6 嵐の前のなんとやら

「へえ、そんな事があったんだ」

 呟きながら、クルトはミネストロラを口に運ぶ。

 ティフは三人と別れた後に、クルトを昼飯に誘ったのだった。本当ならば食事もどうかとエリナに誘われたが、カミラは帰るというし、ティフも辞退した。ティフとクルトがいる店は、先ほどいた店よりも遙かにボロく、薄汚れ粗雑な感じであった。だが、悲しいかなこちらの店の方がティフとしては心が落ち着けた。

 同席する相手も、女性三人よりは、クルトの方が気が楽だ。

 料理は互いに、カブとベーコンのミネストロラに黒パン。それにクルトはチーズも頼んでいた。

「中々出来る事じゃないぞ、フォルテの|特別捜査官クリエンテとお茶なんて。羨ましいね、全く」

「その前に酷い目にあった事も忘れないでくれ」

 ティフは危うくまる焦げになる所だったのだ。クルトは爽やかに笑う。

「普段、怠けに怠けてる罰が当たったんじゃないか? 少しは働くことを考えたらどうだ。うちの商会で仕事はあるんだ。お前だって昔は商人の元で働いてたんだろ。その手腕を活かさない手はないと思うがな。なあ、バキュームちゃん」

 クルトは同じテーブルで黒パンを貪っているバキュームちゃんに声をかける(バキュームちゃんの分はクルトが別に注文したものだ)。

 バキュームちゃんは顔を上げると、ただ眼をパチクリさせる。

「昔の話だよ」

 商人の元で働いていていたのは事実だ。

 人間、誰もが一度は間違いを犯すものである。

「お言葉もありがたいけど、今はいいよ」

「二年前から同じセリフ言ってるぞ、お前」

「お前と会ってそんな経つのか」

「俺と会ってからはもう三年だ」

 つまり、ティフがこの街にやってきてから、それだけが経ったと言う事だ。

 街を彷徨っていた所をバキュームちゃんに急襲され、その直後現れたのがクルトだった。

 それからクルト達との縁が始まった。バキュームちゃんが懐いている事から、ティフにバキュームちゃんの世話を任せてはどうかと提案したのも彼だった。お陰で食いぶちを手に入れ、狭いながらも雨風しのげる場所も住む事も出来た。

 ティフはクルトには感謝してもしきれなかった。この街で生活する事が出来ているのは、彼のお陰なのだから。

 いつも自分の事を気にかけ、一緒に飯を食べたり、暇な時には拳闘やヴェランツェ、安い劇を共に楽しんだ。

 それから、バキュームちゃんがあの店に行くようになってカミラやマルシオ、ナタリーとも出会った。色々あったが、まあ何とかやっていた。

 今日も色々あったが、ここ一か月の不幸を使いきったと考えればまだマシである。

 ティフはバキュームちゃんの頭を撫でながら、そんな事を考えたが。

 残念な事に、これらはまだ、始まりに過ぎないのであった。

 



 バキュームちゃんの世話は日の入りの前に終わりとなっており、シュトローマン商会に引き渡した。バキュームちゃんは満足しているのかしていないのか。相変わらず何を考えているか分からない表情のまま、大人しく門の向こうに消えていった。

 ティフの方も、明日になればまた寝床を急襲されるのだ。名残惜しさもクソも無かった。

 やっと一人になったティフは、夕暮れの中、デ・スカッピで一人コーヒーを嗜んでいた。

 店の中には今、客はティフだけだ。

 閑古鳥が鳴いているが、もう少しすれば、この店にも活気が戻ってくる。

 この近くには工房が連なる通りが二つあり、そこの従業員達が主な客だった。工房の終業を告げる六時の鐘が、この店にとって夜の始業の合図となる。

 彼らが来る前では近隣の住民が点々とくる程度。先ほどまではティフ以外にも老夫婦が二人いたが、彼らも食事を終わらせると、コーヒーも飲ます早々に店を後にした。

 ブリキのコップでのんびりと飲むコーヒー。流石と言うべきか。

 昼間に、エリ達と飲んだコーヒーよりも何倍もマズイ。

「なにか文句でもあるのかしら、ティフ?」

 そんな気持ちが顔に出たのか、いつの間にかいたナタリーが、にっこり笑顔で射撃してくる。

 コーヒーが不味い事は自覚しているのか、その件になるとナタリーは不機嫌になるのだった。

「いやあ、世界で一番おいしいコーヒーだなって思って」

「嬉しい事言ってくれるね」

 彼女は新たに出したカップにポットからコーヒーを注ぐと、それをティフの前に置いた。

「なんだ、奢ってくれるの?」

 ナタリーは笑みを浮かべたまま、無言で雑巾を手にテーブルを拭き始めた。

「おい、ナタリー? 俺、金ねえからな?」

 そこに部屋の奥からひょっこりとマルシオが顔を出す。

「皿洗い終わったぞー、ってあれ。カミラは?」

「さあ」と彼と目が合ったティフは肩をすくめる。

「ねえ、ルッシ」

 テーブルを拭いていたナタリーは、手を止めゆっくりと腕を組んだ。

「あたし、お皿洗いはカミラに任せてなかったっけ?」

「おう、そうだな」

「じゃあ何であんたが皿洗いしてるの」

「いやあ、カミラに頼まれちゃったからさあ」

「あんたに頼んだスープの作り置きの追加は?」

「まだだぞ!」

 自信満々に言ったマルシオの顔面に濡れ雑巾が直撃。べチャリと音を立てた。

「いい加減にしなさいよね! あんたはカミラの事を甘やかし過ぎ! 甘やかすとしても、自分の仕事やってからにしなさい!」

「だって頼まれちゃったからさ~」

 雑巾で濡れた顔の頬が、ダラしなく弛む。

 ナタリーはわなわなと体を震わせながら、こらえるように話す。

「ともかく、あんたは、自分の仕事をやってこい、この馬鹿あぁぁぁ!」

 結局こらえきれなくなったようだ。「はい!」と慌てながらマルシオは店の奥に引っ込んだ。その光景に体を向けていたティフはナタリーと目が合い、硬直。

「もう一杯コーヒーいかが?」

 素敵な営業スマイル。ティフは手に持っていたカップを持ち上げた。

「いや、これだけで十分です」

「三杯目はいらない?」

 やはり先ほどの一杯もカウントされているようだ。

「一杯分しか払わねえぞ」

 そこに、カミラが姿を現した。手には貸本を持っており、今まで自室で読んでいたらしい。

「なんださっきのどなり声は。集中して本も読ません気か」

「本読んでんじゃないわよ。あんた仕事は?」

「もう終わっておるだろ」

「終わらせたのはルッシでしょ! あんた何仕事サボってるの!」

「マルシオが代わってやると言ったから、代わってやったまでだ」

 彼女の言い方では、マルシオから代わると提案していたようだ。ナタリーは頭を押さえる。

「……ともかく、カミラもルッシに甘えすぎないで。あいつ馬鹿ですぐ調子に乗るんだから。自分の仕事は自分でやりなさい」

「なにを言う向こうから代わそうだな任された仕事ぐらい自分でこなすさ」

 いつの間にかナイフを手に持っていたナタリーに、カミラは仕方がないという風な笑みを浮かべて頷いていた。

「本当に頼むわね」

 疲れたようにナタリーは言うと、あとは任せたとばかり、ヒラヒラと手を振りながら店の奥に姿を消した。

 ティフの斜め向かいに座りながら、カミラはナタリーの消えた方へ拗ねるように眼を向ける。

「毎日、ああも怒鳴り散らしおって、良くもナタリーは飽きないものだな」

「カミラのせいだからな」

「私が悪いというのか?」

「お前が悪くない要素は何処にもねえぞ」

 カミラは納得いっていない様子で腕を組む。しかしティフから言わせれば、カミラがこの店をクビになっていないのが奇跡であった。

 そもそもデ・スカッピを開いたのはマルシオの父親だった。その父が早く亡くなった後、店長の跡はマルシオが継いだが、実権を握っているのはナタリーだ。よほど人員が不足しているのか、そうでなければ、何か精霊術でも施され仕方なく雇っているのではと勘ぐってしまう。

 ティフは口をつけてない方のコーヒーを思い出す。一杯目は飲み途中だし、二杯も飲む気はなかった。

「カミラ、これ飲むか?」

「私はコーヒーなど飲まん。それよりタイム茶をくれ」

「店員なんだから自分で飲めばいいじゃねえか」

「店の奴を勝手に飲んだらナタリーに怒られるからな」

 代わりに俺が怒られればいいとか思ってそうだな。とティフはあきれ果てる。

 カミラは接客などまるでやる気はないようで、その場で持ってきた本を広げた。

「例のなんチャラの騎士か?」

「あんなもん、もう読んでおらん」

 読書を再開した彼女を、ティフは何となく伺っていた。改めて、良くも悪くもカミラがここにいるのが場違いに思えた。

 長いまつげに鋭くも知的に見える(見えるだけの)瞳。飛び出た鼻に控え目に盛り上がった唇。その横顔はまるで絵に描かれた女性が現実に飛び出てきたかと思える程だ。

 そこだけを切り取れば、社交界で高根の花ゆえに誰も手を差し伸べられず、退屈をしている少女。

 残念な事にここで社交するのは近くの気の良いおっさんおばさん共であり、そしてそのおっさん共がカミラに声をかけないのは、すべからくカミラの性格を知っているからに他ならない。

 それでも、傍目に見ているだけならまさしく彫刻の如く。

 そんな少女が隣にいる事を不思議に感じながら、ティフはコーヒーをすすっていたが。

 不意に、店の外で慌ただしく動き回る兵隊の姿が目に付いた。

 窓の前を数人の兵隊がやってきたかと思うと、再び逆に進んでいく。街中に兵隊がいる事はおかしくもないが、こう同じ場所を何度も往復しているのは奇妙であった。

 それに、彼らの恰好は憲兵ではなく、フォルテのものだ。

「? 何やってんの、あいつら」

 店の奥から手を拭きながら姿を現したナタリー、続いてマルシオも顔を覗かせる。

「このあたりで事件でもあったのかな」

「知らん」

 興味がないようで、そっけなく答えたカミラは、本から目を離さないまま。

 やがて、兵隊の一人が窓のまんまえで立ち止まると、上を見上げる。どうやら看板を見てるようだ。それから、店の中を指さしてくる。

 店内にいた全員の頭に? が浮かぶ。

 直後、店の扉が勢いよく蹴飛ばされた。

 姿を現したのは、メガネをかけた一人の男。

 その服装はフォルテの特別捜査官クリエンテの服装だ。

「やっと見つけたぞ! ティム・アノン――」

 叫び声は突然の消音。

 眼を丸くしているティフ達に、負けず劣らずその男も目を丸くした。

「き、き、貴様ああぁぁぁ!」

 同時に指を差したのはティフの方向、うろたえたティフは立ちあがろうとして、体がよろけ。

 衝撃。脆い糸が切れたように意識が途切れた。

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