第15話
***
【田中弘人】
なんだか複雑な気分だよ、と、最早学校の空き時間には一緒に居るのがほぼ当たり前になったそいつが言った。
「でんちゅー、俺に順応しすぎでしょ。もちろん嬉しいんだけどね。おべんとくらい、前みたいにクラスメイトと食べていいのに」
俺の前、花壇の縁に腰掛けて、そいつは開けたばかりの惣菜パンに齧り付く。
その顔には相変わらずパーツが無いものだから、俺には、そいつの口のあたりで勝手にパンが千切れて消えていくように見える。何度見てもおかしな光景、だけど、徐々に見慣れてきているのも本当だ。
弁当のおかずを突きながら、だってお前出てこないじゃん、と俺は答えた。
学校生活中、本当はいつでも俺と一緒に居るはずのこいつが姿を現せるのは、俺が誰からも構われず、一人で居る時だけだという。もしくは体育の時のように、大勢いる中に埋没している時。俺が誰かと話をしている時には出てこられず、俺に話し相手が居なくなり、俺がこいつに話しかけたところで、ようやく出てくるのだ。
しかも、出てこられないというのは姿だけの話じゃなかった。俺の目にこいつが見えていない時は、こいつが何を話しかけてこようとその声は俺には聞こえない。
つまりこいつと話したければ、今みたいに一人になるのが一番いい。
「そんなんじゃクラスのみんなから付き合い悪く思われちゃうぞー」
そいつは脅かすようにそう言うけど、俺は平気だ。
そりゃあ、前に一緒に食べてた連中から誘われたら、多分流石に断りはしない。だけど俺が今のように昼休憩を一人で過ごすようになっても、始めの方こそ「あれ今日も外?」「行ってらっしゃい」という反応はあったものの、今では特に疑問視もされなくなっている。
きっとこれからもそうだろう。俺のポジションなんてそんなものだ。元々あまり大勢の中に居るのは得意じゃないし、お前と居る今の方が楽しい。
そう伝えると、俺も楽しいよ楽しいけどさぁ、とそいつは唸った。
なんでお前が悩んでんだよ。俺は、この現状を納得済みなんだって。
「だーから俺はそれが心配なの」
深い溜息を吐くそいつに、というかそんなに心配なら、と、俺は思う。
出惜しみしないで出てくりゃいいんだ。俺が誰かと話してようと構わず。出てくりゃいいじゃん。出てこいよ。出ろ。
「何度言われても無理。俺も自分の意思でやってるわけじゃないしー」
茶化したような困ったような、そんな声。
俺だけに見える俺だけの友達、であるそいつの出たり消えたりは、そいつ自身では調整出来ないらしい。これについては、以前もこいつから聞いている。昼飯の出現時にはどこからかパンを調達出来ているくらいのフリーダムさはあるくせに、どうしてそんな重要なところは融通が効いてないんだ。
せめて明良と俺が二人だけの時だけでも、本当にどうにかなんないの?
俺がそう訊ねても、そいつはパンを齧って唸るだけだった。
月曜日、同じ列車通学なんだし当然一緒に帰るものと思っていたそいつは、迎えに来た明良が俺に向かって「帰ろうぜ」と言った瞬間に姿を消した。え、あれ、ときょろきょろする俺は、明良から見れば相当怪しかっただろう。
火曜の朝の列車内にもそいつは現れず、次にそいつを確認できたのは、その後自分の教室で席に着いてからだった。
おはよと笑うそいつに一緒に登下校は出来ないのかと訊ねれば、
「アッキーも居るからねぇ」
と、のんびりとした、そんな答えが返ってきた。
第三者が居るから、俺が一人じゃないから、こいつは出てこられない。その第三者が例え明良であったとしても、こいつは姿を現せられない。こいつは、手紙を読んだ時に俺が夢見た、明良と俺ともう一人、その三人目にはなれないのだ。
それを理解していても、でも、だって、と、俺はどうしても諦めきれない。茶色の封筒、長い手紙、その内容。それを頭に思い浮かべる度に、悔しくなる。
お前が消える前は、三人でつるんでるのが当たり前だったはずなのに。
「当たり前って。……でんちゅーは、そんな光景知らないはずでしょ」
パンを咀嚼し続けるそいつに、お前は悔しくないのかよ、と思いをぶつける。
話の中に明良のことが出た時、こいつは「アッキーは」「アッキーが」と楽しそうにその呼び名を使う。俺のことをでんちゅーと呼ぶのと同じ温度で、同じだけの親しみを込めてそう呼んでいる。こいつは、『俺と明良の友達』だったんだ。
今みたいな『俺だけの友達』じゃない、三人組の一人だった。
お前だって本当は、明良に自分のこと知って欲しいんじゃないのか?
忘れてしまってるだろうけど、自分はここに居るんだって、伝えたくないのか?
そいつは一度顔を俺の方に向けて、だけどすぐにパンに戻して、それから言った。
「……俺の、根源であるでんちゅーが……望んでるんだし、いつかでんちゅーが一人じゃない時にも……出てこれるようになっちゃうかもしれない。でんちゅーの中での、俺の形がもっとしっかりはっきりして、他人の存在があっても、無意識に描けてるほどになれば……もしかしたら、……だけど」
ぼそぼそと言葉を落とすような喋り方をするそいつに、俺は顔を上げる。
え、え、それってつまり、俺の頑張り次第では、三人組に戻れるってこと?
勢い込む俺に、けどねぇ、と、そいつは口調を強めた。
「俺はそれ反対だ。そうなったからって、だって、俺がでんちゅー以外の誰かにも見えるようになるわけじゃないんだから、リスクが増えるだけじゃん」
リスクって何の。
「変人扱いされるリスクだよ。でんちゅーが、その場で俺のことを無視出来るなら別だけどね。俺が何しても何言っても、知らんぷりが出来るなら。だけどでんちゅーのことだし、そんなの絶対無理でしょ。絶対、なんか反応しちゃうでしょ。それでイタいヤツって思われちゃったらどうすんの。そんなキャラになりたいんじゃないでしょ?」
脳内ですら黙り込んだ俺に、そいつは畳み掛けるように真剣な口ぶりで言う。
「よく考えてよでんちゅー。もし、それでアッキーにドン引きされて距離とられたら、でんちゅーそこから立ち直れんの?」
それは……、…………想像するのも怖い。
小さい頃からの大事な、憧れの対象ですらある親友。
そんな明良に「こいつは危ない変なやつだから傍に居たくねぇな」なんて嫌われたら、俺は多分、めちゃくちゃ沈んで帰って来られない。
「でしょ? 俺に構ってくれるのは俺としては本当に嬉しいんだけど、本物の友達のこともちゃんと考えなね」
達観したように言うそいつに、俺は釈然としない思いがする。
こいつはこうして、自分が今は実在しない不自然な存在であることを、何でもないことのように話す。むしろ強調してくることも度々ある。お前みたいなのって、「ボクは確かにここに居るのにっ……!」って自分の存在について苦悩したりするのが、漫画とかではよくあるパターンじゃないの? お前、いいのそれで?
少なくとも俺の中では、お前だって他人に見えない以外、本物の友達なんだけど?
そんな俺の思考を読んだらしい。だからもう本当そういうとこが心配なんだよ、と、そいつは再び強めた口調で声を上げた。
「そうやってでんちゅーが俺のことすんなり受け入れ過ぎちゃってるから、俺が代わりに、俺は本当なら居ないはずの者だってちゃんと意識させてあげてんのっ」
一週間でどんだけの順応力だよびっくりだよ、と続けるそいつに思わず身を縮める。
それはお世話をおかけして――って、いやそれ責任転嫁だろ。
お前、月曜日の体育の時、俺がお前のこと信じられずに頭が変になったんじゃないかって慌ててた時には、ちょっとキレかけてたじゃん。自分のそれは棚に上げといて、なーにがすんなり受け入れ過ぎちゃってる、だ。
四日前のことをそう引き合いに出せば、
「あ、まぁ、それは、ごめん、そうなんだけど。いやでもキレてはないよ」
と、そいつはちょっと言葉に詰まっていた。
勝ち誇った気分で冷凍コロッケを味わう俺の隣で、食べ終わったパンの袋をもそもそと畳みながら、そいつはゆっくりと言う。
「俺さぁ、……俺はさぁ、でんちゅーにとっての、良きものでありたいわけ」
なにその良きものって。俺の守護霊的な?
眉を寄せる俺に、そいつは腕組みをして言葉を探す。
「んー、なんて言うんだろ。良きものでありたいっていうか、悪い影響を与える存在にはなりたくないって方が正しいかな。俺がこの世界に居座っちゃってるせいで、でんちゅーに不利益なことが起こってほしくないわけよ。分っかるかなぁ」
分かるし、それは有り難いけど。
お前、俺のこと心配し過ぎじゃない?
「いやぁ社会的に居ないとはいえ俺だってでんちゅーの……その、友達のつもりですから、一応。そしたら、大事な友達なら、心配だってするさ?」
アッキーがしてくれてるみたいにね、と、そいつは校舎を見上げた。
つるんとした顔の目線の先は分からないけど、言葉と顔の向きから察するに、俺ら二年の教室がある二階を見ているのだろう。でも、窓辺には特には誰の姿も見えない。
明良が心配してくれてるって、どういうことだ。
「さっきアッキーがこっちの様子見てたの、やっぱり気付いてなかったんだ」
二つめのパンの袋を空けつつあっけらかんと言ったそいつに、弁当を突く手が止まる。
なんだそれ全然気付かなかった。
裏庭は二年教室の前の廊下から見下ろすことが出来るから、俺が今までとは違った昼休みの過ごし方をしているところを、明良にもいつかは見られるか、誰かから聞いて知られるだろうとは思っていた。でも、明良は特に何も言ってこなかったし、まだ知られてないか、知られていたとしてもそこまで気にかけもしないか、と納得していた。
明良は明良で付き合いがあるんだろうし、休憩中の俺のことなんて、って。
「でんちゅー、寂しんぼのくせに鈍チンなんだから」
グサッと刺さるその言葉に、うるさいわ、と顔を背ける。
でも、今聞いたことも含めて改めて考えて、俺は少しだけ目の奥と頬が熱くなった。
明良もこいつも、俺なんかのことを気にかけてくれる、ほんとにすっげぇ良いやつで。そんなやつらと仲良くなれた俺は、すっごくすっごくラッキーなんだ。
こいつが消える前までの俺は、それをちゃんと分かってたんだろうか。
自分がその三人組の一人であることの幸運さを、もしかして奇跡と言ってもいいかもしれないそれを、きちんと実感出来ていたんだろうか?
「……うわぁ。でんちゅー、なにクッサいこと考えちゃってんの。ヒくわー」
トーンの低いそいつの声に、笑いは一片も混じっていない。
お前もさっき同じようなこと言っただろ、と、恥ずかしさからのやつあたりをすれば、
「俺とでんちゅーの考え方は違うよ。似てるかもしれないけど、かなり違う」
今度はうっすらとした笑いの入った声が返った。
そして数秒空けて、
「俺ねぇ、本や文を読むのは大好きだけど、書く方……特にポエムはちょっと」
けらけらと本格的に笑い出した。お腹を抱え、足をバタバタさせるなんてオーバーなリアクションまでつけて、だ。
こういう時、人目を気にして怒鳴ってやれないのが本気で悔しい。
かつかつと弁当の残りをかき込み、さっさと蓋を閉じる。
「いやー、ごめんって。あ、ねー、ちょっと待って」
急いで残りのパンを片付けようとしているそいつを無視して立ち上がる。
「薄情者! からかったのは悪かったけど! 待ってって! ごめんねほんとに!」
咀嚼の合間に謝るそいつに、はぁ、と息を吐いた。
別に、本気で怒った訳じゃない。と、いうか。
どうせ俺が一人で居るとこになら出てこられるんだから、お前をここに置いていったとしても、俺がお前を思いさえすれば、すぐにまた隣に居るんだろ?
「あぁ、うんまぁそうだねぇ」
そいつがこっくりと頷いて、俺も、うん、と軽く頷く。
この点は、前のお前じゃなく、今のお前だけが持つメリットだよな。どこでもいっしょ、なんて言い方は、それこそちょっとクサいしサムいけど。
俺にまで聞こえる音を喉から出して、そいつは最後の一口を飲み下した。
「でしょ! 今の俺、めっちゃ便利でしょ! なんかほら、召喚獣みたいでしょ! でんちゅーの求めに応じて馳せ参じる俺……カッコイイでしょ!」
テンションを上げて腕を振るそいつに、俺は思わず噴き出した。
お前、召喚獣っていうか妖怪じゃん。妖怪のっぺらぼうじゃん。妖怪なら妖怪で、せめてもっと強そうなやつの方が良かったけど。
「ぬっぺほふとか、かんぱり入道よりマシだと思ってよ」
なんだそれ。
知らない固有名詞に思考が止まりかけて、知らないなら、と思いついた。
昼飯も終わったし、図書館行こうかな。妖怪の本なんてあるか知らないけど。
「かんぱり入道、調べようって?」
それもあるし、お前がそもそも図書館行きたいだろ? 図書館なら俺に話しかけてくるようなやつも居ないだろうし、出てこられるうちに色々見ればいい。
「……非実在人間の趣味にわざわざ付き合うなんて、でんちゅーも変なやつだねぇ」
しみじみとした、でも嬉しさの隠しきれていないそいつの言葉に、俺は思う。
親しい大事な友達の趣味に付き合うのは、別になにもおかしくはないはずだ。
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