第4話 婚礼の日
ディートハルトの用意した部屋で、レティシアは婚礼の当日までゆったりと過ごした。
多忙を極めているらしいディートハルトとは食事すら一緒に取ることはできなかったが、国からともにやってきている両親と一緒に過ごしていたせいか、婚約者の不在はあまり気にはならなかった。
そして、夢にまで見た婚礼の日がやってくる。
◆
「姫様、とってもお綺麗ですわ!」
敬愛する主人に、この日のために用意された壮麗な婚礼衣装を着せつけ、化粧や結髪などを完璧にこなしたアマリアは、額の汗をぬぐうと満足げな溜息を洩らした。
「そう? どこもおかしなところはない?」
「あるものですか! 全力を尽くして完璧に仕上げました!」
「アマリアさんの言う通りですよ。とってもお可愛らしく、且つお綺麗です~」
自信たっぷりに頷くアマリアの横で、ロサがうんうんとそれを肯定した。アマリアの手伝いをしていたアウデンリートの侍女たちも、同様に頷く。
「今こちらで流行っている髪型やお化粧も取り入れましたし、おかしなところなどどこにもありませんよ、レティーツィア様」
「さあ、陛下がお待ちですわ」
「礼拝堂へ参りましょう!」
だが、挙式を目前にして複雑な乙女心を抱くレティシアの気持ちは、彼女たちにはわからないようだった。興奮して早口でまくしたてる侍女たちのアウデンリート語を聞き取るのに精いっぱいで、レティシアたちエネストローサ組は特に反論することもなく、礼拝堂へ向かうこととなった。
(もう少ししたら、わたくしは“レティシア・イリス・キアリーニ・エネストローサ”ではなく、“レティーツィア・イリス・エネストローサ・アウデンリート”になりますのね……)
ゆっくりと礼拝堂へ足を進めながら、レティシアはそのことを思った。この十五年──正確には誕生日はもう少し先なのだが──、呼ばれ慣れ、また言い慣れてきた自分の名前が変わるのは、なんだか不思議な気持ちがする。洗礼名は異国に嫁いでも変わらないが、それ以外が変わってしまうのは、どうも自分という人間自体が変わるようで居心地が悪く、またその理由が大好きな人の妻になるためだと思うと、妙に面映ゆい。
(ディートハルトさまも“レティーツィア”とお呼びになるのかしら)
この国に着いたときに聞いた、婚約者の声を記憶から呼び覚ます。低い響きのいいあの声で、新しい自分の名前を呼んでもらうと思うと、なかなか悪いことではなかった。
時間をかけて礼拝堂にたどり着くと、レティシアの何倍もあるような大きな扉が、軋みもなくすべらかに開いた。華麗な文様を彫り込んである扉が開くと、ずらりと参列客が彼女の登場を待ち受けていた。
下ろしたヴェールのせいでかすんでしまってよく見えないが、その一番奥に豪華な衣装を着けた黒髪の人物が、彼女の夫となるアウデンリート国王その人だろう。
扉を開けたのが合図だったのか、一斉に華やかな楽の音が奏でられだした。異国の音楽は耳慣れないが、調べに合わせて流れる歌声を聞くと、それが結婚を祝う曲だということがわかる。
その曲を聞きながら、レティシアは入り口付近で自分を待っていた父王に手を差し伸べると、まっすぐ前を向いて歩み始めた。長い長いヴェールは、背後でアマリアとロサが持っている。彼女たちもまた、普段と違う綺麗な衣装を身に着けていた。
一歩一歩、踏みしめるようにして祭壇の前にたたずむディートハルトのところへ向かう。
この日を迎えるのを、一日千秋の思いで待っていたレティシアは、自分の踏み出すこの一歩が重いと感じた。
一歩踏み出すごとに、彼女は祖国と遠くなり、愛する人に近づくのだ。
一歩進むごとに、愛する家族との別れが近づき、新しく家族となる人が現れる。
(ディートハルトさま……)
紅を刷いた唇から、声にならないため息が漏れる。数日前に挨拶したときと違い、今日のディートハルトは髪を上げて額を出し、その頭上には重々しい王冠をいただいている。彼女のドレスと対になる礼服は、彼の怜悧な容貌を際立たせていた。
柔らかさのない鋭い青い瞳が、自分を見つめていることに気づいたレティシアは、恥ずかしくなってかすかに視線を下げた。
この式典が終われば、彼女は正式にアウデンリート王妃となり、また、愛する人の妻となるのだ。緊張し、期待に胸が高鳴るのも致し方なかった。
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