惨劇

 一体、何が起こっているんだ?

 マスクを外したユレンは混乱する頭でただただ茫然と見ているしかなかった。

 突如、空間が歪んだと思えばそこから銀色の何かが現れ、シーンの腕を切り飛ばした。

 そして叫び声を上げたかと思うと劇場内に幾つも同じ歪みが生じ、そこから銀色の何かが次々と現れて人に襲い掛かって行った。

 逃げ惑う観客。銀色の何かは完全に背を向ける人に容赦なく腕を突き立て、命を刈り取っていく。

 老若男女関係なく、手当たり次第に。己に近い者から順に。銀色の何かは、殺戮を繰り広げて行く。

 そして、逃げ口となる劇場の扉の前にも歪みが現れ、そこからも銀色の何かが出現する。

 何とか銀色の何かの凶刃を掻い潜り、扉の前まで来た者もいたが、そこから外に出る事は叶わなかった。

 歪みが邪魔をするのだ。いくら進もうとしても、まるで壁に阻まれたかのように進行を阻害され、劇場の外に出る事が出来ないのだ。

 外に出れない現実を突き付けられ、絶望に染まる者にも銀色の何かは無情に腕を振るって首を飛ばす。

 生臭く、鉄を連想させる死臭が蔓延り始める。

 地獄絵図。そう呼ぶのが相応しい惨状が目の前で起きている。

 無論、ただ人は逃げるだけではない。観劇に来ていた武に精通している者や魔法使いは銀色の何かへと躍りかかった。

 流石に劇場内で武器を所持しているのは要人警護の者だけだったが、それでも己の拳や蹴りで銀色の何かを吹き飛ばしていく。

 魔法使いは詠唱を開始し、銀色の何かへと魔法弾を放っていく。魔法弾は銀色の何かに当たり、当たった箇所の部位を破壊していく。

 手当たり次第に襲っていた銀色の何かだが、ここで明確に標的を選定し始める。

 まず、銀色の何かは魔法使い達へと群がった。魔法使いは詠唱を紡いで魔法弾を放つが、彼等の放つ魔法弾よりも襲い来る銀色の何かの方が数が多い。

 一人、また一人と魔法使いは銀色の何かに押し倒され、頭を殴られて気絶させられていく。他の者達と違って殺されはしなかったが、気絶した魔法使い達は銀色の何かに担がれ、歪みの中へと連れ込まれて行ったではないか。

 連れていかれた魔法使いは戻って来ず、銀色の何かだけが再びこちらに戻ってくる。

 武に長けた者も数の暴力に押され、その身を散らしていく。

 劇場内から生きている人がいなくなるのは、そう長い時間は掛からないだろう。

「ユレンっ!」

 と、シーンの怒声でユレンは意識を強制的にそちらに向けさせられる。

 今まさにユレンに襲い掛かろうとしていた銀色の何かは、シーンに蹴り飛ばされて転がっていく。

「ぼさっとするな! 殺されるぞ!」

 そう言うシーンの右腕には衣装である黒い外套がきつく巻かれ、これ以上の出血が無いように傷口を圧迫している。

 息も荒く、嫌な汗も流れて行く。今も尚激痛がシーンを蝕んでいくが、それに悶える暇は与えられない。

 と、シーンの背後へと銀色の何かが突撃し、腕を振り上げてくるのがユレンには見えた。

「シーンさんっ!」

「っらぁ!」

 シーンは振り向き様を蹴りをお見舞いし、銀色の何かを舞台上から蹴り落とす。

 そして、ユレンとシーンは舞台上にいる一座の者達と合流し、銀色の何かと対峙する。

 舞台裏へと向かえる場所にも空間に歪みが生じている。もし行けたのであれば、そこに置かれている模造武器という多少はマシな装備をして相手をする事が出来、更には一階だけとは言え、観客をそこから逃がす事も出来ただろう。

 しかし、それも出来ないとなると正に袋の鼠と言うものだ。

 それでも、抵抗をやめる訳にはいかない。

 一座の者達は襲い掛かってくる銀色の何かを蹴り飛ばし殴り飛ばし、時には魔法を持って吹っ飛ばしていく。

 一座【イルシオン】は一所に留まらず旅をして村や街を回る一座だ。当然、道中で盗賊やらに遭遇する事もある。

 故に、彼等は自衛が出来るように演劇や芸の練習の他に武術の鍛錬も欠かしていない。あくまで護身用だが、これの御蔭で今の所盗賊による被害は免れている。

 また、一座の中には魔法を扱える者も少数ながら存在している。あまり強力な魔法は使えないが、それでも悪漢を吹き飛ばす程度の威力を持つ魔法弾を放つ事は出来る。

 レイディアもその内の一人であり、詠唱を繰り返して魔法弾を次々と撃っていく。

 取り敢えずは、少しでも魔法を放ち、銀色の何かの意識をこちらに向けさせる事を念頭に置いている。

 自分達の身に危険はより一層迫ってくる。しかし、そうすれば逃げ惑う観客へその凶刃が振るわれる可能性が少なくなる。

「ちぃ、きりがないっ!」

 舞台上で一番の重傷を負っているシーンは青い顔をしながら毒吐く。出血は抑えられたが、流した血があまりも多いし、完全に止め切れていない。このままでは命の危険がある。

 いや、命の危険があるのは彼だけではない。魔法使いの数が少なくなった今、銀色の何かの多くは舞台上に集結しつつある。舞台上にいる一座の者達の命もまた、危険に晒されている。

 銀色の者がレイディアへと飛び掛かる。それを近くにいた団員が腹を蹴って遠くへと吹っ飛ばす。

 ユレンもまた、近くにいる魔法を使える団員を守るように銀色の何かを押し倒しては衣装の爪を突き立てて行く。

 一体、あとどれくらい続くのだろうか?

 舞台上にいる誰もがそう思った時、彼等の目の前に新たな歪みが生じた。

 数は一つ。しかし、大きさは今までの軽く三倍はある。

 その歪みから、歪みと同程度の体長を誇り、筋骨隆々とした、まるで牛のような頭と角を生やした銀色の何かが現れた。

『ブゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』

 牛頭の何かは猛々しく吠える。それに圧倒され、舞台上にいる団員は萎縮してしまう。

 その一瞬で、牛頭の何かは腕を大きく払う。

 誰も彼もがその腕に巻き込まれ、吹っ飛ばされてしまう。

「がっ⁉」

 軽く宙を持ったユレンはそのまま重力に従い舞台上に落ちる。他の団員達も同様に宙を舞い、ある物は舞台セットの禿山をぶち破り、あるものは観客席へと飛んで行った。

 何とかして立ち上がろうとするユレンの眼に、レイディアの姿が映った。

 それは意識を失い、牛頭の何かに身体をわしづかみにされて歪みの中へと連れ込まれる瞬間だった。

「ま、待てぇ!」

 落ちた衝撃で身体に痛みが走っているが、ユレンは構わずレイディアの後を追う。

 彼の行く手を阻むかのように銀色の何かが襲い掛かってくるも、ユレンは身体を捻って回避し、そのまま歪みへと向かう。

 歪みの中に人は入れない。銀色の何かに連れられでもしない限り。ユレンはその光景を見ていた。しかし、現実を理解しながらも己の中に生まれた衝動に抗う事は出来ない。

 必死で手を伸ばし、歪みの向こうにいるであろうレイディアを連れ戻そうという衝動に。

 本来なら、入れずにまるで壁に激突したかのように跳ね飛ばされるのだろう。

 しかし。

 ユレンは跳ね飛ばされず、銀色の何かと同様に歪みの中へと入り込む事が出来た。

 歪みの向こうは、色の無い世界が広がっていた。

 白と黒で構成され、それの濃淡によって疑似的に色を表現しているモノクロの世界。空は真っ白で、下はまるで奈落と思わせる程に底の見えない黒。

 その世界では奈落の上に複数の道が形成されていた。そのどの道もある一点へと向かっている。

 道の一つに、ユレンが出た道の先にレイディアを連れている牛頭の何かが歩いていた。

 ユレンは迷わずに牛頭の何かへと駆け出す。

「レイディアを、返せぇぇえええええええええええええええええええ!」

 自然と鼓舞するかのように大声を張り上げ、ユレンは牛頭の膝裏目掛けて飛び蹴りをかます。

 跳び蹴りが牛頭の何かに当たるよりも前に、牛頭の何かは振り返り、襲い掛かってくるユレンをまるで羽虫を払うかのように手を薙ぐ。

「がぼっ……」

 空中にいて回避行動がとれず、直撃を貰い受け身も取れなかったユレンはその衝撃により身体の内にダメージを負い、血を口から吐き出しながら吹き飛ばされる。

 薄れゆく意識の中、ユレンはそれでもレイディアへと手を伸ばす。

 手は彼女に届く事も無く、無情に空を切るのみ。

 完全に意識を失ったユレンは道の上に落ちる事無く、そのまま底知れぬ奈落へと落下していった。

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