5 お茶受けの噂

 自らの執務室で、リュトエは窓ぎわに立ちながらヤツィの淹れたコーヒーを手に、窓の外に目を向けていた。

 リュトエの部屋はこの建物、フォルテの本部の最上階である五階に位置し、場所が場所ならば街の景色が良く見える。しかし生憎、窓のすぐ下に渡り廊下の屋根があり、見晴らしが良いとはいえない。

 しかし、リュトエは満足であった。真っ直ぐ伸びた渡り廊下は、遠くで十字に道分かれていた。リュトエの部屋から正面に見える丸天井の建物は、礼拝堂だった。

 あの礼拝堂の内部に、国教の守護精霊とそれが宿主とするオールの巨木があった。

 リュトエは、守護精霊の事を敬愛していた。

 フォルテの本部から礼拝堂が最もよく見える位置がこの部屋であり、だからこそリュトエはこの部屋を自らの執務室にしていたのだ。

 礼拝堂を見ていると、心が穏やかになる。フォルテの長たるリュトエの仕事は、決して楽ではない。人事の管理や王である兄の護衛、危険分子の排除。自らの手を汚した事は数知れず。

 それも全て、この国の為であった。

 数々の危険をくぐり抜けてきたリュトエは、決して軟な心など持っていない。

 それでも、先ほどの一件はリュトエの精神を摩耗させた。

 テボルである。

 面会したテボルは、何故か菓子の入ったビンを両脇に抱えていた。「これには重要な理由がありまして。ですが本件には関係ないのでお気になさらず」などと訳の分らぬ前置きをしてからテボルは話し始めた。

 それはまさに一世一代の大演説。大きな手振りを使い、時に冷静に、時に情熱的に言葉を並べ、リュトエの説得にかかったのだ。

 その時間、一時間十三分二十四秒。

 机上に置いた懐中時計で計っていたので間違いない。

 途中でリュトエも何度か止めようとしたが、

 

「もう少しお時間、お手間はかけません」「後五分だけですから」「待ってください、ここからが重要な所に入るんです!」「その通り、いまからが一番重大なポイント!」

 

 聞く耳を持たないとはこの事だ。

 本人が大真面目なのが手に負えない。リュトエが感服したのは、仰々しく言った内容は破綻しまくっており、しかもそれを破綻していないと思わせるのではなく、破綻していることは明らかなのに何故かこちらを納得させる説得力があった。

 彼が言いたかったことを要約すれば、今朝の事故はあのブルートヴンダ王国の再建をもくろむ者たちが仕組んだ事で、彼らの最終目標は国家の転覆である、と言う事だ。

 テボルの言うとおり、先の戦争で滅びたブルートヴンダ王国の信望者は未だ数多く、ヘルゲッツェ国内では反政府組織があるし、各地に潜伏して組織を作っている事も知っている。その一つがこの街にもある可能性もあるだろう。

 だが、それと今朝の事故はリュトエには全く結びつかなかった。窓枠が壊れたのは単なる建物の老朽化のせいだ。そろそろ大規模な修復をしたかったが、戦後の処理に財源や人員が割かれ、宮殿の改修は後回しになっていた。その結果の不運な事故である。

 第一、あの男を殺しても何の利点がない。経歴は至って地味。問題があるとすれば妻に虐げられ、娘にも嫌われ、最近家に居場所がない事ぐらいだ。

 それに、下手にブルートヴンダ王国の事を突っつくのは得策ではない。

 戦争から七年たった。この国は本格的な戦火に巻き込まれなかったとはいえ、大量に流れ込んできた難民は、さらなる繁栄と共に情勢の不安定さをもたらした。

 どれぐらい不安定だったかと言えば、三年前に街で行われていた大食い大会でパスタを喉に詰まらせ、二人の男が亡くなったとき。それが回り回って大きな反政府デモにまで広がってしまった。

 政府としては、今後一切の大食い大会を禁止する処置で何とかそれを抑え込んだのだ。

 努力の政府や民間の人々の努力のお陰か、今は幾らか安定しているとはいえ、内部で何が爆発するか分からず、むやみに突っつきまわしたくはなかった。

 外交的にも、不用意な話題を持ち上げたくはない。元より、ヘルゲッツェと外交的には友好ではないのだ。戦中にどちらにも加担しなかったことによって、ヘルゲッツェ内、特に旧ブルートヴンダ圏では嫌われていた。

 戦後、ヘルゲッツェで起きた深刻な食糧危機の際には援助をしたのに礼も無し。それどころか、食料危機の遠縁の一つである、ブルートヴンダの巨大食糧庫で起きた大火ですら、こちらの陰謀なのでは、と突っかかってきたのだ。

 終戦間際、ブルートブンダで国の食糧庫の大火事。決戦に備え、一年分とも言われる多量の食材が保管されていた食糧庫に火事が起き、その全てが塵となってしまった。

 その火事がアルクオーレが仕組んだことだと言い、ありもしない責任をなすりつけてくる。そんな面倒を言う国に、一々関わりたくない、というのが本音だった。

 だからと言って、他国から代表として招いている特別捜査官クリエンテのテボルを無碍には出来ず、数名のフォルテの兵士を彼につかせ、独自に調査する事を認めた。

 テボルは望んだ結果が引き出せて満足したようで、床に置いてあった瓶を抱え、壁ぎわに立っていたヤツィ(三十七分ごろに入ってきた)を睨みつけてから部屋を後にした。

 静まり返った室内、リュトエはため息代わりに、コーヒーを口に含んだのだった。

 

 国の英雄であり自らの上司でもあるリュトエに多大なダメージを与えたテボルは、資料室であるものを読み漁っていた。

 それは一年前に行われた住民調査の資料だ。

 戦後の混乱で、どれほど人が入ってきたかを調べる為、二十年ぶりに行われたものだ。

 テボルはこの資料の中に、何かがあると確かな根拠を持っていた。

 根拠とは勘であった。しかも理由もない直観だ。

 果たしてそれを根拠と言っていいか分からないが、今の彼にとってそれは根拠として成り立っているのだった。

 そんなテボルの手が、不意にある所で止まる。

「こ、これは……?!」

 名前の欄を何度もなぞると、彼は驚愕の後に、不敵な笑みを浮かべたのだった。

 

「一緒に『ヴェッチオ』に行かない?」

 先ほどの一件の詫びも込めて、提案したのはエリナだ。しかし、マルシオは仕事途中の為、泣く泣く辞退。暇を持て余していたティフは二人と共に近くの喫茶店に入った。

 ヴェッチオこそ、このヴェルジネ広場にある有名なお菓子屋だ。かつては販売のみであったが、数年前から喫茶店も併設し、中でお菓子と飲み物を楽しめるようになっていた。

 ティフ達は外の席の一つを陣取る。

 普段なら入れないようなお高いお店。しかも奢ってくれるという事で、お言葉に甘えて、ティフはその中でもお高い種類のコーヒーを注文した。

 芳醇な香りがティフの鼻をくすぐり、思わず短く唸る。ぶっちゃけコーヒーの事などよく分からないが、普段口に出来ないような高い物というだけで、気分は上がっていた。

 しかもカップは真っ白な磁器である。それだけで味が全く違うように感じられた。

「コーヒーを飲む奴の気がしれんな。ドブ川を煮立てたのと同じようなものではないか」

「……なんでお前もついてきてるんだよ」

 ティフは自分の右隣のカミラに目を向ける。彼女は紅茶を優雅に傾けていた。本当は紅茶にも興味があったが、幾ら奢って貰えるからといって、そんな高級品を頼む度胸はティフになかった。

 ついでに、ティフとカミラの間にはバキュームちゃんが立っており、涎を垂らしながらテーブルの上にあるクッキーに目を向けていた。

「マルシオは先に帰ったぞ。お前もサボってないで帰れよ」

「混む前に戻れば問題ない。どうせ私は料理など出来んからな」

「威張る事じゃねえよ……」

「いいじゃんいいんじゃん」

 ティフの左隣から、エリナの明るい声が飛んできた。

「人数は多い方が楽しいもんね」

「そうですね」

 援護はティフの正面のエリ。彼女も紅茶を注文していた。流石フォルテの特別捜査官クリエンテ。カップを傾ける仕草は鮮麗されていた。最も鮮麗された動作で言えば、何故かカミラも負けていないが、みすぼらしい服装が綜合的な優劣を決めていた。

 エリナは行儀などは気にしないようで、リラックスした様子でコーヒーを楽しんでいる。

「……でね、ソクレンって奴がこのまえ食堂でお盆ひっくり返しちゃってさ。それがカルドルスの服に掛っちゃって。ああ、カルドルスってのは精霊師なんだけどね。腕はいいんだけどちょっと横暴でさあ。悪い人じゃないだけど近づきたくない感じ? あれなんだけどさ――」

 リラックスしすぎではあったが。

 気を緩めすぎなのを、エリがたしなめる。

「エリナ」

「え? どうしたのエリ?」

「貴方は少し喋り過ぎです。個人の情報を簡単に漏らすのはよくないですよ」

「大丈夫だって、本当に大切な事はあたし言わないからさ。話題提供って奴だよ。ねー」

 笑顔で首を傾けながら同意を求めてきたエリナに、ティフは首を傾ける。

「ねーと言われても。はー」

 一方のカミラは、我が物顔で言い切った。

「どうせ向こうも市民を見てせせら笑っているのだ。こちらも話の種にして何が悪い?」

「お、いいますねー。そんな意見も出てますけど、エリちゃんはどう思う?」

「そんな不謹慎な人ばかりでないと思いますが……というかエリナ、人前でその呼び方やめてって言ったでしょ」

「あ、しまった。ごめんごめん」

 頭を掻きながらあっはっはーと能天気にエリナは笑う。エリは頬を僅かに紅潮させながら、誤魔化すように息をついた。

「もう、お願いしますよ」

「でもエリちゃんも硬すぎなんだって。特別捜査官クリエンテだから気張るのは分かるけどさー、もうちょっと肩の力を抜いてもいいと思うよー」

「公私を分けてるだけです」

「こんなこと言ってるエリちゃんだけど、好きな本はあの『白龍の騎士』シリ――」

「わー?!」

 エリは顔を真っ赤にしながら、エリナを遮るように大声を上げる。

「ちょっとエリナ、何でそこまで」

「うるさいぞ貴様」

 カミラが顔をひそめる。エリの声は、他の客の注目を引くには十分だった。エリは視線に気がつくと、周囲にぎこちなく頭を下げてから、キッとエリナを睨みつける。

「何でそこまで言っちゃうの……?!」

「あれ、ダメだった? 主人公の亡国の王子がカッコいいとか言ってたじゃん」

「だーかーらー……」 

 諦めるように項垂れた。とはいえ、本など読まないティフにしたら、なんの話をしているかすら分からず、エリは殆ど自爆した様なものだ。

「それって、どんな本なんだ」

 興味からティフが尋ねると、エリナが答えた。

「えっとね、主人公は架空の滅びた国の王子様なんだけど、国を再建するために必要とされる伝説の宝を集める話。それにヒロインの女戦士とか魔女とかが旅とかしてるの。私も結構好きなシリーズだよー。主人公が何でも解決しちゃうのはあれだけど」

「何でもって、例えば?」

「てゆーか、魔法って便利だよねえ。精霊の力を借りなくても色々出来るし。あたし精霊師の才能なかったからなー、魔法があったら良かったけど」

「あのー、何でもって?」

 無視されたので軽く心が折れかけたティフだが、気を取り直しもう一度訪ねる。向こうも悪気はなかったようで(悪気がないのもそれはそれで問題な気もする)、謝りつつ話してくれた。

「ああ、ゴメンゴメン。えっとね、悪い霊獣を倒したり氾濫した川を穏やかにしたり、飢餓に苦しむ街を救ったり空から降ってきた隕石を抑えたり、国を転覆させたり独り身の女の人の結婚相手探したり」

 それだけの事が出来るのなら、伝説の宝を集めなくても国の再建など簡単にそうだが。

 呆れるようにカミラが鼻を鳴らす。

「下らなんな。国の財に溺れてぬくぬくと育った奴がそんな有能であってたまるか」

「そんな事ないです!」

 反論したのはエリだ。ちょっとむきになったように体を乗りだす。

「王子様は幼いころから国の超一流の英才教育を受けてきたんです。だからどんな強い魔物や霊獣も倒せるし川の氾濫も止められますし人だって蘇らせられるんです」

 一体どんな教育を受ければ人を蘇らせられるのか。

「しかも完全な善意からですよ。報酬は少しの食糧と宿代だけ」

「そんな訳があるか。上っ面がいいだけだ。どうせ旅の途中のぼろい村を襲撃して女やら金やらを強奪して回っているに決まっている。でなければ旅であんな生活基準が保てるわけがなかろう」

「う、それは……」

 カミラの指摘は的確なようで、エリは言葉を詰まらせる。そんなカミラがティフは気になった。どうも、話の内容を知っているそぶり。

「もしかしてお前も読んだことあんの?」

 ティフが尋ねると、彼女は不満げに柳眉を上げた。

「悪いか?」

「いや、悪くはねえけど」

 そう言えば、何度かテーブルで本を読んでサボっているカミラの姿を見た事があった。その時は、文字が読めるなんて意外だなーと思ったものだった。

「いいんですよ、どうせ物語ですから。夢ぐらい自由でいいじゃないですか」

 エリはしょぼくれた様子でブツブツと呟いている。

 そこで、エリナがある事を口にした。

「でも亡国の王子って所だけなら、可能性はゼロじゃないんじゃない?」

「エリナ、そう言うのは物語の中だけだよ」

「えー、そうとも言えないでしょ。噂だけど、ブルートヴンダから脱出した王族がいるって話があるじゃん」

 その話なら、ティフも耳にした事があった。七年前に滅びたブルートヴンダ。戦火が首都に迫る直前に、ある幼い王族が密かに都を出たという話だ。根も葉もない噂であるが、エリナにとって話の種には十分だった。

「リュトエ様からそんな話、聞いたことないの?」

「ないって、そんなの……」

 エリは苦笑しながら否定する。少し残念そうにエリナは頭の後ろで腕を組んだ。

「そっかー、逃げるならリュトエ様のとこだと思ったんだけどなあ」

 ティフの頭に疑問符が浮かぶ。

「リュトエってフォルテの長だよな。なんでそんな奴を、ブルートヴンダから逃げてきた奴が頼るんだ?」

 先の戦争では、この国はブルートヴンダ王国に対し中立の立場をとっていたという話。普通ならば味方をしてくれた国を頼るのでないか。そうティフは考えたが。

「あれ、知らないの。リュトエ様の奥方ってブルートヴンダの王族だよ」

「え、マジ?」

 エリナの言葉に耳を疑う。だが、よくよく考えればそんな話を聞いた事があったような気がしないでもなかった。エリナが話を続ける。

「だから、もし噂が本当ならリュトエ様たちが囲ってるかと思ったんだけどなあ」

 あらぬ誤解でも生みそうな言い方だと思いながら、ティフはカップを傾ける。

 先ほどから黙っているカミラに目を向けると、完全に興味がないようで、バキュームちゃんにクッキーを分け与えている。ドブでもいいような生物に、そんなちゃんとしたものを与えないでほしい。

 エリとエリナの二人も、話題はリュトエの事に逸れる。

 そんな三人を、ティフは改めて見渡してみた。

 こんなメンツでテーブルを囲む事はこの先ないだろうなあ、などと、ティフはしみじみと思いながら、再びコーヒーカップを傾けるのだった。

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