精神世界
目を覚ましたユレンは、シンから己の身に起きている事を訊かされた。
しかし、これと言って実感と言うものが無かった。
何分、何時もと変わらぬ心持であるし、虚ろの者に対しての憎悪と言うのもあの時……自分が初めて舞台に立った時の襲撃に起因している。
そこから更に虚ろの者達の無慈悲な行いの数々を目にしていき、憎悪は増すばかりであった。
なので、奴等に対しては慈悲は欠片も抱いてはいない。屠る際はただただ負の感情を乗せた一撃をお見舞いしてきた。
ただ、それだけだ。
ただそれだけと思えてしまう事が異常であるとユレンは気付けていない。復讐者よりの感覚ではあるが、それよりも無慈悲であり、そして深く暗い海の底のように底冷えとものものだ。
シンの可笑しいという指摘に対しても、そうですか? ときょとんとした表情をしながら首を傾げる所作はもはや恐怖を相手に抱かせるものだった。
ユレンとしてはさも当然の事をしていたに過ぎない。そう言う風に精神が歪み不安定になってしまった。
疑問も抱かず、不思議にも思わない。
支配者――灰の神はバルックとの契約を利用して同調し、それによってユレンの――いや、ユレンとルァーオの精神に異常をきたした。
精神の異常は副次的な作用に過ぎず、本来の目的はバックアップを残す事。事実、数千年前の戦いで死した灰の神はルァーオの肉体をベースとして復活を果たしたそうだ。
そして、今回も灰の神を倒せばユレンの肉体が奴の三度目の肉体へと変貌する事になる。そうなれば、何年か後にまた虚ろの者が世界へと侵攻し悪夢が甦ってしまう。
ユレンとしても、そのような未来は御免被る。なので、精神異常云々は抜きにしても、自身の中にいる同調によって植えつけられた灰の神の一部を消し去る事にした。
その為の準備を、現在進めている。
まず、シンが弓を用いて赤、緑、黄、青、白の光の柱を生み出し、簡易的な結界を作る。これによって、結界の中にいる限り同調を解除し、尚且つ灰の神の一部を消し去ろうとしている事は向こうへと伝わる事がない。
更に、結界の中心でユレンは五色の剣を突き立てる。五色の剣から光の柱に対応した色の光の線が走り、柱へと注がれていく。
これにより、灰の神の一部の力を弱体化させる事が出来る。弱体化とは言っても、せいぜい一割減だ。それでも、やらないよりは断然やった方が事を有利に進める事が出来る。
光の栓が光の柱へと続き、神聖なる力が結界内に凝縮して迸る。
結界内にはユレンとシンの二人。バルックは結界の直ぐ傍で眼を閉じている。彼も今は契約の穴を突かれないようにプロテクトを必死になって構築をしているのだ。ユレンが灰の神の一部を倒しても、同町の余地を残してしまえば再び一部を埋め込まれてしまう。
そうならない為にも、バルックはプロテクト作りに一身になっている。
幸い、結界内にいる限り同調される心配はないので時間的な制約は実質存在しない。
とは言え、それでも早いに越した事はないのでバルックはプロテクト作成に集中をする。結界内でやらないのは、結界によって黒の神の力も弱体化の影響を受けてしまうからだ。
故に、効率を上げる為にバルックは結界の外にいるのだ。
「準備はいいか?」
シンは眼前に立つユレンに確認を取る。
「はい」
ユレンは頷くと、そのまま目を瞑る。目を瞑った事を確認すると、シンは彼の瞼に手を翳す。
「では、これより虚ろを歩む者を精神世界へと飛ばす。そこには灰の神の一部がいる筈だ。そいつを倒せばいい。ただ、どのような外観でどのような攻撃をしてくるのかは未知数だ。焦らずに相手をしろ」
「はい」
「そして、私はここからある程度のサポートをする。と入っても、精神世界を垣間見る事が出来ないので、虚ろを歩む者の精神体に魔法的強化を常に施し続けるだけだがな」
「それだけでもありがたいですよ」
「では、行くぞ」
シンは己の手に神の力を集中させ、それをユレンの脳へとブチ当てる。
それによって、ユレンの意識は現実世界から精神世界へと向かう。
精神世界はその者にとっての憧れやあり方が強く反映される場所だとシンから訊いていたので、ユレンは自分の精神世界が一体どのようになっているのか少し気になっていた。
ユレンの眼に広がっていたのは、懐かしい場所だった。
彼の生まれ育った村の広場。そして広場には簡易テントが張られていた。それは旅の一座【イルシオン】のものだ。
それは、ユレンの人生の分帰路にして起点。歩むべき道を決めた頃の村の様子だった。
しかし、あの頃に比べれば嫌に静かだ。
それもその筈。この村にはユレン以外の人影がないのだ。
いや、人だけではなく動物もいない。風も吹かず、空は灰色に染まっているだけだ。
太陽の光も注がぬそこは、錆びれた廃村と言うのに相応しい雰囲気醸し出している。
ユレンは軽く辺りを見渡すと、自然と簡易テントへと向かって行く。
簡易テントの中へと入ると、そこには一人佇んでいた。
体はまるで人形のように無機質で、金属のような光沢がある様々な色が綯い交ぜになった不気味な色合いをしている。
そして、それの顔は特徴的であった。左右で顔の形が異なるのだ。
ユレンから見て右側がルァーオの顔。そして左側はユレンの顔をしているのだ。
歪で、無機質で、不気味。そう言った感想が次々と浮かんでくる中、ユレンは自然と確信する。
今目の前にいるのが灰の神の一部なのだと。
実際に相対した灰の神の容姿は目の前の者とはかなり違っているが、それでもその身に纏う雰囲気は灰の神の者と酷似している。
ユレンの胸中に、どす黒く冷たい何かが溜まり始めて行く。
そして、己の中のもう一人の自分が彼に語り掛ける。
あいつを殺せ、と。
ユレンはもう一人の自分――本能の言葉に従い、灰の神の一部へと躍りかかる。
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