閑話休題 獅子身中の蟲

 東京都港区赤坂と言えば、日本人なら知らぬ者は無いと言える町だ。

 高級料理店や世界中の贅を集めたショッピングモールのみならず、政治の中心である永田町とも接する日本の中心の一つであると言えよう。

 そんな一等地赤坂に広大な敷地面積を誇る場所がある。しかもそれが個人邸宅であるのだ。ぐるりと周囲を囲う鉄柵は高く、所々に監視カメラがこれ見よがしに設置されている。門扉は重厚で迎え入れる為の物でありながら何人たりとも、その侵入を阻むかのような雰囲気を醸し出している。

 黒塗りのBMWがその門扉に向かって止まる。門扉に据え付けられた監視カメラがひとりでに動きBMWに向いて、レンズの中で極小の機械音をさせる。ズームしてナンバーと運転者を確認すると、連動して拒否のオーラを放つ門扉が恭しく重たげな低音を響かせて開く。開ききったのを確認すると、BMWはゆるゆると吸いこまれ、退路を阻む様にまた門扉が閉じた。

 BMWの中には政界の大物の一人に数えられる男が居た。名を毒島高貴。文部科学大臣の座にある男だが、実際の所は大した実績も経歴も持たず、後ろ盾の傀儡として政権に名を連ねる事になった三下である。

 そしてその後ろ盾こそが、この屋敷である金山盛太郎だった。

 BMWがようやくにして母屋に辿り着き、運転手が後部座席のドアを開けると、毒島は脂でギトギトした面を陽光に晒した。邸宅の執事が先導し、応接室に通された。しかしいつ来ても豪奢という他無い。ベルベットの絨毯にしつらえた家具は皆どれもアンティークで優に二百年の時が経っているだろうし、壁にはモネの真作が無造作に掛けられている。部屋の中は椅子とテーブルが数名分だけ置いてあり、その席は向かい合わせではなく、部屋の奥に向いている。部屋の奥にはもう一つ扉があり、一人掛けのソファがある。ここは名前こそ応接室だが実質は違う。金山と面通りする為の謁見室なのだ。

 毒島が椅子に座り居をただしていると、金山が現れた。歳の頃にして八十は過ぎているはずだが、一向に衰える気配はない。それどころかその貪欲さが滲み出るような風貌をしている。

 「毒島君、忙しい所、呼びたてて悪かったね」

 一向に悪びれるそぶりもなくそう言った。

 「いえ、御前様にお声を頂ければ、この毒島、何を置いても駆けつける所存ですので…」

 「今日だって本当はこんな所に居たらマズイんだろう? 緊急閣議が召集されているはずだ」

 「ええ、全く持って困ったものです。臨海部の再々開発か何か知りませんが、どうせ手抜き工事でもしたんでしょう。新たなランドマークとやらもああなってはただの巨大な棺桶、それも周囲に迷惑を撒き散らすというから堪ったものではありません。」

 そう零す毒島に金山は楽しそうに笑って見せる。その笑顔、実に醜悪。

 「いや、私はね。君も知っての通り、時勢に恵まれて金だけはゴマンとある身だ。まぁ大概の娯楽と言われる物を味わい尽くした身だ。」

 「はい、勿論存じ上げております。政治家を育てるというのは娯楽であり善意であり、最大の道徳なのだ、そうおっしゃられて私を今の地位にまで押し上げて頂いたのですから。」

 「はっは。そうだったね。」

 そう言って金山は好々爺の顔を捨て、醜悪とさえ言える笑みを浮かべた。

 「とは言え、そんな糞のような物とは、まるで違うなぁ、あの観覧車は。長らく生きてきたが、あんな物は見たことが無いよ。良いかな? 私が見たことが無いという事は、それは百億の金より価値があるという事だ。それを君達内閣は止めないといけない。そうだね?」

 毒島は金山の意思に気付きたくなかった。この男には血も涙も無い。あるのは貪欲な楽しさへの欲求だけだ。それも極悪で醜悪で、金山個人だけが楽しければ良いというだけのサディスティックな物だ。更に言えば毒島はその傀儡であり走狗、国民の支持を高いレベルで集め続ける現内閣を獅子とするなら、まさに獅子身中の虫そのものだ。

 「まぁいい。毒島君、アレ、もっと被害が出る方向に持って行ってくれ」

 金山はさらりと言った。

 「どうせ緊急閣議が開かれるだろう? ならばそこで、そうだな、理研辺りの試算だとでも言って、より事態が長期化する方向に誘導する様に提言するんだ。他ならぬ文部科学大臣の言葉だからね、無視する訳にもいかんだろう。無論、失敗というか私にとっては成功なんだが、そうなっても大丈夫。君の責任問題なんて事にはならんよ。君は私に従っていれば良い」

 金山は毒島や国会議員だけではなく、多方面にその傀儡を送り込んでいる。国政は先述の通り、政財の双方に暴力とも言える力を有している。

 古代中国には蟲毒こどくという呪術があったという。西洋魔術における使い魔、日本なら式神といった位置付けの呪術で、その毒を用いるとも、蟲を放って使役するとも言われる。そういう意味では、金山は現代の蟲毒使いであり、それによって放たれた毒島は、まさに、獅子身中の蟲と言うべきだろう。

 「レインボーブリッジを通過させたのは内閣情報調査室のエージェントだそうだ。」

 どこから聞き及んだのか、金山には既に香澄の話が入っていた。

 「…となると、防衛庁長官辺りを炊きつけて、災害出動を自衛隊ではなく、内調なんぞに命じたのかといった切り口で行けそうですね。ただ、既に観覧車を操る術を確立した内調をこちらの指揮下に入れた方が、自衛隊を間接的に動かすよりは手っ取り早そうです。」

 毒島も蟲とは言え、頭の回転が遅い訳ではない。

 「ふむ。実務の方向性は君に任せるよ。必要なコネクションがあれば遠慮なく言ってくれ。ただ私は」

 そう一旦言葉を区切って、金山は表情を変える。

 厭らしい笑みを湛え、舌舐めずりでもしようかという表情だ。これが女を無理に手篭めにする時に浮かべた表情ならば、まだ理解もできるし人間的だ。金山の視線は宙を泳ぎ、やもすれば想像の中の大破壊に向けられているのか、下卑た恍惚を浮かべていた。

 「そう、悪夢のような破壊が見たいだけなのだよ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る