第9話 侍女は壁にぶつかる

 レティーツィアのために情報を収集しようと部屋の外へと出たアマリアだったが、その目的は早々に頓挫とんざした。

 理由は……言葉の壁である。


 アマリアはアウデンリート語に明るくない。これでもレティーツィアと共に、国を出るまでに相当勉強してきたのだが、筆記はうまくなっても、早口の言葉はまず聞き取れないし、先程会ったフランツィスクスのようなややこしい発音は、舌がもつれて巧くできない。

 先ほどアマリアが困惑したのは発音の方だったが、今度ぶつかったのはリスニングの壁だった。異国エネストローサから来た三人を気遣うためか、レティーツィアの近くに配された人員は、皆ゆっくりはっきり喋るように教育されていた。が、場内の人間がすべてそうとは限らない。そういった人たちがたくさん重なってしまうと、もうアマリアにはお手上げだった。


(これでは、情報収集など、できないわ……)


 大体が、ディートハルトについて聞き込みをしようという無謀な試みだった上、それを実行するには語学力が足らない。無力な自分にアマリアは歯噛みした。大事な姫君を守りたいのに、アマリアにはそれを成し遂げるだけの力がないのだ。


 かといって、まだ城内に滞在しているエネストローサ国王たちに、このことが漏れてはいけなかった。へたをすると戦争になる。それほど、国王夫妻は末娘を溺愛している。先王の喪に服すため嫁がせるのを遅らせるよいうことを了承したのも、できるだけ長く手元に置きたかった彼らの意向もあったのだ。


(……ロサにお願いすべきだったかも)


 今朝の悄然しょうぜんとしたレティーツィアの様子に頭に血が上っていたアマリアは、思わず自分でどうにかしたいと意気込んで出てきたが、まずは冷静になって対応すべきだったのだと、そのときになってようやく思った。我ながら思考停止もいいところだ。

 そこまで思考を巡らすと、アマリアの行動は早かった。自力で遂行することに見切りをつけた彼女は、身を翻して部屋へと戻る。入り口でフランツィスクスが面白そうな表情で声をかけてきたが、それは笑顔ひとつで黙殺した。この背の高い騎士はややこしい。アマリアはそう思っている。


「アマリアさん、おかえりなさい。早かったですね。もう用は済まされたんですか?」


 ロサが驚いた顔でアマリアを迎える。その質問には答えず、アマリアはレティーツィアについて尋ねた。運のいいことに、まだレティーツィアは起きてきていないようだった。


「ロサ、あなたに頼みがあります」

「あたしに?」


 小さな声でディートハルトのことについて探るよう頼むと、眼鏡の奥の琥珀色が大きく見開かれた。続いていつも朗らかな彼女には珍しく、硬い表情に変わる。アマリアだけでなく、ロサだってレティーツィアのことが大切で、大好きなのだ。それこそ、故国を捨ててついてくるほどに。


「あたしにお任せください。すぐにとは言えませんが、必ず突き止めてみせますから!」

「姫様や他の人たちには勘ぐられないようにね」

「もちろん!」


 力強く頷くロサに、アマリアは念を押した。ちなみにここまでの会話はエネストローサ語で行われている。


「それにしても……許せません。どんな理由があったとしても、姫様が悲しんでいるのは事実なんですから」


 悔しそうに、ロサが呟く。それはアマリアも同感だった。どんな理由があるにせよ、初夜に花嫁をひとりきりで放置するのはひどい仕打ちだ。ましてや相手がずっと焦がれてきた人なのだから、レティーツィアの落胆は相当なものだったろう。冷え込む早朝のベランダで、敬愛する姫君がどんな気持ちで佇んでいたのかと思うと、胸が張り裂けそうになる。


 そうして、アマリアとロサはそれぞれ動き出したのだった。


          ◆


 アマリアが早々に苦しんだ言葉の壁だったが、記憶力も耳もいいロサにとって、それは大した障害ではなかったらしい。加えて、明るく人懐こい性格が功を奏した。

 エネストローサ王国の一行が帰国したその日、待ち望んでいたその報はもたらされた。

 だが、突き止めた事実は──ロサを怒らせるのには十分だったようだ。

 常にない表情で部屋に入ってきたロサだったが、部屋にレティーツィアがいることに気づいたロサは、それを瞬時に引っ込めた。入り口に背を向けていたレティーツィアには、気づかれてはいない。


「姫様~、厨房で試作品のお菓子もらってきたんですよ。姫様のために、エネストローサのお菓子を作ってくれたんです。食べます?」

「まぁ」

「ロサ、姫様に試作品を差し上げるのはどうかと思いますよ」

「でも、アマリア。わたくし気になります。ロサ、ひとついただいてもいいかしら?」


 ロサが厨房でもらったと持ってきたのは、彼女たちの故国ではよく食べられている、モスカテルという果実からできたワインを使った焼き菓子だ。食べると香辛料の香りとモスカテルワインの香りが広がっておいしいのだが、まさかそれがアウデンリートここで食べられるとは思わなかった、と、レティーツィアは笑う。


「姫様が好きそうなお菓子を訊かれたんで、いくつか答えておきました~。そのうち、お茶菓子として出してもらえるみたいですよ!」

「それは嬉しいわ」


 ロサの言葉に、レティーツィアは輝くばかりの笑顔を見せる。

 だが、ここのところレティーツィアが沈みがちなことは、ロサもアマリアも知っていた。もちろん原因は父王たちの帰国ではなく──ディートハルトだ。

 王は、初夜からこちら、ほとんど顔を見せていない。贈り物だけは毎日届けられるが、本人は多忙を理由に、一日か二日に一度、一輪の花を片手にちらりとご機嫌窺いに現れるだけだ。

 それでも嬉しそうにレティーツィアは、もらった花を生ける。大切に、毎日をそれを眺めて暮らす。

 だがその夜、ロサがアマリアに告げた事実は、そんなレティーツィアの想いを土足で踏みにじるようなものだった。

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