走馬灯
ユレンの育った村は、農耕によって生活を支えていた。
村の名前はアレハ。特産品は甘みの強いアレハニンジンだ。青臭くも無く、ほんのりと鼻孔をくすぐるまるで蜂蜜のような香りが特徴的で、人参嫌いな子供でもアレハニンジンは食べられると言う者が多い。
食用とされる根はオレンジ色で黄色の斑点模様が散らばっている。種を蒔き、収穫出来るまでの期間がおよそ二ヶ月である。他の人参よりも約半分の時間で収穫が出来るので一年を通してある程度安定した供給が出来る。
しかし、どう言う訳かアレハ村付近でしか育たない。気候か、はたまた土質による影響か。それとも恵みをもたらした緑の神の気まぐれか。こればかりは今でも答えは出ていない。
分かる事は、アレハ村でしか育たないのでアレハニンジンと名付けられた事だ。
生育地域が限定され、そして相応に需要があるのでアレハ村では広大な人参畑が広がっており、日々アレハニンジンの世話をしている。
また、その甘味故に菓子作りの材料にも使われており、村の者達はアレハニンジンを用いたケーキやパイをおやつに作り、子供達に食べさせたり、仕事の合間につまんだりしてきた。
ユレンは、そんなアレハニンジンを作る農家の次男として生を受けた。
彼を含めて兄弟は四人。三つ上の兄が一人。そして一つ下の双子の弟妹がいた。
農家を継ぐのは兄と決まっていた。なので、次男のユレンはある意味で自分の好きに生きる道があった。
しかし、当時のユレンは特に将来の事を考えておらず、実家で兄の手伝いをしながらアレハニンジンを育てて行く事を当たり前と思っていた。
彼の両親としては、もう少し将来について考えないのだろうか? と不安に思っていた。このままアレハニンジンの世話をしていれば余程の事がない限り安定した生活を得られる。しかし、それと引き換えに村から殆ど出る事のないあまり変わり映えのしない日々が待っている。
ユレンが自分でその道を選んだのならば、両親から文句はない。しかし、彼は流れに身を任せているだけだ。
事実、彼の兄と双子の弟妹は自分の意思で両親の跡を継ぐ決心をしていた。
流れに身を任せた人生では、何時か後悔する。両親はユレンが後悔しない生き方をして欲しいと心底願っていた。
そんなある日、アレハ村に旅の一座【イルシオン】がやって来た。
村長の許可を取り、【イルシオン】は簡易テントを張って、そこで芸や演劇を行った。
物珍しさから、ユレンはちょっと覗いてみる程度で【イルシオン】の演劇を見た。
そして、心を奪われた。
まるで自分も物語の中に入り込み、間近で見ているかのような錯覚を引き起こす臨場感。
役者の演ずるキャラはそれぞれ個性が際立っていた。それはそのキャラそのものと言うよりも役者自身の持ち味であった。
完全にキャラになりきる者、キャラと己を同調させる者、他人を演じているとしっかり感じさせ派しても、それが違和感を感じさせない高度な演技を行う者など、十人十色の演技だった。
故に役者の一人一人が独立していた。しかし、それでいてバラバラではなくしっかりと場の調和が保たれて自然と言う言葉が相応しい台詞や動きの応酬が行われていた。
演劇が終われば、ユレンは自然と興奮した様子で大きな拍手を【イルシオン】へと送った。
そして、感動に心を震わせたユレンは自分もこの人達みたいに人を感動させたい。そう思うようになった。
それから、畑への帰り道や畑仕事の最中、休憩時間までもユレンの頭の中には【イルシオン】の演劇が脳裏に焼き付き、決して消える事はなかった。
ユレンは、その日だけで決心した。
早速彼は【イルシオン】の演劇を見たその日の夜に両親に頭を下げて【イルシオン】に入って役者になりたいと告げた。
両親は最初目を点にしたが、駄目とは言わなかった。
目を点にしたのだって、まさかユレンからそのような言葉が出て来るとは思わなかったからだ。
両親は、そんなユレンに一つだけ訊いた。
それは本気でやりたい事なのか? と。
ユレンは間髪入れずにこう答えた。
はい、と。
それは嘘偽りのなく、揺らぐ事無い決意に満ちた言葉だった。
それを訊けた両親は、ユレンが【イルシオン】に入る事を認めた。
ユレンにやりたい事が出来たのだ。なら、それを応援するのが親の務めと言うものだ。
ユレンの兄と双子の弟妹も彼がやりたい事を見付けた事をまるで自分の事のように喜んだ。
家の事は気にせず、ユレンはやりたい事をやれ。にいちゃんの分まで僕らが頑張るから、と。
しかし、いくら両親が認めたからと言っても【イルシオン】に入れる訳ではない。きちんと【イルシオン】にユレンの意向を伝えなければいけない。
ユレンが決意を口にした翌日、早速【イルシオン】の座長に頼み込んだ。
ユレンだけではなく、彼の両親、それに兄と双子の弟妹も一緒になって頭を下げて頼み込んだ。
座長はユレン自身の覚悟と決心、そして彼の家族の切実な思いを受け、ユレンを【イルシオン】へと迎え入れた。
村の者達と家族に見送られながら、ユレンは【イルシオン】の一員として生まれ育った村を後にした。
役者志望と言う事もきちんと伝えていたので、一座の者達と共に日々練習に励んだ。
どれくらいできるのかの確認の意味を込めての初めての練習では散々なものだったと自分でも理解していたので、人一倍努力した。
夜は遅く、朝は早く。疑問に思った事、躓いた時は遠慮がちに先輩の団員に教えを乞うた。
特にユレンにアドバイスをしていたのがレイディアとシーンだ。団員達中でも比較的年が近いと言う事もあり、シーンは気さくにユレンの話し相手となっていった。
そしてレイディアも日々努力し、目に見える形で上達していくユレンを目に掛け、自分が気になった点をユレンに伝えたりした。
ユレンが【イルシオン】の一員となって二年が経つ頃には役者として観客の前に出しても恥ずかしくないまでの成長を遂げた。
座長はそろそろ舞台の経験をさせてもいいだろうと思い、彼を今年の建国の祭りで行う古の勇者の物語の端役に抜擢した。
ユレンは、嬉しかった。とうとう自分も皆と同じ舞台に立つ事が出来るのだ、と。
同時に緊張もした。以前自分の得た感動と同等以上の物を与えなければならないというある種の強迫観念と【イルシオン】という看板が彼の肩に重くのしかかった。
それも、シーンのアドバイスやレイディアの行動で緊張は消え去り、万全の状態で劇に臨む事が出来た。
出だしは好調で、気分もよく演ずることが出来た。ちらりと見れば、観客の誰もが見入っているのように思えた。
よかった、自分の演技は劇を駄作に落としていない。そう安心してユレンは動き続けた。
しかし。
銀色の何かが現れ、惨劇が幕を開けた。
そして、自分に最もアドバイスをしてくれたシーンの腕は切り落とされ、レイディアが連れ去られた。
レイディアを連れて行かせまいとユレンは追った。
しかし、レイディアを連れ去った牛頭の何かは歯牙にもかけず、彼を払い除けた。
手を伸ばしても、レイディアに届く事無くユレンは奈落の底へと落ちて行った。
気を失う前の走馬灯。それは他人からすればほんの一秒にも満たないが、ユレンにとっては膨大な時間が費やされた。
気を失う寸前、彼は強く思った。
許さない、と。
人に感動を与える劇を台無しにした銀色の何かを、逃げ惑う人を無差別に殺していった銀色の何かを、そして、シーンの腕を切り落としレイディアを連れ去った銀色の何かを許さない、と。
それは言葉として外界に発せられず、彼の心の中だけで反響した。
なので、誰にも聞こえない筈だった。
だが。
『その思い、聞き入れたぜ』
彼の思いに反応するかのように、声が響いた。
真っ逆様に落ちて行くユレンの身体に黒い靄が纏わり付き、闇に溶けるかのようにユレンの身体は搔き消えて行った。
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