第16話 揃った役者と明かされた秘密
「お願いだ……」
絞り出されるようにして吐かれた懇願に、レティーツィアは碧の双眸を軽く見開いた。
それはあまりにもディートハルトには不似合いな、弱々しい声音だった。張りのある低音は力を失くし、
「陛下のお願いを断れるほど、わたくし、偉くありませんわ。どうぞお話しになって」
一瞬困惑したレティーツィアだったが、夫とその愛人を目の前にして凍えた感情は変わることなく、そのキルシェの実のような唇から零れた言葉は、ツンとした、ひどく取り付く島もないものとなった。レティーツィアの返答に、ディートハルトの眉根が苦しそうに寄せられる。
(なぜ、そんな
普段にないディートハルトの様子に、レティーツィアの胸の内はざわめいた。あまり感情を表に出さないディートハルトが、今、はっきりとわかるほどに困惑し、且つ
一体全体、そんな状態になるほどにディートハルトが話したいことというのはなんなのだろうか。
離縁の話ではないと思っている。それが許されるほど、政略結婚というものは簡単ではない。“アウデンリート国王の妻”、中でも国王に次ぐ地位である“アウデンリート王妃”の座は、好き嫌いで決められるほど軽くはない。庶民の結婚とは違うのだ。いくらディートハルトがアリーセを愛していても、
(だとすれば、アリーセさまの縁組のことかしら……)
どう説明すればいいのか躊躇っている様子のディートハルトを見つめながら、レティーツィアはそっと握りしめた掌に力を籠めた。爪がやわらかな掌に刺さる痛みが、今は有り難い。その痛みに集中すれば、みっともなく泣き喚かなくて済む。
(アリーセさまを一旦誰かの養女にするか、誰かの奥様にしてから、王宮に出仕させる形で薔薇の宮に留め置くのかしら……。その、ご相談?)
その考えは、レティーツィアの気持ちを暗くした。ディートハルトの顔を見続けていられなくて、サーブされたティーカップに視線を移す。澄んだ紅い
「なにから話していいのか迷うのだが──」
ようやく口火を切ったディートハルトは、視線を合わせようとしないレティーツィアの態度に眉を曇らせ、軽く唇を噛んだ。
『まず、これから話すことは、他言無用としてほしい大事なことだ』
一瞬口を閉ざしかけた彼は、思い直したように言葉を続けた。少し薄めの唇から飛び出したその言語に、レティーツィアは伏せていた目を見開いた。それは、アウデンリート語ではなく、耳慣れたエネストローサ語だったからだ。
レティーツィアが感じた衝撃は、同じくエネストローサ人であるアマリアとロサにとっても同じだったらしい。背後で二人が身を固くする気配が感じられる。
『アリーセは、薔薇の宮に住んではいるが、俺の妃ではない』
『え? でも、薔薇の宮は特別な場所だと──』
『たしかにあそこは特別だ。なぜなら、薔薇の宮は、元々彼女のために建てられた場所だからだ』
ディートハルトの言葉は、レティーツィアを混乱させた。
薔薇の宮は、先代王が最期を過ごしたという大切な宮だ。理由は不明だが、女人禁制として、当時王妃であった王太后アルベルティーナですら、そこには入れてもらえなかったといういわくつきの居住区。
ディートハルトの妃ではないというアリーセ。
そんなアリーセのためのものだという薔薇の宮。
(アリーセさまは、先代の……?)
レティーツィアは改めてアリーセを見た。そんなレティーツィアの視線に気づいたのか、アリーセがにこりと整った貌をほころばせる。その笑みは、薔薇の花が開くのにも似ていて、とても華やかで美しいものだった。
『アリーセは』
ディートハルトは声のトーンを一段落とした。意味を理解する者が少ないだろう異国の言葉で告白するだけでないその行為からは、アリーセの出自をどうしても秘密にしたいのだという確固たる意志を感じる。
レティーツィアは、固唾を飲んでディートハルトの言葉の続きを待った。
ディートハルトは、一瞬なにかを想うように瞼を伏せたが、再びその青の双眸をまっすぐレティーツィアへ向けた。
そうして、彼は厳重にしまっていた秘密を、レティーツィアへ明かしたのだった。
『アリーセは、俺の──
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