第13話 事態は動く
その後レティーツィアは、正直、どういう風にアルベルティーナと別れ、自室に戻ったのかという記憶がない。気が付いたらアマリアの腕の中にいたというのが正しいかもしれない。
「姫様、姫様!」
部屋には、イーヴァインの姿もなかった。レティーツィアと、アマリアと、ロサの三人だけだ。扉の前にはフランツィスクスがいるかもしれなかったが、今現在、この部屋にいるのは、レティーツィアが心を許す人間だけだ。
それを認識して、初めてレティーツィアは涙を流した。
幼いレティーツィアは、喜怒哀楽を隠さなかった。笑いたいときに笑い、泣きたいときに泣いていた。けれど──アウデンリートへの輿入れが決定し、王妃教育が始まってから、彼女はパタリと泣くことがなくなった。
それは、「王妃たるもの、みだりに感情を露わにしない」という教育の賜物でもあったし、王妃教育の先に繋がるのが想い人であったということもその一因だった。幼いながら、いや、幼いからこそ純粋だったせいか、彼女はアウデンリート王妃となるため、必死になって感情を抑えたのである。
けれど、今。信じていたものがガラガラと崩れ去り、自分がいた場所が、愛する人と築く新しい故郷ではなく、お飾りとしての王妃として迎えられただけの冷たい城だということに、否応なく気付かされてしまった。
……ディートハルトの愛する人が、自分ではないと、気付いてしまった。
けれども、絶望に打ちのめされてなお、レティーツィアは泣き喚くということをしなかった。
それは、かすかに残った矜持というものであったのかもしれない。
一方、泣き喚くのではなく、声を殺し、静かに涙を流し続けるレティーツィアに、アマリアとロサは心を痛めていた。放心したレティーツィアを託したとき、イーヴァインはなんの説明もしなかった。ただ、血相を変えて「すぐ戻ります」と一言添えただけだ。
だから、わけもわからず幼い主を抱きしめることしかできなかった。幸い、この部屋には他に誰もいない。王妃たるレティーツィアがただの少女に戻ることを、アマリアがあるべき主従の距離を越えて触れ合うことを咎めるものは、誰もいなかったのだ。
どれだけの間、そうしていたのだろうか。涙を流すレティーツィアに黙って寄り添っていたロサが、突然ハッと身を起こした。気色ばむロサに、アマリアも伏せていた顔を上げる。
「……ロサ?」
「レティーツィア!」
警戒態勢に入ったロサにアマリアが眉を顰めるのと、部屋の扉が勢いよく開け放たれたのは同時だった。耳に飛び込んできたその声に、アマリアとロサの形相が変わり、レティーツィアがギクリと身を固くする。
なぜなら、息を切らし、髪を乱した、いつにない状態で飛び込んできたその人は──レティーツィアの涙の原因を作り出した張本人だったからである。
「……いくら陛下と言えども、淑女の部屋へ先触れもなく飛び込んでくるのは失礼です」
氷点下の声音でアマリアがディートハルトの不調法を謗り、ロサがその身体でレティーツィアを隠したが、ディートハルトの目にはなんの意味もなしていないようだった。
「話をさせてほしい」
話したくもない。主に近寄るな。彼女たちは咽喉まで出かかった不敬の言葉を飲み込むと、そっとレティーツィアを見やった。
「……陛下、無理でございますわ。お引き取り願えませんか?」
自分にしがみついていやいやをするように頭を振るレティーツィアに、アマリアは口を開いた。ディートハルトと直接口をきくのは躊躇われたが、レティーツィアの様子を見るに、今は話せる状態にない。そう思った上の判断だった。
「……だが」
一瞬躊躇いを見せえたディートハルトだったが、すぐに
「話をさせてくれ。聞いてほしいんだ、姫!」
声に滲む必死さに、ほんの少しアマリアが心を動かされたとき、レティーツィアが顔を埋めたまま押し殺したような声を出した。
「……じゃ、ないです」
それは、かすかな声だったけれど、ディートハルトの耳にはきちんと届いたようだった。
「姫じゃないです。わたくしは、もう、レティシア姫ではないの。そんなことすらわからない方と、お話したくありません!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます