開幕

 建国の祭りもつつがなく開催され、これと言った問題も起きずに街は賑わいに包まれている。

 屋台では毎年出している定番の料理を出す店や、気をてらって珍しい物を並べて行き交う人の目を引いたりする店、敢えて高級食材を使った値段の高い料理を提供する店があったりと、道行く人の眼と舌を飽きさせないラインナップとなっている。

 武術大会では例年通りの盛り上がりを見せ、魔術大会では神秘的な空間と化した。

 大食い大会では意外な者が賞金を掴み取り、歌唱大会では美声が鼓膜を響かせた。

 鍛冶屋の展覧会では剣や斧と言った武器から包丁や鍋と言った調理器具、鋏や鋸など様々なものが展示されており、直売会も兼ねていたので騎士や主婦が気に入った物をその場で買う光景がちらほらと見られた。

 人々の活気や笑顔で溢れる建国の祭りも、今日で最後だ。

 武術大会と魔術大会では決勝戦が開かれ、表彰式も終えた。

 大食い大会と歌唱大会では祭り二日目時点で既に表彰式までも終えている。

 展覧会は祭り終了間際まで開催される。

 正午を過ぎ、人の流れは次第に劇場へと向かうものへと変わっている。

 本日開演される古の勇者の劇を見る為に祭りに訪れている人々はこぞって向かっている。

 一番眺めの良い席は指定席として事前に券を販売し、ほどなく完売した。他の席に関しても前売り券を発行している。また当日券も販売しているので事前に券を購入していなくても入場する事が出来る。

 席は一階と二階まで存在し、多くの人が立ち見で観劇する事無く、座ったまま楽しめるようになっている。

「……いよいよだなぁ」

 男性用に割り当てられた楽屋で、衣装に着替えて終えて椅子に座っているユレンはぽつりと呟く。

 あと一時間もしないうちに舞台の幕が上がり、役者としてのスタートを切る事になる。

 やはり、端役での出演でも緊張はするものだ。

 しかも、出演頻度は結構高い役所をユレンは演じる事になっている。ユレンの役は虚ろの者のうちの一人。最初のシーンで村を襲ったり、勇者にやられたり、神の力に愛されし者に追い払われたりするので、出入りが多い。

 因みに、彼の衣装は全身灰色のタイツを着込み、爪を付けたグローブとブーツを履き、つるっとして顔のパーツが全く無いマスクとなっている。

 スリットが開けられ息苦しくないように加工されているマスクは特殊な材質で、外面――つまりは光の当たる方向からは鏡となるが、内側からは普通に外の景色が見えるようになっている。なので、マスクを被ってもユレンの視界は良好だ。

 このマスクを被るので表情は観客からは分からず、表情から緊張が伝わる事はないだろう。それでも、目の肥えた者から見れば挙動で伝わる可能性は十二分にある。

「えぇっと、緊張しないように、緊張しないように……人って字を書いて飲むんだっけ? それとも深呼吸?」

 マスクを膝の上に置き、ユレンは手の平に人差し指で人と言う字を書いて呑み込み、その後胸に手を当てて何度も深呼吸をする。

 そんな様子を同じ楽屋にいる団員達は微笑ましい物を見る目を向ける。

 自分も昔はああだったよなぁ、あれやっても結局は緊張が解けないんだよなぁ、懐かしいなぁ、と昔を思い出していたりする。

「と、トイレ行ってきます……」

「「「「「おぅ、転ぶなよ」」」」」

 マスクを椅子の上に置き、やや体の動きが固くなっているユレンを団員は心の籠った言葉と共に彼を楽屋から送り出す。

 楽屋の外は舞台袖へと続く廊下であり、隣には女性用に割り当てられた楽屋がある。

 ユレンはトイレに向かう為に女性陣のいる楽屋の前を通る。

「あ、ユレン」

 と、タイミングよく扉が開き、そこからレイディアが出て来たではないか。

 彼女も既に衣装に着替えており、所々に宝石のようなビーズを散らした煌びやかなドレスに肩を覆う薄手のヴェール、化粧も施され、まるで本物の王族のような佇まいと気品を漂わせている。

「あ、どうも」

 しかし、どうにもレイディアの姿が見えていないらしいユレンは錆びた人形のようにぎこちなく頭を下げると、そのまま彼女の横を通り抜け、トイレへと向かう。

「わっ!」

「わひゃあ⁉」

 そんなユレンが通り過ぎる間際、レイディアは彼の背中をどんと両手で押し、大声を上げる。突然の事で、ユレンは驚きの声を上げると共にその場で軽く跳んでしまう。

「い、いきなり何するんですか⁉」

「ははは、びびったびびった~」

 ばくばくと鳴る心臓を必死で宥めようと胸に手を当てるユレン。対照的にレイディアは大口を上げて彼を指差し笑っている。

 そこで漸く現在のレイディアの姿を見て、思わず心を奪われてしまう。

「じゃ、またねー」

 ひとしきり笑うと、レイディアは楽屋を出てユレンとは反対の方へと向かう。そちらは役者以外の団員がいる休憩室のある方向だ。恐らく、そこにいる座長に何か用事でもあるのだろう。

 そして、改めて去っていくレイディアの姿を見て綺麗だなと言うシンプルでいて深い感想を心の中で漏らし、当初の目的を思い出したユレンはそそくさとトイレへと向かう。

 出すものも出し終え、楽屋へと戻る道すがら、ユレンは自分の中から緊張が消えている事に気が付いた。

 緊張が解けたのは、レイディアが彼を驚かしたからだ。あれがなければ、今頃もまだユレンは緊張していた事だろう。

 劇が終わったら、レイディアに礼を言おう。そう心に誓って穏やかな心持でユレンは楽屋へと戻る。

 ユレンが楽屋に戻っていくばくかの時間が流れ、開場の時間となる。開け放たれた扉から人が徐々に入って来ては席へと向かい、次第に埋まっていく。開演十分前にはほぼ満席の状態にまでなる。

 ユレンは既に舞台袖で開幕を待っている。彼の出番は最初のシーンからあるのだ。彼の近くには、同じような格好をした他の団員が二人、反対側の舞台袖にも三人虚ろの者に扮いた役者がスタンバイしている。

 そして、神の力に愛されし者を演ずるレイディアと古の勇者を演ずるシーンは、ユレンとは逆の方で自分の出番が来るまで静かに待っている。

 幕が下ろされた舞台では大道具が最初のシーンの位置で設置されており、村人役の団員が定位置に付いて静かに佇んでいる。

 舞台袖では誰もが息を潜め、口を閉ざしている。小声でも会話をしてしまえば、観客にそれが聞こえてしまう可能性があるからだ。なので、彼等は舞台袖で待機している間は一言も喋らない。

 今か今かと待っている観客の声を聴いていると、開演を告げるブザー音が鳴り響く。

 それを合図に観客席側の証明が段々とフェードアウトしていき、自然と観客の声が止むとアナウンスが流れ始める。

『大変長らくお待たせしました。只今より一座【イルシオン】による劇【古の勇者の物語】を開演いたします』

 アナウンスが終わると同時に舞台の幕が上がり、舞台に明かりが灯る寸前に村人役の団員が動き始める。

 村での一場面。畑を耕し、洗濯物を干し、子供達がはしゃぎまわる。そんな平和な日常を表す。

 照明が切り替わり、舞台が青く染まると舞台袖からユレンを含めた虚ろの者達に扮した団員が出て来て村人を襲い始める。照明は点滅し、村人は逃げ惑い、舞台から捌けていく。

 虚ろの者達の動きはまるで操り人形のようにかくかくとしたもので、村人のいなくなった村をまるで我がもので闊歩し、何かを探すように首を動かす。

 青い照明が段々と消え、完全に暗くなると急いで村を表していた大道具を虚ろの者達が舞台袖に戻し、村人役の団員が戦場となる荒野を表現する為の張りぼての岩を運びだし、天井につるしていたベニヤ板で作られた禿山が二つ少し重なるように降りてくる。

 舞台は変化し終え、虚ろの者達は観客から右手側の上手に集結し、鎧に身を包んだ兵士と神の力に愛されし者は観客の左手側である下手で待機し照明が徐々に照らすと動き始める。

 向かってくる虚ろの者と戦う兵士。魔法を使って追い払う神の力に愛されし者。しかし、侵攻は止む事無く、次第に窮地に立たされていく。

 次々と兵士が倒れ、虚ろの者達に囲まれる神の力に愛されし者。魔法で幾ら追い払ってもその分だけ出て来てきりが無い。

 このままでは虚ろの者の凶刃に倒れてしまう。あわや凶刃が振るわれるその時、黒い外套に身を包んだ勇者が颯爽と現れて剣を薙ぎ、虚ろの者達を蹴散らす……筈だった。

 想定していなかった異変は、何の前触れもなく起こった。

 古の勇者に扮したシーンが剣を振るおうとしたその時、突如舞台中央の空間が歪んだ。中心へと向かうように渦を巻き、そこから何かがぼとりと舞台に落ちてきたではないか。

 それは人の形をしていた。しかし、人ではない。のっぺりとした目や鼻、口の無い顔に鋭い爪を生やした手足、全身鈍い銀色に光っており、所々波打っているように蠢いている。

 気持ちが悪い。不気味だ。誰もがそう思った。

 銀色の何かは首を動かし、のそのそと二本の足で立って歩き始める。

 そして、進行方向にいたシーンの目の前まで来ると、それは右手を斜めに軽く振るった。

 シーンは咄嗟に模造の剣でそれを防御する。模造剣はまるで紙を切るかのように分断され、銀色の何かが振るった手の軌道上にあったシーンの右腕も切り裂かれ、肘から離れて宙を舞った。

「がぁぐっ⁉」

 熱せられたかのような激痛が襲い掛かり、シーンは右肘を抑えてながらも銀色の何かを見据える。

『ギィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイグゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ』

 口も無いの銀色の何かは上を向いてに雄叫びを上げる。

 すると、それを合図に舞台上に、客席付近に、いくつもの場所の空間が歪む。

 そこから、舞台上に現れたのと同種の銀色の何かが出現する。

 その銀色の何か達は、他の団員に、そして観客にも襲い掛かっていく。

「きゃぁああああああああああああああああああああ!」

「うわぁああああああああああああああああああああ!」

 劇場は阿鼻叫喚に包まれる。

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