第27話


 ***


 下足を履き替え、教室に向かいながら、明良が六原君に問いかけた。

「そういやお前、今日の帰りは? また迎えか?」

 すれ違う生徒の中、何気ないふりをしながらも、何人かが六原君に視線を向けていったのが分かった。話題の人だねぇ、とあいつが俺にだけ聞こえる声で囁く。

 本人は自分への視線を気にした様子も無く、明良の質問に答えた。

「列車で帰れるつもり」

「帰れるつもりってなんだよ。帰るつもりだろ?」

「いや、帰れるつもり」

 頑なに言い方を変えずに繰り返す六原君に、俺と明良は眉を寄せる。

 あぁたぶん、と手を打ったのは、俺の後ろを歩くあいつだった。

「六原君がお願いしてるんじゃないのに、勝手に迎えにきちゃうんだね、お母さんが。どうだろ、合ってるかなぁ、でんちゅー」

「えーと……六原君は列車で帰る気でいるんだけど、もしかしたら今日もお母さんが来てくれるかもしれないってこと?」

 あいつが率直な文章で述べた予想を、出来るだけ柔らかくして質問に変える。

「ってこと」

 こくりとした頷きに、ビンゴ、とあいつが親指を立てた。

「あんな言い方でよく分かったな」

 本気で驚いている口調で、今お前のことすげぇと思った、と明良が言う。

 自分で理解した訳でもないんだから俺が自慢出来ることじゃない……と思いつつも、明良からそういった言葉をかけられるのは嬉しい。

「昨日から思ってたけど、お前の話し方分っかりにくいんだって」

 明良のうんざりしたような視線を受けた六原君は、そうかな、と俺を見る。

「全然そんなことないって、分かりやすい分かりやすい! それに面白いと思うよね、そうでしょでんちゅー!」

 さすがに前半には同意出来ない。

 脳内でそう返し、ぱたぱた手をふるそいつの発言の後半の部分だけ採用した。

「……面白いとは思うよ」

 心からそう思えているかって訊かれると、詰まってしまうけど。

「絶対嘘だろ。遠慮してんじゃねぇよ」

 階段に足を掛けつつ、そこで明良は表情を一変した。

「でもまぁ、ヒロ、六原に対してはそんなに長い時間人見知りもしなかったな。会話も続いたし。そっちが治ってきたのか、お前らの相性が良かったのかは知らんが」

「あー……どうだろう、ね」

「どうでしょうね」

 俺の曖昧な反応と、六原君の平淡な反応。

「相性が良かったんだって、絶対!」

 強い口調で言い切るそいつだけは、当人でもないのに自信満々に主張する。

 人見知りの方もだけど、相性が良かったって、そっちは絶対ないわ。

 俺は内心でそう否定する。明良と六原君が続けている会話から少し外れて、俺はそいつに対して言い聞かせるように考えた。

 俺が六原君と上手く話せているのは、お前の言葉を使っているからだ。

 列車の中でも、駅から学校までの道程でも、俺が六原君との会話の中で口にした台詞の大半は、そいつの発言や提案から作られたものだった。俺から六原君にした質問は「でんちゅー訊いてみてよ」とそいつに言われたからだし、六原君の言葉に俺が返した反応は「それって××だよね、でんちゅー」というそいつの感想を貰っていた。

 俺一人でさっきみたいに六原君と話せと言われたら、それは難しい。

「でもさ、六原君に対しての緊張はほとんど無くなったでしょ?」

 リズムよく階段を上りながら、そいつは言う。

 まぁ確かに、会話が続くかどうかは別として、六原君と会話をすること自体への緊張は今となってはかなり薄れている。

 まずそこクリアじゃん、とそいつは笑った。

「一番はじめより大進歩だし、これからが見えるじゃん。緊張はしなくなったんだから、ちょっとずつでも自分の思う言葉でお話してけば、すぐ仲良くなれるよ。六原君、悪い人じゃなさそうだし、っていうか六原君自体がちょっと変みたいだし? でんちゅーがもし変なこと言ったって、気にしないと思うよ」

 そう言ったって……そんな都合良くいくか?

「いくいく。大丈夫、俺が見た感じ二人とも似たとこあるからさ」

「おいヒロ、どこ行く気だ」

 呆れながら笑うような、明良の声で我に返る。

 いつのまにか、教室のある二階をスルーして三階への階段を上がろうとしていた。あいつとの会話に気を取られていた。

「寝ぼけてんのか」

 慌てて向きを変えた俺が明良と六原君の方へ駆けよるまで、二人はその場で待ってくれていた。

「もう、完全に別のこと考えてたわ」

 明良の言葉に照れ笑いをしつつそう返すと、

「それ俺もよくやる」

 と、真面目な顔で六原君が頷いた。

「一人の時だとなかなか気付けない」

 追加で加えられた内容に、似たとこってまさかこれじゃないだろうな、と思う。俺、自分の教室の階を間違えるなんて凡ミス、よくやる程じゃないぞ。

「へーぇ。じゃあ今度、六原が間違えてても黙っといてやろ。さっきのヒロも放っといてやれば面白かったか、しまった」

「三階上がって先輩と鉢合わせして、うわっ、ってやっと気付くでんちゅーが見えるね」

 明良のふざけに乗っかって、あいつが笑う。

 俺は左右に首を振りながら、心の底からの本音を言った。

「やめてくれよ。朝から三年と対面とか、やだって。怖い」

 ビビり過ぎだろ、と明良に笑われているうちに、一組の前に着いた。

「じゃーな、ヒロ」

 短く片手を上げて、明良はさっさと教室に入って行った。既に教室に居たクラスメイト達から挨拶がかかり、そのうちの何人かは明良の席に寄って行く。

 六原君みたいに旬の話題だからってわけじゃなく、明良は普通に人気者なんだよな。

「座席、やっぱり狭い?」

 ぼけっとした感想を抱いていたところに、突然かけられた質問。

 へ、と間抜けた声を出しながら、俺はその発言者である六原君を見た。

 六原君は、俺と視線を合わせてはなかった。わざと少し逸らしたような目に、そんな小さなことを気にしていたんだろうかと思った。

 雰囲気もすごくゆったりしてるし、明良との言い合いでも自分の意見をはっきり押してたし、言い方は悪いけど、俺からすると図太い方に見えていたんだけど。六原君って結構意外と、気遣い屋っていうか、小心者なところがある、のか? 

 もしかして、ここまでずっと、本当にいいのかなって心配してたのかな。

「狭くないよ。朝も言ったけど遠慮しないで大丈夫だから、ほんとに」

 そう思ったら、自然とそんな返答が出た。あいつの助言なしに。

 すっと俺に視線を合わせた六原君は、しばらく黙って、

「うん。ありがとう。じゃあ」

 ぽつんぽつんと区切った言葉を残して、背を向け、教室に入って行った。

 実際、通学用の鞄をそれぞれ持った男子高校生が三人座るのは広々とは言えないけど、と、俺も自分の教室に向けて歩き出しながら考える。

 それでも、既に一回確認はして、座ることを勧められている。それなのに気にする程なんて、座ってみたらやっぱり狭いなって思ったとか? それともあの時に「座れよ」って言ったのは明良だけだったから、俺にもちゃんと了解をとっておこうって……いや、でも、あの後から俺も、「お邪魔じゃない」とは言ったはず。

 言った。言ったよな? 言った、……けど。

 言葉では確かに言って――だけど、その時の俺の態度ってどうだっただろう。

 そこに思い至り、明良の台詞が頭に流れる。

『お前なぁ、そんなんだと、第一印象最悪だぞ。どうにかなんねぇの? ヤなやつって思われたいってんなら、そのままでどうぞだけど』

 ……うわぁ。

 今朝の自分を思い返し、一気に六原君に申し訳なさを感じた。

 ってことは、お前に感謝しないとな。お前が出てきてくれてなきゃ、俺は六原君に最悪な態度のままだったろうし。

 急に出てきたのはすっげぇびっくりしたけど、と、そこまで考えて。

 教室に一歩足を踏み入れた時、

 ――え、あれ、どこいった? なんで?

 俺はあいつの姿が消えていることにようやく気が付いた。

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