**12章**

第57話


 **12**


【田中弘人】


 うそだ。

 反射的に浮かんだのはそれだった。

 六原君が嘘を吐いているように見えるからじゃなくて、だってそんなの信じられないという気持ちからだった。

 だって誰にも、俺以外の人には、本当に誰にも。

 飯嶋や佐々木や石田たちクラスメイトにも谷崎や野中君や三谷君や安達君たち他のクラスの友達にも学校の先生たちにも今日会った小学生たちにも保護者や地域の人たちにもいつも通学中にすれ違ったりしている人にも、

 ――そして親友の明良にさえも。

 こいつのことは、これまで誰にも見えなかったのに。

「本当に見えるの」

「見えるよ」

 呟くような俺の言葉に、何も変わらない態度で六原君は返した。

「これ何本?」

「四本」

「うん、声も聞こえてるね」

 指の並び立つ右手を上げたまま、あいつが言った。

「ほとんどのものはすぐに消える。継続して見えるものも今までに何回かはあったけど、ここまで濃く見えてるのは初めて……いや、多分、三回目で。はじめは、人として本当に実在してるのか、そうじゃないかも少し迷ってた。だから鈴掛さんの様子を見てたり、一応『本人』に話しかけてみたりしたんだけど」

「学校着いてからの座席狭くないかっていう再確認、あれって俺に話してたんだ?」

「そのつもりだった。だけどヒロさんが答えてくれたのと同時に姿が消えたから、あぁそうなのかって」

 あいつに対して淡々と言う六原君に、俺は、――……言葉が、出ない。

 嬉しいはずだ、喜んでいいはずだ。

 俺以外にあいつの姿が見え、声が聞こえ、その存在を感知出来る人が、俺はずっとずっと欲しかった。そうして、あいつがこの世界にちゃんと居るんだってこと、俺はあいつを取り戻せたんだってことを、証明したかった。

 世界から消されたあいつ自身だって、きっとその方が嬉しいはずだから。

 それなのに。

 俺の中のザワつきも、嫌な感じも、止まらない。

「なんで、見えるんだ?」

 混乱したまま、俺は六原君に尋ねる。

 それは俺にはよく説明出来そうにないんだけど、と、彼は答える。

「見えるようになった契機なら、たぶん」

「なになに? オカルト的な魔術でも使った?」

 あいつの予想を否定してから、六原君は言う。

「小学生の時の方の事故。トラックに轢かれたのが、そうだと思う」

 そうして、少し笑って続けた。

「ごめんなさい。俺、嘘吐いた」

「は」

 え、なに、嘘って 

 どこから、だってちゃんと見えて聞こえ

「今ではなくて、です」

 ますます混乱しかけた俺に、六原君が注意を入れた。

「前に事故のことを話した時には、病院で起きた時に俺が言った言葉を覚えてないって言ったけど、本当は、あれから忘れたことは無い」

「なんて……言ったの」

「『リョータは無事だった?』って」

 俺の頭に、トンボのピンバッジを付けた男の子が浮かぶ。

 それを察してかすぐに、今日の子じゃないよ、と訂正された。

「その時の俺が言ったリョータっていうのは、俺と一緒に事故にあったはずの弟の名前」

「六原君って弟が居たんだ!」

 少なくとも俺の中では、と、驚くあいつに顔を向けて、六原君は頷く。

 その光景を見ながら、今更ながらに俺は気付いた。

 そうか。こいつが居るのが見えていたから、六原君は窓際に詰めようとしなかった。抱えておくのも邪魔だろう鞄を、隣の席に置くこともしなかったんだ。

「気遣いの出来る六原君なら、やっぱりいいお兄ちゃんだったんでしょ」

「どうだろう。弟本人からは確認出来ないから分からない」

 まるでこれまでもそうであったかのように、あいつと六原君の会話はスムーズだ。

 取り残されているのは、ザワつきが治まらないのは、俺だけなのか。

「事故に遭った日、リョータは自転車で走ってた。それで、その後ろを同じように自転車で走ってた俺の前で、突っ込んできたトラックの下に入っていった。勢い良く跳ね飛ばされた時、俺は確かに、ぐしゃぐしゃになった色違いの自転車を見たはずなのに、」

 内容に合わない淡々とした語りを区切って、

「起きた時、リョータはこの世界には居なかった」

 六原君はそう言い切った。

「……し、ん、じゃってた?」

 お亡くなりに、っていうのもおかしい気がして、色々迷いはしたものの、結局直接的な言葉になってしまう。

 でもそんな俺の言葉に対して、違うよ、と六原君は首を振った。

「存在自体。元々、この世界には居なかったことになってたんだ」

 今度こそ俺の心臓が大きく跳ねた。

 それって、それって、こいつと

「でんちゅー、それはそうとは言い切れない」

 きっぱりと、あいつは俺の考えたことを切り捨てた。

「まぁ、違うとも言い切れないけどね」

「どういうことだよ」

 あいつはさぁねと答えるだけで、発言の意味を教えてはくれない。

 トンネルに入り、夕方にも関わらずまだまだ眩しかった外が一気に暗くなったことで、逆に車内が白々と感じられる。

「今でも俺は、正しく判別はつけられていないよ」

 その白い光で、静かに言う六原君の前髪には薄い輪っかが出来ている。

 あぁこういうの、なんて言うんだっけ。

 気持ちの悪いザワつきから逃げたくて、俺は懸命に違うことを考える。

 えぇと、たしか、たしか。

 エンジェルリン――


「リョータは本当に居たのか。……それとも、俺の妄想だったのか」


 ――グ。


 あれ?


 あ。――……あぁ、ダメだ。

 これは、ダメだった、俺は、違う、違う違う、違うから


「騙し騙ししながらきたんだけどなぁ」

 気付いてしまった俺にあいつは言う。

 だから朝もここで言ったんだよ、と、笑った声のままで。

「クマゼミ探しの仲間の中に、俺が居るわけないじゃん、って」


 黒い窓には俺と六原君しか映っておらず、笑うあいつは映っていない。

 それは当たり前のことだった。

 あいつが世界から消されたから。

 理由はそうじゃない。


 やがて到着した芳口駅、そこで降りた学生は一人だった。

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