神の力の一部
虚空で戦い続け、はや三十分が経とうとしていた。
「はぁ、はぁ」
その間にユレンは肩で息をしながらも次々と出現してくる虚ろの者を薙ぎ払い風化させていき、決して巫女であるネレグへと近付けさせないでいた。
虚空と世界はある程度の繋がりがある。
地上の道と地下道、と表現してもいいかもしれない。
虚空から世界の好きな場所へと赴ける訳ではない。
いや、その表現は適切ではないか。
確かに、虚空で歪みを出現させれば世界の何処へでも行く事が出来る。が、そうする場合虚空内で赴く場所と繋がりのある場所で歪みを作り出さなければならない。
故に、虚空内で歪みを出現させれば、その歪みから複数の場所へと赴く事が出来ず、世界と対応している場所にしか出る事が出来ない。
虚空に橋のような道が架けられているのはそれに起因している。虚ろの者は虚空内に架けられた道を移動し、自らが赴こうとしている世界の場所と繋がりのある場所へと向かい、そこで歪みを生み出しているのだ。
なので、ユレンがこの場で奮闘する限り、虚空からはネレグの直ぐ傍まで来るが出来ない状況が作り出されている。
ユレンから少し離れた別の道にも虚ろの者達がおり、そこから歪みを作り出して世界へと向かう輩もいる。
当然、ユレンの目に見える場所で歪みを作っているので、世界に降り立てば少し遠くではあるが巫女の近くへと出る事が出来る。
ユレンは目の前の虚ろの者達の相手をするだけでも手一杯なので、別の道から世界へと進出していく虚ろの者達を止める術は持たない。
しかし、ネレグの近くではエトンがいる。エトンは巫女守としてネレグを守ってきた。巫女と巫女守の話は古の勇者の演劇をやるにあたって知識を得ていたので、ユレンはエトンにあの場を任せ、自分は少しでも迫り来る敵を減らす為に虚空へと向かったのだ。
何時までも続くと思われる程の群れであったが、それもようやく終わりを迎える。
迫り来る虚ろの者の波は収まり、ユレンのいる道には一体たりとも存在しなくなった。
『よっし、戻るぞ』
「はいっ」
バルックは即座に歪みを再構築させ、ユレンはそこを通って世界へと戻る。
世界に戻ると同時に歪みは砕けて壊れる。
未だに息を荒げているユレンはそれでも止まる事無く、今も尚虚ろの者を吹っ飛ばしているエトンの加勢へと向かう。
エトンの方も種族特有の魔法を駆使し、植物を頼って虚ろの者をネレグに近付けさせないようにし、その間に剛腕を持って吹っ飛ばしている。
この場に現れている虚ろの者達を殲滅するのに、そこまで時間は掛からなかった。
「…………ふぅ」
ユレンは虚ろの者を全て倒し、深く息を吐いてその場に崩れ落ちる。
一応、一座で体力作りはしていたが、ここまで休みなしで動き続けるのは流石に負担がかかる。ここまで休まずに戦い続けられたのはひとえに揺るぎない決心があったからだろう。
虚ろの者達の好きにはさせない、という確固たるものが。
少なくとも、自分の目の前でもうこれ以上人は殺させないし、連れ去らせもしない。そうユレンは心に決めている。
まだまだ未熟だが、今相手にした程度の力量ならばあながち叶えられないものでもない。
しかし、当然レイディアを連れ去ったような強大な虚ろの者もいる。そう言ったものを相手にするには、まだまだ己の腕では荷が重いことは承知している。
増長もしていなければ過信もしていない。きちんと自分の力量を見極め、更なる向上心を持っている。
全ては虚ろの者達の好きにはさせない為に。連れ去られたレイディアを取り戻す為に。
――――ただ、そればかりに意識が向いてしまい、己の中で多少のずれが生じ歪になり始めている事にユレンは気が付いていない。
ユレンは息を整えるように努めながら、ネレグの方へと目を向ける。
彼女は今も尚文言を口にしているが、それもあと少しだろう。
剣に注がれる力は三十分前よりも大分多く、黒い刀身に緑色の光が宿り始めている。
そして、完全な緑色の光を佩びると、ネレグは文言を止め、軽く息を吐くと立ち上がってユレンの方へと顔を向ける。
「お待たせしました。剣へと力を戻す事が出来ました」
僅か三十分と言う時間だったが、笑みを浮かべるネレグの頬は少しこけて見え、目の下にも薄らと隈が見受けられる。それ程までに精神や体力を酷使して剣に力を戻していたのだろう。
ユレンは軽く一礼すると、台座に刺さった剣を抜く。緑色の光は一所に留まらず、ううを巻くように黒い刀身を巡っている。
――何か、剣の中にいるとすっごい落ち着く。これが緑の力による癒し効果か――
そして、剣の中にいるルァーオのまるで温泉にでも使ってるかのように弛緩し切った声が響いてくる。
さて、力の一部が戻った剣はどのように変化したのか?
そんな疑問が生じた時、頭上に大きな歪みが出現する。
そこから地上に降ってきたのは、巨大な虚ろの者だった。
以前レイディアを連れ去った牛頭の者よりも二回りほど大きいそれは、着地した瞬間に四つん這い隣り、身体を震わせてその姿絵を変化させていく。
尻尾が生え、獣のような体躯となり、そして顔は目や鼻、口と言ったパーツはないが犬のそれへと変貌した。
虚ろの者達はその形を変えるとは聞いていたが、まさかこのような動物のような体躯にまで変化させる事が出来るとは思わなかった。
「……このタイミングで大きいのが来ましたね」
「少し、ヤバいか?」
巨大な犬は地面を蹴り、ユレン達へと躍りかかる。
エトンは直ぐ様ネレグを抱き抱えて避け、ユレンは大きく横に飛び退いて地面を転がる。
「ちょっと、これは厳しくなりそうですね」
『いやいや、この程度なら大丈夫だろ。ユレン、剣使ってそいつ倒せ。使い方は戦いながらルァーオにでも訊け』
ユレンの呟きに、バルックはそんな事を言う。
この巨大な相手でも戦える? そのような疑問を携えながらも、ユレンは巨大犬へと視線を向ける。犬型の虚ろの者はユレンを標的としたらしく、そのまま襲い掛かってくる。
口が無いので噛み付かれる事はないが、その鋭い爪の切れ味は顕在で、次々と森の木々を煎り刻んでいく。
ユレンは剣を構え、受けれそうな攻撃は剣で防ぎ、好機と見た際には黒い力を纏わせた剣で切り付けて行く。
ヒト型の虚ろの者と違い、黒い力を纏った攻撃を何度も食らわしても、一向に風化する様子はない。
身体が巨大な分、あまり黒い力が効かないのだろうか? だとしたら緑の力も上乗せして攻撃すれば効く?
――ただ剣を振るうんじゃなくって、内包されてる力にも意識を向けましょうね――
ユレンが予測を立てて行くと、剣の中に未だに入り込んでいるルァーオから忠告が入る。
「な、内包、ですかっ」
――そう、今回の場合は、さっき戻ったばっかの緑の力だね。ほらほら、戦いながらも剣の力に意識を集中しましょー――
「無茶を、言いますねっ」
――感覚としては、今ユレンが纏ってる力を放出するような感じだと上手く行くかもね――
「そう、は言っ、てもっ」
今も尚犬の攻撃を防ぎつつルァーオと会話しているユレンは手一杯だ。一座での演劇の練習の成果により二つの物事を同時にこなす事が出来るが、それでも限度はある。
今の所は黒い力は完全ではないが意識せずとも纏わす事が出来るが、そこで更に緑の力に意識を割く事は難しい。ただ立っているだけなら出来るだろうが、犬の攻撃に対処しながらの今の状況ではとても無理だ。
やろうと努力はするも、緑の力は刀身を巡るだけで、一向に変化は見受けられない。
――なかなか上手く行かないね。仕方がない。この僕が力の操作の手伝いをしてしんぜようぞ。と言うか、今の僕じゃそれくらいしか出来ないんだけどね――
ルァーオはそう言うと、剣から出てユレンの身体の中へと移動する。
自身の中に別の人物が入り込むというある意味で貴重な体験をしたユレンは先程よりも緑の力に対しての理解が深まる。
彼は黒い力と同じように、緑の力を刀身だけではなく全身に纏わすように動かしていく。
ユレンの全身は黒いものの上に緑色の淡い光が包み込むと言う珍妙な様相となり、刀身の緑の輝きも先程よりも増していく。
――ささっ、一気に叩き込んじゃえっ――
「はぁっ!」
ルァーオに促され、犬の攻撃を回避したユレンはすれ違い様に犬を切り付ける。
すると、先程は目に見えるダメージが無かったが、今回は違った。
まるで常温で戻したバターを切るかのようにすっぱりと上下に切断され、巨大な犬型の虚ろの者は地面に伏して風化していった。
「……何か、凄い」
『そりゃ、な』
――神の力そのものだもん。威力は絶大だよ。でもまぁ、今の君じゃ僕の手を借りても一割も力を引き出せてないけどね――
緑の力に慄きながらも、ルァーオの言葉によりこれでもまだ全開ではない事に更なる驚きをユレンは隠せずにいた。
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