誘う声

 ユレンは身体の内側から力を体外へと放出する。

 力は薄らと彼の身体を包むと、そのままユレンの持つ木剣へと伸びて行き、隙間なく蛇のように巻きついて行く。

「おっし、何回か連続で成功したな」

「そうですね」

 ユレンはバルックの言葉に強く頷く。

 契約し、修行を初めて一ヶ月半。漸く、彼は力を自在に操る事が出来るようになった。

 力をものに巻き付ける事自体は三週間程で出来たのだが、それを瞬時に、そして連続で、更には意識せずに出来るようになるにはそれだけでは足りなかった。

 現在ではほぼ意識もせずに連続で、素早く纏わす事が出来るようになり、まるで呼吸をするかのごとく自然に行っている。

 力を纏っているユレンと木剣の輪郭は黒くなっている。力の色が黒であり、向こう側を見る事が出来ない程に深く暗い。まるで歪みの向こう側――虚空の下に広がる奈落の暗闇のように。

 ただ、不思議と忌避感はない。まるで静かな夜闇の如き心地よさを感じる程に、彼が扱う黒い力は穏やかだ。

「こんくらい出来れば、大丈夫だな」

 バルックは力を纏ったユレンを見て、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら何度か頷く。

「つまり?」

「これで一先ず修行は終わりって事だ」

 ユレンはバルックの言葉に深く息を吐き、空を仰ぐ。朝焼けが眩しく思わず視界を手で遮る。

 漸く、レイディアを助けに行ける。一座の皆や村の皆、家族の安否を確認出来る。

 一ヶ月半は決して短い期間ではなかった。その間に世界はどうなって行ったのかユレンは知らない。

 虚ろの者達が何処まで進行しているのか。人はどう対応しているのか。連れ去られた者達がどうなったのか。バルックやネレグによって情報が彼の耳に入って来ないので分からず仕舞いだ。

 しかし、虚ろ者達相手に後れを取らない力を身に着けたユレンはこの森を出る事が出来る。

 無理矢理意識しないでいた焦燥が一気に波となって襲い掛かっていく。

「と言う事は、もう虚ろの者に対してと渡り合えるようになったと言う事ですよね?」

「あぁ。そうだな」

 力の放出をやめ、走り出そうとしたユレンを、バルックは腹に目掛けてタックルをかまし、力ずくで進行を阻害する。

「な、何するんです、か?」

 思いの外威力が高く、腹を抑えてその場に蹲るユレンは半分睨みつけるような形でべるっくを凝視する。

「慌てんな。森を出る前に一つ……いや、二つくらいやる事があんだよ」

「二つ……?」

「おぅ。これはとても大事な事なんだからよ」

 そう言うとバルックはユレンを連れてネレグの下へと向かう。

 この時間ネレグはまだ就寝中なので、バルックが無理矢理起こす事になる。その際、ユレンはネレグの寝室の外で突っ立って、中に入らないように配慮する。

 ぎりぎり行動範囲内にネレグがいたので、寝室に侵入したバルックは自慢の尻尾で彼女の顔面をパシッと叩く。

「ぴゃいっ⁉」

「おっし、起きたな」

 突然の衝撃に変な叫び声を上げながらネレグは飛び起きる。

「ちょ、何するんですか⁉」

 やや顔を尻尾の形に赤く腫らしたネレグは涙目で近くにいたバルックの両耳をガシッと掴んで先程のお返しとばかりに左右に引っ張る。

「イテテテ‼おい、耳引っ張んな! 繊細な部分なんだからよ!」

「私の顔だって繊細な柔肌ですよ!」

「小皺が気になってるくせに何が柔肌だよ!」

「何ですってぇぇええええええええええええええ⁉」

「イテテテテテテ‼ だから引っ張んなっつの!」

 扉の向こうではドタバタ劇が繰り広げられているが、ユレンは決して扉を開けて二人の騒動を収集しにはいかない。

 青少年にとって、妙齢の女性の寝間着姿と言うのはいささか刺激があるのだ。それに、ネレグは変に無防備故に、少し寝巻がずれて鎖骨とか腰骨とかが露出した状態で起き出してくる。

 目を覚ました次の日にそんな不意打ちを食らったユレンはそれ以後、ネレグが寝巻から着替え終えるまで決して家に入らないように外で修行をしている。

 ドタバタ音が収まり、二人とも落ち着いたんだろうとユレンは耳を傾けて中の様子を窺う。

「……で、だ。ユレンはもう充分に力を扱える。だから今日あの場所へと行く」

「分かりました。では、認められる事を想定して私の方も準備をします」

「そうしてくれ。森がユレンを逃がさなかったから、認めてるって事だし、多分大丈夫だろ」

 中でそのような会話が繰り広げられており、認められるとは一体? と疑問符を頭上に浮かべていると扉が少し開いてバルックが寝室から出て来た。様相は少し変わっており、耳が矢やギザギザに、尻尾も変に曲がっている。

 予想以上に凄まじい攻防が繰り広げられていたのだろうな、とユレンはバルックの耳と尻尾をふにふにと触って元の状態に戻していく。

「よし、行くぞ」

「行くって、何処にですか?」

 元に戻ったバルックはぴょんぴょんと飛び跳ねて家を出る。その後をユレンは追って何処に向かうのか尋ねる。

「森の中だ」

「森、ですか」

「あぁ。今なら、多分行けるだろ」

 そう言いながら、バルックは森の中へと入っていく。ユレンもその後に続く。森を抜けれるではなく、行けると言った事に疑問を覚えつつも、ユレンは森の中を歩いて行く。

 今までは一定以上歩くと、ネレグの住居へと舞い戻っていたが、今は違う。戻る気配は一切なく、どんどんと森の奥へと向かって行ける。

「やっぱり、大丈夫そうだなっと」

 先行していたバルックは独りでに納得し、突如黒い上着となってユレンへと羽織っていく。

『よしユレン。好きなように歩いてろ』

「好きなようにって?」

『自分が行きたいって思った場所に行けってこったよ』

「バルックが案内してくれるんじゃないんですか?」

 恐らくだが、バルックはこの森の中に存在するとある場所へと向かわせようとしていたのだろう、とユレンは予測を立てていた。

 しかし、道半ばにて急に案内が終わり、自分が行きたい場所へと行けと言われてしまった。

 普通ならば、それでは到底その場所に辿り着く事は出来ない。

『俺じゃ連れていけねぇんだ。だから、お前自身が歩いて誘われるしかねぇんだ』

 だが、バルックは自分では案内出来ないと彼に告げる。そして、誘われなければならないとも口にする。

「誘われるって何にですか?」

『歩いてりゃ分かる。おら、ちゃかちゃか歩け』

 納得しきれないユレンだったが、バルックに急かされて仕方なしに森の中を歩いていく。

 決してネレグの住居に戻る事はないが、それは逆に見知った場所に自動で戻れない事を意味している。

 この森がどのくらいの規模を誇っているのかユレンは知らない。そして、進んでいく内に段々と方向感覚が狂っていき元来た道が分からなくなってしまう。

 きちんと印をつけていればよかった、と半ば後悔しながらも、ユレンは進み続ける。今更戻ってもネレグの住居に戻れる保証はない。ならば、進んでそのある場所を見付けた方がまだマシだ、と思いながら足を前に出し続ける。

 かれこれ何十分歩いただろうか。


――こっちだよ――


 突如、子供の声が森の中に木霊した。

「今の、聞こえました?」

『何がだ?』

 ユレンはバルックに確認を取るも、どうやらバルックは先程の子供の声が聞こえなかったようだ。

 幻聴、だったのか?


――こっちだよ――


 そう思った矢先、またもや子供の声が聞こえた。

 声の聞こえた方向は右手の方向だ。ユレンはその声が聞こえた方へと歩み続ける。


――こっちこっち――


 今度は、左手やや後方から。


――早く来てよ――


 今度は右斜め前方から。


――僕は待ってるよ――


 今度は右手の方向から。


――ほら、早くーー


 今度は真後ろから。


――君が辿り着くのを、待ってるよ――


 そして、前方やや左から声が聞こえ、ユレンは声の聞こえる方へと歩み続ける。

 気が付けば、ぽっかりと開いた空間に彼は出ていた。

 そこだけが木々が生えておらず、まるで穴が開いたかのように綺麗な円形となっている。

 上から差し込む光は、円の中へと降り注出いる。

 その円の中心にそれはあった。

 蔦が這い、やや寂れてはいるものの、台座に突き刺さった一本の剣。


――待っていたよ――


 森の中でずっと聞こえていた声は、剣から聞こえて来るではないか。

「もしかして、君が僕を呼んだんですか?」


――そうだよ――


 確認の意を込めて剣にユレンは問いかけると、是と答えが返ってきた。

 誘われるとは、つまり剣に誘われると言う事だったのだ。


――さぁ、僕を抜いておくれ。勇者の素質のある若者さん――


「勇者、ですか?」


――そう、勇者。君は僕を扱う素質のあるヒトなんだ。だから、勇者の素質があるんだ――


「それは、つまり……」


――早く、僕を抜いておくれ――


 ユレンの言葉を遮るように、剣は自身を抜くように催促する。

 ユレンは剣へと近付き、両手で使をしっかりと掴んで言われた通りに台座から剣を引き抜く。

 すると、剣に這っていた蔦は自然と切れ、剣は淡い燐光に包まれる。

 光が収まると、錆びれた様子などない、黒く染まった刀身を持った剣がユレンの手に収まっていた。

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