第40話 九条、移動販売でクレープを売る
忍がコアをぶん投げた翌日--
あの後、コアとクロからいかに怖かったかをこんこんと話されたが冷汗を掻いたのは俺もだった。忍は妙に勘がいいからな。何かしら気付いた可能性は十分あるが今はそれを言ってくることもなく淡々と開店準備を手伝ってている。今回はクレープなのでかき氷とは違い、準備にそれなりに時間がかかる。前日のうちにフルーツのカットはしておいたが生地は当日に作ることにしている。
クレープは生地作りに時間がかかるが、高単価の商品も売れやすく季節も関係ないのでスタンダードな商品だが準備にそれ相応の時間がかかる。開店2時間前から作業が必要で生地は薄力粉をベースに卵、砂糖、牛乳、バター、塩、そしてバニラエッセンスを加えて1時間は冷蔵庫で寝かせる必要がある。その為昼ピーク用の生地を先に作り、今は午後の分を作っているのだが、それもそろそろ終わりそうだ。俺は同じく開店準備をしている忍に声をかけた。忍は昨日のことはなかったかのように普通に振る舞っているが何考えてるか分からない奴だからなぁ。今はその話題に触れないことが最善手だと思おう。
「忍、そろそろメニューボードを出しておいてくれ。」
「はい。分かりました。」
忍はキッチンカーの後部ドアからメニューボードを取り出し、商品受け渡し場所に一か所、会計をするスペースに看板サイズの大型メニューボードを設置していた。《移動販売フリーダム》は季節や場所に合わせて商品を変えているのでその商品ごとにメニューボードと看板を用意してある。面倒だと思われがちだが通常の店舗と違って売れる場所を選べ、売れる商品を次々と変えられるのが移動販売の強みだと俺は思っている。とは言っても商品を変えられるようになったのは最近の話で始めた当初は膨大な借金で資金はないし、看板などを購入することもできなかったから手書きのボードであちこち回っていたっけな。まぁ今ではいい思い出だ。
忍の準備を待って開店とした。
時刻は11時で今回はスーパーの一角だ。近くに学校もあるので部活帰りの学生需要も考えられる。無論夕方の販売ラッシュ用には先程の作ったばかりの生地を使うつもりだ。
「では、先輩さん今日も一日よろしくお願いします。」
「ああ、頼んだぞ忍。」
「もちろんです。全てのお客様にクリームプレイを堪能させてみせます。」
「またそれか。クリームプレイが何なのか知らんが、とにかくそれはやめろ。どうせろくなことじゃないだろうが。」
忍の考えるクリームプレイが何なのかと考えたがすぐにその疑問は外に放り出した。こいつの言動にいちいち対応していたらきりがない。
「クリームプレイとは甘くべとついた白い液体を体にかけ合う魅惑のプレイなのです。鼻腔をくすぐる甘く混じり合ったあの匂い、脳を焼くようなクリームをかけられる快感を体感できます。フフ腐…。私はかけるのもかけられるのもどちらでもありですよ?」
と思ったらクリームプレイを事細かに説明してくれたが理解してやろうとも思えなかったので流しておく。基本こいつのネタには話半分、いや話3割くらいで聞くのがちょうどいい。ドヤ顔の忍に適度に突っ込んでおく。
「それはただの変態行為だな。お前の性癖はどうでもいいからとにかく普通に呼び込みしてくれればいいから。」
「むむ。先輩さんがそう言うのなら残念ですが今回は諦めましょう。」
「次回もぜひ諦めてくれ。いいから開店だ。本当に頼むぞ。」
「はい先輩さん。お任せください。」
忍とのくだらない会話を切り上げて俺はクレープ生地を焼き上げるクレープメーカーに電源を入れ、加熱させる。このクレープメーカーに始まらず移動販売で使える機材は比較的安いものばかりなので減価償却も考えずに使えるのもメリットの一つだと俺は考えている。
クレームメーカーはシンプルな構造でクレープ本体を焼き上げる鉄板とその周りにカス入れがあるだけだ。使ったことがない奴はどうやって焼き上げるか想像もつかないかもしれないな。
十分に火の通った鉄板に1時間程寝かせておいた生地を中心にかける。だが、そのままで焼き上げるとホットケーキになってしまう。そこで使うのは木製トンボだ。分かりやすい例えになると運動場を整備するトンボがあるだろう。野球をする時に使うような地ならしをする道具だが、あればそのまま小型化したものがクレープ生地を焼き上げる道具と思ってくれていい。
その木製トンボを中心に垂らしたクレープ生地に突き刺す。そしてくるりと一回ししてあげるとその分平らに、そしてクレープ生地が広がる。一度広がった地点を1、2回回して均した後に更にその外側も同じように均して上げるとあっという間に大きな円形状の生地が焼き上がる。後は頃合いを見て、スパテラというナイフのような物で鉄板に貼りついた生地をひっくり返して焼き上げると完成だ。
俺がクレープ生地を焼いていると辺りにお菓子を焼いているような甘い、食欲を誘う香りがしてくるのを見計らって忍が声を張り上げる。
「移動販売フリーダムです!食欲の秋、味覚の秋にピッタリなクレープをご用意致しました!ふんわりと焼き上げたクレープ生地とフルーツの組み合わせは絶品です!イチゴと生クリームが絶妙に合うイチゴクレープはいかがでしょう?イチゴの酸味をクリームの甘味が調和した一品です!また、この秋の味覚に今が旬のブルーベリー、ラズベリー、クランベリーをご用意しています!3種類のベリーをふんだんに使った秋のベリークレープはお客様にきっとご満足して頂けること請け合いです!是非ご賞味ください!」
あいつはいつも状況を見て一番効果的な状況を利用してくれる。
今回もメニューを確認して即興で呼び込みの台詞を考えてくれた。
俺が売りに出したいのは秋のベリークレープだ。問屋のおやじさんから仕入れたベリーを使い、一個680円とかなり強気の値段設定にしているがそれだけの価値はあると思っている。だが、商売は高価な商品だけを売り込んではダメだ。
廉価品があってこそ高負荷価値商品が映えるものだ。
例えば、家電量販店でテレビが欲しいとしよう。
1台が50万円のテレビを販売したいとする。店員がこのテレビはいいですよと機能の説明をしても購入者は比較対象がないので本当に50万円の価値があるかは判断がつかない。ところがそこに10万円のテレビと30万円のテレビがあればどうか。3つのテレビの性能の違いを説明し、お客様のニーズを引き出せば50万円の高額製品も販売できるだろう。そこには話術などの要素も当然あるが、それ以前に人は比較対象がなければその価値が判断しにくいのは間違いない。
忍は今回そう言った人間の心理を利用した呼び込みをしている。シンプルで安いイチゴクレープを案内して敷居を下げつつ、高単価で季節物の秋のベリークレープの説明をしているのはその為だ。
「先輩さんオーダーです。イチゴクレープ3つと秋のベリークレープ1つお願いします。」
「ああ。すぐに作る。先にお会計しておいてくれ。」
「はい。分かりました。」
その効果は早速表れ、忍からオーダーを告げられた。
廉価品であるイチゴクレープと比べて高付加価値商品の秋のベリークレープは数が出ていない。が、話題性や耳目を引く意味合いで用意しているメニューでもあるので3つに対し1つくらいのこの割合で問題はない。
俺は忍のオーダーに従い、クレープを作り始める。かき氷と違い作るのに時間がかかるので先にお会計をしてもらうよう指示しておいた。
次々とやってくるオーダーに合わせてクレープ生地にフルーツやチョコ、ソフトクリームをオーダー毎に作っていく。クレープ生地はある程度作り置きしていたが、このペースだとすぐになくなってしまうのでオーダーが途切れた瞬間を狙って数枚焼き上げる。そして忍からのオーダーが入ると焼き上げを切り上げ、クレープを作っておく。
「オーダーです!チョコクレープ2個お願いします!」
「分かった。」
忍のオーダーに声を返し、チョコクレープを作り出す。
チョコクレープはチョコレートと生クリームだけのシンプルなオーダーなのでさして手間もかからず作って忍に渡す。
「忍、チョコクレープ2人前だ!」
「はいありがとうございます。--チョコクレープをお待ちのお客様、お待たせしました!」
その後も波は途切れずにひたすらにクレープを作り続けていたが、事件が起きたのはピークが途切れた15時前くらいのことだった。
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