3 特別捜査官(クリエンテ)の三人衆

 ティフとバキュームちゃんが見つめ合っている同時刻。

 宮殿のある一室に、二人の人間の姿が見えた。片方の赤い髪の女性は、ヴェルナ・ヘイスボーン。彼女の向かいにある執務机には一人の男が座っていた。灰色の髪を後ろに撫でつけ、鉤鼻の両側についている瞳は刃物のように鋭い。服はそれほど派手ではなく、ヴェルナの服装と比べて見栄えはしないが、返って溢れだす形象しがたい雰囲気を強めていた。

 彼こそがヴェルナの属する組織であるセグ・ア・フォルテ。

 そのトップであるリュトエ・シエ・イフーマだった。

 セグ・ア・フォルテ。

 通称フォルテと呼ばれるその組織は、国王の親衛隊だ。

 その領分は国王の警備だけでなく、国内の不審な事案に当たる特別組織だった。軍より規模がはるかに下回るが、同等かそれ以上の権限を持っていた。

 現在のフォルテがそこまで足るのは、トップであるリュトエの存在があった。

 リュトエは国王の実弟であった。それだけでなく、リュトエ自身も武芸に長けており国民から恐れられていると同時に、信頼も厚かった。

 そんな彼が一年前、フォルテに設立したのが、ヴェルナの肩書でもある特別捜査官クリエンテだ。

 フォルテ内でも、特別捜査官クリエンテは特異な存在である。

 特別捜査官クリエンテはこの国の人間ではなく、周辺諸国からやってきた若者たちで構成されていた。七年前、戦争の渦の中心であったブルートヴンダの王都が陥落したことにより戦争は終結し、地に一応の平穏は訪れた。

 だからと言って、完全に火種が消えたけではない。

 諸外国との緊張の緩和と融和を目的としたのが、特別捜査官クリエンテだった。特別捜査官クリエンテとして招かれるのは、各国の有望な若者たち。

 フォルテはアルクオーレの王室に極めて近い存在だ。そこに席を設けると言う事は、国王はそれら諸外国に対し、自らの寝床を預けるという信頼の証。敵対する意図は無いと示していた。

 諸外国としても、ここに有望な若者を送り込むことによって、自分たちの国の強さを各々の国に間接的に見せつける形となる。

 つまり、特別捜査官クリエンテに派遣されてきた者は国の顔であり、国の代表でもあるのだ。

 その一人であるヴェルナ。

 彼女がリュトエの元に呼ばれたのは、今朝起きた落下事故の件。

 ではなく、

「昨日も遅くまで飲み歩いていたようだな。ヴェルナ・ヘイスボーン」

「ええ、それが何か?」

 リュトエはヴェルナを見上げる。

 ヴェルナは眼を合わせようとしない。

「お恥ずかしいですが、私も一人異国にやって来ているのです。時には酔いに心を任せ、寂しさを紛らわしたくなります」

「三日前にも飲みに行ってるぞ」

「そうでしたか?」

「その二日前にも行ってる。そんなに自分の国が恋しいか」

「人並みには」

 リュトエは鼻を掻いて、ヴェルナを見上げる。

 ヴェルナは眼を合わせようとしない。

「今朝の訓練にも出なかったそうだな」

「自主訓練ですから、出なくても構わないかと」

「今日は公式の定時訓練だ。それも覚えられないのか」

「寂しかったもので」

 リュトエは小さく息をつく。

「まあ、いいだろう。貴様が飲んだくれてしまうことも、週に一度しかない訓練をサボるのも、まあいい。しかし」

 机の上に置いてあった紙を、リュトエは指で叩く。

「飲み代を我々のツケにするのはやめて頂きたいのだが。飲むなら自分の金を使え。相応の給与は我々からも渡しているはずだ」

「個人の飲み代です。多少はいいではないですか」

「個人ならな。だが明らかなに個人の額じゃない。どうすれば一晩で100万エラも使える」

「98万エラです」

「どっちも変わらんよ」


 沈黙。


「……シカールが、誕生日だったんです。だからお祝いに、店のみんなに奢ったんです」

「そのシカールという奴は、どこのどいつなんだ」

「このランフォーリャの善良なる市民で」

「どこのどいつなんだ」

「パン屋と言っていました。初めて会った奴ですし、本当は分かりませんが」

 沈黙。ヴェルナは視線をリュトエに落とすと、彼の鋭い瞳と目が合い、即座に逸らす。

 リュトエは溜息をついた。

「ともかく、今後は一切ツケは受け付けん」

「しかし」

「ヴェルナ」刺すような声で、リュトエはけん制する。それから、一言一言を区切りながら、明言する。

「今後。一切。貴様のツケは。受け付けん。分かったな」

「……ハイ」

 



「ってアタシに言わせなきゃ気が済まないのかね、あの性悪ジジイ」

 不満と同時に、ヴェルナはパイプの煙をゆっくりと吐き出した。

 彼女がいるのは、特別捜査官クリエンテ専用の社交部屋であった。元より|特別捜査官クリエンテは外交上の理由で派遣されてきており、彼らの扱いは内部でも優遇されていた。凝った衣装もその一例だ。揃いの意匠でありながら、各国の文様や様式をさりげなく取り入れ、差異もつけられている。

 社交部屋の設備も大したものだ。赤い絨毯で彩られた優雅な内装。壁際の棚には、本や小物。煙草パイプやお茶のセット。様々なお菓子の入った大きな瓶がずらり。飾りつけや置いてある物を見れば、フォルテの長たるリュトエの執務室よりも遙かに豪華だ。

 ベルベッド生地のアームチェアに、ヴェルナは足を組んで腰かけていた。

 彼女の周りには、同じようなアームチェアが他に二つ置かれている。

「それはヴェルナさんが悪いですよ」

 言ったのは、ヴェルナの右向かいのアームチェアに座っている少女。真っ直ぐに背筋を伸ばした彼女は、茶色い髪の毛を肩ほどで綺麗に切りそろえている。まだ十四になったばかりで、幼さが抜け切れていなかった。

 彼女、エリ・キウラスレキンはヴェルナと同じく特別捜査官クリエンテとして国外からやってきた少女だった。エリの座る椅子には長い木の杖が立てかけられており、先端には握りこぶし程の巨大な、緑色の精霊石が取り付けられていた。

「我々の財源も国民の税金なんですから、無駄遣いをしたら怒られますよ」

「だから無駄遣いせず、国民に還元してるんじゃないか」

 再び煙を吹かせたヴェルナに、エリは呆れるように眉をひそめる。傍らのテーブルに置いてあった美しい磁器のカップを手に取り、紅茶を一口。

「そもそも、ヴェルナさんは国の代表としての意識が足りないのです。貴方の態度が国にどれほどの影響を与えるか、考えた事はないんですか」

「向こうが勝手に選んだんだ」

「そうだとしてもですね――」

 今にも身を乗り出しそうになったエリだが。

「放っておけ、こんな奴」

 横やりを入れてきたのはヴェルナの左向かい。アームチェアに深く座り、足を前に投げ出していたテボルだった。彼は瓶いっぱいに入ったナッツ入りのクッキーをむさぼっていた。

「こいつは俺達の立場ってのが全く分かってないんだ。お前みたいのを選んだ奴の神経を疑うよ」

「そっくりそのままお返しするね」

「何だと?」

 食べかけのクッキーを持ったテボルの手が止まる。キック―の欠片を口端につけながら、不愉快そうな表情を作った。

「そいつは一体どういう意味だ。俺が選ばれたのがおかしいって言うのか。お前なんかより俺は優秀だぞ。剣の腕だってお前より上だ」

 テボルは坐り直すと、瓶を抱えたまま噛みつくように体を乗り出した。ヴェルナも不敵な笑みを作り、体を前に出す。

「剣の腕は認めるがね。それ以外はテンテコマイのポンコツじゃないか」

「何だと貴様!」

「二人とも、昼間から喧嘩なんてしないでください」

 エリは眉間に皺を寄せながら、カップを傾けていた。ヴェルナは悪戯な笑みを浮かべながら、矛先をエリに向ける。

「いつだったら喧嘩をしてもいいんだい?」

「見苦しいものを見たくないと言っているんです」

「友情を育みあってるだけさ」

「友情だって?」目を大きく見開き、テボルは捻る様に声を吐き出した。

「こんなのと? この俺が? 御免だね!」

「ほら、意見が合った。友情の第一歩だ」

 にんまりとほほ笑んだヴェルナに、エリはうんざりするように息をつくと、気分直しにお茶を一口。テボルはギリギリと歯ぎしりをしていたが、椅子に沈みこむと、瓶からクッキーをつかみ取って一気に口に放り込む。

 沈黙。パイプを吹かす音と、磁器の音と、クッキーをボリボリと食べる音がそれを彩った。

「まあ、いいさ」

 クッキーを食べたおかげか、テボルの気分は幾らか落ち着いたようだ。少しずり落ちたメガネを、クッキーのカスで汚さないように手の甲で上げる。

「優秀かどうかを決めるのはリュトエ様だ。あの人もすぐに俺の優秀さを認めてくれるよ。飲んだくれの貴様と違って、俺は濁りのない鋭い観察眼を持ってるからな」

 自らの目を差し、頬を釣り上げたテボルに、ヴェルナは嫌な予感を覚える。

「まさかじゃないが、今朝の事を本気で調査する気か?」

「今朝の事?」

 分かっていない様子のエリにヴェルナが説明する。話を聞くとエリは驚きを露わにした。

「でもあれは、事故だったと聞いていますが」

「あたしも現場を見たけど、どう考えてもあれは――」

「はっはっはっはあぁぁ~」

 テボルは眉を上げながら笑みを浮かべると、突き立てた人差し指を左右に揺らした。

「普通ならそう思うだろうなあ。だがぁ、俺には分かるんだ。これは仕組まれた事だとな」

 人差し指で頭を叩いているのは、自らの頭がイカれているのを本能では自覚しているからなのか。そんな事を考えるヴェルナの横で、エリが生唾を飲み込む。

「本当なんですか、それは」

「信じるな。そいつの妄想だ」

「えっ?」

「はっはぁぁあぁぁ~。好きに言えばいい。後で泣きを見るのはヴェルナ、貴様だからな」

「あれあれ、女の子を泣かせちゃう宣言ですか?」

 突然割り込んできた声に、三人が一斉に顔を向ける。誰も気がつかない間に、壁際の棚に浅黒い少女が立っていた。動きやすそうなベージュの地味な服装をしており、袖から覗く右腕には黒い手袋をはめている。黒髪は後ろで束ねられていた。

 手袋をしていない方の腕には真鍮の腕輪。そこに輝くは、緑の精霊石。

 彼女はにっこり笑みを浮かべながら、腕に抱えたビンから、ビスケットを食べていた。

「罪な御方ですねえ」

 パイプを持つ手で頭を掻きながら、ヴェルナは尋ねる。

「ヤツィ。あんた何時の間に入っきたんだ」

 彼女、ヤツィ・モンスレイはフォルテの精霊師であった。歳はヴェルナと殆ど変わらない若さながらも、フォルテの長リュトエの側仕えリスコマーラであった。

 側仕えリスコマーラとは、高い地位の者に従事する存在だ。主に身の回り全般の世話をすることだが、何よりも大事なのは、武芸者としての腕前であった。側仕えリスコマーラの実力は、その主人の権威にかかわるものであった。どんな位の高い者であろうとも、側仕えリスコマーラは一人だけ。自らの手ごまの中で最も優秀な腕利きが選ばれる事になり、側仕えリスコマーラになれたということは、非常に名誉であった。

 ヤツィはフォルテという国王親衛隊のトップであるリュトエの側仕えリスコマーラ。実力はフォルテでも指折りだが、マイペースな所があり、おっとりとした印象を与える笑みをいつも浮かべていた。

「それはですね――」

「ああああああぁぁああぁぁぁぁぁああ!!」

 茫然としていたテボルが、ヤツィを指さしながら驚愕の声を上げる。

「そのビスケット、俺のじゃないか!?」

「小腹がすいてたもので」

「勝手に食うな、この女狐!」

 ズカズカと近づいていくとヤツィの手からビンを奪い取る。テボルは両脇に瓶を抱えながら、恨めしそうにヤツィを睨みつけた。

 エリが諭すように言う。

「ヤツィさん。ここは特別捜査官クリエンテの部屋ですよ。勝手に入って来たら困ります」

「いいじゃないですか、歳も近いんですし。それとも聞かれたら困る事でもあるんですか」

「それは――」

「エリがボスの悪口を言うからな、告げ口されたくないんだろ」

「ちょっと、それはヴェルナさんじゃないですか。なすりつけないでください!」

「悪口、言うんですか?」

「あ、いや。それは……」

 うろたえたのはエリ。当のヴェルナは素知らぬ顔でパイプをふかしていた。

「大丈夫ですよ、言いませんから。リュトエ様に聞かれない限り」

「聞かれたら言うんですか?」

「で、ヤツィ」煙を吐き出しながら、ヴェルナは彼女に尋ねた。

「あんたは世間話をするためにここに来たのか?」

 すると、ヤツィは用件を思い出したように、手のひらをポンと叩く。

「ああ、そうでした。テボルさん、リュトエ様がお呼びですよ?」

「やっとか」

「おいおい……。まさか、あんたの妄想をボスに言う気か?」

 呆れ口調のヴェルナに、テボルはその通りとばかり、不敵な笑みを浮かべた。

「言っただろ、俺の濁りのない観察眼をリュトエ様も認めてくれるってな」

 濁った観察眼では、自分が濁っている事は分からないらしい。

 テボルは踵を返すと、早足気味に部屋を出ていこうとしたが、両脇にクッキーとビスケットの入った瓶が抱えたままだ。

 そんな彼にエリが驚いた様子。

「テボルさん、お菓子持ってくんですか?」

「その女狐にこれ以上食われたら困るからな」

 肩越しに吐き捨ててから、足を使ってテボルは扉を閉めた。残された御三方は、なんとも言えない空気の中、しばし沈黙。

 我に返ったように、エリも立ち上がる。

「……では、私も用事があるので、ここで失礼しますね」

「あいよ」

 エリも部屋を後にし、残されたヴェルナとヤツィ。

 ヴェルナがパイプを吹かしながら、気になったことをヤツィに尋ねる。

「ボスがあたしを呼びつけてから、えらく時間が空いたね。間に他の誰かと面会してたのか?」

「いえ、いませんでしたけど。ブレイクタイムが欲しかったんだと思いますよ?」

「ブレイクタイム?」

「ええ。あくまで私の推測ですが」

 にっこり微笑んでいるヤツィ。ヴェルナはパイプを吹かそうとしたが、思わず欠伸が漏れた。

 まだ寝不足であった。

「……ま、いいや。あたしはもう少し寝るよ」

 手をひらひら振りながら、ヴェルナは部屋を出ていったのだった。

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