう。

「ならば、アヒムもこの街に居るのか」

「爺やなら死んだ」

「病気か?」

「いや、大食い大会でパスタを喉に詰まらせて」

 リュトエは眼を細めながら首をひねり、視線を宙に彷徨わせる。

「まさか、三年前の大食い大会で死んだ片割れは、アヒムだったのか?」

 クレステンツは首肯。リュトエは頭を押さえずにはいられなかった。

 戦後もっとも国家を危機に陥れた二人のうちの一人が、まさか自分も知っている人物とは。リュトエも予想外であった。

 喉に詰まらせて死んだ老人の一件は、あくまで事件の発端であり、そこまで重要な事ではなかった。事件の始まりが二人の人間の死である事は誰もが知っていても、彼らが何者かは誰も知らない。当然身分は偽っていただろう。リュトエが実際にその姿を見ていれば気がついただろうが、簡単な報告を聞いただけで済ませてしまっていた。

 まさか、そんな方法で死んだ者が、自分が敬意の念を抱いていた相手とは、誰も思わない。

 リュトエは頭を押さえたまま小さく首を振る。

 そんなリュトエに、今度はクレステンツから訪ねてきた。

「しかし、あの男が貴様の下にいるとはな」

「あの男?」

「あの男だ。ほら、私を捕まえたあのメガネ」

「テボル・チーファニアンか」

「そう、そ奴だ」

 テボルの国もかつて、ブルートヴンダと同盟国であった。その縁で幼い頃に二人は会っていた。だからこそ、テボルはクレステンツを見分けられたのだ。

 最も、クレステンツにすれば、言われるまでテボルと会った事があるのに、全く気付かなかったが。

 ブルートヴンダと同盟国だったのは、テボルの国だけではない。

「彼だけじゃない、ヴェルナ・ヘイスボーンもいるぞ」

「誰だそ奴は?」

「……赤い髪の少女だ。ここでやったパーティーの時に会っていただろ」

「ここでパーティーなど行われたか?」

「……私と妻の結婚十周年の」

「ああ、あれか。今の貴様たちの状況からしたら、全く間抜けなパーティーだったな」

 鼻で笑ったクレステンツに、リュトエは目頭を抑える。リュトエの努力の甲斐もあって、クレステンツはヴェルナの事を思い出したようだ。

「あ奴も貴様の元におるのか?」

特別捜査官クリエンテとしてな」

「もう一人の奴とも会った事があるぞ。どいつもこいつも揃いに揃って若い奴らばかりだな。貴様まさかロリコンだったのか」

「ただ若い人材を集めているだけだ」

「つまりロリコンなのだろ。ロリコンでショタコンか、救いようがないな」

 沈黙の中、リュトエはクレステンツを睨みつけた。

「なんだ?」

「……いや、何でもない。ヤツィ」

「はい」

 いつの間にか壁際に立っていたヤツィに、カミラはビビりながら立ち上がり振り向いた。

「貴様、いつから居ったのだ!」

「先ほどからですよ?」

「ええい、気配もなく現れるな。こいつは誰だ?」

 後半はリュトエに投げかけた言葉だ。

「私の側仕えリスコマーラさ」

「何、こ奴が」

 クレステンツは値踏みでもするようにマジマジとヤツィを見るが、鼻で笑うと肩越しにリュトエに言った。

「やはりロリコンではないか」

「……ヤツィ。そいつを連れて行け」

「御意に」

 ヤツィが扉を開けると、クレステンツは落ち着いた態度で部屋を後にしようとしたが。

「そう言えば、あの貧乏人はどうしているのだ」

 とまるで、たった今、思い出したような態度で振り返った。

「君と一緒に捕らえられた青年の事か? 安心しろ、怪我の治癒をさせてから、しかるべきところで休ませている」

「ふむ、そうか」

 興味があったか無かったか。大した感情も見せずそう呟くと、扉の外に消えて言った。

 閉じられた扉を見送って、リュトエは息をついていたが、

「あの~リュトエ様」

 再び開いた扉から、ヤツィが控え目に顔を覗かせた。

「どうかしたか」

「私は、ロリコンでもいいと思いますよ?」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……早く行け」

 ゆっくりと閉じられた扉を、リュトエはしばらく睨みつけていたが、誰も来ない事を確認すると、今度こそ深く、深く息をついたのだった。

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