旅立ちと……

『うっし、じゃあ、ここに歪みが出来ないように封印を施すぞ』

「はい」

 巨大犬の虚ろの者を打ち倒したユレンは、バルックに言われた通りにこの地に封印を施す。

 剣を突き立て、そこから黒の力を大地へと流し込む。黒の力はユレンの中にあるものだけでなく、刀身に最初から備わっていた力も含まれている。それは薄くも森全体へと瞬時に広がり、そして剣を突き立てた場所を中心に半透明のドームの力場が出現する。

 力場は直ぐに透明になり、人の眼には見えなくなったが、それでもそこに力場は存在する。

 この力場こそが、虚ろの者が歪みを作るのを妨害する封印だ。この封印がある限り、虚空からこの場所へと歪みを使って来る事が出来なくなった。

『これでここは比較的安全になったな』

「……そう言えば、封印してもこちらから歪みを作る事は出来るんですか?」

『出来るさ。ただ、より不安定になるけどな』

 ユレンの疑問に、バルックは答えを紡ぐ。

『まぁ、虚空に入れれば問題ねぇだろ。歪みの崩壊が数秒でもな』

「ちょっと以上に不安なんですけど……」


――僕も経験した事あるから言えるけど、別に戻る必要が無ければ本当に問題はないよ――


 剣から抜け出したルァーオが会話に混ざってくる。

「そう言うもんですか?」


――そう言うもん。見方を変えれば追手に追跡されなくなるって事でもあるんだからさ――


「追手、ですか?」


――そうそう追手。虚ろの者や、その他大勢の奴さんがねぇ、僕を殺そうとしたり手中に収めようとしたりしててさぁ。まっ、その度にぶちのめして虚空に逃げて行方晦ましてたけどね――


 一体過去に何があったのだろうか? そう言った疑問をルァーオにぶつける前にバルックが口を開く。

『じゃあ、そろそろここから出て連れ去られた奴でも探しに行くか?』

「……そうですね。そうします」

 バルックの提案にユレンは僅かに思案する素振りを見せるも、直ぐ様首肯する。

 彼の第一目標はレイディアを助ける事だ。そして、虚ろの者達を倒す事。故に、もうここに留まる必要は無くなった。

「ネレグさん。今までお世話になりました。今日初めて会ったエトンさんも、もう少しお話したかったんですが、お元気で」

 ユレンはネレグと、そして非常に短い付き合いとなったエトンに深く頭を下げ、バルックが作り出した不安定な歪みの向こうへと消え、次の瞬間には歪みも完全に消えた。

「……行ってしまいましたね」

「そうですね」

 歪みのあった場所に視線を向けながら、ネレグはエトンの言葉に僅かに頷く。

 彼女の表情は新たな勇者を送り出すにはいささか似つかわしくないものだった。悲痛で、まるで何かを堪えるかのように今にも泣き出しそうな顔だ。

「…………」

「悔やんでいるのですか?」

 そんな表情を浮かべているネレグを案じるように、エトンが尋ねる。

「……そう、ですね。私は悔やんでいます」

「巫女……」

 目を伏せ、緑の巫女たるネレグは静々と語り始める。

「剣に選ばれ、バルックと契約を交わしたユレン君。彼は虚ろの者に連れ去られた知人を助ける為。そして虚ろの者を倒す為にそれらを受け入れた」

 それだけを訊けば、美談とも、度胸があるとも、勇ましい者であると言った評価が下る。もしくは、あまりに無鉄砲、あまりに蛮勇、子供故の思慮に欠ける行動だ。人によってはそう思われるだろう。

 ネレグのユレンに対する評価は……後者の方に近い。しかし、完全に彼を下に見てはいない。同情、いや、憐れみか。何も知らない子供に対する憐憫が彼女の中にある。

「彼は、これからその身に起こる……いえ、既に起こり始めている事変に気付いていません。そして、剣に宿る古の勇者もまた、没した後も気が付きませんでした」

 もし、彼女がユレンやルァーオが知らない真実を同じように知らなければ、新たな勇者の門出を祝って笑顔で彼を送り届けていただろう。

 しかし、ネレグは知っている。巫女として先代より力を受け継ぎ、更には勇者が知りえない真実をも伝えられた。

 その真実を知ってしまったが故に、ネレグはユレンに対して負い目を抱いてしまっている

「私は……彼に真実を伝えられなかった」

「しかし、それは致し方ない事。もし口を開いていれば、巫女はあの時――バルックと彼が契約を交わそうとした時。いや、そうではない。あなたがどのタイミングでも彼の少年に真実を告げようとしたならば」

 目を伏せ、まるで懺悔を口にしているかのようなネレグに、エトンはやや厳しい目を向けつつ、固くそして少しばかりの恐れの混じった声音で言葉を吐き出す。

「――あなたは、殺されていた」

「…………」

 エトンの言葉に、ネレグは瞼を上げて彼を見る。

 確かに、ユレンに真実を伝えていれば彼女は殺されていた。伝えなかったのは自身の命が失われる恐怖も勿論あったが、それよりも何よりも、ある強制力により伝える事が憚られたからだ。

「私としては、確かに少年の未来を不憫に思います。しかし、それよりも巫女が無事である事の方が私にとって大事な事なのです。もし、あの時巫女が口にしようとしていたなら、私は無礼を承知で即座に割って入ってあなたの口を閉ざした」

 彼女が新たな勇者へ真実を伝えられなかった理由を知らないエトンは遠慮もせず、己が気持ちを包み隠さずに巫女へと伝える。

 巫女守としての使命は巫女を守る事。巫女の命を最優先に行動する。故に、エトンはユレンを不憫と思えど、自身が使える巫女の身の安全を守る為に静観し、巫女がいらぬ事を言いそうになれば力付くでも止める覚悟を持っている。

「……私は」

 ネレグは僅かに声を震わせるが、それでも目から雫を零さずに既に消え去ってしまった歪みの生み出された空間へと目を向ける。

「真実をユレン君に告げられなかった私は、せめて、彼の無事を祈る事にします。それしか、今の私には出来ませんし、もう下手に介入も出来ません。彼に対する私の役割は既に終えてしまったのですから」

 一度頭を振ると、今度は天を見上げ、そして問いかける。

「……神よ、あなたはこの世界と、ある一人の若者をどうしたいのですか?」

 彼女の問いかけは空しく風に流され、空へと消えて行く。

 その答えは、緑の巫女に知る由もない。

 彼女の役目は終えられた。

 あとは、ただ静かに待つしかない。

 それが、緑の巫女たるネレグの与えられた役割なのだから。

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