2 シュトローマン商会

わびしい朝食をティフが食べ終え、ブリキのカップでコーヒーを飲んでいる(飯は安くてうまいのだが、コーヒーは不味い)頃に、店に新たな客がやってきた。扉を開くと同時に、

「よう、おはよう」

 爽やかな笑みを浮かべた彼は、クルト・ダルブジェイ。ティフの数少ない友人の一人だ。ついでに言えば、バキュームちゃんの本当の飼い主は、クルトの勤務先の商会であった。

「いらっしゃい」

「おはよう、ナタリー。今日も綺麗だね」

「相変わらず、お世辞がお上手」

「お世辞じゃないさ、なあ。ティフ」

 背中を叩かれたティフが答える前に、奥からマルシオが姿を現した。

「おはよう、マルシオ」

「おはようさん。今日もクルトさんは元気そうだ。その元気を少しはティフに分けたらどうだ?」

「余計な御世話だ」

 新たな客にナタリーは尋ねる。

「クルトさん、朝ごはん食べてく?」

「ああ、もちろんその気だよ。お勧めは?」

「いい黒キャベツが手に入ったからミネストラにしたの。それとパンはいかが?」

「じゃあそれで」

 食事をしているクルトの横で、頬杖をついてボケーっとしているティフに、ナタリーが声をかけてきた。

「ティフ、クルトさん待ってる間にバキュームちゃんに餌あげなよ。裏に集めてあるから」

 面倒だが、やらなければいけない事だ。先に店を出たティフは、バキュームちゃんとカミラの姿を探す。

 彼女(と一匹)は店から少し離れた給水栓の所にいた。

「なんだ貧乏人、もう帰るのか?」

 バキュームちゃんに覆いかぶさるように寄りかかっていたカミラは、少し残念そうだ。バキュームちゃんと離れがたい。という訳ではなく、バキュームちゃんと遊んでいる間は仕事をサボれるからであった。

「ちげーよ。バキュームちゃんの飯だよ」

「ああ、なんだ。こいつの飯か」

 バキュームちゃんはカミラに寄り掛かられたまま、ティフについて店の脇道に入る。

 店の裏庭の木の柵の前に、腐った食べ物やら壊れた食器やらガラクタやらが山のように積まれていた。

 この店だけでなく、近くの家々から集めたものだ。

 一見するとただのゴミの山であり、実際にゴミの山であったが、それがバキュームちゃんにとっては御馳走であった。

 カミラはバキュームちゃんから離れると、バキュームちゃんはテポテポとゴミの山の前まで移動する。そこで、確認するように首だけでティフの方を振り返った。ティフは頷く。

「おう、いいぞ」

 すると、無表情に顔をゴミの山に戻す。僅かに間を置いてから、嘴を大きく開き、パクリと一口。それから勢いをつけてゴミの山をむさぼり始めた。

 バキュームちゃんは雑食であった。

 一般生物の範疇にはおさまらないレベルで雑食であった。

 その食いぶりがあまりにも凄い為に、ティフはバキュームちゃんと呼び始めたのだ。

 本当の名前は別にあったが、そちらがあまりにも長い為にティフは覚えていなかった。ティフの記憶では、ウルトラスレンタなんちゃら――




「ラクディーア・フェルバトレスロスカティアクアルモルタ・フェルベニーレって言うのさ」

 道を歩きながら教えてくれたクルトに、ティフは思い出したように頷いた。

「ああ、そんなんだったな」

 食事を終えた二人は、店から北、街の中心部分へ向かっていた。

 街を横断する川の流れにぶつかった時、市壁とは別の、巨大な壁の一部が川の向こうに姿を現した。

 それは旧市壁の跡であった。かつてはその市壁が街を守っていたが、人口の膨張と共に、より広範囲を包む現在の市壁が作られた。元の市壁は門の部分と他の一部を残し、取り壊されていた。

 旧市壁跡より中は、『旧市街』と呼ばれ、市壁跡と現在の市壁の間の事を『新市街』と呼んでいた。

 市壁の外である『壁外市街』を加え、この街は、大きく分けて三つの階層で作られていた。

 階層の分かりやすい見分け方は、それぞれを区切る壁であるが、それ以外だと、地面に敷かれた石畳であった。壁外市街は基本的に舗装が間に合っておらず、未だ土のままだ。一方、旧市街と新市街はそれぞれ石畳であるが、新市街が長方形の石が利用され、旧市街は六角形のものが利用されていた。

 足もとを見れば、自分のいる階層がすぐに判別できる、と言う訳である。

 それぞれの階層を示す時は、そのまま呼ぶ事もあれば、旧市街を『中央』、新市街を『壁内』、壁外市街を『壁外』。または真ん中から外に『一層』『二層』『三層』と呼ぶこともあった。

 彼が勤めているシュトローマン商会は、『旧市街』にあった。小さな商会で、戦後に始めたばかりの新参の商会であったが、規模は頭一つ飛びぬけていた。

 戦後の食糧難の際に、大陸外から仕入れた大量の穀物で、一気に基盤を築いたという。それから手広く商品を広げ、最近は火薬などという希少品まで扱い始めていた。

 既に他国にも支店を出しており、その成長速度に誰もが度肝を抜かれたが、今のティフには全く興味のない話であった。

 バキュームちゃんは、シュトローマン商会で飼われている霊獣だった。

 だから、世話をしているティフも商会に所属していると勘違いされるが、それは間違い。シュトローマン商会にティフは勤めていなかった。

 ティフはあくまで、バキュームちゃんの世話をしているだけだ。

 バキュームちゃんはシュトローマン商会にとって、守護者の役割をしていた。

 この周辺諸国では、それぞれ宗教を国で持っていた。その国教の象徴として『守護精霊』がいるのが当たり前である。

 それにあやかり、個人宅や店でも精霊や霊獣を守護者を据えることがあった。

 一体どのような基準で、シュトローマン商会がバキュームちゃんという謎霊獣を選んだのか、ティフにとって極めて謎であったが。ともかく、バキュームちゃんを守護者に据えていた。

 ティフとしては、バキュームちゃんが霊獣かどうかも怪しいと思っていた。

 普通の獣と違い、人間のような知性を持つ生き物を霊獣と呼ぶのだが、この鳥に人間並みの知性があるとはティフには到底思えない。

 そもそもバキュームちゃん、なかなかの乱暴者であった。

 言う事を全く聞かないは、檻を破壊してどっかに行くは、せっかく準備した餌は食べないで商品を勝手に食い漁るはで、ともかく商会も手を焼いていた。

 そんな時、バキュームちゃんとティフは出会ったのだ。

 その日もいつものように、バキュームちゃんは檻から脱走していた。商会の人間は町中を探し回っていると、壁外市街のボロテントの前に、その姿があった。

 そこで、バキュームちゃんは汚らしい男と一緒だった。

 商会の人間はバキュームちゃんを引きずるように連れて行こうとしたが、なかなか汚らしい男の元を離れようとしない。

 どうも、この汚らしい男の事が気に入ったらしい。

 その汚らしい男が、何を隠そうティフであった。

 以来、商会は彼にバキュームちゃんの世話を任せたのだ。

 しかし、そこには明確な雇用はない。

 あくまでティフはバキュームちゃんの世話を趣味でしており、その手伝い賃を貰っているだけ、という形だ。

 店がティフを雇いたくない訳ではない。ティフがそれでいいと言ったのだ。

 店としては、むしろティフを雇いたいようで、何度も話題として出ていた。

 事実、今日も、




「そろそろ、店の仕事で働く気はないのかね?」

 と、アーデルベルト・キャルラーメスから言われたのだった。

 真っ白な頭に真っ白な髭を蓄え、金縁の眼鏡をとんがった鼻先にひっかけている。しわくちゃな顔に薄い眉、少し肥えた腹が高級な服を押し出していた。

 何を隠そう彼こそが、クルトの勤める商会、シュトローマン商会の会長であった。ティフ達がいたのは、シュトローマン商会の店の前だ。

 門の前でクルトと別れた後、ティフは暇つぶしの為に街の散策に向かおうとした時に、馬車の上から声を掛けられたのだ。

 馬車から降りたアーデベルトはバキュームちゃんを撫でようとしたが、バキュームちゃんは華麗に回避。気まずい空気の中、話を切り出されたのだった。

 僅か数年で商会を大きくした自信からか、彼の言葉の合間合間に傲慢さが覗いていた。

 そんなアーデルベルトに、ティフは肩をすくめる。

「何度も言ってますけど、俺はバキュームちゃんの世話だけでいいです。その方が気楽ですし」

「だが、君も今の報酬では生活も楽じゃないだろ。遊ぶ金だって余り無いはずだ。働き始めたら最低でも今の三倍はくれてやるぞ。簡単な仕事だけでだ」

「三倍ですか……」

 実に魅力的な数字ではある。しかし、ティフには一つ、重要な事があった。

「今みたいにのんびりできますかね?」

「今みたいとは、どれくらいだ?」

「つまり、起きている時間の九割はボーっと過ごせるか、って事なんですけど」

 こいつは仕事を舐めてるのか? と言う様な怪訝な顔をアーデルベルトは浮かべる。

「それは不可能だが」

「じゃあやっぱりパスです」

 あっさりと答えたティフに、アーデルベルトは不愉快そうに顔をしかめた。

「君は不思議なやつだ。ラクディーア・フェルバトレスロスカティアクアルモルタ・フェルベニーレの世話をしてくれているから特別に計らおうというのに、それを断るとは。相変わらず一流のナマケストだな」

「どうも」

 皮肉めいた言葉に、ティフは苦笑する(ティフは褒められていると解釈する事にした)。

 そりゃあティフだって金が欲しくない訳ではない。お金があれば今住んでいるボロ家よりもいい所に住めるだろう。朝食だって一番安いもの以外を頼む事が出来るだろうし、毎日パスタや白いパンを食べることだって不可能でないはずだ。

 しかし、そうしないのには理由があった。

 敢えて難しい理屈で答えるならば、金を得る対価としての苦労と努力と時間を考えると、とてもでないが、お金を取る気にはなれないのだ。

 つまり、ティフは働きたくなかった。

 お金は最低限もらえればそれで結構。

 生きていく分の金が十分あるのに働きたがっている人間は、脳みそに損傷を負っているとティフは確信を持っていた。

 アーデルベルトは短く息をつく。

「意外だろうが、私は君に親近感を抱いているのだ」

 確かに意外であった。嬉しいかどうかは別であったが。

「何故、私が君に親近感を抱くか分かるかね?」

 ティフには全く思い当たる節がない。それでも聞かれているのだからと答えを探すが。

「それは――」

「まあ、死んでも教えんがね」

 彼は鼻を鳴らすと、茫然とするティフを尻目に馬車に戻っていった。

「ラクディーア・フェルバトレスロスカティアクアルモルタ・フェルベニーレの世話は任せた」

 言い残して、馬車は門の中へ消えていった。残されたティフは、隣に佇んでいるラクディーア・フェルバトレスロスカティアクアルモルタ・フェルベニーレ。もといバキュームちゃんに顔を向けると、バキュームちゃんもこちらに首を向けてくる。

「じゃあ、行くか」

 と言ったティフに、バキュームちゃんは特に頷く事もせず、考えの読み取れない瞳で見つめ返してくるだけであった。

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